第百八十話 受け継がれるもの
翌日の午後。
海の向こうに、ガリオールの陸地が見え始めた。
「見えた!」
リズナが窓際から身を乗り出す。
『ガリオール』
ミテイも隣から覗き込んだ。
操縦席のゼラスは、前方を確認しながら小さく息を吐く。
「今度は何も起きなかったな」
「そういうこと言わないでよ。まだ着いてないんだから」
「もうすぐだろ」
「だからよ」
ゼラスが僅かに笑う。
修理した右側の推進器も、ここまで安定して動いていた。
アスタリアの部材を使った応急修理。
海を越えられるか不安はあったが。
どうやら杞憂だったらしい。
やがて。
王都が見える。
魔皇城。
その発着場へ向けて高度を落としていく。
「帰ってきた……」
リズナが呟いた。
少し前には。
ここからアスタリアへ帰る方法すら分からなかった。
今は。
海を越えて往復した。
もちろん。
大陸間転移が当たり前になったわけではない。
飛空艇で何時間もかけ。
自分たちの手で海を越えただけだ。
それでも。
二つの大陸が以前より近くなったように感じた。
ゼラスが操縦桿を引く。
飛空艇がゆっくりと発着場へ降りる。
僅かな揺れ。
そして。
停止した。
「到着」
『無事』
ミテイが言う。
リズナは大きく息を吐いた。
「帰ってきたわね」
「ああ」
乗船口が開く。
三人が外へ出る。
そして。
真っ先に駆け寄ってきたのは。
「ゼラス!」
リュミエラだった。
「おい、走るな!」
ゼラスの声が飛ぶ。
「その身体で走るなって!」
「今くらいいいでしょう!」
「よくねえよ!」
言いながら。
ゼラス自身もリュミエラの方へ向かう。
目の前まで来ると。
リュミエラは三人を順番に見る。
ゼラス。
リズナ。
ミテイ。
そして。
もう一度ゼラス。
「……本当に無事ね」
「ああ」
「怪我は?」
「治ってる」
「隠してない?」
「隠してねえ」
『私が確認した』
「ならいいわ」
ようやく。
リュミエラが大きく息を吐いた。
リズナへ視線を向ける。
「お帰り、リズナちゃん」
「ただいまです、リュミエラさん」
『ただいま』
「ミテイも、お帰り」
少し離れた場所には魔皇も立っていた。
三人がそちらへ向く。
「無事に戻ったか」
「はい、陛下」
ゼラスが答える。
リズナも頭を下げた。
「はい、陛下」
『ただいま戻りました、陛下』
魔皇は三人を見る。
「それで十分だ。詳しい報告は後で聞こう」
そして。
ゼラスへ目を向ける。
「剣も持ち帰ったのだな?」
「はい」
「ならば、まずそちらを片づけろ」
魔皇の視線がリュミエラへ移る。
「どうせお前も、そのつもりなのだろう」
「もちろんよ」
「無理はするな」
「座って作業するわ」
「長時間も駄目だ」
「分かってるわよ」
魔皇がまだ何か言いたそうな顔をする。
ゼラスが横から頷いた。
「俺が見てます、陛下」
「頼んだぞ」
「はい」
リュミエラが眉を寄せる。
「何で二人で監視する話になってるのよ」
リズナは思わず笑った。
地下の研究室。
リュミエラは椅子へ座り。
机の上には、二本の剣が並べられていた。
完成版レイスウィザード。
そして。
切断された、長年ゼラスが使ってきたレイスウィザード。
実物を前にしたリュミエラは。
しばらく何も言わなかった。
「……本当に綺麗に切ったわね」
「感心するな」
ゼラスの声が低くなる。
「感心してないわよ」
リュミエラは切断面を確認する。
「ただ、普通に力をぶつけた傷じゃない。内部の弱い場所を正確に断ってる」
『ウェポンブレイカー』
ミテイが言う。
『完成版には同じ切り方は通じなかった』
「そこは設計を変えておいて正解だったわね」
リュミエラが完成版へ手を置く。
「さて」
視線が壊れた剣へ戻る。
「記録核を取り出すわ」
ゼラスが僅かに姿勢を正した。
リュミエラは柄に近い部分へ魔力を流す。
外装の一部が外れた。
その奥。
複雑な魔力経路に囲まれて。
小さな結晶状の部品が埋め込まれていた。
淡い光が。
ゆっくりと明滅している。
リズナが覗き込む。
「これが……」
「記録核よ」
リュミエラが慎重に取り外す。
掌に載せる。
小さい。
それだけ見れば。
何百年もの時間が入っているようには思えない。
だが。
ミテイが魔力を近づけると。
反応が変わった。
『ゼラス』
「ん?」
『魔力流して』
ゼラスが指先から僅かに魔力を出す。
その瞬間。
記録核が強く光った。
リズナの目が大きくなる。
「反応した」
『すごく馴染んでる』
リュミエラも小さく笑う。
「そりゃそうでしょうね」
記録核を見つめる。
「これだけ長く一人に使われるなんて、作った時には想定してなかったもの」
ゼラスは何も言わない。
ただ。
掌の上にある小さな結晶を見ている。
「完成版を貸して」
「ああ」
ゼラスが渡す。
リュミエラは完成版の柄側を開く。
こちらにも。
同じ位置に記録核があった。
だが。
長年使われたものとは違う。
ほとんど何も蓄積していない。
「規格は同じ」
リュミエラが確認する。
「多少調整は必要だけど、いけるわ」
「今日やるのか?」
「何のためにここまで急いだと思ってるの?」
「いや、身体が――」
「座ってるでしょう?」
「そういう問題か?」
「ゼラス」
「何だよ」
「早く使いたいんでしょう?」
ゼラスが黙った。
リュミエラが笑う。
「顔に出てるわよ」
「……頼む」
「任せなさい」
完成版側の記録核を外す。
そこへ。
長年使われた記録核を収める。
完全にはまる。
リュミエラが魔力を流した。
一瞬。
完成版の刀身が赤く光る。
「ミテイ」
『うん』
二人で魔力の流れを確認する。
記録核から。
完成版の魔力経路へ。
長年蓄積された情報が少しずつ馴染んでいく。
『流れてる』
「急がせないで」
『分かった』
数分。
そして。
光が落ち着いた。
リュミエラが手を離す。
「終わり」
ゼラスが顔を上げる。
「もう?」
「もうよ」
「もっと何かあるのかと思った」
「何百年分だからって、何時間も光らせればいいわけじゃないの」
『繋がった』
ミテイが言う。
リュミエラが完成版を差し出した。
「持ってみて」
ゼラスが手を伸ばす。
柄を握る。
その瞬間。
動きが止まった。
「……」
リズナが見る。
「ゼラス?」
返事はない。
ゼラスがゆっくりと魔力を流した。
完成版が応える。
膨大な魔力が。
刀身の奥へ一気に走る。
だが。
昨日とは違った。
流した瞬間に分かる。
どこまで入る。
どこで広がる。
どの程度力を込めれば。
どれだけ返ってくる。
考える必要がない。
身体が。
もう知っている。
ゼラスが小さく息を吐く。
「……ああ」
リュミエラが笑う。
「どう?」
ゼラスは剣を軽く持ち上げる。
一度。
ゆっくり振る。
風が鳴った。
昨日まで。
僅かに残っていた違和感がない。
それどころか。
以前より軽い。
魔力はより素直に通り。
剣そのものの出力も高い。
なのに。
手の中にある感覚は。
知っている。
「……戻ってきた」
リズナが少し目を見開く。
ゼラスは完成版を見る。
「いや」
小さく首を振る。
「違うな」
壊れた剣が戻ったわけではない。
刀身も。
形も。
性能も違う。
それでも。
長い時間を共にしたものは。
確かにここにいる。
「ちゃんと続いてる」
リズナが微笑む。
「よかったね」
「ああ」
短い返事だった。
けれど。
それだけで十分だった。
ミテイが完成版へ魔力を近づける。
『昨日と全然違う』
「分かるの?」
『うん。ゼラスの魔力が入った時、迷わなくなった』
リュミエラも頷く。
「完成版の性能に、今まで蓄積した使い方が繋がったのね」
ゼラスがもう一度剣を見る。
そして。
静かに収納魔法へ戻した。
リズナが少し意外そうに見る。
「もうしまうの?」
「今ここで振り回せねえだろ」
「それはそうだけど」
「今度、外で試す」
『壊さないで』
ゼラスがミテイを見る。
「縁起でもねえこと言うな」
リズナが吹き出した。
「それは本当にそうね」
リュミエラも笑う。
ゼラスは一瞬だけ。
机の上に残った、切断された刀身を見る。
剣として。
あのレイスウィザードが戻ることはない。
それでも。
何百年も積み重ねたものは。
もう失われてはいなかった。
新しい刀身へ。
確かに。
受け継がれていた。




