第二十話 鍵と器
「二人をそろえて、もう一度門を開くつもりなのよ」
リュミエラの言葉が、静かな研究室へ落ちた。
リズナは風晶石を握ったまま、隣に立つゼラスを見る。
「それなら、私たちは離れていた方がいいんですか?」
「今すぐ離れる必要はないわ」
リュミエラは二つの印を隔てる遮断術式を調整した。
「この印だけで、何もない場所に門を作れるとは考えにくいもの。開門には、黒風の森にあった遺構のような土台が必要なはずよ」
「俺たちが一緒にいるだけでは、何も起きないのか?」
「少なくとも、今はね」
リュミエラは作業台へ新たな術式を展開した。
ゼラスの赤黒い印と、リズナの白い印が別々に映し出される。
「まずは、それぞれの役割を詳しく調べるわ。二人とも、私が指示するまで魔力を動かさないで」
「分かりました」
「ああ」
リュミエラがゼラスの印へ、弱い炎属性の魔力を近づける。
赤黒い線が僅かに輝き、中央から外側へ向かって広がった。
複雑だった線が組み変わり、何かを押し開くような形へ変化する。
「やはり、こちらは起動を命じる術式ね」
「俺の炎を使って、門を開くのか?」
「ええ、ただ魔力を燃料にするだけではないわ。あなたの炎そのものを、開門の条件として認識している」
リュミエラは炎属性の魔力を遠ざけた。
赤黒い印が元の形へ戻る。
次に、リズナの風晶石へ細い風を送った。
白い渦の印がゆっくりと回転する。
その周囲へ幾重もの円が生まれ、広がろうとする風を一定の範囲へ留めた。
「こちらは、術式の形を保つためのものね」
「私の風で、門を安定させるんですか?」
「おそらくはね。境界を開くだけなら、ゼラスの炎で足りるのかもしれない。でも、開いた門をこちら側へ固定し続けるには、リズナちゃんの風が必要になる」
リュミエラは二つの印を見比べた。
「分かりやすく呼ぶなら、ゼラスは火の鍵」
続いて、白い渦を指し示す。
「リズナちゃんは、風の器ね」
「器……」
リズナは風晶石へ目を落とした。
「私の中に、何かを入れるという意味ですか?」
「そうとは限らないわ」
リュミエラはすぐに否定した。
「開いた境界を受け止め、形を維持するための器という意味よ。あなた自身の身体を何かの容器にする、と決まったわけではない」
「決まっていないだけで、可能性はあるんですね」
「ええ、そこは否定できないわ」
リュミエラは曖昧に濁さなかった。
リズナは風晶石を握る指へ力を込める。
自分の風が必要とされている。
だが、それは望んで与える力ではない。
向こう側にいる何かが、自分を勝手に選び、勝手に役割を与えたのだ。
「気に入らないな」
ゼラスが呟いた。
「私もよ」
リズナは白い印を睨んだ。
「勝手に鍵とか器とか決められて、そのまま使われるなんて絶対に嫌」
「なら、使わせなければいい」
ゼラスは平然と答えた。
「簡単に言うわね」
「簡単ではないから、今調べてるんだろ」
「そうだけど」
リュミエラが小さく笑い、二人の間に浮かぶ術式を閉じた。
「役割が分かった以上、対策は立てられるわ。まずは印の反応を抑えましょう」
作業台の上に、二つの小さな魔導具が現れる。
一つは指輪ほどの黒い輪。
もう一つは、薄い銀色の枠に紫色の石が埋め込まれた留め具だった。
「ゼラスはこれを右手に。リズナちゃんの方は、風晶石へ取り付けるわ」
ゼラスが黒い輪を手に取る。
「封印具か?」
「正確には遮断具ね。印と外部の術式が直接つながるのを防ぐものよ」
「これで消せないの?」
リズナが尋ねる。
「今は抑えるだけにしておくわ。無理に剥がそうとすれば、印が防御反応を起こすかもしれないもの」
リュミエラは風晶石へ銀色の留め具を取り付けた。
紫色の石が淡く光り、結晶の表面に浮かんでいた白い渦が薄れていく。
ゼラスも黒い輪を右手にはめた。
掌の赤黒い印が一度だけ明滅し、皮膚の奥へ沈んだ。
「違和感は?」
「ない」
「リズナちゃんは?」
リズナは風晶石へ意識を向けた。
結晶の中を流れる風は、普段と変わらない。
白い何かに触れられている感覚も、先ほどより弱まっていた。
「大丈夫です。風も普通に使えそうです」
「念のため、少しだけ試してみて」
リズナは風晶石へ魔力を流した。
小さな風が作業台の上を抜け、置かれていた紙の端を揺らす。
ゼラスの右手に反応はない。
赤黒い印が浮かび上がることもなかった。
「成功したみたいですね」
「今のところはね」
リュミエラは二つの遮断具を示す術式へ視線を落とした。
「ただし、これは外部からの弱い干渉を防ぐためのものよ。門が再び開き、黒風の森と同じ強さで呼びかけられた場合まで耐えられる保証はないわ」
「その時は?」
リズナが尋ねる。
「門へ近づかないこと。特に古い転移遺構や、それに似た術式を見つけても、二人だけで調べては駄目よ」
「分かりました」
「ゼラス、あなたもよ」
「ああ」
リュミエラは疑うようにゼラスを見た。
「本当に分かっているの?」
「一人で調べるなって話だろ」
「リズナちゃんを連れていけばいい、という意味でもないわ」
「分かってる」
「ならいいけれど」
リュミエラは二つの印の記録を保存し、遮断術式を解除した。
研究室を包んでいた紫色の光が、一つずつ消えていく。
その時、作業台の端に置かれていた観測板が、微かに音を立てた。
リュミエラが振り返る。
画面には、遮断具を取り付けた直後の記録が表示されている。
ゼラスとリズナの印から外へ向かう反応は、完全に止まっていた。
だが、外側から印へ向けられている細い反応だけは消えていない。
遮断具の表面を探るように、白い線が何度も形を変えていた。
「向こうから、まだ触れようとしているの?」
リズナが声を落とす。
リュミエラは答えず、記録を拡大した。
白い線は遮断具を突破できず、やがて一か所へ集まっていく。
それは文字ではなかった。
黒風の森で見たものと同じ、門の輪郭だった。
遮断されたと知った何かが、別の入口を探し始めていた。




