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第百七十四話 偽りの風


中央風塔へ着いた頃には、日が沈みかけていた。


入口ではセレイナが待っている。


「遅かったわね」


「セレイナが寄れって言ったんでしょう?」


「そうだけど。思ったよりゆっくりしてたのね」


「久しぶりだったんだから、それくらいいいでしょ」


「ええ。ちゃんと顔を見せられたならよかったわ」


セレイナはそこで表情を引き締めた。


「ヴェルグはまだ見つかってない」


ゼラスが塔を見上げる。


「中に入った可能性は?」


「あるわ。出入りは止めて、今いる全員を確認してるところ」


『変装されると面倒』


ミテイが言う。


『顔だけじゃなくて、体格も声も魔力も変えられる』


「だから配置記録まで照らし合わせてるわ」


リズナは入口の向こうを見る。


職員たちが何人かずつ集められ、確認を受けている。


「祖先帰還路は?」


「封印されたまま。そこは真っ先に確認した」


「異常はないのね?」


「ええ」


セレイナが頷く。


「少なくとも、無理に開こうとした形跡はないわ」


『じゃあ別の目的』


「そういうことね」


四人は塔の中へ入った。




内部は慌ただしかった。


各階から職員の確認報告が集められ、廊下を何人もの人間が行き交っている。


リズナたちが上階へ向かっていると。


一人の男性職員が前から歩いてきた。


「セレイナ様」


「何?」


「西岸から届いた記録の整理が終わりました」


男は一枚の記録板を持っている。


「完成版レイスウィザードに関するものも含まれております。確認をお願いできますか」


ゼラスの視線が僅かに動いた。


セレイナは男を見る。


「どこにあるの?」


「第二記録室です」


「分かったわ」


男が一礼する。


「では、こちらへ」


歩き出そうとした。


だが。


セレイナは動かなかった。


男も足を止める。


「……セレイナ様?」


「あなた」


セレイナが目を細める。


「今日、ここにいるはずないわよね」


男の表情が止まった。


リズナの手が腰の剣へ伸びる。


「西側の観測塔へ出向中でしょう?」


沈黙。


数秒後。


男の口元が僅かに上がった。


「よく覚えておられますね」


声が変わる。


髪。


肌。


体格。


表面を覆っていた魔力が剥がれ落ちるように揺らぎ。


ヴェルグが姿を現した。


「ヴェルグ!」


リズナが剣を抜く。


セレイナもすぐに声を上げた。


「全員、この階から離れて!」


周囲の職員たちが走り出す。


ヴェルグはそれを止めようとはしなかった。


ゼラスが一歩前へ出る。


「帰り道でも探しに来たか?」


「それも魅力的ではございますが」


ヴェルグが杖を取り出す。


「残念ながら、今すぐ使えそうなものはございませんでした」


『もう調べたんだ』


「ええ。簡単に拝見しただけですが」


リズナが睨む。


「他人の姿で勝手に歩き回っておいて、よく言うわね」


「必要に迫られまして」


「自分で飛空艇壊したんでしょうが」


「少々、判断を誤りました」


あまりにも平然とした返事に、リズナの眉が動く。


「認めるんだ……」


ゼラスの収納魔法が開いた。


レイスウィザードが手に収まる。


その瞬間。


ヴェルグの視線が止まった。


ほんの僅か。


だが、はっきりと。


ゼラスの持つ剣を見た。


『また見た』


ミテイが呟く。


「何を?」


『レイスウィザード』


ゼラスも気づいていた。


「……お前」


剣を構える。


「さっきから、こいつばかり見てるな」


ヴェルグは否定しなかった。


「長く使われた魔道具というものは、興味深いものでございます」


「そうかよ」


ゼラスが踏み込んだ。


一瞬で距離を詰める。


レイスウィザードが横薙ぎに走った。


ヴェルグが短距離転移。


姿が消える。


『右!』


現れた瞬間。


リズナが斬り込む。


ヴェルグは杖で受け流し、後ろへ下がった。


そこへゼラスが迫る。


「逃げてばっかりか!」


「本日は何度も戦わされておりますので」


「知るか!」


レイスウィザードが振り下ろされる。


ヴェルグは辛うじて避けた。


床が砕ける。


リズナが横から追う。


ヴェルグが魔法弾を放つ。


剣で弾き。


さらに一歩。


「もう逃げ場ないわよ!」


ゼラスとリズナ。


二方向から挟まれる。


ミテイも後方で短距離転移の兆候を見ていた。


『転移しても止める』


「これは困りましたね」


言葉とは裏腹に。


ヴェルグは笑っていた。


ゼラスの目が細くなる。


「何がおかしい」


「いえ」


ヴェルグが杖を下げる。


「十分に確認できましたので」


「何をだ」


「あなたの剣を」


次の瞬間。


ヴェルグの左袖が僅かに動いた。


黒銀色の器具が滑り出す。


左手首に固定され。


そのまま拳の先へ、細長く伸びていく。


六十センチほど。


剣というには短く。


防具というには鋭すぎる。


それでも左手の指は自由なままだ。


リズナが眉を寄せる。


「何、それ」


ヴェルグは答えない。


ゼラスも一瞬だけ左腕へ目を向けた。


だが。


止まらなかった。


「そんなもんで!」


踏み込む。


レイスウィザードがヴェルグへ迫る。


ヴェルグは避けなかった。


左腕を上げる。


そして。


迫る刀身へ。


黒銀の刃を横から滑らせた。


スッ――


ほとんど音がしなかった。


ゼラスがヴェルグの横を通り抜ける。


「……は?」


妙な感触だった。


受けられた感触もない。


弾かれたわけでもない。


ゼラスが振り返る。


手の中のレイスウィザードを見る。


刀身の中央。


そこに一本。


細い線が入っていた。


「……何だ、これ」


次の瞬間。


刀身の先端側がずれた。


そして。


落ちた。


甲高い音が廊下へ響く。


リズナの動きが止まる。


「……え?」


床には。


切り離されたレイスウィザードの刀身が転がっている。


切断面は異様なほど滑らかだった。


まるで最初から。


そこで二つに分かれていたかのように。


ゼラスは手元を見る。


途中から失われた剣。


もう一度。


床に落ちた刀身を見る。


「……は?」


今度の声は。


完全に理解が追いついていなかった。


『……切れた』


ミテイも目を見開いている。


『レイスウィザードが……』


リズナは息を呑んだ。


今まで。


どれだけ激しい攻撃を受けても。


どれだけ強い相手と打ち合っても。


ゼラスの手にあり続けた剣。


それが。


一度。


たった一度、あの武器が触れただけで。


切断された。


「何を……」


ゼラスがゆっくり顔を上げる。


「何しやがった」


ヴェルグが左腕を持ち上げた。


「ウェポンブレイカー」


静かな声だった。


「私が長年求めていた答えの一つでございます」


『武器を壊すための……』


「ええ」


ヴェルグが頷く。


「強い武器ほど、真正面から力で砕く必要はございません」


その視線が、床へ落ちたレイスウィザードへ向く。


「構造を理解し」


再びゼラスを見る。


「魔力の流れを理解し」


黒銀の刃を僅かに傾ける。


「最も脆い一点を断つ」


ゼラスの表情が消えていく。


「お前……」


「レイスウィザードは、私も研究に関わった剣でございます」


ヴェルグの声には、僅かな愉悦が混じっていた。


「そこへ、あなたが長年使い続けたことで生じた変化を加えれば――」


「黙れ」


低い声。


ヴェルグが止まる。


ゼラスは。


切断されたレイスウィザードを見ていた。


長い年月。


何度も握った。


何度も命を預けた。


自分の魔力を流し。


戦い。


共に生き残ってきた。


その剣が。


床に落ちている。


「ゼラス……」


リズナが呼ぶ。


返事はなかった。


ゼラスがゆっくり屈む。


落ちた刀身を拾う。


切断面へ指を触れた。


一瞬だけ。


何も言わなかった。


そして。


収納魔法へ。


二つに分かれたレイスウィザードを静かに収めた。


ヴェルグが微笑む。


「これで、あなたも完成版を使わざるを――」


「ヴェルグ」


声が変わった。


ヴェルグの笑みが止まる。


ゼラスが顔を上げた。


その目を見て。


リズナが息を呑む。


怒っている。


そんな言葉では足りない。


魔力が。


ゼラスの身体から溢れ始めていた。


廊下の空気が震える。


床が軋む。


壁の術式が一斉に明滅した。


『……まずい』


ミテイが小さく呟く。


ゼラスの姿が変わる。


身体が成長し。


青年の姿へ。


魔力の圧力が一気に跳ね上がった。


ヴェルグが初めて。


僅かに後ろへ足を引いた。


ゼラスは収納魔法へ手を入れる。


だが。


まだ何も取り出さない。


ただ。


ヴェルグだけを見る。


「お前」


低い声が廊下に響く。


「俺の剣に」


一歩。


ゼラスが進む。


床が沈む。


「何してくれてんだ」


殺気が爆発した。


ヴェルグの表情から。


完全に笑みが消えた。

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