第二百八話 八百年前の記録
翌朝、カイルたちは王城の地下にある史料庫へ向かった。
昨日のうちにシアが申請を出しており、王が進めている国境記録の再調査に関係する資料であることから、閲覧の許可はすぐに下りた。
石造りの階段を下りた先には、年代ごとに整理された無数の書棚が並んでいる。
「うわ……」
バルドが奥まで続く棚を見て顔をしかめた。
「これ全部見るとか言わないよな?」
「アルト=レグナードに関係するものだけです」
シアが答える。
「それでも相当ありそうだけどね」
エレナも棚を見上げた。
そこへ、昨日から古い軍務記録の整理を担当している老文官が歩いてくる。
「勇者殿。話は伺っております」
「すみません。お忙しいところ」
「構いません。陛下からも、勇者派遣に関する記録を確認するよう命じられておりますので」
老文官は一冊の目録を机へ置いた。
「百八十六年前、アルト=レグナード。こちらで間違いありませんな?」
「ああ」
「少々お待ちを」
老文官は目録を指で追っていく。
やがて、その指が止まった。
「ありました」
四人が覗き込む。
そこには確かに、アルト=レグナードの名が記されていた。
魔皇討伐のため王都を出発。
同行者三名。
魔皇領へ侵入。
そして約五か月後、王国領へ帰還。
シアが静かに言う。
「教会の記録と一致しています」
「問題はその後だな」
カイルが言った。
老文官が次の欄を確認する。
「帰還後の報告書は……王家及び中央教会による共同保管」
「ここにはない?」
「通常の史料庫にはございません」
「どこに?」
老文官の眉が寄った。
「特別保管資料へ移されています」
エレナが腕を組む。
「またそれ?」
「閲覧には陛下の許可が必要です」
「申請できますか?」
シアが尋ねる。
「もちろんです。ただし、即時の許可が下りるかは保証できません」
カイルは頷いた。
「お願いします」
老文官が申請用の用紙を取り出そうとしたところで、バルドが目録を覗き込んだ。
「なあ」
「何?」
エレナが見る。
「レグナードって、昔からある名前なのか?」
シアが首を傾げる。
「珍しくはありませんが、特別多い姓というわけでもないと思います」
「いや、ここ」
バルドが目録の端を指差した。
アルト=レグナードの記録には、家系資料を示す参照番号が付されている。
老文官がそれを見る。
「レグナード家は古い家系です。現在は傍系のみが残っておりますが、かつては王国成立以前から、人間諸国の政務や軍務に関わる者を多数輩出しておりました」
「王国ができる前から?」
「ええ。八百年以上前まで遡れるはずです」
カイルの視線が止まった。
「八百年……」
その数字には聞き覚えがある。
街道で出会った、少年姿の魔族。
ゼラス。
本人は八百年以上生きていると言っていた。
単なる偶然だろう。
そう思いながらも、カイルは尋ねた。
「その頃のレグナード家の記録も見られますか?」
「公開区分のものであれば」
老文官は別の目録を取り出した。
古い羊皮紙を慎重にめくっていく。
「八百年前となりますと……この辺りですな」
再び指が止まった。
老文官が小さく息を漏らす。
「アルヴァン=レグナード」
シアがその名を読む。
「どのような人物ですか?」
「軍略家であり、宗教的指導者でもあった人物です。当時、複数に分かれていた人間諸国の連携に尽力したことで知られております」
エレナが尋ねる。
「有名人?」
「歴史を専門に学んでいれば、必ず目にする名です。魔族の脅威を各国へ訴え、共同防衛体制の基礎を築いた人物とされています」
老文官は別の資料番号を確認した。
「アルヴァンに関する軍務資料も残っております」
「見せてもらえますか?」
カイルが言う。
老文官はわずかに訝しげな表情を見せたが、頷いた。
「構いません。アルトの調査とは時代が大きく異なりますが」
「気になることがあるんです」
「では、こちらへ」
四人はさらに史料庫の奥へ進んだ。
運び出された資料は、どれも触れれば崩れそうなほど古かった。
八百年以上前。
まだ現在のアルセリア王国が成立する以前、人間の国々が互いに争いながら領土を広げていた時代の記録である。
老文官が一冊ずつ内容を確認し、閲覧可能なものだけを机へ並べる。
エレナが最初の文書を読む。
「『北方魔族勢力への共同対処に関する提言』」
その下にはアルヴァン=レグナードの署名がある。
内容は、人間同士の争いを一時停止し、魔族への警戒を優先するよう各国へ求めるものだった。
「内容だけなら、そこまで過激ではないわね」
「当時は実際に衝突も多かったようです」
シアが別の資料を読む。
魔族側から人間の集落が襲われた記録もある。
逆に、人間側が魔族領へ侵入し戦闘に発展した記録もあった。
現在より遥かに国境が曖昧で、双方の勢力圏が頻繁に変動していた時代らしい。
バルドが一枚の報告書を取る。
「これは?」
老文官が確認する。
「アルヴァンが各国へ共同作戦を提案した頃のものですな」
カイルも覗き込む。
そこには、魔族側に存在する複数の集落について調査した斥候隊の報告が残されていた。
その一つ。
小さな村についての記述がある。
人口は百人に満たない。
主な生業は農耕と狩猟。
周囲に城壁なし。
大規模な武器庫なし。
軍用飛空艇の発着設備なし。
常駐する兵士についても。
――確認できず。
カイルが眉を寄せた。
「普通の村じゃないか」
「そう読めますね」
シアも頷く。
ところが。
同じ村について、数か月後に作成された別の資料には、まったく異なる内容が記されていた。
――魔族による人間領侵攻のための前線拠点。
――武装勢力が潜伏している可能性が高い。
――将来的な脅威排除のため、速やかな制圧を推奨。
エレナが二枚の資料を並べる。
「待って。最初の調査では兵士なんて確認されていない」
「ああ」
カイルも日付を確認する。
「その間に再調査を行った記録は?」
老文官が周辺資料を探す。
しばらくして首を振った。
「見当たりません」
「では、何を根拠に前線拠点と判断した?」
誰も答えられなかった。
シアが文書の末尾を見る。
「この報告書も……アルヴァン=レグナードの名で各国へ送付されています」
カイルの表情が険しくなった。
さらに記録を追った。
やがて、その村に対して複数の人間勢力による共同討伐作戦が実行されたことが判明する。
公式の戦果報告には、大きくこう記されていた。
――魔族侵攻拠点を制圧。
――抵抗勢力を排除。
――施設を焼却し、再利用不能とした。
バルドが顔をしかめる。
「施設?」
「村だろ」
カイルの声が低くなる。
シアは別の束から、現地部隊の原報告を見つけた。
読み進めるうちに、その表情から血の気が引いていく。
「シア?」
エレナが尋ねる。
シアはしばらく答えなかった。
やがて報告書を机へ置く。
「戦闘員として確認された者は……ごく少数です」
「他は?」
「農民、狩人、職人。それから老人や子供も含まれていたと記録されています」
バルドが黙り込んだ。
カイルが報告書を取る。
そこには、軍事施設の存在が確認できなかったことも明記されていた。
武器庫はない。
侵攻用物資もない。
見つかったのは、農具、保存食、衣類、生活用品のみ。
それでも作戦は中止されなかった。
村は包囲され、焼き払われた。
逃げようとした者にも攻撃が加えられている。
「……これ」
エレナが唇を噛む。
「戦闘じゃないじゃない」
老文官も険しい表情で資料を見ていた。
「少なくとも、ここに残された記録を読む限りでは……軍事拠点の制圧と呼ぶには無理がありますな」
カイルは次の文書へ手を伸ばす。
作戦終了後の記録だった。
村があった土地の一部は、人間側の領主へと分配されている。
周辺の森林と鉱脈についても、新たな採掘権が設定されていた。
バルドが低く呟く。
「土地が欲しかった連中もいたってことか」
「可能性は高いわね」
エレナが答える。
「でも、それだけじゃない」
シアはアルヴァンの提言書を見ていた。
そこには、各国が争い続ける状況を憂い、外部の脅威に対して結束する必要性が繰り返し記されている。
その中の一文。
――諸国の利害を統一するためには、民にも理解できる明確な脅威を提示する必要がある。
カイルがその文章を読む。
「明確な脅威……」
エレナが、村を前線拠点と断定した報告書を見る。
「まさか」
「現時点では断定できません」
シアが慎重に言う。
「しかし、最初の調査結果と後の報告が一致していないのは確かです」
軍事拠点ではないと分かっていたはずの村。
それがいつの間にか、人間領への侵攻拠点へと書き換えられている。
そして、その情報を基に複数の国が初めて共同で軍を動かした。
カイルは資料を見つめた。
「もし、これが意図的な誘導だったとすれば……」
誰もその先を口にしなかった。
しばらくして。
老文官が別の箱を運んできた。
「関連資料がもう一つございました」
机へ置かれたのは、作戦後の追跡記録だった。
「追跡?」
バルドが尋ねる。
「村から逃れた者がいないか確認するためのものです」
カイルの表情が曇る。
「そこまでやったのか」
古びた紙には、逃亡した可能性のある魔族について記されていた。
数名は後に遺体が確認されている。
一部は消息不明。
そして最後の一件。
――生存の可能性が高い魔族、一名。
カイルが目を止めた。
外見は少年。
人間とほとんど変わらない容姿。
魔族としての特徴は、わずかに尖った耳のみ。
エレナもそれを読む。
「……カイル」
「ああ」
嫌なほど、心当たりがあった。
バルドも気づいたらしく、表情が変わる。
「まさか、これ……」
シアが続ける。
「追跡隊は数日後、村から離れた森で対象を確認。しかし捕捉には失敗」
その下には、後年に追記された記録があった。
数年後。
同一個体と思われる魔族が、別地域で確認されたという報告。
さらに後年。
魔皇軍の記録と照合された際、その名が追記されている。
カイルはその文字を見た。
何度見ても、見間違いではなかった。
――ゼラス。
誰も言葉を発しなかった。
街道で出会った、少年姿の魔族。
八百年以上生きていると語ったSSランク冒険者。
魔皇を「陛下」と呼びながら、今は軍籍にない男。
「……あいつの村だったのか」
カイルの声が、静かな史料庫に落ちた。
それまで単なる歴史上の出来事に過ぎなかった八百年前の戦争が、突如として一人の存在と結びつく。
ゼラスは知っているのだろう。
この村で何が起きたのかを。
おそらくは、誰よりも。
カイルは再び、焼き討ちの報告書へ視線を落とした。
人間側の公式史には、魔族の侵攻拠点を討伐したとだけ記されている。
しかしその裏には、確かに存在していた。
普通に暮らしていた村と、それを焼いた人間たちの記録が。
そして、その生存者は――
今も生きている。




