第二百七話 聖剣を持つ理由
翌朝。
カイルたちは指定された時刻に、アルセリア中央教会を訪れた。
王都でも最大規模を誇る教会だけあって、正面には巨大な聖堂が建ち、その左右には神官たちのための施設や聖騎士団の詰所が並んでいる。
カイルの腰には、いつも通り聖剣があった。
「本当に持ってきたな」
バルドが隣を歩きながら言う。
「持ってこいって書いてあっただろ」
「そのまま置いて帰れって言われるかもしれねえぞ」
「その時は話す」
「話して済めばいいけどね」
エレナが教会を見上げる。
シアだけは、いつもより表情が硬かった。
ここは彼女にとって、単なる宗教施設ではない。
幼い頃から教えを受け、神官として歩むことを決めた教会の中枢でもある。
「シア」
カイルが声をかける。
「大丈夫か?」
「はい」
シアは頷いた。
「昨日見つけた記録のこともあります。私も確かめたいことがありますから」
四人は正面の階段を上った。
教会内部へ入ると、一人の聖騎士が待っていた。
昨日、広場からカイルたちを見ていたレオル=ハイゼンだった。
「勇者カイル=レイヴァン殿ですね」
「ああ」
「聖騎士団副団長のレオル=ハイゼンです。大司教猊下がお待ちです」
カイルは相手の顔を見る。
「昨日、広場にいたな」
レオルの表情が僅かに動いた。
「気づいていましたか」
「あれだけ堂々と見てればな」
「失礼しました。監視であったことは否定しません」
バルドが小声で呟く。
「本当に隠す気なかったんだな」
レオルは聞こえていたようだが、特に反応しなかった。
「こちらへ」
四人は案内に従った。
通されたのは礼拝堂ではなく、教会内部にある会議室だった。
長い机の奥に、大司教マルセルが座っている。
その左右には数名の高位神官。
壁際には聖騎士たちが控えていた。
カイルたちが入ると、マルセルの視線は最初から聖剣へ向かった。
「よく来た、勇者カイル」
「書状を受け取ったからな」
「座りなさい」
四人が席につく。
レオルはマルセル側ではなく、少し離れた壁際に立った。
マルセルが口を開く。
「書状にも記した通り、本日そなたを呼んだのは聖剣についてだ」
「分かっている」
「その聖剣は、魔皇討伐の使命を託された勇者のために授けられたものだ」
「王からな」
マルセルの眉が僅かに動く。
「無論、授与したのは陛下だ。しかし勇者という存在は、王家と教会の双方が認めてきた」
カイルは黙って続きを待つ。
「そなたは魔皇城まで到達した。それにもかかわらず、使命を果たさず帰還した」
「俺の意思で討たなかった」
「だからこそ問うている」
マルセルはカイルを真っ直ぐ見る。
「魔皇を討つ意思がない者が、なぜ勇者の聖剣を持ち続ける?」
しばらく沈黙があった。
カイルは腰から聖剣を外した。
壁際にいた聖騎士たちの身体が僅かに強張る。
だが、カイルは抜かなかった。
鞘に収めたまま、聖剣を自分の前の机へ置く。
「俺も考えた」
マルセルが目を細める。
「魔皇を討たなかった俺が、これを持っていていいのかって」
「ならば返還を」
「でも、返すつもりはない」
マルセルの言葉が止まった。
バルドは黙ってカイルを見る。
エレナも口を挟まない。
「理由を聞こう」
「俺は勇者を辞めたつもりがないからだ」
「魔皇討伐を放棄しておきながら?」
「俺が勇者になったのは、魔皇一人を殺すためなのか?」
マルセルの表情が険しくなる。
「そなたに与えられた使命は魔皇討伐だ」
「ああ。それは分かってる」
カイルは聖剣へ手を置いた。
「でも俺は、勇者っていうのは人を守るために戦う者だと思ってた」
「人を守るために魔皇を討つのだ」
「だったら、魔皇が今誰を襲ってる?」
誰もすぐには答えなかった。
カイルは続ける。
「人間の村を焼いてるのか? 王国へ軍を進めてるのか? 俺が会った魔皇は、そんなことをしてなかった」
「今していないからといって、明日もしない保証はない」
「それは人間の王だって同じだ」
高位神官の一人が立ち上がる。
「不敬だぞ!」
「陛下を侮辱しているわけではない」
カイルはその神官を見る。
「未来に何をするか分からないという理由だけで斬っていいなら、誰だって同じだと言っている」
神官は言葉に詰まる。
マルセルが片手を上げ、座るよう促した。
「では、そなたはその剣を何のために使う?」
カイルは少し考えた。
今度は迷わなかった。
「誰かを守るためだ」
「人間を?」
「必要なら」
「必要なら、とは?」
カイルはマルセルを見る。
「人間が魔族に襲われているなら人間を守る。魔族が人間に襲われているなら魔族を守る」
室内の空気が変わった。
数人の神官が明らかな不快感を示す。
マルセルも厳しい顔をしていた。
「聖剣を魔族のために振るう可能性がある、と?」
「相手が何も悪いことをしていないならな」
「そなたは自分が何を言っているのか分かっているのか?」
「分かっている」
カイルは聖剣から手を離さなかった。
「魔族だから斬るんじゃない。誰かを傷つけようとしている者がいるなら止める。そのために必要なら剣を抜く」
マルセルが低い声で言う。
「それを教会は勇者とは認められない」
カイルは一瞬だけ黙った。
「そうか」
あまりにもあっさりした返答に、マルセルの方が僅かに目を見開く。
「……それだけか?」
「教会が俺をどう呼ぶかまでは、俺には決められない」
「勇者の称号を失うことになってもか?」
「名前が変わったら、守る必要がなくなるのか?」
マルセルは答えなかった。
カイルは聖剣を持ち上げ、再び腰へ戻す。
「それに、この剣を俺に渡したのは陛下だ。陛下から返せと言われたなら、その時は話をする」
「教会からの返還要請には応じないと?」
「ああ」
「理由は今述べた通りか」
「そうだ」
マルセルは長く息を吐いた。
「分かった。この件については陛下へ正式に申し入れる」
「好きにしてくれ」
「ただし」
マルセルの声が少し低くなる。
「勇者として公に振る舞うことについては、今後教会として看過できない場合がある」
カイルの表情が僅かに険しくなる。
「俺が昨日、広場で話したことか?」
「そなたの言葉には影響力がある」
「聞かれたから答えただけだ」
「それでもだ」
「じゃあ嘘を言えっていうのか?」
「慎重に言葉を選べと言っている」
「自分で見たことまで黙れって意味なら、同じだろう」
再び空気が張り詰めた。
その時。
「大司教猊下」
シアが口を開いた。
マルセルの視線が移る。
「何だ、シア」
「私からも一つ、お伺いしたいことがあります」
「申せ」
シアは昨日見つけた記録について話した。
百八十六年前。
魔皇討伐へ向かった勇者。
歴史上では消息不明とされている人物が、実際には王国へ帰還していたこと。
そして、その証言が公表禁止とされていたこと。
話が進むにつれ、マルセルの表情が変わっていった。
カイルも初めて聞く内容に眉を寄せる。
「待て、シア」
「はい」
「帰ってきた勇者がいたのか?」
「記録上は間違いありません」
「俺たちはそんな話、聞いたことないぞ」
バルドも驚いていた。
「私も昨日初めて知りました」
シアは再びマルセルを見る。
「大司教猊下。あの勇者は、何を報告したのですか?」
マルセルは答えない。
「記録の続きは数枚にわたって抜き取られていました。偶然とは思えません」
「古い記録だ。欠損など珍しくない」
「しかし、公表を禁ずという記述だけが残っています」
「シア」
マルセルの声が強くなる。
「その件は今回とは関係がない」
シアの目が僅かに細くなった。
「本当に関係がないのでしょうか」
「何が言いたい?」
「百八十六年前の勇者も、魔皇領から生きて帰還している。そして、その証言は公表されていない」
シアは静かに続ける。
「カイル様も魔皇領から帰還し、自ら見たものを語っています」
部屋の中が静まり返る。
「同じことが、過去にも起きていたのではありませんか?」
マルセルはシアを見つめた。
その沈黙だけで。
カイルには、何かがあると分かった。
「大司教猊下」
壁際から声がした。
レオルだった。
マルセルが振り向く。
「何だ」
「私も、その記録の確認を願います」
「レオル」
「勇者カイルを危険視する根拠が歴史にあるのであれば、なおさらです」
レオルは真っ直ぐ立ったまま続ける。
「過去の勇者が何を見て、何を報告したのか。それを確認せずに、現在の勇者だけを断ずるべきではないかと」
数人の神官がざわつく。
マルセルの顔から、明らかに余裕が消えた。
「聖騎士であるお前まで、勇者の言葉に惑わされたのか?」
「いいえ」
レオルは即答した。
「私は未だ、魔族を信用しておりません」
カイルが少し驚いて彼を見る。
「ですが、信用していないことと、事実を確認しないことは別です」
マルセルは黙った。
レオルは頭を下げる。
「教会が正しいのであれば、過去の記録を確認しても何も問題はないはずです」
その言葉に、マルセルはしばらく答えなかった。
会談を終え。
カイルたちは中央教会を出た。
結局、聖剣はカイルの腰に残っている。
バルドが大きく息を吐く。
「朝から疲れた……」
「何もしてないでしょ、あんた」
「空気が重かったんだよ」
エレナがシアを見る。
「でも、あの反応」
「はい」
シアも教会を振り返る。
「大司教猊下は、何かをご存じです」
カイルが尋ねる。
「昨日見つけた勇者の名前は?」
シアが答える。
「アルト=レグナードです」
「百八十六年前か」
「はい」
「魔皇領から帰還し、それが隠された」
カイルは少し考える。
自分よりずっと前にも。
同じ道を歩んだ者がいた。
その勇者は。
魔皇領で何を見たのか。
「調べよう」
カイルが言う。
「何を話したのか知りたい」
エレナが頷く。
「教会の公開資料だけじゃ厳しそうだけどね」
「王城側にも記録が残っているかもしれない」
シアが顔を上げる。
「王国側の勇者派遣記録ですね」
「ああ。教会にないなら、そっちを探す」
バルドが頭を掻く。
「また資料漁りか」
エレナが見る。
「嫌なら来なくていいわよ?」
「いや行くよ。今度こそ俺だけ何も知らねえまま話進みそうだし」
四人は王城へ向かって歩き始めた。
中央教会。
先ほどの会議室には、マルセルと数名の高位神官だけが残っていた。
レオルはすでに退出している。
一人の神官が口を開く。
「猊下。アルト=レグナードの件を、このまま調べさせるのですか?」
マルセルは答えず、机を見つめていた。
「王城側にも記録が残っている可能性があります」
「分かっている」
「では……」
マルセルはゆっくり顔を上げる。
「百八十六年前の件は、当時の者たちが混乱を避けるために下した判断だ」
「はい」
「だが今になって掘り返されれば、勇者カイルの主張を補強する材料にされる」
神官は黙る。
マルセル自身。
百八十六年前の全てを直接知っているわけではない。
しかし。
中央教会の大司教のみが閲覧を許される記録の中に、アルト=レグナードの報告書が残されていることは知っていた。
魔皇領で見たもの。
魔皇と交わした言葉。
そして。
帰還した勇者が最後に残した主張。
その内容は。
今のカイルが語っているものと、あまりにもよく似ていた。
マルセルは静かに目を閉じる。
「……また同じことが起きたというのか」
誰にも答えられない問いだった。




