第二百五話 精査
「魔族による精神干渉を受けていないか、確認する必要がございます」
高位聖職者の言葉が、謁見の間に響いた。
カイルはしばらく男を見つめていた。
「我々が操られていると?」
「可能性を申し上げている」
「四人全員が?」
「魔皇ほどの存在であれば、不可能とは言い切れまい」
エレナが眉を寄せる。
「ずいぶん都合のいい話ですね」
「エレナ」
カイルが制する。
高位聖職者は表情を変えなかった。
「勇者が魔皇討伐の使命を放棄した。しかも魔皇領から無傷で帰還し、魔族を擁護するような報告までしている」
「擁護しているわけではありません」
シアが静かに口を開いた。
男の視線が向く。
「シア」
「私は見た事実を報告しているだけです」
「そなたも同じだ」
「だからこそ、精査には賛成します」
カイルたちがシアを見る。
「シア?」
「何もされていないことを確認していただければよいのです」
シアは真っ直ぐ高位聖職者を見る。
「それで、この件を魔族の術という一言で片付けることはできなくなります」
謁見の間が静まり返った。
エレナの口元が僅かに上がる。
「なるほど」
バルドも頷いた。
「俺も別に構わねえぞ。頭の中まで弄られてる覚えはねえし」
カイルは三人を見る。
そして。
「俺も受けます」
王へ向き直る。
「陛下。それで我々に何の干渉も受けていないと分かったなら、改めて報告をお聞きください」
王はすぐには答えなかった。
重臣たちを見る。
騎士団。
教会。
王国の魔術師たち。
誰もが、この問題の扱いを測りかねている。
やがて王が口を開いた。
「よかろう」
高位聖職者が頭を下げる。
「陛下」
「ただし、教会だけに任せるつもりはない」
男の顔が僅かに動く。
「王宮魔術師団からも術者を出す。双方の立ち会いの下で調べよ」
「……承知いたしました」
王がカイルを見る。
「結果が出るまで、そなたたちは王城内に留まれ」
「はい、陛下」
「これは拘束ではない」
王は少しだけ声を落とした。
「余も、そなたが虚偽を述べているとは決めつけておらん」
カイルが顔を上げる。
「だが、勇者であるそなたの報告は国の方針に関わる。慎重にならざるを得んのだ」
「分かっています」
「ならばよい」
王が近衛兵へ合図した。
「部屋を用意せよ」
「はっ」
四人は立ち上がる。
謁見の間を出る直前。
カイルは一度だけ振り返った。
先ほど精査を求めた聖職者は。
まだこちらを見ていた。
数時間後。
王城の一室には、複雑な魔法陣が描かれていた。
中央には椅子。
その周囲を、教会の神官三人と王宮魔術師四人が囲んでいる。
カイルは椅子へ座り、少し落ち着かない様子で周囲を見る。
「何か痛みはあるのか?」
王宮魔術師の一人が尋ねた。
「ありません。精神、記憶、魂への外部干渉の痕跡を確認するだけです」
「魂まで?」
「勇者殿の場合、念のためです」
「念入りだな……」
壁際で見ていたバルドが笑う。
「諦めろ。勇者様だからな」
「お前も後で同じことやるんだぞ」
「忘れてた」
エレナが呆れる。
「何で忘れられるのよ」
神官が魔法陣へ魔力を流した。
淡い光が広がり、カイルの身体を包み込む。
続いて王宮魔術師たちも術式を発動する。
異なる系統の魔力が重なり。
身体。
精神。
記憶。
魔力回路。
順に精査していく。
カイルは目を閉じた。
しばらくして。
光が消える。
「どうだ?」
教会側の神官たちが顔を見合わせる。
王宮魔術師も手元の術式を確認した。
「……異常は認められません」
カイルが目を開く。
「本当に?」
「少なくとも、我々が確認できる範囲では」
教会側の神官も頷く。
「魅了、洗脳、暗示、記憶改変。いずれの痕跡も確認できません」
バルドが腕を組む。
「そりゃそうだろ」
「次はあなたよ」
エレナに言われ。
「はいはい」
「はいは一回」
「……はい」
バルドが椅子へ座った。
その後。
エレナ。
シア。
そしてバルド。
全員の精査が終わった。
結果は同じだった。
外部から精神へ干渉された形跡。
なし。
記憶改変。
なし。
魅了。
なし。
魔族由来と思われる呪術。
なし。
四人とも。
正常。
王宮魔術師団長が結果をまとめた書類へ署名する。
教会側の責任者も、しばらく内容を見た末に署名した。
「これでよろしいのですね?」
エレナが尋ねる。
教会の神官は僅かに表情を硬くしたものの、頷く。
「検査結果を歪めることはできません」
「では、私たちは魔族に操られていない」
「そのようです」
シアが静かに息を吐く。
「良かった」
バルドがシアを見る。
「自分でも少し不安だったか?」
「少しだけ」
「俺もだ」
「さっき余裕そうだったじゃない」
「強がりだ」
カイルは黙って検査結果を見つめた。
これで。
少なくとも、自分たちの判断が魔族によって植え付けられたものだという疑いは晴れた。
そう思った。
その日の夕方。
再び謁見の間。
王の手には、精査結果があった。
「四名とも、精神干渉の痕跡なし」
王が確認する。
王宮魔術師団長が頭を下げた。
「相違ございません」
「教会側も同様か?」
先ほどの高位聖職者が答える。
「……はい」
男の名はマルセル。
アルセリア王国における教会の大司教だった。
王は書類を机へ置く。
「ならば、カイルたちの判断は本人の意思によるものということだ」
「陛下」
マルセルが口を開く。
「何だ」
「それこそが、問題ではございませんか」
空気が変わった。
カイルが大司教を見る。
「どういう意味だ?」
マルセルはカイルへ向き直る。
「魔族に操られたのではない」
一歩、前へ出る。
「自らの意思で、魔皇討伐を拒んだ」
「そうだ」
「王命を受けた勇者が」
「ああ」
「人類の脅威たる魔皇を前にしながら、剣を抜かなかった」
カイルの表情がわずかに険しくなる。
「さっきから人類の脅威と言っているが」
マルセルの目を見る。
「魔皇は今、何をした?」
「何?」
「アルセリアを攻めたのか?」
「……」
「人間の街を焼いたのか?」
「過去には幾度となく――」
「今の話をしている」
謁見の間がざわつく。
マルセルの表情が強張った。
「過去を無かったことにするつもりか!」
「そんなことは言っていない!」
カイルの声も強くなる。
「魔族に殺された人間がいる。人間に殺された魔族もいる。魔皇本人もそう言っていた」
「魔皇の言葉を根拠にするというのか!」
「我々が見たものもある!」
カイルは一歩前へ出た。
近衛兵たちがわずかに身構える。
だが。
王が片手を上げた。
誰も動かなかった。
「カイル」
王の声。
カイルは我に返る。
「……申し訳ありません、陛下」
「構わん」
王は今度はマルセルを見る。
「大司教」
「はい」
「精査は終わった」
「承知しております」
「ならば、勇者が操られているという話はここまでだ」
マルセルは一瞬黙る。
「……はい」
納得している様子ではなかった。
それでも。
王命には従った。
王がカイルへ視線を戻す。
「だが、カイル」
「はい」
「余もそなたの報告を全てそのまま受け入れるわけにはいかん」
カイルの表情が引き締まる。
「分かっています」
「一度の訪問で、魔皇領の全てを知ったわけでもあるまい」
「はい」
「魔皇がそなたたちに見せたものが、本当に全てである保証もない」
「それも理解しています」
王は僅かに目を細めた。
「それでも魔皇を討つべきではないと?」
カイルは少しだけ考えた。
「今すぐ討つ理由はないと思っています」
謁見の間が静まり返る。
「魔皇が人間へ攻めてきたなら、俺は戦います」
カイルは続ける。
「魔族が人間を襲うなら、それも止めます」
そして。
「しかし、人間が理由もなく魔族を襲うなら」
マルセルを見る。
「俺はそちらも止めます」
大司教の表情が変わった。
王も黙ってカイルを見る。
「俺は勇者です」
カイルは自分の胸へ手を当てた。
「人間だから守る。魔族だから斬る。それだけが勇者の役目だとは、もう思えません」
長い沈黙。
やがて。
王が息を吐いた。
「……今日はここまでとする」
「陛下?」
「余にも考える時間が必要だ」
王は重臣たちを見る。
「勇者一行については、結論が出るまで王都を離れることを禁ずる」
カイルの眉がわずかに動く。
「それは……」
「拘束ではない」
王が続ける。
「だが今のそなたたちを、そのまま自由に国外へ出すわけにもいかん」
カイルは少し迷った末。
頭を下げた。
「承知しました」
「聖剣は?」
マルセルが尋ねる。
王は少し考える。
「カイルが所持して構わん」
「陛下」
「精査で問題はなかった」
「しかし――」
「大司教」
王の一言で。
マルセルは口を閉ざした。
「……承知いたしました」
カイルたちは一礼し、謁見の間を後にした。
扉が閉まる。
王はしばらく何も言わなかった。
重臣たちも沈黙している。
やがて。
マルセルが口を開いた。
「陛下」
「何だ」
「勇者カイルの思想は危険です」
王が大司教を見る。
「思想?」
「民が勇者の言葉を信じれば、魔族への警戒が薄れます」
「それだけなら、実態に即して警戒の程度を改めればよい」
「魔皇は敵です」
マルセルの声には迷いがなかった。
「それは教会の教義か?」
「歴史が証明しております」
「カイルは、その歴史の見方が偏っていると言った」
「勇者一人の見聞で覆せるほど軽い歴史ではございません」
王は答えなかった。
マルセルの言い分にも一理ある。
カイルの見たものだけで。
数百年。
数千年と続く関係を覆すことはできない。
だが。
精査の結果。
カイルたちは正常だった。
その事実もまた。
無視できない。
「時間を置く」
王が言った。
「その間に国境記録を洗い直せ。魔族側からの侵攻だけではない」
重臣たちが顔を上げる。
「我が国側から起こした衝突も含め、全てだ」
マルセルがわずかに眉を寄せた。
「陛下、それは――」
「命令だ」
「……承知いたしました」
大司教は頭を下げた。
その夜。
教会本部。
マルセルは一人、礼拝堂に立っていた。
巨大な聖印を見上げる。
「……勇者が」
小さく呟く。
魔族領へ渡り。
魔皇と対話し。
そして帰還した。
洗脳されていたのなら。
まだ理解できた。
だが。
違った。
カイル自身が考え。
自らの意思で。
魔皇へ剣を向けなかった。
それが。
マルセルには何よりも不気味だった。
背後から足音が聞こえる。
白銀の鎧を纏った男が現れた。
教会直属の聖騎士だった。
「お呼びでしょうか、大司教猊下」
マルセルは振り返らない。
「勇者カイルについて、しばらく動向を監視せよ」
「王命では王都から出られないはずですが」
「だからこそだ」
マルセルは聖印を見上げたまま答える。
「勇者が何を語るのか」
少し間を置く。
「誰が、その言葉に耳を傾けるのか」
聖騎士は静かに頭を下げた。
「承知いたしました」
マルセルの表情は険しい。
魔族が攻めてきたわけではない。
魔皇が何かを仕掛けた証拠もない。
それでも。
人間側で。
長く揺らぐことのなかったものが。
少しずつ。
動き始めていた。




