第二百二話 魔皇との謁見
翌朝。
カイルたちは宿の前で待機していた。
約束の時刻になると、魔皇城から一台の馬車と数名の近衛兵が現れる。
「勇者カイル=レイヴァンと、その同行者だな」
「ああ」
「魔皇陛下の許可は下りている。これより城へご案内する」
四人は馬車へ乗り込んだ。
大通りを進み、やがて魔皇城へと続く坂道へ入る。
近づくにつれ、城の規模の大きさが否応なく実感された。
高くそびえる城壁。
幾重にも設けられた門。
上空を巡回する飛空艇。
至る所に魔皇軍の兵士が配置されている。
バルドが窓の外を見ながら小声で言った。
「ここを正面突破しろって言われたら、俺は帰るぞ」
「今さら?」
エレナが呆れたように返す。
「今だから言ってんだよ」
カイルは二人の会話を聞きながら、城の奥へと視線を向けていた。
城門を抜けると、四人は一度馬車を降ろされた。
待機していた近衛兵が告げる。
「ここから先へ武器の持ち込みは認められない」
カイルは腰の聖剣に目を落とす。
想定していたことではあった。
それでも実際に手放すとなると、わずかな抵抗が残る。
カイルは鞘ごと剣を外し、兵士へ差し出した。
「預かる」
バルドも剣と盾を置く。
エレナは攻撃用の魔道具を。
シアも戦闘用の触媒を預けた。
「返却は謁見終了後となる」
「分かった」
四人は完全に武装を解除された。
そのまま城内へと進む。
長い廊下を進み、大扉の前で近衛兵が足を止めた。
「この先が謁見の間だ」
カイルの喉がわずかに鳴る。
ここまで来た。
勇者として。
魔皇を討つために。
しかし。
今の自分が何を語るべきか。
まだ明確な答えは出ていなかった。
扉が開かれる。
広大な謁見の間。
左右には魔皇軍の兵士たちが整然と並んでいる。
さらにその奥。
玉座に、一人の男が座していた。
魔皇。
カイルたちは即座に理解した。
過剰な魔力を放っているわけではない。
威圧しているわけでもない。
それでも。
そこに存在するだけで空気が変わる。
バルドの表情から軽薄さが消えた。
エレナも無意識に呼吸を整える。
シアは静かに魔皇を見据えていた。
カイルは前へ進み、定められた位置で足を止める。
近衛兵が告げる。
「アルセリア王国より参りました勇者カイル=レイヴァンおよび、その同行者三名でございます」
魔皇の視線が四人へ向けられる。
「遠路、よく来た」
低く落ち着いた声だった。
カイルが顔を上げる。
「あなたが……魔皇」
周囲の兵士の視線がわずかに鋭くなる。
しかし魔皇は動じない。
「そうだ」
「俺はカイル=レイヴァン。アルセリア王国の勇者だ」
「聞いている」
魔皇は静かに続けた。
「そして、私を討つために来たこともな」
「……ああ」
謁見の間に緊張が走る。
それでも、誰も動かない。
魔皇はカイルを見据えた。
「ならば問おう」
「何を?」
「なぜ私を討つ?」
カイルの目がわずかに揺れる。
ゼラスにも似た問いを投げかけられた。
あの時は、答えを出せなかった。
「魔族を統べる魔皇は、人間にとって脅威だと教えられてきた」
「それで?」
「……魔族との戦争で多くの人間が命を落とした。過去には人間の国が滅んだ例もある」
「事実だ」
魔皇は否定しなかった。
四人の表情がわずかに変わる。
「ただし」
魔皇が続ける。
「人間によって滅ぼされた魔族の集落もある。魔族が始めた戦もあれば、人間が始めた戦もある」
カイルは沈黙する。
「長い歴史の中で、双方が血を流してきた。それを否定するつもりはない」
「なら……」
カイルが口を開く。
「あなたは、人間をどう見ている?」
謁見の間の兵士がわずかに反応した。
勇者が魔皇へ向けるには、あまりに率直な問いだった。
魔皇は一瞬だけ思案する。
「人間は人間だ」
「……それだけですか?」
「魔族にも善人と悪人がいる。人間にもいる。それ以上に何を語れという」
カイルは言葉を失った。
あまりにも単純だった。
しかし。
ここまでの道のりを経た今、その言葉の重みは理解できる。
ドーガ。
街の人々。
食堂の店主。
冒険者。
兵士。
魔族という一括りでは語れない存在が確かにいた。
エレナが一歩前へ出る。
「では、魔皇陛下」
言い慣れない呼称にわずかに間を置く。
「人間側へ侵攻する意思はないのですか?」
「現時点で、大規模な侵攻を命じてはいない」
「現時点?」
「未来永劫、いかなる状況でも戦争をしないと約束せよと言われても不可能だ。人間の王も同じだろう」
エレナは沈黙した。
事実だった。
「国境で争いが起きれば軍を動かすこともある。民が攻撃されれば反撃もする」
魔皇の視線が四人を順に捉える。
「だが、人間であるという理由だけで滅ぼすつもりはない」
カイルの胸に新たな疑問が浮かぶ。
「では、なぜ……」
「何だ?」
「なぜ俺たちは、魔皇は人類の敵だと教えられてきたんだ」
魔皇はしばし沈黙した。
そして。
「それを私に問うのか?」
カイルが言葉を詰まらせる。
「……」
「人間が人間に何を教えているかまで、私が関与することはできん」
「それは……そうですが」
「ただし」
魔皇は玉座の肘掛けに片腕を置いた。
「勇者が私を討ちに来る理由は、昔から大きくは変わらん」
「昔から?」
「お前が最初ではない」
やはり。
ゼラスの話と一致する。
バルドが思わず尋ねる。
「これまでに何人くらい来たんですか?」
「数えてはいない」
「ゼラスと同じことを……」
思わず漏れた言葉に、エレナがバルドの脇腹を小突いた。
魔皇の眉がわずかに動く。
「ゼラスに会ったようだな」
カイルが驚く。
「知っているのか?」
「報告は受けている」
それだけだった。
ゼラス本人がここに呼ばれているわけではない。
魔皇領内で勇者とSSランク冒険者が交戦すれば、報告が上がる。それだけのことだ。
「彼は……あなたの部下ではないのか?」
「違う」
魔皇は即答した。
「現在のゼラスに軍籍はない」
カイルは瞬きをする。
ゼラス本人からも同様の話は聞いていた。
しかし魔皇の口から聞くと、より現実味を帯びて感じられた。
「それでも、あなたを陛下と呼んでいました」
「旧知の間柄だ」
それ以上、魔皇は語らなかった。
短い沈黙の後、魔皇がカイルを見据える。
「さて」
空気が変わる。
「今度はこちらから問おう」
カイルは姿勢を正した。
「お前は私を討つためにここへ来た」
「ああ」
「城に入る前に武器を預けたとしても、意思まで預けたわけではあるまい」
魔皇の目が細められる。
「私を見た」
カイルは沈黙する。
「この国も見ただろう」
「……見ました」
「その上で」
魔皇は真っ直ぐに問う。
「それでも、お前は私を討つのか?」
誰も口を挟まない。
バルドも。
エレナも。
シアも。
カイルの答えを待っている。
カイルは自らの右手を見る。
そこに聖剣はない。
しかし。
もし今返されたとして、自分は抜けるのか。
魔皇を見る。
人間を滅ぼす怪物ではなかった。
問答無用で襲いかかる存在でもない。
むしろ。
ここまで見てきた者たちと同じように、対話をしている。
「……分かりません」
カイルは答えた。
謁見の間にわずかなざわめきが走る。
魔皇は表情を変えない。
「王からの命令は、あなたを討つことでした」
カイルは続ける。
「その時は、それが正しいと思っていました」
ドーガの言葉。
ゼラスの言葉。
ここまで見てきた現実。
それらが頭の中で交錯する。
「しかし今は」
カイルは魔皇を見据えた。
「少なくとも、何も知らずに剣を向けることが正義だとは思えません」
魔皇は静かに聞いていた。
「だから……今の俺は、あなたに剣を向けられません」
バルドが小さく息を吐く。
エレナはわずかに微笑む。
シアは目を伏せた。
魔皇はしばらくカイルを見つめた後、静かに言った。
「そうか」
「それでいい」
カイルが目を見開く。
「……それでいいのですか?」
「何がだ?」
「俺は勇者です」
「知っている」
「あなたを討つ命令を受けてここへ来ました」
「それも知っている」
魔皇の表情は変わらない。
「それでも、自ら見て、自ら考えた末に剣を抜かないと決めたのだろう」
「ああ」
「ならば、それがお前の答えだ」
カイルは言葉を失った。
やがて魔皇は近衛へ視線を向ける。
「彼らの武器を返還せよ」
近衛兵がわずかに動揺する。
「陛下」
「構わん」
「しかし――」
「ここまで武装を解いて対話を行った者を、帰路のみ疑う必要はない」
近衛兵は一礼した。
「承知いたしました」
カイルが魔皇を見る。
「俺たちを帰すのですか?」
「帰りたければな」
「……捕虜には?」
「何の罪がある?」
また同じだった。
魔皇領に入ってから何度も触れた価値観。
勇者だから。
人間だから。
魔皇を討つと言ったから。
それだけでは裁かない。
実際に何をしたか。
それを基準とする。
カイルはようやく、この国の在り方をわずかに理解し始めていた。
「ただし」
魔皇が続ける。
「アルセリアへ戻るなら、一つ伝えよ」
カイルの表情が引き締まる。
「何を?」
「私は人間との戦争を望んではいない」
謁見の間が静まり返る。
「だが、勇者を送り続けられることを歓迎しているわけでもない」
「……」
「次も必ず、お前のように対話が成立するとは限らん」
カイルはゆっくりと頷いた。
「必ず伝えます」
「頼む」
それは命令ではなかった。
脅しでもない。
ただ、一国の統治者としての言葉だった。
謁見を終え、四人は城の廊下を歩いていた。
預けていた武器はすべて返却されている。
カイルの腰には再び聖剣があった。
しかしその重みは、以前とはわずかに異なって感じられた。
バルドが隣を歩きながら口を開く。
「……どうするんだ?」
「何がだ?」
「これから」
カイルはすぐには答えなかった。
エレナが言う。
「アルセリアに戻るしかないでしょ」
「魔皇討伐失敗、って報告するのか?」
「違うでしょ」
カイルは足を止めた。
三人が振り返る。
「討てなかったんじゃない」
カイルは聖剣に手を添える。
「討たなかったんだ」
しばし沈黙が落ちる。
やがてバルドが苦笑した。
「王様、絶対怒るぞ」
「だろうな」
「最悪、全員牢屋行きかもね」
エレナも小さく笑う。
シアだけが静かに言った。
「それでも、戻って伝えなければなりません」
「ああ」
カイルは頷いた。
人間側が知る魔族領。
そして実際に見た魔族領。
その間には、確かな隔たりがあった。
勇者として帰還する以上。
今度はそれを伝える番だった。




