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第二百六話 勇者の言葉



翌朝。


カイルたちは王城近くに用意された迎賓館で朝食を取っていた。


王命によって王都から出ることは禁止されているが、それ以外の行動まで制限されているわけではない。


もっとも、完全に自由というわけでもなかった。


バルドがパンを齧りながら窓の外を見る。


「……いるな」


「いるわね」


エレナも視線だけを向けた。


通りの向かいには、白銀の鎧を纏った男が一人立っている。少し離れた場所には神官らしき者の姿もあった。


「隠す気すらねえな」


「教会の監視でしょうね」


シアが静かに答える。


カイルは一度だけ外を確認すると、そのまま食事を続けた。


「放っておけばいい」


「いいのか?」


「見られて困ることはない」


バルドは肩を竦めた。


「まあ、それもそうか」


エレナがカイルを見る。


「今日はどうするの?」


「王都を歩こうと思う」


「観光?」


「違う。魔族領で見たことを整理したいし、人間側が魔族をどう見てるのかも改めて把握しておきたい」


シアが頷いた。


「でしたら、私は教会の資料を確認したいです」


「何か分かりそうか?」


「分かりません。ただ、昨日の大司教猊下の言葉が少し気になっています」


「歴史が証明してる、ってやつ?」


エレナの問いに、シアは頷く。


「はい。私自身、教会で魔族について学んできました。しかし実際に魔族領へ行き、知らなかったことがあまりに多かったと痛感しています」


カイルも同じだった。


「なら、一度調べてみよう」


「俺は?」


バルドが自分を指す。


「好きにすれば?」


「エレナ、最近俺に雑じゃねえ?」


「気のせいよ」


「絶対違うだろ」


わずかに笑いが起きる。


魔皇領から帰還して以来、重い話題が続いていた。


それでも、四人の間の空気だけは以前と変わらなかった。


同じ頃、王城では国境記録の再調査が始まっていた。


王の執務室には、古い軍務記録や地方領主からの報告書が次々と運び込まれている。


「陛下、直近三百年分だけでも相当な量になります」


老齢の文官が、積み上がった書類を前に告げた。


「構わん。まず大きな衝突から確認せよ」


「はっ」


文官は一冊の記録を開いた。


「こちらは二百十七年前、東部国境で発生した戦闘です。現在の公式記録では、魔族部隊が国境を越え、我が軍が迎撃したとされています」


「知っている」


王も幼い頃から聞かされてきた事件だった。


文官は、別の古びた書類を机へ置く。


「ですが、当時の現地司令官が残した原報告には異なる記述があります」


王が目を通す。


そこには、王国軍の斥候が魔族側の集落近くまで無断で侵入し、拘束されたことが記されていた。


さらに、その兵を奪還するため王国軍の一部隊が越境し、魔族軍と衝突したとある。


王の眉が寄った。


「最初に越境したのは我が軍ではないか」


「原報告を見る限りでは」


「なぜ公式記録では逆になっている?」


「後年、歴史書へ編纂された際に記述が簡略化されたようです。誰の判断によるものかは現在調査しております」


王は黙って次の記録を取った。


百四十二年前。


人間の商隊が魔族に襲撃された事件。


公式記録では、魔族による一方的な襲撃とされている。


しかし現地の報告では、商隊を装った武装集団が魔族領へ入り、希少鉱石を奪おうとしたことが発端だった。


「……他にもあるのか?」


「はい。ただし、魔族側から一方的に襲撃された記録も多数ございます」


文官は別の束を示した。


「村落への襲撃、商人の殺害、魔族軍による越境など、こちらは複数の資料で確認が取れています」


「なら、それも除くな」


王は書類を閉じる。


「どちらかに都合の良い歴史を作るために調べているのではない。何が起きたのかを知りたいのだ」


「承知いたしました」


「教会側の資料も必要になる」


文官が僅かに言い淀む。


「その件ですが、教会からは過去の記録を必要以上に掘り返すべきではないとの意見が届いております」


王の目が細くなる。


「余は全て調べよと命じたはずだ」


「はい」


「ならば続けよ。都合の悪い記録だけ見なかったことにはするな」


「はっ」


文官は深く頭を下げた。


昼前。


カイルたちは王都中央の広場を歩いていた。


勇者が帰還したという話は、すでに王都中へ広がっている。


当然、四人の姿に気づく者も多かった。


「あっ、勇者様だ!」


少年の声をきっかけに、周囲の人々が集まり始める。


「カイル様!」


「本当に帰ってきたんだ!」


「魔皇城まで行ったって本当ですか?」


「魔皇はどうなったんです?」


次々に声が飛んでくる。


警備の兵士たちが慌てて近づいてきたが、カイルは片手を上げた。


「大丈夫です」


住民たちの顔を見る。


期待している者もいれば、不安そうな者もいる。


やがて、一人の男がおずおずと尋ねた。


「勇者様。魔皇を討たなかったって、本当なんですか?」


周囲が静かになった。


カイルは迷わず答える。


「本当です」


小さなどよめきが広がった。


「どうして……?」


「負けたわけじゃないのか?」


「魔族に何かされたって話も聞いたぞ」


「その件については、昨日、王城と教会の双方で精査を受けました。俺たち四人に精神干渉の痕跡はなかったそうです」


人々のざわめきが少し変わる。


今度は戸惑いだった。


「じゃあ、何で魔皇を討たなかったんだ?」


カイルは少しだけ考えてから答えた。


「実際に魔族領を歩いたからです」


「……どういうことだ?」


「俺は魔族領へ入るまで、魔族は人間を見れば襲ってくるものだと思っていました。しかし、実際は違った」


カイルは自分が見てきたものを思い出す。


「畑を耕している人がいた。店を開いている人がいた。街道を守る兵士も、依頼を受けて働く冒険者もいた。子供だって普通に暮らしていた」


人々は黙って聞いている。


「もちろん、魔族なら全員善人だと言うつもりはありません。危険な者もいるでしょう」


一人の老人が声を上げた。


「だが、昔は魔族に人間が殺されている!」


「はい。それも事実だと思います」


カイルは否定しなかった。


「しかし、逆もありました」


「逆?」


「人間が魔族を襲ったこともある。俺は魔皇本人からそう聞きましたし、魔族領を歩いて、それが有り得ない話だとは思えなくなった」


別の男が険しい顔をする。


「魔皇の言葉を信じたのか?」


「それだけを信じたわけではありません」


カイルは男を見る。


「自分の目で見たものも含めて判断しました」


「人間と魔族が同じだと言いたいのか?」


「違います」


カイルは首を振る。


「誰が正しいかを、種族だけで決めたくないと言っているんです」


広場に沈黙が落ちた。


納得できない者もいる。


険しい表情のままの者もいる。


それでも、その場を離れる者はいなかった。


やがて、母親の服を掴んでいた少年がカイルを見る。


「勇者様」


「何だ?」


「魔族にも、いい人いるの?」


カイルは少しだけ笑った。


「ああ。いたよ」


少年は目を丸くした。


その答えを聞いて、周囲の大人たちもそれぞれ異なる表情を浮かべていた。


広場から少し離れた路地では、白銀の鎧を纏った男がその様子を見ていた。


教会聖騎士団副団長、レオル=ハイゼン。


朝からカイルたちを監視していた男だった。


隣に立つ若い神官が小声で尋ねる。


「大司教猊下へ報告いたしますか?」


「ああ」


「内容は?」


レオルは広場のカイルを見る。


「勇者カイルが民衆から質問を受け、魔族領での見聞を述べた。魔族にも善良な者がいる可能性に言及したことも、そのまま記載しろ」


神官が少し迷う。


「魔族擁護として扱いますか?」


「そのような判断は不要だ」


レオルが即答した。


「ですが……」


「報告するのは事実のみだ。解釈を加えるな」


「……承知しました」


神官は頭を下げる。


レオル自身も、カイルの言葉を全面的に受け入れたわけではない。


魔族との戦いで命を落とした仲間を知っている。


聖騎士として、魔族が脅威となり得ることも理解している。


それでも。


何の検証もなくカイルを断罪することはできなかった。


午後。


シアとエレナは王都中央教会の資料室にいた。


一般の神官にも閲覧が認められている古い記録を、一冊ずつ確認していく。


エレナが机に頬杖をついた。


「まだかかりそう?」


「お急ぎでしたら先に戻っていただいて構いません」


「ここまで付き合って今さら帰らないわよ」


「ありがとうございます」


「普通に礼を言われると、こっちが悪いみたいじゃない」


シアが小さく笑い、次の記録を開いた。


その手が止まる。


「……エレナ」


「何?」


「これを見てください」


エレナが隣から覗き込んだ。


百八十六年前。


勇者派遣記録。


一人の勇者が魔皇討伐のために出発したことが記されている。


「この人、知ってる?」


「名前だけなら。魔皇領で消息を絶った勇者として教わりました」


「でも、これ……」


その下に。


帰還日時が記されていた。


同行者の名も残っている。


エレナの表情から軽さが消えた。


「帰ってきてるじゃない」


「はい」


シアは続きを追う。


帰還後。


王国及び教会による聴取。


そして、最後に短い一文が残されていた。


――勇者本人の証言は、国家及び教会の安寧を乱す恐れあり。公表を禁ず。


「……何を話したのでしょう」


エレナが次のページをめくろうとして、眉を寄せた。


「ない」


「え?」


「この先、数枚が抜かれています」


綴じ目だけが残っている。


明らかに後から取り除かれた痕跡だった。


シアはしばらく、その空白を見つめる。


過去にも、魔皇領から帰還した勇者が存在していた。


そして、その勇者が何を語ったのかは、公にされていない。


「カイルだけではなかったのですね……」


シアの呟きに、エレナが頷く。


「これ、本人の報告がどこかに残ってる可能性がある」


「探しましょう」


「もちろん」


二人はすぐに別の記録へ手を伸ばした。


夕方。


迎賓館へ戻ったカイルたちのもとへ、一通の書状が届けられた。


差出人はアルセリア中央教会。


カイルが封を切り、内容を読む。


バルドが横から覗き込もうとする。


「何だって?」


「少し待て」


最後まで読み終えたカイルの表情が険しくなった。


エレナも気づく。


「カイル?」


「教会からだ」


カイルは書状をテーブルへ置いた。


そこには、魔皇討伐の使命を果たさなかった現状において、勇者の象徴たる聖剣の保持資格に疑義があると記されていた。


そして。


明朝、聖剣を携えて中央教会へ出頭するよう求めている。


バルドが顔をしかめた。


「要するに、剣を返せってことか?」


「現時点では返還命令ではない。説明の場を設けるということらしい」


「教会にそんな権限あるの?」


エレナが尋ねる。


シアが書状を見る。


「聖剣そのものは王家から授与されたものです。教会単独で没収を決定する権限はありません」


「じゃあ何のために呼ぶんだ?」


「カイル様に自主的な返還を促す意図かもしれません」


カイルは腰の聖剣を見る。


魔皇を討つために授けられた剣。


その使命を果たさなかった以上、返還を求められること自体は理解できる。


しかし。


今のカイルは、勇者であることまで手放すつもりはなかった。


「行く」


カイルが言った。


バルドが見る。


「返すのか?」


「それも含めて、直接話す」


「一人で?」


「いいえ」


エレナが即答した。


「私たちも行くわよ」


シアも頷く。


「私も同行します」


バルドは小さく笑った。


「じゃあ俺だけ留守番ってわけにもいかねえな」


「最初からそのつもりだろ」


「まあな」


カイルはもう一度、書状へ目を落とした。


魔皇領では、自分が何のために剣を抜くのかを考えた。


今度は人間の国で。


何のためにこの剣を持つのか。


その答えを示す時が来ているのかもしれなかった。

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