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第二百十一話 今を生きる



魔皇城ヴェルグラントの城下町。


朝の冒険者ギルドは、いつも通り依頼を求める冒険者たちで賑わっていた。


掲示板の前に立ったゼラスは、掲示された依頼書を上から順に確認している。


その両脇にはリズナとミテイがいた。


『これ』


ミテイが一枚の依頼書を指差す。


ゼラスが内容を確認した。


「西南の農村周辺に出るアーマーボアの群れか。畑が荒らされている、と」


リズナも横から覗き込む。


「討伐推奨ランク、C以上ね」


「ちょうどいいじゃん」


「どこが?」


リズナが即座に突っ込んだ。


「SSランクが“ちょうどいい”って言う依頼じゃないでしょう」


「別にSSだからって、SS向けの依頼しか受けちゃいけないわけじゃねえし」


『畑を守るのも仕事』


「ミテイまでそっちなの?」


『うん』


リズナは二人を見比べ、小さく息を吐いた。


「まあいいけど。あたしも行くし」


「決まりだな」


ゼラスは依頼書を剥がし、受付へ持っていった。


担当の受付嬢は依頼書を受け取ると、まず内容を確認してからゼラスの顔を見る。


さらにリズナ、最後にミテイへと視線を移し、もう一度依頼書を見た。


「……アーマーボアですか?」


「ああ」


「こちらを?」


「そう」


「三人で?」


「そうだけど」


受付嬢は数秒黙った。


「何だよ」


「いえ。依頼達成の確実性という意味では、これ以上ないほど安心できる編成だと思いまして」


「だろ?」


「褒めてはいません」


リズナが横で笑った。


「前も似たようなこと言われてなかった?」


「グレイファングの時はライセンスのためだっただろ。今日は普通に選んだ」


「余計ひどくない?」


受付嬢は苦笑しながら手続きを進める。


「依頼元はルダ村です。ここから西南へ街道を進み、途中から支道へ入ってください。群れは五頭から八頭ほど確認されています」


「了解」


「アーマーボアは農地周辺に出ていますので、畑への被害はできるだけ抑えてください」


「そこはリズナに任せる」


「何であたし?」


「風で追い出せるじゃん」


「最初から自分で殴る気でしょう」


「早いし」


『畑壊す』


「分かってるって」


二人から同時に釘を刺され、ゼラスは依頼書を受け取った。


ギルドを出ると、三人は城下町の大通りを歩いて飛空艇の停泊場所へ向かった。


途中、リズナがミテイを見る。


「今日は本当に大丈夫なの?」


『何が?』


「リュミエラさんよ」


『大丈夫。今日は研究しない』


「本人が?」


『昨日、私が言った』


ゼラスが横を見る。


「お前が休ませたのか?」


『うん』


「何したんだよ、また」


『昨日、夕方まで同じ計算してた』


「……それは休ませて正解だわ」


『だから今日は休み』


ゼラスの表情が少し真面目になる。


「体調は?」


『普通。朝も元気だった』


「ならいいけど」


ミテイがゼラスを見る。


『心配?』


「するだろ」


『知ってる』


「何だその言い方」


リズナが笑う。


「もう完全に扱い分かってるわね」


『何かあったら城から連絡来る』


「それなら大丈夫ね」


ゼラスも頷いた。


リュミエラ自身から、毎日のように城へ来る必要はないと言われている。


今の体調は安定しており、ミテイも研究を手伝いながら様子を見ている。


何かあればすぐに知らせる。


その約束があるからこそ、ゼラスも自分の仕事へ出ることができていた。


三人は飛空艇へ乗り込んだ。


ルダ村は、広大な農地に囲まれた小さな村だった。


飛空艇を村から少し離れた場所へ着陸させ、三人は徒歩で村へ向かう。


入口まで来ると、畑仕事をしていた老人がこちらに気づいた。


「冒険者か?」


「ああ。アーマーボアの依頼で来た」


ゼラスが答えると、老人は安堵したように息を吐いた。


「助かった。昨晩もまた畑を荒らされてな」


「被害は?」


「こっちだ」


案内された畑では、一部の作物が根ごと掘り返されていた。


地面には大きな蹄の跡がいくつも残っている。


リズナがしゃがみ込む。


「結構いるわね」


『七くらい』


ミテイが足跡を確認する。


ゼラスも周囲を見回した。


「子連れっぽいな」


老人が驚く。


「分かるのか?」


「小さい足跡が混ざってるし」


ゼラスは畑の外へ続く跡を追った。


足跡は森へ向かっている。


「昨晩だけじゃないだろ?」


「ああ。十日ほど前からだ」


「最初は一頭?」


「そうだな。最初は畑の端だけだった。それが日に日に増えていった」


「やっぱ群れごと移ってきたか」


老人が不安そうに尋ねる。


「討伐できそうか?」


「できる」


ゼラスは即答した。


「ただ、畑の中で暴れられると面倒だから、森で片付ける」


「ああ。頼む」


その時、老人の背後から小さな男の子が顔を出した。


ゼラスを見るなり目を丸くする。


「……ぼくと同じくらい?」


「違う」


「でも子供じゃん」


「違うって」


リズナが吹き出した。


ゼラスが睨む。


「笑うな」


「だって」


男の子はさらにゼラスへ近づき、少し尖った耳を見る。


「お兄ちゃん魔族?」


「ああ」


「冒険者なの?」


「そう」


「強い?」


「まあまあ」


「嘘ね」


リズナが横から言った。


「ものすごく強いわよ」


「おい」


男の子の目が輝く。


「じゃあ猪すぐ倒せる?」


「たぶんな」


「畑壊さないでね」


ゼラスが一瞬黙る。


後ろでミテイがじっと見ていた。


『言われた』


リズナも肩を震わせている。


「……分かってるよ」


男の子は満足そうに頷いた。


「約束ね」


「ああ」


ゼラスは小さく手を上げると、森へ向かった。


足跡を辿るのに時間はかからなかった。


森へ入ってしばらくすると、低い唸り声が聞こえてくる。


ゼラスたちは木陰から様子を窺った。


「七頭ね」


リズナが小声で言う。


大きな成体が四頭。


一回り小さな若い個体が三頭。


地面を掘り返しながら、森の中を移動している。


アーマーボアは通常の猪より遥かに大きく、背中から頭部にかけて硬い甲殻に覆われている。


突進力も強く、一般人が遭遇すれば十分に危険な魔物だった。


『どうする?』


ミテイが尋ねる。


ゼラスは少し考えた。


「畑に戻らせなきゃいいから、ここで仕留める」


「全部あんたがやったら依頼にならないでしょ」


「三人で受けたんだから、誰が倒しても同じじゃん」


「そういう問題じゃない」


『私は一匹』


ミテイが前へ出た。


「じゃあ、あたしも一匹」


リズナが剣を抜く。


ゼラスは二人を見る。


「俺の分は?」


「残ったの」


「五頭いるけど」


「ちょうどいいじゃない」


「何で俺だけ五倍なんだよ」


「SSランクだから」


「便利な言葉だな、それ」


三人の気配に気づいた一頭が顔を上げ、鋭い鳴き声を上げた。


群れ全体が一斉にこちらを向く。


「来るわよ」


「分かってる」


大型の一頭がリズナへ向かって突進した。


リズナは横へ踏み込み、剣を振るう。


風の刃が地面すれすれを走り、アーマーボアの前脚を正確に切り払った。


巨体がバランスを崩したところへ踏み込み、甲殻の隙間へ剣を突き入れる。


一頭目が地面へ倒れた。


別方向からは、もう一頭がミテイへ迫る。


ミテイは避けずに両手を伸ばし、突進してきた巨体の牙を掴んだ。


『重い』


そう言いながら身体を捻ると、アーマーボアの巨体が横へ投げ飛ばされ、木の幹へ激突した。


ゼラスが思わずそちらを見る。


「力技じゃん」


『楽』


「お前も人のこと言えねえだろ」


その間に、残った五頭がゼラスへ向かってくる。


「本当に全部こっち来たんだけど」


「頑張って」


「他人事だな!」


最初の一頭が正面から突っ込んでくる。


ゼラスはぎりぎりまで引きつけて横へかわし、すれ違いざまに首筋へ拳を叩き込んだ。


甲殻のない場所を正確に捉えられた巨体が、そのまま地面へ沈む。


続く二頭目の突進は、真正面から片手で受け止めた。


巨体の勢いが一瞬で止まる。


「よっと」


ゼラスはそのまま持ち上げると、斜めから迫ってきた三頭目へ放り投げた。


二頭の巨体が激突し、まとめて地面を転がる。


それでも、まだ二頭残っている。


一頭がゼラスの右側へ回り込み、もう一頭が背後から突っ込んできた。


「ゼラス、後ろ!」


「ああ」


ゼラスは振り返ることなく一歩横へずれる。


背後から来たアーマーボアは勢いを止められず、そのまま右側から迫っていたもう一頭と正面衝突した。


二頭が大きく体勢を崩す。


「そっち行くと危ねえぞ」


ゼラスは片方の甲殻を掴み、そのまま地面へ叩きつけた。


残った一頭がふらつきながら立ち上がろうとする。


その額へ、ゼラスが軽く拳を落とした。


アーマーボアの身体が再び地面へ沈み、そのまま動かなくなる。


森が静かになった。


リズナが周囲を見回す。


「終わりね」


『七』


ミテイが倒れた魔物を数える。


「全部いるわね」


ゼラスは自分の周囲に転がっている五頭を見る。


「結局、俺五頭じゃん」


「早かったからいいでしょ」


「別にいいけどさ」


リズナは剣についた汚れを払い、鞘へ戻した。


「ほら、証明部位取るわよ」


「はいはい」


ゼラスも二人の後を追った。


村へ戻ると、依頼主の老人だけでなく何人もの村人が待っていた。


「もう終わったのか?」


「ああ。七頭いた」


ゼラスが討伐証明として回収した部位を見せる。


老人の顔が明るくなった。


「七頭全部か!」


「しばらくは大丈夫だと思う。森の奥にも別の足跡はなかった」


「助かった。本当に助かったよ」


周囲の村人たちからも安堵の声が上がる。


先ほどの男の子が人混みから飛び出してきた。


「畑は!?」


ゼラスが指差す。


「見りゃ分かるだろ。壊してねえよ」


男の子は畑を確認してから、大きく頷いた。


「約束守った!」


「そりゃな」


「すごい!」


「猪倒したことよりそっち?」


「畑の方が大事だもん」


ゼラスは一瞬きょとんとした後、笑った。


「まあ、そうだな」


男の子はゼラスの周りを一周する。


「本当に強いの?」


「まだ疑ってんのかよ」


「見てないから」


「じゃあ今度猪出たら見に来い」


「また出たら困るだろ」


老人が即座に突っ込んだ。


村人たちが笑う。


リズナも横で笑っていた。


『ゼラス』


「ん?」


ミテイが村の入口を指す。


『帰る?』


「ああ。報告しないとだし」


老人が三人へ頭を下げる。


「ありがとう。また何かあったら頼む」


「ギルド通してくれればな」


ゼラスは軽く手を上げた。


男の子も真似して手を振る。


「またね!」


「ああ」


三人は村を後にした。


夕方。


城下町へ戻る頃には、空が赤く染まり始めていた。


飛空艇を降りたところで、ミテイの持つ通信魔道具が反応する。


ゼラスがすぐにそちらを見る。


「城?」


『うん』


ミテイが通信を確認し、少しして顔を上げた。


『リュミエラ』


「何かあった?」


『何もない』


「じゃあ何で連絡?」


『夕食どうするって』


ゼラスは一瞬黙った。


リズナが横で吹き出す。


「それだけ?」


『それだけ』


ゼラスは安心したように息を吐いた。


「なら、城で食うか?」


『聞く』


ミテイが返信を送る。


リズナがゼラスを見る。


「今、一瞬すごい顔したわよ」


「城から連絡来たら心配するだろ」


「はいはい」


「何だよ、その言い方」


「別に」


ゼラスは呆れながら歩き出した。


「とりあえずギルドに報告してからな」


『うん』


「その後はお城?」


「ああ」


三人は冒険者ギルドへ戻り、依頼達成の報告を済ませた。


日が落ちた頃。


三人は魔皇城の研究区画へ顔を出した。


リュミエラは研究室ではなく、その隣の休憩室にいた。


机の上には研究資料ではなく、湯気の立つ飲み物が置かれている。


ゼラスは部屋へ入るなり、リュミエラを見る。


「ちゃんと休んでたか?」


リュミエラが僅かに眉を上げた。


「ただいまくらい、先に言えないの?」


「ああ。ただいま。それで?」


「休んでたわよ」


『本当』


ミテイが補足する。


「ならいい」


「本当に信用ないわね」


「前科あるじゃん」


「それを言われると何も言えないわね」


リュミエラは苦笑してから、リズナへ顔を向けた。


「おかえり、リズナちゃん。依頼はどうだった?」


「ただいまです、リュミエラさん。アーマーボアが七頭いましたけど、すぐ終わりましたよ」


「七頭もいたの?」


「はい。あたしとミテイが一頭ずつで、残りは全部ゼラスです」


リュミエラがゼラスを見る。


「じゃあゼラスは五頭?」


「そう。俺だけ五頭」


「別にその程度で困らないでしょう?」


「困らねえけどさ」


「ならいいじゃない」


ゼラスが僅かに眉を寄せた。


「今日それ何回言われたんだよ」


「何?」


「いや、何でもねえ」


リュミエラは不思議そうにゼラスを見た。


そのまま何気なく話していたが、ふと何かに気づいたように目を細める。


「……何だよ」


「ゼラス、最近ちょっと昔みたいね」


「昔?」


「喋り方よ」


ゼラスが首を傾げる。


リズナもリュミエラを見る。


「昔のゼラスって、今みたいな喋り方だったんですか?」


「そうよ」


リュミエラは懐かしそうに笑った。


「むしろ今の方が私の知ってるゼラスに近いわね。昔から『じゃん』とか普通に言ってたし、もっと軽い時もあったわよ」


「そうだったか?」


「自分のことでしょう?」


「八百年以上生きてると、昔の喋り方なんかいちいち覚えてねえよ」


「そういうところも変わってないわね」


リュミエラが笑う。


リズナは興味深そうにゼラスを眺めていた。


「じゃあ、あたしが知り合った頃の方が少し違ったんですね」


「そうね。妙にぶっきらぼうだった気がするわ」


「元からこんなもんだろ」


「そうかしら?」


リュミエラは少し考えるような顔をした。


それからリズナを見て、楽しそうに口元を緩める。


「もしかして、リズナちゃんみたいな可愛い女の子と旅することになったから、格好つけてたんじゃない?」


「は?」


ゼラスが固まる。


リズナも一瞬遅れて目を丸くした。


「リュ、リュミエラさん?」


「だって、ちょうどその頃でしょう?」


「何がだよ!」


「急にぶっきらぼうになったのが」


「勝手なこと言うな!」


リュミエラは楽しそうに笑っている。


「私の想像よ。そんなにムキにならなくてもいいじゃない」


「言い方が完全に面白がってんだろ!」


『格好つけてた?』


ミテイまでゼラスを見る。


「違う!」


『リズナに?』


「だから何で具体的にするんだよ!」


リズナは口元を押さえながら俯いていた。


ゼラスがそちらを見る。


「お前も笑うなよ」


「笑ってないわよ」


「笑ってるじゃん」


「気のせいよ」


「顔上げろよ」


「嫌」


「何でだよ」


リュミエラが二人を見比べる。


「リズナちゃん、ちょっと嬉しそうね」


「リュミエラさん!」


リズナが勢いよく顔を上げた。


その頬は少し赤くなっている。


『赤い』


ミテイが即座に指摘した。


「ミテイ!」


『本当』


「言わなくていいの!」


ゼラスがリズナを見る。


「何で赤くなってんだよ」


「うるさいわね!」


「俺怒られるのおかしくね?」


「ゼラスも赤い」


リュミエラが笑いながら言う。


「赤くねえ!」


『少し赤い』


「ミテイまで言うな!」


リュミエラは堪えきれないように笑った。


「やっぱり格好つけてたんじゃない?」


「違うって言ってるだろ!」


「はいはい」


「絶対信じてねえじゃん!」


リュミエラが一瞬止まり、さらに笑う。


「ほら、それ。昔そんな感じだったわよ」


「……もう何言っても駄目じゃん」


ゼラスは諦めたように椅子へ座った。


リズナもまだ頬を赤くしたまま、その隣に腰を下ろす。


『ご飯は?』


ミテイが尋ねる。


「もう頼んであるわ。そろそろ来るんじゃない?」


「腹減った」


「今日は何ですか?」


「来てからのお楽しみよ、リズナちゃん」


「何だそれ」


「ゼラスには聞いてないわよ」


「俺も食うんだけど」


「分かってるわよ」


ほどなくして、部屋へ夕食が運ばれてきた。


ゼラスは先ほどの話を蒸し返される前に、真っ先に料理へ手を伸ばす。


だが、向かいに座ったリュミエラはまだ楽しそうだった。


「……まだ何か言いたそうだな」


「別に?」


「お前までそれ使うのやめろよ」


リズナが吹き出す。


『同じ』


「何が?」


『リズナとリュミエラ』


「一緒にしないで」


「一緒にしないでください」


ほぼ同時だった。


一瞬の沈黙の後、ゼラスが笑う。


「ほら、同じじゃん」


「ゼラス」


「ゼラス」


「何で俺が怒られんの?」


ミテイが二人を見て頷いた。


『やっぱり同じ』


今度はリュミエラとリズナも笑った。


遠く離れたアルセリア王国では、八百年以上前の記録と百八十六年前の勇者の証言が照合され始めていた。


人間によって焼かれた村の生存者。


百八十六年前の勇者アルトが出会った魔族。


そして現在、勇者カイルとも出会ったSSランク冒険者。


異なる時代に残された記録の中から、何度もゼラスの名が浮かび上がっている。


だが当の本人は、自分の過去が人間の国で再び掘り起こされていることなど知る由もない。


今はただ、リズナたちと同じ食卓を囲みながら、リュミエラのからかいに文句を言っていた。

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