第百九十七話 届かない
カイルは剣を正眼に構えた。
対するゼラスは何も持っていない。
構えすら取らず、少し離れた場所に立っているだけだった。
「本当に武器は使わないのか?」
「一回だけなんだろ?」
「ああ」
「ならこれでいい」
カイルの眉が僅かに動く。
明らかに軽く見られている。
だが先ほど、グレイファングの突進を片手で止め、そのまま持ち上げた光景を見ている。
単なる虚勢ではないことも分かっていた。
「……行くぞ」
「どうぞ」
カイルが地面を蹴った。
一気に間合いを詰め、袈裟に剣を振り下ろす。
ゼラスは半歩だけ身体をずらした。
剣が空を切る。
カイルは止まらない。
そのまま横薙ぎへ繋ぎ、返す刃で斬り上げ、さらに踏み込んで突きを放つ。
だが、どれも届かない。
ゼラスは大きく動くことさえなく、僅かに身体の位置を変えるだけで全てを避けていた。
少し離れた場所で見ていたバルドが目を細める。
「……避けてるんだよな?」
「そう見えるけど」
エレナの表情も険しい。
「カイルが動く前から、次にどこへ剣が来るか分かってるみたい」
シアも黙ったまま二人を見つめていた。
カイルが一度距離を取った。
「なら……!」
刀身へ白い魔力が集まる。
「セイクリッド・スラッシュ!」
振り抜かれた剣から、光の斬撃が放たれた。
今度こそゼラスへ一直線に迫る。
だが、ゼラスは避けなかった。
右手を上げ、その斬撃へ手刀を合わせる。
パキンッ。
乾いた音とともに、白い光が真ん中から崩れた。
斬撃は左右へ散り、そのまま消えていく。
「……何をした?」
カイルの動きが止まる。
「魔力の流れを崩しただけ」
「素手で?」
「そうだけど」
カイルは思わず自分の剣を見た。
防御魔法ではない。
別の魔法をぶつけて相殺したわけでもない。
本当に、手を一度振っただけだった。
「まだやる?」
ゼラスが聞く。
カイルは剣を握り直した。
「当然だ」
「元気だな」
「勇者だからな」
「それ関係ある?」
「……ある」
少し離れたところで、リズナが笑いを堪えていた。
カイルが再び踏み込む。
今度は単純には攻めない。
踏み込みの速度を変え、剣筋にもフェイントを混ぜる。
右から斬ると見せて寸前で止め、そのまま左へ回り込む。
だが。
「そこ」
ゼラスの指先が剣の腹へ軽く触れた。
それだけで軌道が逸れる。
「なっ――」
体勢を崩したカイルの額へ、ゼラスの指が飛ぶ。
パチンッ。
「いてっ!」
額を押さえながら数歩下がる。
「……今、何した?」
「デコピン」
「それは分かる!」
「じゃあ聞くなよ」
「そういう意味じゃない!」
バルドが横を向いた。
肩が震えている。
「バルド」
「悪い……でもこれは……」
完全に笑っていた。
「後で覚えてろよ」
「今は目の前の相手に集中しろ、勇者様」
ゼラスが二人を見て呟く。
「仲いいな、お前ら」
エレナが小さくため息をついた。
「そこだけは否定できないわね」
カイルは深く息を吸った。
今までの攻撃は全て見切られた。
速度でも、技術でも、明らかに上。
それでも。
「まだ終わってない」
剣を両手で握る。
先ほどまで以上の魔力が刀身へ集まり始めた。
エレナが表情を変える。
「カイル、それ使うの?」
「ああ」
「本気で行くつもり?」
「本気じゃなきゃ意味がない」
ゼラスも、剣へ集まる魔力を見る。
「いい剣だな、それ」
カイルが僅かに目を見開いた。
「分かるのか?」
「見ればな」
「アルセリア王家から授かった聖剣だ」
「へえ。丈夫そう」
「感想それだけか?」
「他に何言えばいいんだよ」
カイルの眉間に皺が寄った。
「……行くぞ!」
刀身を覆っていた光が一気に膨れ上がる。
「ホーリー・ブレイカー!」
地面を蹴る。
先ほどまでとは明らかに違う速度で、カイルがゼラスへ迫った。
リズナは動かない。
ゼラスが危険だとは、欠片も思っていない。
振り下ろされる聖剣。
その瞬間。
ゼラスは右手を伸ばした。
「なっ……!」
刃ではない。
光を纏った剣の側面を、素手で掴んでいた。
ピタリと剣が止まる。
「ぐっ……!」
カイルが全力で押し込む。
動かない。
引き抜こうとしても、びくともしない。
「嘘……だろ」
ゼラスは掴んだ剣を眺める。
「魔力の乗せ方は悪くないな」
「……何?」
「でも、力みすぎ」
手首を僅かに捻る。
それだけで剣が横へ流れ、カイルの身体ごと引っ張られた。
「うわっ!」
体勢が崩れたところへ、ゼラスの左手が胸に触れる。
軽く押した。
それだけだった。
カイルの身体が数メートル後ろへ滑っていく。
沈黙が落ちた。
ゼラスが手を下ろす。
「終わりでいい?」
カイルは答えなかった。
剣を握ったまま、ゼラスを見る。
息が上がっている。
対するゼラスは、呼吸一つ乱していない。
「……お前」
「ん?」
「本当に冒険者なのか?」
「だからそう言ってるだろ」
「魔皇軍の将軍とかじゃなく?」
「違う。今は軍人じゃねえよ」
「じゃあ、何でそんなに強いんだ」
ゼラスが少し考えた。
「長く生きてるから?」
カイルがゼラスの姿を見る。
どう見ても少年だ。
「……何歳なんだ?」
「それ聞く?」
「聞くだろ!」
少し離れたところで、リズナが嫌な予感でもしたように笑った。
「カイル、聞かない方がいいと思うわよ」
「何故?」
「余計混乱するから」
「余計気になるんだが」
エレナも興味を持ったのか、ゼラスを見る。
「それじゃ、今まで何人くらい勇者と戦ったの?」
「何人だっけな」
ゼラスは空を見上げた。
本気で思い返しているらしい。
「数えてねえよ」
「そんなに?」
「八百年以上生きてると、いちいち覚えてねえって」
四人の表情が固まった。
「……八百?」
バルドが聞き返す。
「あ」
ゼラスが、言ってから気づいたような顔をした。
リズナがくすくす笑う。
「だから聞かない方がいいって言ったのに」
カイルは少年姿のゼラスを上から下まで見た。
「八百年以上……?」
「まあ、そこは気にすんな」
「無理だろ!」
「何でだよ」
「どう見ても子供じゃないか!」
「今はこの姿なだけ」
「今は!?」
ゼラスは面倒そうに頭を掻いた。
「だから気にすんなって」
「気になるに決まってる!」
「勇者ってやっぱ面倒くせえな」
「お前の情報が全部おかしいんだよ!」
リズナはとうとう吹き出した。
しばらくして。
カイルはようやく剣を鞘へ戻した。
「……俺の負けだ」
「一回だけって話だったしな」
「ああ」
悔しくないわけではない。
今まで経験したことがないほど、一方的な差を見せつけられた。
それでも、不思議と屈辱だけではなかった。
ゼラスは最初から最後まで、カイルを傷つけようとしていない。
本当に。
ただ付き合っただけだ。
「これで分かっただろ」
ゼラスが言う。
「今のお前らじゃ、陛下には勝てねえよ」
カイルが顔を上げる。
「……お前より魔皇は強いのか?」
ゼラスが少しだけ考える。
「単純に比べるもんじゃねえよ」
「どういう意味だ?」
「陛下には陛下の強さがあるってこと」
それ以上は説明しなかった。
カイルもすぐには納得できなかったが、今の自分がゼラスにすら届かなかった事実は変わらない。
それでも。
「俺たちは行く」
「そう」
「止めないのか?」
「今止めても行くだろ?」
「……ああ」
「じゃあ好きにすればいい」
あまりにもあっさりした答えだった。
だが、続く声から少しだけ軽さが消える。
「ただし、魔皇領で勝手に暴れるなよ」
「何?」
「村でも街でも、普通に人が住んでる」
ゼラスは真っ直ぐカイルを見る。
「勇者だろうが何だろうが、関係ねえ奴に手ぇ出したら、その時は俺が止める」
カイルは黙った。
これまで人間の国で聞いてきた魔族像とは、やはり違う。
目の前の少年は。
魔族領に暮らす者たちを、当たり前のように守ろうとしている。
「……分かった」
「ならいい」
ゼラスがリズナを見る。
「帰るか」
「うん」
二人が歩き出す。
カイルはその背中へ声をかけた。
「ゼラス!」
「今度は何だよ」
「魔皇城は、どっちだ?」
ゼラスが露骨に面倒そうな顔をした。
リズナが笑う。
「まだ聞くんだ」
「ここまで来たんだ。行く」
「ほんと勇者って変わんねえな……」
ゼラスは小さく息を吐き、北東を指した。
「とりあえず次の街まで行け。そこから先は街道沿いに聞けば分かる」
「教えてくれるのか?」
「道くらいならな」
「……ありがとう」
ゼラスは片手を上げた。
「じゃあな、勇者」
リズナも軽く手を振る。
二人はそのまま森の向こうへ歩いていった。
姿が見えなくなってから。
バルドが口を開いた。
「……なあ」
「何だ」
「俺たち、魔皇より先にとんでもない奴に会ってないか?」
誰もすぐには答えなかった。
エレナが腕を組む。
「SSランク冒険者。八百年以上生きていて、過去の勇者とも何度も戦ってる」
シアも続ける。
「それなのに、今は魔皇軍には所属していない」
「意味分からんな」
バルドが頭を掻いた。
カイルはゼラスたちが消えた方向を見る。
魔族。
勇者の敵。
そのはずだった。
だが、襲われなかった。
殺されなかった。
頼めば道まで教えてくれた。
そして何より。
――関係ねえ奴に手ぇ出したら、その時は俺が止める。
あの時だけ。
ゼラスの目から軽さが消えた。
人間を守るために剣を振るってきた自分と。
あまり変わらない目だった。
「行こう」
カイルが言う。
「魔皇城へ」
目的地は変わらない。
ただ。
そこへ向かうカイルの中では。
最初に王都を出た時には存在しなかった疑問が、確実に大きくなり始めていた。




