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第二百九話 焼かれた村



「……あいつの村だったのか」


カイルの言葉に、誰もすぐには答えなかった。


机の上には八百年以上前の記録が広げられている。


斥候隊による初期調査報告。


後に修正が加えられた作戦記録。


共同討伐作戦の詳細な経過。


そして、村から逃れた魔族の追跡記録。


その末尾に記されていた名。


――ゼラス。


バルドが椅子に腰を下ろす。


「少し待て。つまりあいつは、八百年前から生きているということか……」


「ああ」


カイルは追跡記録から目を離さなかった。


「本人も、八百年以上生きていると言っていた」


エレナが焼き討ちの報告書に目を落とす。


「しかも、人間によって村を焼かれた生存者」


「そのようですね」


シアの声も重い。


カイルは街道での出来事を思い返していた。


初めてゼラスと対峙した時。


彼は即座にカイルたちを勇者と見抜いた。


それでも、攻撃はしなかった。


魔皇討伐の意思を伝えても、剣を抜くことはなかった。


カイルから申し出た模擬戦でさえ、必要以上に傷つけないよう手加減していた。


「……俺は、人間だぞ」


バルドがカイルを見る。


「どうした、急に」


「ゼラスからすれば、俺は自分の村を焼いた連中と同じ“人間”だ」


「でも、カイル本人がやったわけじゃないだろ」


エレナが言う。


「分かってる。だが八百年前に家族や知人を人間に殺されて、それでも今の人間を一括りにしていないということだろう」


カイルは唇を噛む。


あの時ゼラスが口にした言葉を思い出す。


魔皇領で無用な騒ぎを起こすな。


関係のない者に手を出せば、自分が止める。


それは単なる魔族保護の言葉ではなかったのかもしれない。


少なくともゼラスは、カイルたちを即座に敵とは見なさなかった。


「俺よりも……」


カイルは言いかけて言葉を切った。


「俺よりも何だ?」


エレナが問う。


「いや」


カイルは首を振る。


自分は魔族だからという理由だけで、魔皇を討つと決めていた。


一方でゼラスは、人間に村を焼かれた過去を持ちながらも、人間というだけでカイルたちを断罪しなかった。


その差が重くのしかかる。


老文官はなおも追跡記録の箱を調べていた。


やがて一通の封書を取り出す。


「これは……作戦参加者の私信のようですな」


「私信ですか?」


カイルが振り向く。


「正式な軍務記録ではありません。後世の整理の際、関連資料として編纂されたのでしょう」


封はすでに開封されていた。


老文官は慎重に紙を広げる。


「作戦参加兵が、帰還後に家族へ宛てた書簡の写しです」


シアの表情が変わる。


「読めますか?」


「損傷は激しいですが、大部分は判読可能です」


老文官は読み上げ始めた。


そこに記されていたのは、戦果を誇る内容ではなかった。


作戦前、兵士たちは魔族の軍事拠点を制圧すると説明されていた。


人間領への侵攻準備を進める危険拠点であり、先手を打たなければ多くの犠牲が出ると。


そう説明されていたという。


しかし実際に現地へ入った兵士が目にしたのは、報告とは大きく異なる光景だった。


武器を持たない住民。


逃げ惑う老人。


子を抱えて家から飛び出す者たち。


それでも作戦は中止されなかった。


上官からは、魔族は外見で欺くことがあるため、逃亡者も含めて確実に排除せよと命じられていた。


バルドの拳が強く握られる。


「……ふざけるな」


老文官は一度読み上げを止め、バルドを見る。


「続けてもよろしいですか」


「頼む」


カイルが答えた。


兵士は途中から命令に従うことができなくなったと記されていた。


一軒の家から逃げ出した幼い魔族を見逃したこと。


その後、追跡を避けるため、意図的に別方向へ足跡を残したこと。


そして、自らの行動が正しかったのか分からぬまま帰還したこと。


「その子供の特徴は?」


カイルが尋ねる。


老文官が記録を確認する。


「性別は男。髪や瞳の詳細は損傷により不明。ただし、耳がやや尖っており、それ以外は人間の子供と大差なかったとあります」


全員の視線が追跡記録へ向いた。


そこに残された生存者の特徴と一致する。


エレナが小さく息を吐く。


「この兵士が……ゼラスを逃がした可能性がある?」


「断定はできません」


シアが言う。


「しかし年代と地域は一致しています」


カイルは手紙を見つめた。


八百年前。


人間は魔族の村を焼いた。


その中で。


命令に背き、一人の魔族を逃がした人間もいた。


「……すべてが同じではない、か」


バルドが呟く。


エレナが視線を向ける。


「何が?」


「人間もだ」


バルドは書簡を指した。


「村を焼けと命じた者がいて、それに従った者もいる。だが途中で疑問を抱き、子供を逃がした者もいた」


シアが静かに頷く。


「カイル様が魔族領で見てきた事実と同じです」


魔族という一語で全てを括ることはできない。


であれば。


人間もまた同様だった。


「この資料を陛下にご報告したい」


カイルが言った。


老文官は即座に頷く。


「同意いたします」


「持ち出しは可能か?」


「原本の持ち出しは不可です。ただし陛下のご来訪、もしくは保存用複写の提出は可能です」


「お願いします」


「承知しました」


老文官は別の文官に指示を出し、複写の準備が進められる。


シアは初期斥候報告と後年の侵攻拠点報告を並べた。


「こちらも必要です」


「承知しております」


「土地および鉱脈の分配記録も」


エレナが続ける。


老文官は頷いた。


「関連資料はすべて整理いたします」


カイルはアルヴァン=レグナードの署名に目を留めた。


「この人物についても詳しく調べたい」


「アルヴァンですか」


「ああ」


当初の記録では、ただの村として扱われていた。


しかし後にアルヴァンの名で侵攻拠点と再定義され、各国へ通達されている。


そして共同討伐が実施された。


偶然にしては不自然な流れだった。


「本当に人間を守ろうとしていた可能性がある」


カイルは言う。


「だが、それならなぜ事実と異なる報告が生まれたのかを知りたい」


老文官は頷く。


「アルヴァン個人の書簡および議事録の有無を確認いたします」


「お願いします」


昼過ぎ。


カイルたちは史料庫から王の執務室へ移動していた。


複写された資料が机上に並ぶ。


王は一枚ずつ無言で目を通していく。


初期斥候報告。


後年の修正報告。


焼き討ちの原記録。


その表情は次第に厳しさを増していった。


「……これが、我が国に残されていた記録か」


「正確には、現アルセリア王国成立以前の記録とのことです」


シアが答える。


「分かっている」


王は視線を外さない。


「だが後にこの地と記録を継承したのは我が国だ。無関係とは言えぬ」


カイルは沈黙している。


王は追跡記録へ手を伸ばし、ある名で指を止めた。


「ゼラス」


「陛下もご存じなのですか?」


カイルが尋ねる。


「名だけはな」


王は顔を上げる。


「魔皇領のSSランク冒険者。かつて魔皇軍に属していた古参魔族だと聞いている」


「我々が魔皇領で遭遇した相手です」


「報告にはあった」


王は再び名を見つめる。


「八百年前の生存者であったとは知らなかった」


「私も本日初めて知りました」


王はしばし沈黙した。


「本人に問いただすつもりか?」


カイルはすぐには答えなかった。


「……分かりません」


「理由は」


「聞けば答えるかもしれません。しかし」


カイルは焼き討ちの記録に目を落とす。


「これは、知りたいという理由だけで本人に問うべきことではない気がします」


王はわずかにカイルを見た。


「そうか」


「まずは人間側に残る記録を精査します。それでも不明な点があり、必要と判断した場合にのみ本人へ確認します」


王は小さく頷く。


「それでよい」


カイル自身、ゼラスが過去をどう捉えているのかは分からない。


八百年前の出来事を、今さら掘り返されることを望まない可能性もある。


少なくとも。


人間側の記録を検証せず、被害者本人にのみ答えを求めるのは適切ではないと感じていた。


王は資料を机に置いた。


「本件は再調査案件とする」


側に控えていた文官が頭を下げる。


「はっ」


「八百年前という理由で軽視するな。当時の一次資料を可能な限り収集せよ」


「承知いたしました」


「それと」


王の視線が鋭くなる。


「後世の編纂過程で、なぜこの村が“魔族侵攻拠点”としてのみ記録されるに至ったのかも調査せよ」


「はっ」


王はカイルたちへ向き直る。


「そなたらが求めていたアルト=レグナードの報告書についても閲覧を許可する」


シアが顔を上げる。


「許可が下りたのですか」


「ああ。正式な申請が先ほど受理された」


王は一枚の書類を示す。


「王家保管の写しを開示する」


エレナが眉を上げる。


「写し、ですか」


「原本は中央教会に保管されている。王家には複製が残されていた」


カイルたちは顔を見合わせる。


「いつ閲覧可能ですか」


「今からでも構わん」


王は文官に命じた。


「持ってこい」


「はっ」


文官が退出する。


やがて。


分厚い記録簿が運び込まれた。


表紙には封印区分の印。


その下に記されている。


――勇者アルト=レグナード帰還報告。


カイルは姿勢を正した。


シアとエレナも机へ近づく。


バルドが小さく息を吐く。


「ようやく本題か」


王の許可のもと、シアが頁を開く。


アルトが魔皇領で辿った経路。


滞在した都市。


接触した魔族。


その記録は驚くほど詳細だった。


読み進めるうちに、カイルたちは気づく。


そこに記された魔皇領の姿は、自分たちが見てきた現実と大きくは乖離していなかった。


都市は存在し。


商人が行き交い。


冒険者も活動している。


人間であるという理由だけで即座に排除されることもなかったと記されている。


エレナが顔を上げる。


「百八十六年前も……同じだったの?」


シアは答えず、読み進める。


やがて一項目で指が止まった。


「どうした」


カイルが問う。


「アルトが魔皇領で、ある魔族と長時間対話しています」


「名前は」


シアの目がわずかに見開かれる。


嫌な予感が場を支配する。


「まさか……」


シアは記録を読み上げた。


「ゼラス」


再び、その名だった。


八百年前。


百八十六年前。


そして現在。


異なる時代の記録が、一人の魔族を中心に結びついていく。


カイルは無言で次の頁へ視線を落とした。


そこには。


勇者アルト=レグナードがゼラスとの対話を通じて知った、八百年前の事件の詳細が記されていた。

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