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千年魔族は少年の姿で旅をする  作者: ポボンゴ
第二章 外側の門編
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第二十二話 シェルミア



シェルミアからの返信が届いてから、一時間も経たないうちに、研究区画の扉が叩かれた。


「第一席、シェルミア殿がお見えです」


扉の外から兵士の声が届く。


リズナは、先ほどまで光っていた通信術式へ目を向けた。


「もう到着したんですか?」


「ちょうど皇都に滞在していたようね」


リュミエラは研究室を覆う遮断術式を解除した。


「通してちょうだい」


扉が開く。


兵士に案内されて入ってきたのは、一人の女性だった。


丈夫そうな探索用の外套をまとい、腰には短剣と幾つもの道具を下げている。


手には、大きな探索鞄を提げていた。


シェルミアは室内へ入ると、まずリュミエラへ軽く頭を下げた。


「呼んでくれてありがとう。百階層の話だっていうから、急いで来たよ」


声は落ち着いている。


だが、その視線はすでに作業台の上へ展開された迷宮図へ向けられていた。


百階層。


隠し部屋。


協力要請に記されていた二つの言葉を、今すぐ確かめたくて仕方がない。


そんな熱が、平静な表情の奥から伝わってくる。


「急に呼び出して悪かったわね」


「グラン・ラビリスの話なら、いつでも大歓迎だよ」


迷いのない返答だった。


リュミエラはリズナとゼラスを順に示す。


「こちらはリズナちゃん。そして、ゼラスよ」


「リズナです。よろしくお願いします」


リズナが頭を下げる。


シェルミアも軽く礼を返した。


「シェルミア。よろしくね」


続いてゼラスへ視線を移したところで、彼女の目が僅かに細くなる。


少年にしか見えない外見に驚いたわけではない。


立ち方や視線の動き、抑え込まれた魔力を短い間に観察していた。


「あなたが、百階層まで行った人?」


「ああ」


ゼラスは短く答えた。


シェルミアは外見について何も尋ねなかった。


代わりに作業台へ一歩近づき、古い迷宮図を覗き込む。


「最初に確認させて。要請にあった百階層っていうのは、階層の数え方が今と違うわけでも、未登録区画を便宜的にそう呼んでいるわけでもないんだよね?」


「ええ、実際の百階層よ」


リュミエラが古い記録を拡大する。


「私とゼラスは、それぞれ異なる時代にグラン・ラビリスへ入り、百階層まで到達しているわ」


シェルミアの表情が止まった。


「二人とも?」


「私は千年ほど前。ゼラスは八百年ほど前よ」


「それぞれ一人で?」


「そうよ」


短い沈黙が落ちる。


シェルミアは古い迷宮図を見つめたまま、ゆっくりと息を吐いた。


驚いていないわけではない。


ただ、感情を表へ出すより先に、与えられた情報を整理しているらしい。


「百階層までの経路は残ってる?」


「完全な地図はないわ。私が残したものも、当時の構造を基にした記録にすぎない」


リュミエラは現在公開されている迷宮図を隣へ並べた。


公に確認されている七十二階層までの地図と、千年前に記録された古い経路。


二つを重ねると、浅い階層からすでに幾つもの違いが現れた。


シェルミアは表示された記録へ素早く視線を走らせる。


「この通路は、今は閉じてるね」


古い地図の一角を指し示す。


「こっちに記されてる階段も、現在は別の場所に移ってる。深くなるほど差は大きくなって、下層では階層同士のつながり方まで変わってるよ」


リズナも二つの図を見比べた。


自分には、複雑に入り組んだ線の集まりにしか見えない。


だが、シェルミアは現在の迷宮との違いを次々と拾い上げていった。


「やはり、昔の記憶だけで進むのは危険なんですね」


「うん。浅い階層なら修正しながら進めるけど、深層では小さな間違いが致命的になる」


シェルミアの声は冷静だった。


未踏階層へ進める興奮よりも、まず危険を正確に伝えることを優先している。


「特に深層では、帰還経路を確保しながら進まないと駄目。強い魔物だけが危険なわけじゃないからね」


「七十二階層から先へは、まだ進めていないのか?」


ゼラスが尋ねる。


シェルミアは現在の最深部を示す地図を拡大した。


巨大な広間の奥で、通路が途切れている。


「七十三階層へ続くはずの入口は見つけてる」


「では、どうして七十二階層までなんですか?」


リズナが尋ねる。


「扉が開かないんだよね」


シェルミアは広間の奥を指し示した。


「壁面に巨大な石扉がある。物理的な力でも魔法でも破壊できないし、解錠に必要な条件も分かってない」


「術式の記録はある?」


リュミエラが尋ねる。


「もちろん。見つけたものは全部記録してるよ」


シェルミアは腰の鞄から、小さな記録板を取り出した。


魔力を流すと、七十二階層で発見された扉が空中へ映し出される。


巨大な石造りの扉。


表面には幾重もの円と、複雑に交差する細い線が刻まれていた。


リュミエラの表情が変わる。


ゼラスも無言で映像を見つめた。


「この外周部分……」


リュミエラが扉の一部を拡大する。


そこに刻まれていたのは、黒風の森で確認されたものとよく似た回路だった。


完全に同じではない。


だが、魔力を巡らせる方向と、複数の術式を一つへまとめる構造が一致している。


「百階層だけじゃなかったのか」


ゼラスが呟いた。


「ええ、七十二階層の時点で、すでに同じ系統の技術が使われているわ」


シェルミアが二人を見る。


「この術式に心当たりがあるの?」


「一部だけよ」


リュミエラは禁書庫の石板と、黒風の森で記録された門型術式を表示した。


「最近、これと似た術式が起動したの」


シェルミアは三つの術式を見比べる。


その瞳に強い熱が宿った。


「……なるほど。形は違うけど、魔力の流し方はかなり近いね」


一つ目の記録を拡大し、続けて二つ目へ重ねる。


「この回路で複数の術式をまとめて、その内側で境界を固定してる。細部は違うけど、同じ基礎から派生したものだと思う」


「私もそう考えているわ」


「だったら、七十三階層への扉を開ければ、この技術についてもっと分かるかもしれない」


シェルミアの話す速度が、僅かに上がっていた。


視線は術式から離れず、指先は次々と記録を切り替えている。


「扉の先に同じ回路が残ってる可能性もある。百階層まで続いてるなら、途中の階層にも関連する設備があるかもしれない。今まで解けなかった仕掛けも、この記録があれば――」


「シェルミア」


リュミエラが穏やかに呼びかける。


シェルミアの指が止まった。


「……ごめん。少し先走った」


そう言いながらも、瞳の熱は少しも冷めていない。


「話を続けて」


「ええ、七十三階層への扉だけが目的ではないの」


リュミエラは、ゼラスの掌とリズナの風晶石に残された印の記録を映し出した。


「この印を消す方法が、迷宮の深層に残されているかもしれないわ」


シェルミアは二つの印へ視線を移した。


先ほどまでとは違う、探索者としての警戒が表情へ浮かぶ。


「その印、今も動いてる?」


「遮断具で反応を抑えているわ。ただし、完全に消えたわけではない」


「迷宮の術式に触れたら、また起動する可能性は?」


「あるでしょうね」


シェルミアは少し考えた後、リズナへ向き直った。


「危険な調査になるよ。それでも、リズナさんも来る?」


「はい。私に残された印ですから、自分でも確かめたいです」


「分かった」


シェルミアはリズナの返答を聞き、静かに頷いた。


同行を止めようとはしない。


代わりに、共に迷宮へ入る者として必要な確認を始める。


「迷宮での探索経験は?」


「冒険者をしていたので、迷宮に入った経験はあります。ただ、グラン・ラビリスのような大規模な迷宮へ潜ったことはありません」


「なるほど。迷宮内での動き方は分かってるんだね」


「はい。それと、風を使って周囲を探ったり、魔力の流れや空気の変化を調べたりできます」


「感知できる範囲はどのくらい?」


リズナは風晶石を使った感知能力と、壁や地形による制限を簡潔に説明した。


シェルミアは途中で遮らず、最後まで聞いてから口を開く。


「深層には、目で見るより空気や魔力の変化を捉える方が重要な場所もある。迷宮探索の経験もあるなら、リズナさんの力はかなり役に立ちそうだね」


「ありがとうございます」


「あとで実際の感知範囲も確認させて。地形によって、どのくらい変わるのかも知っておきたい」


「分かりました」


シェルミアは次にゼラスへ向き直った。


「ゼラスの戦闘能力も確認しておきたいんだけど、いい?」


「構わない。何を聞きたい?」


リズナは思わずゼラスを見た。


確認の必要性はゼラスも理解しているだろう。


それでも、これほど素直に応じるとは思っていなかった。


「まず、得意な戦い方から教えて」


「前衛で戦える。得意なのは炎と無属性だ。闇も使う」


「武器は?」


「状況に応じて変える。剣なら何種類か持ってる」


シェルミアは答えを記録板へ書き込みながら、さらに尋ねる。


「罠や仕掛けへの対処は?」


「構造を見て判断する。解除するより、壊した方が安全で早ければそうする」


「壊したことで別の仕掛けが動く場合もあるから、その判断は私と共有してね」


「分かった」


また素直に頷いたゼラスを見て、リズナは僅かに目を瞬いた。


その様子に気づいたゼラスが、横目を向ける。


「何だ?」


「別に。ただ、ずいぶん素直に答えるのねって思っただけ」


「必要な確認だろ」


「それはそうだけど」


ゼラスはそれ以上気にした様子もなく、シェルミアへ視線を戻した。


「他には?」


シェルミアが僅かに口元を緩める。


「思ってたより話が早くて助かるよ」


「昔とは構造が変わってるんだろ。今の迷宮については、あんたの判断に従う」


「それなら安心だね。迷宮の中では、遠慮なく指示を出させてもらうよ」


「ああ」


シェルミアは満足したように頷くと、記録板を作業台へ置いた。


リュミエラは四人分の資料をその隣へ並べる。


「協力してもらえると考えていいのかしら?」


シェルミアは七十二階層の扉と、百階層に残された隠し部屋の記録を見比べる。


その瞳には、もはや隠し切れない熱が宿っていた。


「もちろん行くよ」


答えに迷いはなかった。


「でも、準備は省けない。現在の七十二階層までの経路を確認して、食料、回復薬、帰還用の術具、それぞれの階層に対応する装備も揃える」


シェルミアは自分の記録板へ、必要な物資を次々と書き込んでいく。


「出発まで、どのくらい必要?」


リュミエラが尋ねる。


シェルミアの指が止まった。


「みんなの装備が揃ってるなら、明日の朝には出られるよ」


「ずいぶん早いな」


ゼラスが言う。


「私はいつでも潜れるように準備してるからね」


シェルミアは当然のことのように答えた。


リズナは、研究室へ入ってきた時から彼女の傍らに置かれていた大型の探索鞄へ目を向ける。


「もしかして、最初から持ってきたんですか?」


「百階層の話だって書いてあったんだよ?」


シェルミアは不思議そうに首を傾げた。


「何も持たずに来るわけないでしょ」




こうして、グラン・ラビリスの深層へ挑む四人が揃った。

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