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第百八十二話 西海の船影



西岸を離れてから、しばらく。


ゼラスの操縦する飛空艇は、海上を西へ進んでいた。


「見えた!」


リズナが前方を指す。


水平線の近く。


一隻の大型船が進んでいる。


大きな帆。


ガリオールでは見慣れない船体。


セレイナから送られてきた特徴とも一致していた。


『あれ』


ミテイが目を細める。


「間違いなさそうね」


操縦席に座るゼラスは、いつもの少年姿だった。


小さな身体のまま操縦桿を動かし、飛空艇の速度を落としていく。


「ミテイ。人の反応は?」


『見る』


灰色の魔力が薄く広がった。


少しして。


『七人』


「七人?」


『一人は甲板。六人は船の中』


リズナが眉を寄せる。


「ヴェルグ以外にもいるのね」


『六人はほとんど動いてない。でも生きてる』


ゼラスの表情が僅かに険しくなった。


「船員だろうな」


大型船を奪ったとしても。


ヴェルグ一人で海を渡るのは難しい。


元の船員を残し。


無理やり航海させていた可能性が高い。


「船ごと攻撃はできないわね」


「ああ。船首魔導砲は使わねえ」


『じゃあ乗る』


ゼラスが頷いた。


「それが早い」


リズナは小さく息を吐く。


「結局それなのね」


「他にあるか?」


「ないけど」


飛空艇が大型船の上空へ回り込む。


高度を落とす。


すると。


甲板にいた一人の男が顔を上げた。


旅人のような姿。


見覚えのない顔。


だが。


ミテイが即座に言った。


『ヴェルグ』


男の姿が揺らぐ。


短い金髪。


青白い肌。


見慣れた姿へ戻った。


「隠す気もないのね」


ヴェルグがこちらを見上げる。


そして。


薄く笑った。


「随分と早いお迎えでございますね」


ゼラスが操縦席から立つ。


「リズナ」


「……嫌な予感しかしないんだけど」


「操縦頼む」


「やっぱり!」


ゼラスが席を空ける。


リズナは慌ててそこへ座った。


「待って! あたし一人で操縦したことないんだけど!」


「高度と速度を維持するだけだ」


「それを簡単に言わないで!」


『私も見る』


ミテイが横へ来る。


リズナがほっとする。


「ミテイは残ってくれるの?」


『途中まで』


「途中まで!?」


「ヴェルグの転移を止めるのに必要だ」


ゼラスは収納魔法へ手を入れた。


レイスウィザードを取り出す。


大きな魔剣。


少年姿のゼラスが持てば、身体との大きさの差がいっそう目立つ。


だが。


その重さを感じさせる様子はない。


片手で自然に持ち上げ。


乗船口へ向かう。


リズナがその背中を見る。


「ゼラス」


「あ?」


「大人にならなくていいの?」


ゼラスが足を止めた。


少しだけ振り返る。


「必要ねえよ」


「でもヴェルグよ?」


「ああ」


ゼラスは平然と答える。


「だからこれで十分だ」


侮っている声ではなかった。


油断もない。


ただ。


そう判断しているだけ。


リズナは一瞬だけ黙り。


それから笑った。


「……分かった。なら任せる」


「ああ」


乗船口が開く。


強い海風が吹き込んだ。


ゼラスが下を見る。


甲板まで数メートル。


「行ってくる」


「無茶しないでよ!」


少年の身体が。


迷いなく宙へ飛び出した。




轟音。


甲板が大きく揺れる。


小さな身体が着地した。


ゼラスはゆっくり立ち上がる。


レイスウィザードを片手に持ったまま。


ヴェルグと向かい合った。


「お久しぶりでございます」


「数日だろ」


「私には随分長く感じられました」


ゼラスが周囲を見る。


「船旅、大変だったか?」


ヴェルグの眉が僅かに動く。


「……余計なお世話でございます」


「そうか。大変だったんだな」


「そのような話をするために来られたので?」


「いや」


ゼラスがレイスウィザードを構える。


「お前を捕まえに来た」


ヴェルグの視線が。


ゼラスの姿へ向く。


少年の身体。


以前。


怒りに任せて自分を叩きのめした時とは違う。


「……その姿のままで?」


「あ?」


「以前は、成人した姿で私を相手になさっていたかと」


「ああ」


ゼラスは気のない様子で答えた。


「あん時は腹立ってたからな」


「では今回は?」


「これで十分だ」


ヴェルグの笑みが。


僅かに固まった。


「随分と余裕がおありのようで」


「別に舐めちゃいねえよ」


ゼラスの目だけが鋭くなる。


「逃げられると面倒だから、ちゃんとやる」


その言葉の方が。


ヴェルグには不愉快だったらしい。


薄い笑みが消えた。


「……そうでございますか」


次の瞬間。


姿が消える。


短距離転移。


ゼラスの左側。


杖が少年の首筋へ迫る。


だが。


ゼラスは振り返らない。


レイスウィザードだけを返した。


甲高い音。


杖と刃が激突する。


「……!」


ヴェルグの目が僅かに開く。


ゼラスが押し返す。


一歩。


ヴェルグが下がる。


すぐに。


ゼラスが踏み込んだ。


横薙ぎ。


転移。


ヴェルグが背後へ現れる。


だが。


そこにはもう。


レイスウィザードの切っ先が向いていた。


「っ!」


ヴェルグが身を捻る。


外套が裂けた。


「以前より……」


「遅い」


ゼラスが淡々と言う。


再び転移。


今度は右。


だが。


ゼラスが一歩ずれる。


ヴェルグの杖が空を切る。


その腹へ。


少年の小さな足が蹴り込まれた。


「ぐっ……!」


ヴェルグが甲板を滑る。


ゼラスは追わない。


剣を肩へ担ぐ。


「また同じ位置だ」


「……何ですって?」


「お前、追い込まれると転移する場所に癖あるぞ」


ヴェルグの目が細くなる。


「以前は、そこまで対応できていなかったはずですが」


「前より分かるんだよ」


ゼラスがレイスウィザードを軽く持ち上げる。


「こいつも覚えてるからな」


ヴェルグの視線が。


剣へ移った。


「……妙ですね」


「あ?」


「数日前まで、その剣はあなたの魔力に馴染んでいなかった」


ゼラスの口元が少し上がる。


「よく見てんな」


「当然でございます」


「気になるか?」


「非常に」


「教えてやらねえ」


ヴェルグの眉が動いた。


ゼラスが踏み込む。




その頃。


飛空艇では。


リズナが操縦桿を握りしめていた。


「これで合ってる!?」


『もう少し右』


「こっち!?」


『逆』


「早く言って!」


船体が僅かに傾く。


「ゼラスって何であんな簡単そうに動かせるのよ!」


『上手いから』


「それは知ってる!」


高度を安定させる。


ミテイが下を見る。


『私も行く』


「お願い。船員を先に!」


『うん』


ミテイが飛び降りた。




甲板へ着地すると。


そのまま船室へ向かう。


扉。


そこへ触れる。


『術式』


ヴェルグの魔力が絡んでいた。


だが。


灰色の魔力を流すと。


一つ。


二つ。


封印が崩れる。


『開いた』


扉の奥。


六人の男女が倒れていた。


全員。


手足を拘束されている。


一人が顔を上げる。


「……誰だ?」


『助けに来た』


「ガリオール側の人間か?」


『うん』


ミテイは拘束へ手を伸ばす。


『仲間たちと一緒に来た』


男が大きく息を吐いた。


『ヴェルグに連れてこられた?』


「ああ……俺たちがいないと船を動かせないからって……」


『分かった』


ミテイが拘束を解いていく。


『ここにいて。甲板には出ないで』


「戦ってるのか?」


『うん』


ミテイが最後の拘束を外す。


少し考え。


『たぶん、もう大丈夫』


「……たぶん?」


ミテイは甲板の方を見る。


『私の仲間、強いから』




甲板。


ヴェルグの杖が。


真っ二つになった。


折れた先端が甲板を転がる。


「くっ……!」


ヴェルグが転移する。


数歩先。


ゼラスが追う。


再び転移。


今度は後方。


ゼラスは振り返るより先に剣を返した。


ヴェルグが辛うじて避ける。


頬に。


細い傷が走る。


「……その身体で」


ヴェルグが低く呟く。


「あ?」


「何故、ここまで……」


ゼラスは首を傾げた。


「何で身体の大きさ気にしてんだ?」


「以前のあなたは――」


「大人にならなきゃ勝てなかったわけじゃねえよ」


ヴェルグが黙る。


ゼラスは淡々と続ける。


「あん時は俺がキレてただけだ」


レイスウィザードを構える。


「今日は落ち着いてる」


その言葉と同時に。


ヴェルグの左袖が動いた。


黒銀の刃が滑り出す。


ウェポンブレイカー。


以前の戦いで生じた亀裂は補修されている。


だが。


痕跡は残っていた。


ゼラスの目が細くなる。


「直したのか」


「応急処置ではございますが」


「そうかよ」


ヴェルグが踏み込む。


レイスウィザードへ。


あの日と同じ角度。


同じ位置。


ウェポンブレイカーが滑り込む。


スッ――


刃が交差した。


ヴェルグが力を込める。


だが。


切れない。


レイスウィザードに残ったのは。


浅い傷一つ。


「……やはり」


ヴェルグが呟く。


「同じ場所には、同じ弱点が存在しない」


「あたりめえだ」


ゼラスが押し返す。


ヴェルグはすぐに離れようとした。


だが。


レイスウィザードが動く。


ウェポンブレイカーの刃を絡め取った。


「っ……!」


「逃がすかよ」


少年の細い腕。


だが。


そこから伝わる力は。


見た目とはまるで釣り合わない。


ヴェルグの左腕が押し下げられる。


黒銀の刃が軋む。


亀裂が僅かに広がった。


ヴェルグが力を込める。


「力任せに壊せるほど――」


「知ってる」


ゼラスが笑った。


「だから壊さねえよ」


「何を――」


一瞬。


力の方向が変わる。


ゼラスが狙ったのは。


刃ではない。


ウェポンブレイカーを左腕へ固定する接続部。


そこへ負荷が集中する。


バキンッ!


「っ!?」


固定具が弾けた。


ウェポンブレイカーが。


ヴェルグの左腕から外れる。


甲板へ落ち。


そのまま遠くへ滑っていった。


ヴェルグの視線が。


思わずそちらへ向く。


「……ウェポンブレイカーが」


「余所見」


ゼラスが目の前にいた。


ヴェルグが息を呑む。


「すんな」


剣の腹が叩き込まれる。


「がっ……!」


ヴェルグの身体が甲板を転がった。


すぐに転移しようとする。


空間が歪む。


だが。


『させない』


ミテイの声。


灰色の魔力が甲板へ広がる。


空間の歪みが潰れた。


ヴェルグの姿は。


消えない。


「……またですか」


『また』


ミテイがゼラスの横へ立つ。


『船員は全員無事』


「そうか」


ゼラスが頷く。


「なら遠慮はいらねえな」


ヴェルグが立ち上がる。


そして。


少年姿のゼラスを見た。


小さい。


成人時と比べれば。


身体能力も魔力量の出力も抑えられている。


そのはずなのに。


届かない。


「……成人化は」


ヴェルグが聞いた。


ゼラスが眉を上げる。


「何だよ」


「なさらないのですか?」


ゼラスは少しだけ考えた。


そして。


レイスウィザードを肩へ担いだ。


「必要になったらな」


「……」


「でも」


少年の顔に。


僅かな笑みが浮かぶ。


「今のところ、必要なさそうだ」


ヴェルグの表情から。


完全に笑みが消えた。


背後には船縁。


その向こうは海。


杖は折れた。


ウェポンブレイカーも手を離れた。


短距離転移はミテイが押さえている。


飛空艇から。


リズナの声が響く。


「ゼラス!」


「ああ!」


「今度こそ逃がさないでよ!」


「分かってる」


ゼラスはレイスウィザードを構え直した。


大人になる気配はない。


フルドライブも使わない。


ただ。


いつもの少年姿のまま。


ヴェルグを見る。


「何回逃げた?」


ヴェルグは答えない。


「もう十分だろ」


一歩。


ゼラスが前へ出る。


「今度こそ――」


レイスウィザードの切っ先が。


ヴェルグへ向く。


「終わりにしようぜ」

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