第百七十九話 帰るための翼
中央風塔へ戻ると、飛空艇の修理はすぐに始まった。
ヴェルグが盗み出したものと同型の魔石。
魔力伝導用の部材。
さらに、アスタリア側で使われている風術式用の素材。
それらが次々と集められていく。
作業場所は、飛空艇を置いた森の開けた一帯だった。
ゼラスは船体の横に座り込み、開いた推進部の内部を覗いている。
「……やっぱり気に入らねえ」
リズナが隣から覗き込む。
「まだ言ってるの?」
「ここの繋ぎ方だ」
ゼラスが指を差した。
「ガリオール側の魔力経路を一回切って、アスタリアの部材に合わせて流れを作り直してる」
『動いてた』
ミテイが横から言う。
「それが腹立つんだよ」
「ヴェルグがちゃんと考えてたのが?」
「ああ」
リズナは少し笑った。
「認めればいいじゃない。技術はあるって」
「あるのは知ってる」
ゼラスは不機嫌そうに答える。
「千年前からな」
『でも真似する』
「真似じゃねえ。もっとまともに組む」
「そこ大事なのね」
ゼラスは返事をせず、部材を手に取った。
ヴェルグが施した応急処置は。
飛ばすだけなら成立していた。
だが、海を越えるには危険すぎる。
だからこそ。
今度はゼラス自身が組み直す。
ミテイが内部の魔力を読み。
アスタリア側の技術者が、部材の性質を説明する。
そしてゼラスが。
それを飛空艇へ合わせていく。
作業は数時間続いた。
「流すぞ」
ゼラスの声に。
ミテイが推進部へ手を添える。
『いいよ』
魔力炉が起動する。
低い振動。
新しく組み直された経路へ魔力が流れた。
一つ。
二つ。
三つ。
アスタリア製の部材を通過し。
右側の推進器へ届く。
光が灯った。
リズナが目を見開く。
「動いた!」
『出力も安定してる』
ミテイが内部を確認する。
ゼラスも計器へ視線を走らせた。
「左右差は?」
『ほとんどない』
「ならいける」
リズナが顔を明るくする。
「海を越えられる?」
「ああ」
ゼラスが立ち上がる。
「念のため明日の朝まで試運転するが、この状態ならガリオールまで持つ」
「よかった……」
リズナは大きく息を吐いた。
やっと。
帰る方法が戻った。
ほんの少し前までは。
アスタリアへ帰る方法が分からなかった。
今度は逆に。
ガリオールへ帰れなくなった。
それが。
自分たちで海を越えられるところまで来た。
「変な感じ」
「何が?」
「あたし、前は帰れないってあんなに悩んでたのに」
リズナは飛空艇を見る。
「今じゃ、壊れたら直して飛んで帰ろうとしてるのよね」
『でも大陸間転移はまだ変』
ミテイが言う。
「ええ。そこは変わらないわ」
飛空艇なら。
時間をかけて。
実際に海の上を進んでいる。
あの突然場所そのものが変わる感覚とは。
やはり全然違う。
ゼラスが工具を収納魔法へ戻した。
「帰れるなら何でもいい」
「ゼラスはそう言うと思った」
「何だよ」
「別に」
リズナは小さく笑った。
夕方。
三人はネフィラの屋敷へ戻った。
翌朝にはガリオールへ向けて出発する。
そのことを伝えるためだった。
「もう帰るの?」
ネフィラが少し寂しそうに言う。
「うん」
リズナは頷いた。
「ヴェルグはまだ見つかってないけど、ずっと追ってるわけにもいかないから」
セレイナたちは、ヴェルグの捜索を続けている。
だが。
姿も声も魔力も変えられる相手だ。
一度街へ紛れ込まれれば、そう簡単には見つからない。
「こっちのことはセレイナに任せる」
「そう」
ネフィラは少し黙った。
それから。
「今度は自分で帰れるのね」
リズナも少しだけ黙る。
「……うん」
その言葉が。
思った以上に胸へ残った。
「今度は、自分で帰る」
ネフィラが微笑む。
「それなら安心ね」
エルシアも隣で頷いた。
「ガリオールのみんなにもよろしくね」
「うん」
「それから」
エルシアがゼラスを見る。
「飛空艇、無茶な飛ばし方しないでくださいね」
ゼラスが眉を上げる。
「何で俺だけ言われるんだ?」
リズナが横を見る。
「行きで何したか思い出して」
『かなりした』
「お前らまで」
ネフィラが笑った。
久しぶりに。
何も追わず。
何も戦わず。
ただ家族と夕食を取った。
短い時間だった。
それでも。
リズナには十分だった。
翌朝。
西の空はよく晴れていた。
森の中。
修理を終えた飛空艇の魔力炉が静かに動いている。
セレイナも見送りに来ていた。
「ヴェルグは?」
リズナが尋ねる。
「まだ見つかってないわ」
「そう……」
「でも捜索は続ける。中央風塔だけじゃなく、各地にも特徴は伝えてある」
『見た目は変えられる』
ミテイが言う。
「分かってる。だから行動の方を見るわ」
セレイナはリズナへ視線を戻す。
「完成版は?」
ゼラスが自分の胸元を軽く叩いた。
「収納してる」
「なら安心ね」
ヴェルグが欲しがっていた剣。
今はゼラスの収納魔法の中。
そう簡単に奪える場所ではない。
「それと」
セレイナがゼラスを見る。
「壊れた方も、大事に持って帰りなさい」
「ああ」
ゼラスは短く答えた。
その声だけは。
少し柔らかかった。
ミテイが飛空艇へ乗り込む。
『準備できた』
ゼラスも操縦席へ向かう。
リズナは最後にセレイナを見る。
「じゃあ、行ってくる」
「ええ」
セレイナが笑う。
「今度はちゃんと帰ってきなさいよ」
「どっちに?」
一瞬。
二人とも止まった。
そして。
セレイナが吹き出す。
「確かに、もうどっちか分からないわね」
リズナも笑った。
「また来るわ」
「待ってる」
乗船口が閉じた。
ゼラスが操縦盤へ手を置く。
「行くぞ」
『うん』
「お願い」
魔力炉の出力が上がる。
飛空艇がゆっくり浮いた。
修理した右側の推進器も。
問題なく動いている。
高度を上げ。
船首が東へ向く。
アスタリアの大地が。
少しずつ遠ざかっていく。
リズナは窓際から下を見ていた。
「……今度は寂しくないな」
ゼラスが操縦席から言う。
「何が?」
「アスタリアを離れるの」
リズナは少し考えた。
そして。
「そうね」
以前とは違う。
もう二度と戻れないかもしれない。
そんな別れではない。
海の向こうにある。
行こうと思えば。
自分たちで行ける場所になった。
「また来られるもの」
「ああ」
リズナは最後に一度だけ。
遠ざかるアスタリアを見た。
その頃。
街から離れた小さな丘。
一人の男が。
東へ飛んでいく飛空艇を見上げていた。
姿は。
ヴェルグではない。
どこにでもいそうな旅人の顔だった。
左腕も。
長い袖の下に隠れている。
「……行かれましたか」
小さく呟く。
追わない。
今の自分では。
あの三人から完成版を奪うのは難しい。
ウェポンブレイカーも損傷している。
そして。
海を越える手段もない。
だが。
ヴェルグは焦っていなかった。
視線を下ろす。
その手には。
一枚の薄い記録片があった。
中央風塔へ潜り込んだ時に写した。
古い風路の記録。
祖先帰還路そのものではない。
だが。
アスタリア各地を繋ぐ風の流れが記されている。
「少々、予定を変更いたしましょう」
完成版は失った。
だが。
まだ終わったわけではない。
ヴェルグは記録片をしまう。
そして。
何事もなかったように。
街とは反対の方向へ歩き始めた。
空の向こうでは。
ゼラスたちを乗せた飛空艇が。
ガリオールへ向けて飛んでいた。




