第二十一話 百階層の手掛かり
観測板に浮かんだ門の輪郭は、ゆっくりと形を変えていた。
円を描いていた白い線がほどけ、幾つもの細い枝へ分かれていく。
それぞれが異なる術式を作っては崩れ、また別の形を描き始めた。
「別の入口を探しているんですか?」
リズナが尋ねる。
「そう見えたけれど、少し違うかもしれないわ」
リュミエラは観測板へ新たな術式を重ねた。
白い線の動きが止まり、それまでに描いた形が一つずつ空中へ並べられていく。
円形の転移術式。
複数の地点を結ぶ座標線。
門を固定するための外周回路。
どれも完成する前に崩れていた。
「城の中にある術式を探しているわけではないのか?」
ゼラスが尋ねる。
「城内へ広がる反応は確認できないわ。これは新しい入口を探しているというより、観測板に保存された記録を調べているように見える」
「記録を?」
「自分と似た術式がないか、照合しているのかもしれないわね」
リュミエラは観測板の保管記録を開いた。
禁書庫の石板から読み取った術式。
黒風の森で観測した門。
魔皇城に保存されている古い転移技術。
過去に回収された遺物の記録。
膨大な術式図が、作業台の上へ次々と展開されていく。
白い線は、それらへ一つずつ触れては離れていった。
ほとんどの記録には反応しない。
だが、古い転移術式をまとめた記録へ触れた瞬間、白い線の動きが鈍った。
「今、止まりましたよね?」
「ええ、確認するわ」
リュミエラは該当する記録だけを残し、他の術式図を閉じた。
表示されたのは、幾重もの円と直線が複雑に絡み合う術式だった。
記録された年代は、今から千年ほど前。
記録者の欄には、リュミエラの名が記されている。
「リュミエラさんが記録したものなんですか?」
「昔、ある場所で見つけた術式よ。完全には解読できなかったから、形と魔力の流れだけを保存しておいたの」
白い線が記録の一部へ重なる。
門を示す輪郭そのものではない。
だが、術式の外側を巡る細い回路が、黒風の森で確認されたものと一致していた。
リュミエラの表情から、柔らかさが消える。
「これを記録した場所は?」
ゼラスが尋ねる。
「あなたがレイスウィザードを見つけた、あの隠し部屋よ」
ゼラスが目を細めた。
「壁に残っていた術式か」
「ええ、隠し部屋そのものを外部から隔離するための古い術式だと思っていたの。
けれど、黒風の森で確認されたものと同じ回路が含まれているなら、別の目的を持っていた可能性があるわ」
リズナは二人を交互に見た。
以前、レイスウィザードが大迷宮の百階層にある隠し部屋へ保管されていたと聞いている。
だが、その迷宮の名前や場所までは知らなかった。
「その大迷宮は、どこにあるんですか?」
リュミエラがリズナへ向き直る。
「ガリオール北部にある、グラン・ラビリスという大迷宮よ」
「グラン・ラビリス……」
リズナは初めて聞く名を繰り返した。
リュミエラが迷宮の概要を示す地図を空中へ映し出す。
地上にある入口から、幾つもの階層が地下深くまで重なっていた。
無数の通路と部屋が複雑に入り組み、階層ごとに構造も大きく異なっている。
「内部には魔物だけでなく、古い遺跡や術式も数多く残されているわ。どこまで続いているのか、現在も全容は分かっていない」
リズナは地図へ目を凝らした。
表示されているのは、七十二階層までだった。
「百階層に隠し部屋があるんですよね? この地図には、七十二階層までしかありませんが……」
「現在、公に確認されている最深到達階層が七十二階層なの」
「では、百階層の存在は知られていないんですか?」
「一部の者を除けばね」
リュミエラはゼラスへ視線を向けた。
「私は千年ほど前に、ゼラスは八百年ほど前に、それぞれ一人で百階層まで到達しているわ」
リズナは地図から二人へ視線を移した。
「二人とも、一人で行ったんですか?」
「同じ時期ではないけれどね。私が先で、ゼラスが到達したのはその約二百年後よ」
「俺が行った時には、こいつがレイスウィザードを置いていった後だった」
「それをあなたが持ち出したのよね」
「見つけたから持ってきた」
「今はその話ではないわ」
リュミエラは地図の百階層付近へ、新たな印を置いた。
「問題は、あの隠し部屋に外側の門と共通する術式が残されていることよ。禁書庫の石板や黒風の森の遺構と同じ技術が、あの場所にも使われていた可能性がある」
「そこへ行けば、印を消す方法も見つかるんですか?」
「保証はできないわ。でも、現時点では最も有力な手掛かりよ」
ゼラスが百階層を示す印を見る。
「なら、行くしかないな」
「簡単に言うけれど、私たちが以前使った道が今も残っているとは限らないわ」
リュミエラは公開されている迷宮図へ、古い記録を重ねた。
通路の位置が一致しない。
存在していたはずの階段が消え、以前はなかった空間が新たに生まれている。
「迷宮は長い時間の中で、内部構造が変化することがあるの。私が潜ったのは千年ほど前。あなたにしても八百年ほど前でしょう?」
「当時の道をそのまま使うのは危険なんですね」
リズナが尋ねる。
「ええ、現在の迷宮を詳しく知る人物が必要になるわ」
「七十二階層まで到達した人ですか?」
「そうよ」
リュミエラは現在の探索記録を開いた。
その中から、一人の探索者の情報だけを抜き出す。
公認最深到達階層、七十二階層。
調査済みの通路や魔物、罠、階層変化に関する記録は、他の探索者を大きく引き離していた。
「シェルミア。現在のグラン・ラビリスを、誰よりも深くまで調べている探索者よ」
リズナは記録に表示された名を見る。
「協力していただけるでしょうか?」
「迷宮の調査を頼むだけなら、条件を確認されるでしょうね」
リュミエラの口元に、僅かな笑みが浮かんだ。
「でも、未踏の階層へ進めると知れば、話は別よ」
「そんなに迷宮が好きなのか?」
ゼラスが記録へ目を落とす。
「好きという言葉で済ませていいのか、少し迷うくらいにはね」
リュミエラは通信術式を起動した。
正式な協力要請を作成し、必要事項を記していく。
グラン・ラビリスの深層調査。
現在の七十二階層より先へ進む可能性。
軍の支援と、調査記録の共有。
そして文書の末尾へ、短い一文を加えた。
『百階層に存在する隠し部屋について、話があります』
「それだけで来ていただけるんですか?」
リズナが尋ねる。
「おそらくはね」
リュミエラが文書を送信する。
返事を待つ間もなく、通信術式が強く明滅した。
三人の前へ、シェルミアからの返信が表示される。
『今すぐ向かいます』




