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第百七十五話 追い詰められた笑み


中央風塔の廊下を、ゼラスの魔力が震わせていた。


成人した姿のまま。


ゼラスは、ヴェルグだけを見ている。


床には、先ほどまで一本だったレイスウィザードの刀身が落ちていた。


ヴェルグは左腕のウェポンブレイカーを構え、僅かに目を細める。


「そこまでお怒りになるとは、予想以上でございました」


「黙れ」


ゼラスが収納魔法へ手を入れた。


次に現れたものを見て、リズナが息を呑む。


完成版レイスウィザード。


千年前に失われ、ようやく取り戻した魔剣。


ゼラスが柄を握る。


魔力を流した瞬間。


刀身の内部を、膨大な力が一気に走った。


「……」


ゼラスの眉が僅かに動く。


通る。


試しに振る必要すらないほど分かる。


魔力の損失が少ない。


出力も高い。


何より、こちらから流した力を受け止める余裕が大きい。


だが。


手に返ってくる感覚が違う。


長年使ってきた剣とは。


明らかに。


「……気に入らねえ」


リズナが横を見る。


「剣が?」


「違う」


ゼラスの視線がヴェルグへ戻る。


「今こいつを使わされることがだ」


ヴェルグが薄く笑う。


「それは申し訳ございません」


瞬間。


ゼラスが消えた。


「――!」


ヴェルグが左腕を上げる。


間に合わない。


完成版の刀身ではなく、その腹がヴェルグの脇腹へ叩き込まれた。


鈍い音。


身体が横へ吹き飛ぶ。


壁へ激突。


石材が砕けた。


「ぐっ……!」


落ちる前に。


ゼラスが目の前へ現れる。


「誰が喋っていいって言った」


蹴り。


腹へ直撃する。


ヴェルグの身体が廊下を転がった。


『速い』


ミテイが目で追う。


リズナも剣を構えたまま、思わず呟く。


「完全に頭にきてるわね……」


ヴェルグが床へ手をつき、立ち上がろうとする。


「これは……少々厳しいですね」


「まだ余裕あんじゃねえか」


ゼラスが迫る。


完成版が振り下ろされた。


ヴェルグはウェポンブレイカーを合わせる。


黒銀の刃と完成版が交差した。


甲高い音。


ヴェルグの目が僅かに見開かれる。


切れない。


完成版の刀身には、浅い痕が残っただけだった。


『効いてない』


ミテイがすぐに分析する。


『同じ場所を狙ってる。でも内部の流れが違う』


「なるほど」


ヴェルグが完成版を見る。


「完成時に変更された分散構造が――」


「解説してる暇あんのか?」


「っ!」


ゼラスが押し込む。


ヴェルグの左腕が弾き上げられた。


直後。


ゼラスの拳が顔面へ入る。


ヴェルグが床へ叩きつけられた。


「ゼラス!」


リズナが声を上げる。


「殺さないでよ!」


「分かってる!」


「その殴り方で!?」


ヴェルグが転がりながら杖を振る。


複数の魔法弾が放たれた。


ゼラスが完成版を横へ払う。


魔力弾がまとめて逸れ、壁へ向かう。


「ちょっと!」


セレイナが風を巻き起こす。


飛んできた魔法を包み、天井近くへ押し流した。


「塔の中で好き放題やらないで!」


「悪い!」


「謝るなら少し加減しなさい!」


「それは無理だ!」


「でしょうね!」


ヴェルグの姿が消えかける。


短距離転移。


『駄目』


ミテイの灰色の魔力が走る。


空間が歪み。


転移が潰れた。


ヴェルグの身体がその場へ戻される。


「……本当に厄介ですね」


「人の剣切っといて逃げられると思うな!」


ゼラスの蹴りが腹へ入る。


「がっ!」


身体が浮く。


完成版の柄頭が続けて肩へ叩き込まれた。


ヴェルグが床を滑る。


杖が手から離れた。


ゼラスが踏みつける。


乾いた音。


杖が折れた。


「これで一つ減ったな」


ヴェルグは荒い息を吐きながら、それでもゼラスを見る。


「まったく……」


口元の血を拭う。


「長年使われたとはいえ、所詮は試験のために作られた剣。一本失った程度で――」


空気が止まった。


リズナが顔をしかめる。


「……あ」


ミテイもヴェルグを見る。


『今のは駄目』


ヴェルグ自身も。


言った直後に気づいたらしい。


ゼラスが動かない。


「……程度?」


低い声。


「言葉の選択を誤りました」


「そうか」


ゼラスが完成版を下げる。


一瞬。


妙に静かになった。


そして。


「フルドライブ」


魔力が爆発した。


「っ!」


リズナの髪が激しく揺れる。


廊下全体が震えた。


ゼラスの身体を覆う魔力が、一気に密度を増す。


床に亀裂が走る。


窓が軋み。


壁の術式が激しく明滅した。


セレイナが目を見開く。


「ちょっと待って! ここ中央風塔!」


『かなり怒ってる』


「見れば分かるわよ!」


ヴェルグの顔から。


今度こそ、完全に余裕が消えた。


「……これは」


ゼラスが一歩踏み出す。


姿が消えた。


ヴェルグが反応するより早く。


腹へ拳。


「ぐっ――!」


身体が折れる。


続けて顎へ膝。


浮いたところへ回し蹴り。


ヴェルグが壁を突き破り、隣の部屋へ転がり込んだ。


「ゼラス!」


リズナたちが追う。


ヴェルグが瓦礫の中から身体を起こした。


その瞬間。


ゼラスが上から降ってくる。


完成版を振り下ろす。


ヴェルグが咄嗟にウェポンブレイカーを構えた。


激突。


今度は。


ヴェルグの左腕ごと床へ叩きつけられた。


「ぐあっ!」


石床が陥没する。


ウェポンブレイカーの固定部が軋んだ。


「お前」


ゼラスが完成版を押しつける。


「人の武器切るのが」


さらに力を込める。


「そんなに好きなんだろ?」


黒銀の刃に亀裂が走った。


ヴェルグの表情が変わる。


「っ……!」


「だったら」


ゼラスが完成版を振り上げる。


「自分のも切られてみろ!」


振り下ろす。


ヴェルグは左腕を引いた。


完成版が床へ突き刺さる。


轟音。


深い亀裂が部屋を横切った。


「本当に塔が壊れるって!」


リズナが叫ぶ。


「後で直す!」


「そういう問題じゃない!」


ヴェルグが立ち上がる。


だが。


逃げる暇などない。


フルドライブ状態のゼラスが、すぐ目の前にいた。


拳。


肩。


腹。


一撃ごとにヴェルグの身体が揺れる。


反撃しようとした左腕を掴まれ。


そのまま床へ投げつけられた。


「がっ……!」


「終わりだ」


完成版の切っ先が。


ヴェルグの喉元で止まる。


荒い息。


血に濡れた顔。


壊れかけたウェポンブレイカー。


ヴェルグは完全に追い詰められていた。


リズナが剣を向ける。


セレイナも反対側へ回る。


ミテイの魔力が周囲へ広がっている。


『転移も止める』


ヴェルグが目だけを動かす。


逃げ道はない。


「今度こそ終わりね」


リズナが言う。


「ええ」


ヴェルグが答えた。


そして。


血のついた口元に。


ほんの僅か。


笑みが戻った。


「少なくとも、普通に逃げるのは難しそうでございます」


『何かする』


ミテイが反応する。


ゼラスが完成版を振るう。


だが。


その直前。


ヴェルグが足元へ魔力を叩き込んだ。


転移ではない。


中央風塔を巡っている風の流れへ。


強引に干渉した。


「何を――!」


セレイナの表情が変わる。


塔を上へ流れていた風が。


一瞬だけ逆流した。


爆発的な乱流。


窓が一斉に砕ける。


大量の破片と埃が舞い上がった。


「っ!」


リズナが風を広げる。


セレイナも塔の風を抑え込もうとする。


『ゼラス、右!』


ゼラスは視界が塞がれたまま踏み込んだ。


完成版を振るう。


「ぐっ……!」


手応え。


ヴェルグの身体を斬った。


だが浅い。


直後。


外壁が爆発した。


「また!?」


崩れた壁の向こうに空が見える。


ヴェルグがそこへ走る。


「逃がすか!」


フルドライブのまま。


ゼラスが一気に距離を詰める。


あと一歩。


ヴェルグが外へ飛び出した。


「ヴェルグ!」


高所から落下する。


ミテイが転移妨害を放つ。


『止める!』


一度目。


ヴェルグの短距離転移が潰れる。


身体が空中で大きく揺れた。


だが。


落下は止まらない。


ヴェルグが壁から突き出した装飾へ足をかける。


その瞬間。


二度目の転移。


数メートルだけ。


下の足場へ。


『また!』


ミテイが妨害する。


三度目。


今度はさらに短い。


窓枠。


屋根。


外壁。


落下そのものを移動に使いながら。


細かく短距離転移を刻んでいく。


ゼラスが壊れた外壁から身を乗り出す。


「待て!」


飛び降りようとする。


リズナが腕を掴んだ。


「ゼラス!」


「離せ!」


「フルドライブのまま街中まで追ったら、それこそ何壊すか分からないでしょ!」


「知るか!」


「よくない!」


『もう変装された』


ミテイが地上を見ていた。


『魔力反応も変わった。見失った』


ゼラスが止まる。


「……くそ!」


拳が壁へ叩き込まれる。


石が砕けた。


「壁!」


セレイナが叫ぶ。


「もう壊れてるだろ!」


「だから増やさないで!」


ゼラスの身体を覆っていた魔力が。


ようやく少しずつ収まっていく。


フルドライブを解除する。


それでも。


怒りはまったく消えていなかった。


リズナが息を吐く。


「……また逃げられたわね」


『うん』


ミテイが地上から視線を戻した。


ゼラスは答えない。


暫く。


ヴェルグが消えた街を睨んでいた。


そして。


収納魔法へ手を入れる。


完成版ではない。


取り出したのは。


切断されたレイスウィザードだった。


柄側。


そして、途中から切り離された刀身。


ゼラスは二つを黙って見つめる。


リズナが隣へ立った。


「……直せるかな」


「分からん」


珍しく。


ゼラスはそう答えた。


『見せて』


ミテイが近づく。


ゼラスが二つの破片を差し出した。


ミテイは切断面へ灰色の魔力を近づける。


数秒。


さらに深く探る。


やがて。


『……待って』


ゼラスが顔を上げる。


「何だ?」


『全部は死んでない』


リズナも覗き込む。


「どういうこと?」


『刀身の魔力経路は完全に切れてる』


ミテイの視線が。


柄に近い部分で止まる。


『でも、ここだけ反応が残ってる』


「まだ使えるってこと?」


『それは分からない』


ミテイは首を振った。


『でも、ただの残留魔力じゃない』


ゼラスの表情が僅かに変わる。


『長い間染みついたゼラスの魔力と、すごく似た反応が残ってる』


ゼラスは黙って剣を見る。


『ここじゃ分からない。リュミエラに見てもらった方がいい』


「……そうか」


ゼラスは壊れたレイスウィザードを受け取った。


今度は乱暴に扱わず。


二つとも静かに収納魔法へ戻す。


リズナが横顔を見る。


「帰ったら調べてもらいましょ」


「ああ」


短い返事。


そして。


ゼラスは再び外を見る。


ヴェルグの姿はない。


だが。


今度会った時。


今日より機嫌が良くなっているとは。


到底思えなかった。

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