第百九十三話 人の敵
「俺は、誰も襲っていない」
角を持つ男は両手を上げたまま、もう一度そう言った。
周囲では村人たちが鍬や斧、古びた剣を手に距離を取っている。武器と呼ぶには頼りないものばかりだったが、そこに込められた敵意だけは明確だった。
「嘘をつけ! お前ら魔族が来てから家畜が襲われたんだ!」
「俺がここへ来たのは今朝だ」
「同じことだ!」
怒鳴り声が飛び交う中、カイルが一歩前へ出た。
「待ってください」
勇者の声に、村人たちが少しずつ静まっていく。
カイルは剣へ手をかけたまま、魔族の男を見た。
「名前は?」
「ドーガ」
「何を届けに来たんです?」
ドーガは背負っていた大きな荷袋へ目を向けた。
「薬だ」
「薬?」
「この村の薬師から注文を受けた」
その時、村人の中から年老いた女が慌てて前へ出てきた。
「待っとくれ。注文したのは私だよ」
「婆さん!?」
周囲がざわつく。
女は気にした様子もなくドーガへ近づいた。
「南熱に効く薬草を頼んだんだ。今年はこの辺じゃ採れなくてね」
「魔族に頼んだのか!?」
「薬草に人間も魔族もあるもんかい」
年老いた薬師が吐き捨てるように返すと、ドーガは荷袋を地面へ下ろした。
中には乾燥させた葉や根、小瓶に詰められた薬、それぞれ丁寧に包まれた薬草が並んでいる。
エレナが近づいた。
「見ても?」
「ああ」
いくつかを手に取って匂いを確かめ、微量の魔力を流す。
「毒じゃないわ。ちゃんと薬草よ」
シアも隣で一つ確認した。
「こちらは解熱剤の材料ですね」
ドーガが村人たちを見る。
「だから言っただろ」
それでも、一人の男が納得しなかった。
「だったら家畜はどう説明する!」
「知らん」
「魔族なら魔獣を操れるだろ!」
ドーガの眉が寄る。
「何だ、その話は」
「とぼけるな!」
男が飛びかかろうとした瞬間、その前へバルドの大盾が入った。
「落ち着け」
「勇者様の仲間なら、そいつを殺してくださいよ!」
バルドは答えず、カイルを見る。
カイルもすでに剣から手を離していた。
「家畜が襲われた場所を見せてもらえますか」
村人が目を瞬く。
「え?」
「本当にこの人がやったのか、確認します」
「魔族ですよ?」
「だからという理由だけで斬るつもりはありません」
ドーガが僅かに目を細めた。
村の外れには壊れた柵と血の跡が残っていた。
羊が三頭、牛が一頭。どれも酷く食い荒らされている。
カイルがしゃがみ込み、柵に残された傷を見る。
「爪痕……かなり大きいな」
「四本だな」
バルドも横から覗き込む。
人の手でも剣でもない。エレナが周囲へ魔力を広げると、僅かに残った魔力反応を感じ取った。
「何か魔獣がいたのは間違いなさそう」
後ろから見ていたドーガが言う。
「ガルムだ」
カイルが振り返った。
「ガルム?」
「この辺にはいないのか?」
エレナが首を振る。
「少なくともアルセリア王国では、ほとんど聞かないわ」
「北じゃ珍しくない。四本爪で、獲物を腹から食う。しかも群れで狩る」
「群れ……?」
シアが周囲を見回した、その時だった。
ドーガの表情が変わる。
「伏せろ!」
森から巨大な影が飛び出した。
黒い毛に覆われた狼のような魔獣。ただし普通の狼より二回り以上大きく、開かれた口には太い牙が並んでいる。
「グルァァッ!」
カイルが即座に剣を抜いた。
牙と剣がぶつかり、甲高い音が響く。
「重っ……!」
「一頭じゃない!」
エレナの声と同時に、左右の森からさらに三頭が姿を現した。
「バルド!」
「任せろ!」
大盾が地面へ叩きつけられ、一頭の突進を正面から受け止める。
「っ……こいつ、馬鹿みたいに重いぞ!」
シアが杖を掲げた。
「光よ!」
淡い光がバルドを包み、身体能力を底上げする。
その横ではエレナが杖を振った。
「フレイムランス!」
炎の槍が放たれるが、ガルムは横へ跳んで回避する。
「速い!」
カイルが踏み込み、最初の一頭の肩を斬りつける。血が飛んだが、それでも魔獣は止まらない。
その時、別の一頭が村人へ向かって駆け出した。
「危ない!」
カイルが振り返る。しかし、距離がある。
先に動いたのはドーガだった。
地面を蹴って一気に距離を詰め、ガルムの横腹へ拳を叩き込む。
鈍い音とともに巨体が横へ吹き飛んだ。
村人が呆然とする。
「な……」
「逃げろ!」
ドーガがその前へ立った。
「え……」
「早くしろ!」
我に返った村人が走り出す。
ドーガの腕には赤い魔力がまとわりついていた。
再び襲いかかるガルムへ踏み込み、その頭部を拳で地面へ叩きつける。
カイルが思わず目を見張った。
「強い……」
「見てる場合じゃない!」
エレナの声で我に返る。
残る二頭。
「バルド!」
「ああ!」
バルドが一頭を止め、その横をカイルが抜ける。
剣へ白い光が集まった。
「セイクリッド・スラッシュ!」
光を纏った斬撃がガルムの身体を深く切り裂く。
もう一頭はエレナの炎に逃げ道を塞がれ、横からドーガに蹴り飛ばされた。
そこへカイルの剣が走る。
最後のガルムが地面へ倒れた。
戦いが終わると、先ほどまで武器を構えていた村人たちが恐る恐る戻ってきた。
カイルは剣についた血を払い、ドーガを見る。
「助かりました」
ドーガが怪訝そうに眉を上げる。
「俺に礼を言うのか?」
「助けてもらいましたから。それとこれとは別です」
しばらくカイルを見ていたドーガが、鼻で小さく笑った。
「変な勇者だな」
「よく言われます」
「俺は初めて言ったぞ」
「じゃあ、これから言われるんでしょう」
後ろでバルドが笑った。
「そこは自覚あるんだな」
そんな中、先ほどドーガを殺せと叫んでいた男が前へ出る。
「……あんた」
「何だ」
「さっきは……」
男はそこで言葉に詰まった。
謝るべきなのだろう。それでも簡単には口から出てこない。
ドーガは少し待ったが、それ以上何も言わず荷袋を持ち上げた。
「薬師。品は渡した」
「あ、ああ。代金は――」
「後でいい。今日は帰る」
そのまま村を出ようとしたドーガを、カイルが呼び止めた。
「待ってください」
「何だ」
「魔族領について、聞きたいことがあります」
ドーガの目が細くなった。
「魔族領へ行く気か?」
「分かるんですか」
「勇者が仲間を連れて東へ来てるんだ。観光じゃないだろ」
カイルは少し迷い、それから答えた。
「魔皇に会いに行きます」
討つ。
その言葉までは口にしなかった。
だが、ドーガには十分伝わったらしい。
「やめとけ」
「何故です?」
「死ぬからだ」
即答だった。
バルドが眉を上げる。
「そんなに強いのか?」
「強いなんてもんじゃない」
エレナが尋ねる。
「見たことがあるの?」
「遠くから一度だけな。それで十分だった」
カイルは腰の剣へ手を置いた。
「それでも行きます」
「勇者だから?」
「はい」
ドーガは呆れたようにカイルを見る。
「人間は昔から変わらんな」
「どういう意味です?」
「魔皇を見たこともない。何をしたのかも知らない。それでも魔族の王だから殺す。そういうことだろ?」
カイルはすぐに答えられなかった。
王から聞いたのは、魔族は脅威であり、魔皇を討つべき存在だということ。
それを疑ったことはなかった。
だが今日、初めて会った魔族は薬を届け、人間を守った。
もちろん、ドーガ一人を見ただけで魔族全てを語ることなどできない。
それでも。
何かが引っ掛かった。
ドーガは東へ続く道を指す。
「案内するつもりはない。ただ、あの街道を三日進めば魔族領との境に出る」
「ありがとうございます」
「礼はいらん」
歩き出してから、ドーガは一度だけ足を止めた。
「勇者」
「はい」
「魔族領に入ったら、自分の目で見ろ」
それだけ言い残し。
今度こそ去っていった。
夕方。
四人は城塞都市レグナの宿へ戻っていた。
テーブルの上には、魔族領へ続く地図が広げられている。
バルドが腕を組む。
「……想像と違ったな」
何が、とは誰も聞かなかった。
エレナが椅子へ深く座る。
「最初に会った魔族が、たまたま変わっていただけかもしれない。あれだけで判断するのは早いわ」
「そうですね」
シアも頷く。
カイルも同意した。
それでも、ドーガの言葉が頭から離れない。
――魔皇を見たこともないのに。
王から受けた勅命は変わらない。
目的地も同じ。
それでも、出発した時とは少しだけ気持ちが違っていた。
「明日の朝、出発しよう」
三人がカイルを見る。
「魔族領へ入る。その先は……自分たちの目で確かめよう」
バルドが頷き、エレナとシアも異論を挟まなかった。
勇者カイルは、魔族を討つために旅立った。
だが魔族領へ足を踏み入れるより先に。
剣を抜く前に知るべきことがあるのかもしれないと、初めて考え始めていた。




