第百九十五話 西部街道
魔皇城ヴェルグラントの城下町を出てしばらく。
ゼラスの飛空艇は、西へ向けて空を進んでいた。
依頼の対象となっているグレイファングが確認されたのは、魔皇領西部を通る街道の一帯。
城下町から歩いて向かうには少し遠い。
そのためゼラスは飛空艇を使い、近くまで一気に移動することにした。
操縦席では、ゼラスが片手で操縦桿を握っている。
その隣ではリズナが窓の外を眺めていた。
朝から結んでいる赤い髪が、振動に合わせて僅かに揺れる。
ゼラスの視線が、一度だけそちらへ向いた。
「……」
「何?」
すぐに気づかれた。
「何でもねえよ」
「ほんと?」
「ほんと」
リズナは少し疑わしそうにゼラスを見た後、前を向く。
その口元は、わずかに笑っていた。
今朝。
髪を結んだ姿を見たゼラスから、
――その髪型、俺かなり好きだぞ。
そう言われたことを、まだ引きずっている。
思い出すたびに嬉しくなる。
「……ふふ」
「今度は何だよ」
「何でもない」
「さっきから一人で楽しそうだな」
「いいでしょ」
ゼラスは首を傾げた。
何がそんなに楽しいのかは分からない。
ただ機嫌がいいなら、それでいいかと思い直して前を見る。
やがて地上に、大きな街道が見えてきた。
街道の両側には森と草原が広がり、ところどころに小さな集落が見える。
ゼラスが高度を落とした。
「この辺だな」
リズナも地図を確認する。
「目撃地点は、この先の分かれ道から北西側」
「じゃあ少し手前で降りるか」
グレイファングは獣型の魔獣だ。
飛空艇の音を聞けば、先に逃げる可能性もある。
ゼラスは街道から離れた草地へ飛空艇を着陸させた。
外へ出る。
収納を済ませ、二人は歩いて街道へ向かった。
「で、どうやって探す?」
リズナが尋ねる。
「足跡か臭いでも残ってれば早いけどな」
「ゼラス、臭い分かるの?」
「俺を何だと思ってんだ」
「犬?」
「違う」
即答だった。
リズナが笑う。
「魔力の痕跡を見るんだよ」
「最初からそう言いなさいよ」
二人は話しながら街道を進んでいく。
しばらくすると、道の脇に壊れた荷車が見えてきた。
片方の車輪が外れ、積まれていた木箱が地面に散乱している。
ゼラスの表情が少し変わった。
「ここだな」
リズナも笑みを消す。
荷車の側面には、大きな爪痕が残されていた。
地面には乾いた血。
だが、人の死体はない。
「襲われた商人は助かったって話だったわよね」
「ああ。護衛が時間稼いでる間に逃げたらしい」
ゼラスはしゃがみ込み、地面を見る。
大きな足跡が森へ向かって続いている。
「でかいな」
「普通のグレイファングより大きそう?」
「たぶん」
ゼラスは足跡へ手を近づける。
僅かな魔力の残りを拾う。
「まだ近い」
「行く?」
「依頼だしな」
二人は森へ入った。
一方。
その少し南。
カイルたちもまた、西部街道へ入っていた。
次の町を目指す途中だったが、先ほどから人通りが妙に少ない。
バルドが辺りを見回す。
「さっきの村で聞いた話、本当っぽいな」
「大型の魔獣が出るから、この道を避けてるって話ね」
エレナが答える。
カイルは前方を見る。
「迂回すると二日は余計にかかる」
「戦うつもり?」
「出てくればな」
シアが少し困った顔をする。
「私たちは魔皇城へ向かっている途中なんですが……」
「分かってる。でも、近くで人が襲われてるなら放っておけない」
バルドが笑った。
「そう言うと思った」
四人はそのまま進む。
やがて。
道の脇に、大きな血痕を見つけた。
カイルが馬から降りる。
「新しい」
エレナも近づく。
「魔獣の魔力が残ってる」
森の方から。
低い唸り声が聞こえた。
四人が一斉に武器を構える。
木々の奥。
巨大な影が動いた。
黒灰色の毛並み。
狼に似た巨体。
肩の高さだけでも、人間の胸ほどある。
「グルルルル……」
バルドが盾を構えた。
「これが噂のやつか」
「来る!」
グレイファングが地面を蹴った。
カイルが正面から剣を受ける。
ガキンッ!
牙と刃がぶつかる。
「っ……!」
想像以上に重い。
カイルの足が僅かに後ろへ滑る。
「カイル!」
エレナが杖を向けた。
炎の弾が飛ぶ。
だがグレイファングは素早く横へ跳び、木々の間へ逃れた。
直後。
別方向から飛び出してくる。
「速い!」
バルドが盾で受ける。
衝撃が響く。
「この前のガルムより重いぞ!」
シアが強化魔法をかける。
カイルは剣を握り直した。
「囲まれるな!」
四人が背中を預け合う。
グレイファングは周囲を高速で動きながら、攻める隙を探していた。
そして。
再び飛びかかる。
カイルが踏み込む。
「はあっ!」
剣が肩を捉えた。
だが浅い。
魔獣は勢いを殺さず、そのまま前脚を振り抜いた。
カイルが避ける。
その爪が地面を抉った。
「硬い……!」
エレナが魔法を準備する。
その時。
森の奥から声がした。
「いた」
全員が反応する。
グレイファングも振り向いた。
木々の間から。
少年が一人、歩いてくる。
その少し後ろには、赤い髪をポニーテールにした少女。
二人とも武器を慌てて構える様子すらない。
カイルが目を見開く。
「子供……?」
リズナが首を傾げた。
「何か戦ってるね」
「ああ」
ゼラスはグレイファングを見る。
次に。
カイルたちを見る。
剣。
大盾。
魔術師。
神官。
そして。
人間。
ゼラスの目が少し細くなった。
「……ん?」
何となく。
見覚えのある組み合わせだった。
もちろん、彼ら自身にではない。
もっと昔から。
何度も見てきたものに。
ゼラスが小さく呟く。
「……勇者?」
カイルの表情が変わる。
「俺を知っているのか?」
ゼラスは少し考えた。
そして。
「ああ……」
ようやく納得したように頷く。
「もうそんな時期か」
「……何?」
カイルたちは意味が分からない。
リズナもゼラスを見る。
「知り合い?」
「いや、こいつらは知らん」
ゼラスは何でもないことのように答えた。
「昔からたまに来るんだよ。勇者」
その瞬間。
グレイファングが吠えた。
「グオオオオッ!」
話している場合ではない。
巨体が一番近くにいたゼラスへ襲いかかる。
カイルが叫ぶ。
「危ない!」
ゼラスが振り向く。
「ん?」
大口を開けたグレイファングが迫る。
だが。
ゼラスは避けなかった。
片手を伸ばす。
その手で。
飛びかかってきたグレイファングの頭を、正面から掴んだ。
ドンッ!
地面が僅かに沈む。
巨体の突進が。
そこで完全に止まった。
「……え?」
カイルの口から声が漏れる。
ゼラスは掴んだまま、依頼対象を眺めた。
「お前だよな?」
グレイファングが暴れる。
だが、頭は一寸も動かない。
リズナが後ろから言う。
「たぶんそれ」
「じゃ、終わらせるか」
ゼラスはそう言って。
グレイファングを片手で持ち上げた。
カイルたち四人は。
誰一人として。
言葉を出せなかった。




