第二百三話 勇者の帰路
魔皇との謁見を終えた翌朝。
カイルたちは皇都ヴェルグラントを発った。
来訪時と同じ南門を抜け、アルセリア王国へ続く街道を進んでいく。
振り返れば、巨大な城壁の向こうに魔皇城の尖塔が見えた。
バルドも馬上から振り返る。
「結局、本当に何もされなかったな」
「何かされると思ってたの?」
エレナが尋ねる。
「そりゃ多少はな。勇者が魔皇を倒しに来たんだぞ?」
「その勇者が、倒さずに帰ることにしたけどね」
「それを言うなよ」
バルドが苦い顔をする。
カイルは二人の会話を聞きながら、遠ざかっていく魔皇城を見ていた。
「討てなかったんじゃない」
小さく口にする。
「討たなかったんだ」
エレナが横目で見る。
「昨日も言ってたわね」
「ああ」
「自分に言い聞かせてる?」
少し考えて。
カイルは頷いた。
「たぶん」
王から授かった使命。
勇者としての責務。
それを途中で投げ出したわけではない。
自分の目で見て。
自分の耳で聞き。
その上で、剣を抜かなかった。
それでも。
アルセリアへ戻れば、それをどう受け取られるかは分からない。
「……帰ってからが大変そうだな」
バルドが呟く。
「今さら気づいたの?」
「ずっと気づいてたけど、考えないようにしてた」
「現実逃避ですね」
シアにまで言われ、バルドは肩を落とした。
「シアまで冷たくなってないか?」
「気のせいです」
「絶対気のせいじゃねえ」
帰路は静かなものだった。
一度通った道ということもあり、迷うこともない。
途中の街では、以前立ち寄った食堂にも顔を出した。
店主はカイルたちを見るなり眉を上げる。
「生きてたのか」
「第一声がそれか?」
バルドが苦笑する。
「魔皇城に行くって言ってた人間が戻ってきたんだ。驚くだろ」
料理を運びながら、店主がカイルを見る。
「で?」
「何だ?」
「魔皇陛下を討ったのか?」
カイルは首を振った。
「討たなかった」
店主の手が止まる。
「討てなかった、じゃなく?」
「ああ」
「……そうか」
それ以上、店主は何も聞かなかった。
淡々と料理を並べていく。
カイルが逆に気になった。
「それだけか?」
「何がだ?」
「理由とか聞かないのか?」
店主は少し考える。
「お前がそう決めたなら、何か見たんだろ」
「……」
「それより冷める前に食え」
バルドが早速肉へ手を伸ばす。
「そうそう。ここの肉また食いたかったんだよ」
「あなたは悩みなさそうでいいわね」
「腹減ってる時に悩んでも仕方ねえだろ」
エレナが呆れながらも、自分も料理へ手を伸ばした。
カイルは少し遅れて食べ始める。
行きでは。
この店で魔族の料理を食べること自体に戸惑っていた。
今では。
普通に美味い食事を出す店だと知っている。
それだけのことだった。
数日後。
四人は、魔皇領南部まで戻ってきていた。
往路で見た農村も変わらない。
畑では魔族たちが働き、子供が道端を走っている。
カイルたちを覚えていた者もいた。
警戒する者。
遠巻きに見る者。
中には、軽く手を上げてくる者さえいる。
バルドがそれに手を振り返した。
しばらくしてから、自分の行動に気づく。
「……俺、普通に魔族に手振ってたな」
「今さら?」
エレナが笑う。
「いや、来た時の俺なら絶対やってないなと思って」
シアも村を眺める。
「私たち自身が変わったのでしょうね」
「変わった、か」
カイルが呟く。
恐怖が消えたわけではない。
魔族の中に危険な者がいないとも思っていない。
だが。
それは人間も同じだ。
ゼラスや魔皇から聞いたこと。
実際に自分たちが見たこと。
今なら、そう考えられる。
さらに南へ進み。
やがて、見覚えのある石柱が見えてきた。
――ここより魔皇領。
往路では、その文字を見ながら緊張して足を踏み入れた。
今度は逆方向。
石柱の先には、人間側の土地が広がっている。
四人はそこで一度馬を止めた。
バルドが息を吐く。
「戻ってきたな」
「ああ」
カイルは石柱を見る。
魔族領へ入った時と、今では、同じ文字がまるで違って見えた。
エレナが尋ねる。
「カイル」
「何だ?」
「本当に全部話す?」
その意味は分かった。
魔族領で見たもの。
ゼラスとの遭遇。
魔皇との対話。
そして。
魔皇を討たないと自分で決めたこと。
「話す」
カイルは迷わなかった。
「都合のいいところだけ隠したら、俺たちまで同じことをすることになる」
「同じこと?」
「人間にとって都合のいい情報だけ残す」
エレナは一瞬黙り。
「……そうね」
とだけ答えた。
シアも頷く。
「私も教会へ報告します」
バルドが少し嫌そうな顔をする。
「俺だけ報告先が特にねえな」
「じゃあ王様の前でちゃんと立ってて」
「それ一番嫌な仕事じゃねえか」
カイルが笑う。
久しぶりに。
少しだけ気持ちが軽くなった。
「行こう」
四人は石柱を越えた。
魔皇領を出て。
再び人間側の土地へ入る。
そこから半日ほど。
人間側最初の小さな城塞へ近づいた時だった。
城壁の上にいた兵士が、カイルたちを見つける。
「……人間だ!」
別の兵士が身を乗り出した。
「四人いるぞ!」
しばらくして。
城門前が騒がしくなった。
カイルたちが近づく頃には、十人以上の兵士が門の前へ集まっている。
その一人が。
カイルの姿を見て声を上げた。
「勇者様!」
カイルたちは馬を止めた。
兵士たちの表情が明るくなる。
「勇者様がお戻りになったぞ!」
「四人ともご無事だ!」
「やった!」
歓声が上がった。
バルドが小声で言う。
「……嫌な予感するな」
「奇遇ね。私も」
エレナも表情が硬い。
兵士の隊長らしき男がカイルの前へ駆け寄る。
「勇者カイル様! ご無事で何よりです!」
「ああ」
「我々もずっと報せを待っておりました!」
隊長は興奮を隠せない様子だった。
「それで――」
その顔が期待に満ちる。
周囲の兵士たちも。
同じ目をしていた。
「魔皇は?」
カイルは黙る。
「魔皇を討ち果たされたのですか?」
歓声が止まった。
全員が。
勇者の答えを待っている。
カイルは一度だけ、仲間たちを見る。
バルド。
エレナ。
シア。
三人とも何も言わなかった。
カイルは隊長へ向き直る。
そして。
はっきりと答えた。
「いや」
兵士たちの表情が止まる。
「魔皇は討っていない」
「……は?」
誰かの声が漏れた。
カイルは続ける。
「討てなかったんじゃない」
静まり返った城門前で。
その言葉だけが響いた。
「俺が、討たないと決めた」
誰も。
すぐには言葉を返せなかった。




