第二百話 皇都への道
「本当に進むのなら、お前たちの目的を改めて聞かせてもらう」
砦の門前。
兵士の問いに、カイルはわずかに間を置いた。
ここまで来る間に見てきた光景が脳裏をよぎる。
魔族の村。
街。
食堂。
そして、ゼラス。
王都アルセリアを出発した時と同じ心持ちで答えることは、もはやできなかった。
それでも、王から受けた勅命そのものが消えたわけではない。
「俺はアルセリア王国の勇者、カイル=レイヴァン」
カイルは兵士を真っ直ぐ見据えた。
「魔皇を討伐するために来た」
バルドたち三人も、その言葉を黙って聞いている。
兵士はカイルをしばらく見つめた。
「そうか」
それだけだった。
バルドが思わず眉を上げる。
「……それだけか?」
「何がだ?」
「いや、その……俺たち、魔皇を倒しに行くって言ってるんだぞ」
「聞いた」
「捕縛したりしないのか?」
兵士はわずかに眉を寄せた。
「お前たちはここで誰かを襲ったか?」
「いや」
「領内で略奪を行ったか?」
「してない」
「なら、現時点で拘束する理由はない」
あまりにも淡々とした返答だった。
もう一人の兵士が門の奥へ視線を向ける。
「ただし、ここから先は皇都へ続く重要街道だ。巡回も警備も増える」
その視線が再びカイルへ戻る。
「問題を起こせば、その時は相応に対処する」
「ああ。分かった」
カイルが答えると、兵士は門番へ合図した。
重厚な門がゆっくりと開いていく。
「通れ」
四人はそのまま砦を抜けた。
門の向こうは、それまでの街道とは明らかに様相が異なっていた。
道幅は広く、ほぼ全てが石畳で整備されている。
行き交う者の数も多い。
商人の荷馬車。
冒険者。
旅人。
魔皇軍の輸送部隊。
時折、武装した巡回兵ともすれ違った。
「完全に中枢へ向かう道だな」
バルドが周囲を見渡す。
エレナは道沿いの標識を確認した。
「このまま北東へ進めば皇都方面ね」
シアも標識に目を向ける。
そこには複数の都市名と距離が記されていた。
最上部。
――皇都ヴェルグラント。
「ここからなら、あと二日ほどでしょうか」
カイルはその文字を見上げた。
王都を発った時には遥か遠くに感じていた場所が、すでに現実的な距離にまで近づいている。
しばらく進んだところで、低い飛行音が空から響いてきた。
バルドが見上げる。
「……あれ」
一隻の大型飛空艇が、街道の上空を横切っていく。
さらに遠方にも、小型の船影が二つ見えた。
一方は軍用、もう一方は輸送艇のようだった。
「この辺りだと普通に飛んでるのね」
エレナが目で追う。
「飛空艇自体が珍しくないのでしょうね」
シアも空を見上げた。
バルドが腕を組む。
「街道も整備されていて、飛空艇も複数飛んでいる」
少し間を置く。
「なあ。これだけの戦力があるなら、魔族が本気で人間の国を攻める気なら、とっくにやってるんじゃないか?」
誰もすぐには答えなかった。
カイルも同じ疑問を抱いていた。
人間側では、魔皇は人類の脅威として教えられてきた。
だからこそ勇者が選ばれ、魔皇討伐へ向かう。
それが当然だと思っていた。
だが、八百年以上生きるゼラスは、過去にも何人もの勇者が訪れたと言っていた。
人間側から魔皇を討とうとする動きは、遥か昔から繰り返されている。
それにもかかわらず、魔皇側が人間諸国を滅ぼしたという歴史は存在しない。
「……確かに不自然ね」
エレナが呟く。
「戦争がなかったわけではないでしょうけど」
「それでも、聞かされていた話とは少し違いますね」
シアも頷いた。
カイルは黙って前を見据える。
疑問は増える一方だった。
だが、その答えを持つ者は、すでに遠くない場所にいる。
その日の夕方。
四人は街道沿いの宿場町へ入った。
宿を取り、一階の食堂で夕食を囲む。
バルドが肉を切り分けながら口を開いた。
「明後日には皇都か」
「ああ」
カイルが答える。
エレナがカイルを見る。
「ねえ、カイル」
「何だ?」
「魔皇に会ったら、どうするの?」
カイルの手が止まった。
バルドもシアも沈黙する。
「王都を出た時なら、迷わず戦うと答えていた」
カイルは少し考え、続けた。
「でも今は……まず話をしたい」
「話?」
「ああ」
「勅命は魔皇討伐よ?」
「分かっている」
カイルは自分の剣に視線を落とす。
「だが、何も知らないまま剣を抜くのは違うと思う」
エレナは何も言わなかった。
シアが静かに頷く。
「私も同じです」
バルドがシアを見る。
「神官がそれ言って大丈夫なのか?」
「見たものを無かったことにはできません」
「それはそうだけどよ」
シアはわずかに思案する。
「教会に残る記録が全て虚偽だとは思いません。過去に魔族との戦争があったことも、人間が命を落としたことも事実でしょう」
一度言葉を切る。
「ですが、それだけを根拠に、現在ここで暮らしている魔族まで同一視するのは違うと思います」
エレナも頷く。
「国境付近では普通に交易も行われている。そうした情報が王都に届いていなかったわけではないけれど、戦争や勇者の話の方が強く残っているのでしょうね」
バルドが頭を掻いた。
「何百年も積み重なれば、そうなるか」
カイルはカップを置いた。
「だから、まず会う」
三人を見る。
「魔皇がどういう人物なのか。何を考えているのか。それを聞いてから決めたい」
「帰ったら陛下に怒られそうね」
エレナが苦笑する。
「まだ何も決めていない」
「今の時点でも十分怒られそうだけどな」
バルドが笑った。
カイルも否定はしなかった。
同じ頃。
魔皇城ヴェルグラントの城下町。
ゼラスは自宅で左手首に意識を向けていた。
軽く魔力を流す。
シャキン。
左手首の外側からウェポンブレイカーが展開する。
ゼラスは刃や接続部を一通り確認すると、再び専用の収納空間へ戻した。
「問題なし」
向かいでは、リズナが剣の手入れをしている。
「まだそれ弄ってるの?」
「いざという時に出なかったら困るだろ」
「まあ、それはそうだけど」
ゼラスは椅子に腰を下ろした。
先日の依頼も終わり、冒険者ライセンスについても当面問題はない。
勇者がどこまで進んでいるかは少し気になるが、追う理由もない。
彼らへの対応は魔皇軍の管轄だ。
ゼラスはすでに軍人ではない。
「そういや、あいつら今どの辺だろうな」
リズナが顔を上げる。
「やっぱり気になってるじゃない」
「少しだけな」
「魔皇城まで来ると思う?」
「来るんじゃねえか?」
「そんな気する?」
「頑固だったしな」
リズナが笑う。
「そこ?」
「一度止めたのに行くって言ってたからな」
その時、玄関の扉が開いた。
『ただいま』
ミテイだった。
「おかえり」
リズナが応じる。
ゼラスはすぐにミテイを見る。
「リュミエラは?」
『元気』
「無理はしていないか?」
『少し』
ゼラスの眉が動く。
「何をした?」
『重い箱を持とうとした』
「止めたのか?」
『止めた。私が持った』
「ならいい」
ゼラスは息を吐いた。
リュミエラの体調は現在安定している。
研究も継続しており、日常生活にも大きな支障はない。
それでも以前のゼラスは、何かと理由をつけて城へ様子を見に行っていた。
ある日、本人から告げられた。
――ゼラス。最近、城に来すぎよ。
――心配なんだよ。
――嬉しいけれど、私は病人ではないわ。体調も安定している。
それでも納得しないゼラスに、横にいたミテイが言った。
――『私が見る』
無理をしそうなら止める。
体調に異変があれば、すぐにゼラスへ報告する。
それを聞き、ようやくゼラスも頻繁な訪問を控えるようになった。
「何かあったらすぐ言えよ」
『分かってる』
「リュミエラ本人が大丈夫と言ってもな」
『それも分かってる』
「よし」
リズナが呆れたように笑う。
「相変わらず心配性ね」
「そりゃ心配もするだろ」
「悪いなんて言ってないわよ」
ミテイがゼラスを見る。
『明日は?』
「ギルドに行く」
『依頼?』
「今度はライセンス目的じゃなくて、面白そうなのがあれば普通に受ける」
『私も行く?』
「リュミエラの方はいいのか?」
『明日は研究休むと言っていた』
「じゃあ、来たければ来ればいい」
『行く』
リズナが二人を見る。
「あたしも行こうかな」
「結局三人かよ」
「嫌?」
「別に」
ゼラスは笑った。
勇者が魔皇城へ向かっているとしても、それはそれ。
今のゼラスには、自分の生活がある。
翌日の昼前。
カイルたちは丘を越えた。
そして、四人は足を止める。
遠方に巨大な都市が広がっていた。
幾重にも重なる城壁。
密集した街並み。
空を行き交う飛空艇。
そのさらに奥。
都市を見下ろす高台に、巨大な城がそびえている。
魔皇城ヴェルグラント。
「……あれが」
シアが小さく呟く。
カイルは黙って城を見つめた。
人類の敵。
王都を出た時は、そう信じて疑わなかった存在が、あそこにいる。
カイルは腰の剣に手を添えた。
抜くためではない。
ここまで来た意味を、もう一度確かめるように。
「行こう」
四人は皇都ヴェルグラントへ続く街道を歩き始めた。




