第二百四話 帰還した勇者
「俺が、討たないと決めた」
静まり返った城門前。
先ほどまで上がっていた歓声は、完全に消えていた。
隊長はしばらくカイルを見つめる。
「……討たないと、決めたのですか?」
「ああ」
「魔皇とは戦わなかったのですか?」
「戦っていない。直接会い、話をした」
周囲の兵士たちがざわついた。
「魔皇と……?」
「謁見したということか?」
「勇者様が?」
隊長も困惑を隠せない。
「お待ちください。魔皇城まで到達されたのですよね?」
「ああ」
「魔皇本人とも会った」
「はい」
「それにもかかわらず……討たなかったと?」
同じ確認を繰り返している。
それほど理解し難いのだろう。
カイルは責める気にはならなかった。
少し前までの自分でも、同じ反応をしたはずだ。
「詳しい話は王都で報告する」
「しかし……」
「ここで話せる範囲なら話す。ただ、先に休ませてもらえないか?」
隊長が我に返る。
「あ……申し訳ありません。もちろんです」
城門が開かれる。
四人が中へ入ろうとしたところで、隊長がもう一度カイルを呼び止めた。
「勇者様」
「何だ?」
「一つだけ、お伺いしてもよろしいでしょうか」
「ああ」
「魔皇は……どのような者でしたか?」
カイルは足を止めた。
どう答えるべきか少し考える。
そして。
「少なくとも」
隊長を見る。
「俺が聞かされてきたような魔皇ではなかった」
それだけ答え、城塞の中へ入った。
その夜。
城塞の一室。
カイルたちは久しぶりに人間側の宿で食事を取っていた。
バルドがパンをちぎりながら唸る。
「やっぱこうなるよな」
「何が?」
エレナが聞く。
「反応だよ。あの隊長の顔見ただろ」
「そりゃ驚くでしょ」
「これ、王都までずっと説明するのか?」
カイルが首を振る。
「詳しい話は王に直接する。それまでは最低限でいい」
シアが食事の手を止める。
「すでに王都へ早馬が出されたそうです」
「知ってる」
「どのような報告になるのでしょう」
エレナが肩を竦めた。
「勇者一行帰還。魔皇討伐ならず」
「違う」
カイルがすぐに訂正する。
エレナが苦笑する。
「分かってるって。でも報告する側からしたら、そう書くしかないでしょ」
カイルは黙った。
確かにそうだ。
討てなかったのか。
討たなかったのか。
その違いは大きい。
だが、事情を知らない者が見れば結果は同じだ。
魔皇は生きている。
勇者は帰ってきた。
「王都に着くまでに、変な話にならなきゃいいけどな」
バルドが言う。
エレナがじっと見る。
「そういうこと言うと、本当になるわよ」
「俺のせい!?」
「縁起が悪いから黙って食べて」
「ひどくない?」
いつものやり取り。
だが。
四人とも分かっていた。
本当に大変なのは、これからだ。
翌朝。
カイルたちはアルセリア王国の王都を目指して出発した。
帰路では、いくつもの町を通った。
そして。
進むにつれて。
自分たちの帰還が、すでに知られていることに気づく。
「勇者様だ!」
「勇者様がお戻りになったぞ!」
町へ入れば人が集まった。
子供たちは目を輝かせる。
大人たちも嬉しそうに道を開ける。
「魔皇は倒したのか?」
「魔族はどうだった?」
「魔皇城まで行ったって本当か?」
様々な声が飛んでくる。
カイルは必要以上に答えなかった。
「王都で正式に報告する」
それだけを繰り返した。
ところが。
三つ目の町へ入った頃。
少し様子が変わり始めた。
「聞いたぞ。魔皇を逃がしたんだって?」
道端から、そんな声が聞こえた。
カイルが足を止める。
エレナも振り返った。
「……今、何て?」
声を上げた男は、少し怯みながらも答える。
「いや……勇者様が魔皇城まで行ったけど、魔皇を討てなかったって」
「誰から聞いた?」
「旅商人だよ。南の城塞から話が回ってきたって」
バルドが額を押さえた。
「早いな、おい」
カイルは男に向き直る。
「一つ訂正しておく」
「え?」
「魔皇を逃がしたわけじゃない」
「じゃあ……?」
「俺が討たなかった」
男の顔が固まる。
周囲にいた人々も静かになった。
「何で……?」
当然の疑問だった。
カイルは答える。
「理由は王へ直接報告する」
それ以上は話さず、馬を進めた。
町を出てしばらくして。
エレナが口を開く。
「始まったわね」
「ああ」
「まだ王都にも着いてないのに」
バルドが後ろを振り返る。
「下手すると俺たちが帰るより先に、話だけ王都へ着くんじゃねえか?」
「もう着いているかもしれません」
シアが言う。
誰も否定できなかった。
さらに数日。
王都アルセリアが見えてきた。
懐かしい城壁。
高くそびえる王城。
旅立った時には。
必ず魔皇を討って帰ると誓った場所。
カイルは馬を止め、しばらく王都を見つめた。
「帰ってきたな」
バルドが言う。
「ああ」
エレナがカイルを見る。
「覚悟できてる?」
「できてない」
即答だった。
バルドが笑う。
「正直だな」
「でも行くしかない」
カイルは馬を進める。
王都の門へ近づくにつれ、人々が集まり始めた。
勇者の帰還を知らせる鐘まで鳴り始める。
「勇者様だ!」
「カイル様!」
「お帰りなさい!」
歓声。
拍手。
花まで投げられる。
カイルはその中を進んだ。
胸が痛む。
この人々は。
自分が魔皇を討ったと思っているのだろうか。
それとも。
まだ何も知らず、無事に帰ってきたことだけを喜んでいるのか。
どちらにしても。
もうすぐ。
自分は彼らの期待とは違う答えを口にする。
王城へ到着すると。
四人はほとんど休む間もなく謁見の間へ通された。
旅立った日と同じ場所。
玉座にはアルセリア王が座している。
左右には重臣たち。
騎士団の幹部。
そして。
今回は神官服を纏った高位聖職者たちの姿もあった。
シアが僅かに表情を硬くする。
カイルたちは玉座の前まで進み、膝をついた。
王が口を開く。
「勇者カイル=レイヴァン」
「はい、陛下」
「よくぞ戻った」
「ありがとうございます」
「仲間たちも無事で何よりだ」
バルドたちも頭を下げる。
王は四人をしばらく見た。
そして。
「報告はすでに受けている」
カイルの目が僅かに動く。
「そなたたちは魔皇領の奥深くへ入り、魔皇城まで到達したそうだな」
「はい」
「魔皇本人とも対面した」
「はい」
謁見の間が静まる。
王の表情から。
帰還を喜ぶ柔らかさが消えた。
「ならば問う」
カイルは顔を上げる。
「なぜ」
王の声が低くなる。
「魔皇を討たずに帰ってきた?」
来ると分かっていた問いだった。
カイルは一度だけ息を吸う。
「陛下」
「何だ」
「魔皇領で見たことを、最初からご報告させてください」
王の眉が寄る。
「余は理由を聞いている」
「その理由を説明するために必要です」
重臣たちがざわついた。
王はしばらくカイルを見つめた後。
「……よかろう」
「ありがとうございます」
カイルは語り始めた。
国境近くで出会った魔族、ドーガ。
普通に暮らしていた村人たち。
都市。
交易。
冒険者。
街道。
魔皇領の中で人間である自分たちが、何もしていない限り襲われなかったこと。
SSランク冒険者ゼラスと遭遇したこと。
そして。
魔皇城で直接魔皇と話したこと。
途中。
何度も謁見の間がざわついた。
それでもカイルは止めなかった。
見たことだけを。
聞いたことだけを。
隠さず伝えた。
やがて。
全てを話し終える。
「以上です」
沈黙。
王は何も言わない。
カイルは続けた。
「俺は、魔皇が絶対に人間の敵ではないと言い切るつもりはありません」
何人かの重臣が顔を上げる。
「魔族全てが善良だとも思っていません」
カイルは真っ直ぐ王を見る。
「ですが」
一度、言葉を切った。
「何も知らず、魔族だからという理由だけで魔皇を討つことが正義だとは、もう思えませんでした」
空気が変わった。
玉座の横にいた一人の男が声を上げる。
「勇者カイル」
白を基調とした法衣。
胸には教会の紋章。
高位聖職者の一人だった。
「そなたは魔族の言葉を信じたというのか?」
カイルが見る。
「魔族の言葉だけではありません」
「では何だ」
「自分で見たものを信じました」
男の目が細くなる。
「魔族の領内で」
低い声。
「魔皇の眼前で」
さらに一歩、前へ出る。
「そなた自身が、何らかの術を施された可能性は考えなかったのか?」
カイルの眉が動く。
「……何?」
謁見の間が再びざわついた。
エレナの表情が険しくなる。
シアも聖職者を見つめる。
男は王へ向き直った。
「陛下」
深く頭を下げる。
「勇者一行について、教会による精査をお願い申し上げます」
「精査?」
バルドが低く呟く。
男はカイルを見た。
その目にあるのは。
心配ではなかった。
疑念。
「魔族による精神干渉を受けていないか」
静まり返った謁見の間で。
男ははっきりと言った。
「確認する必要がございます」
カイルは。
何も答えず、その男を見つめていた。




