第百七十二話 残された帰路
入り江では、負傷した調査隊の手当てが始まっていた。
セレイナは崩れた岩場を確認しながら、手早く指示を出している。
「重傷者から先に運んで。洞穴の中にはもう入らなくていいわ」
「分かりました」
リズナはその様子を見た後、ゼラスへ視線を向けた。
「完成版、大丈夫?」
「ああ」
ゼラスが収納魔法へ軽く手を当てる。
「ここにある」
「なら一安心ね」
『でも、ヴェルグはまだ近い』
ミテイが森の方を見ていた。
リズナも振り返る。
「追わなくてよかったの?」
「完成版を確保した状態で、負傷者を置いてまで追う必要はない」
ゼラスが答える。
「それに、あいつは飛空艇を失ってる」
「帰れないものね」
「しばらくはな」
セレイナが近づいてくる。
「こっちでも捜索隊を出すわ。森を抜ける道は限られてるし、西岸から中央部へ入るならどこかで見つかるはずよ」
「お願い、セレイナ」
「ええ」
その時。
ミテイが突然、森へ顔を向けた。
『……変』
「何が?」
『ヴェルグの魔力』
灰色の魔力が薄く広がる。
数秒後。
ミテイが指を動かした。
『遠ざかってない』
ゼラスの表情が変わった。
「どういうことだ?」
『さっきは森の奥へ向かってた。でも今は――』
ミテイが振り返る。
入り江とは別の方向。
三人が飛空艇を降ろした場所。
『戻ってる』
リズナの目が大きくなる。
「まさか」
ゼラスはもう走り出していた。
「船だ!」
「えっ!?」
リズナもすぐに続く。
『セレイナ』
ミテイが走りながら振り返る。
『完成版はゼラスが持ってる。こっちは大丈夫』
「分かった! こっちは任せて!」
三人は森へ入った。
来た道を逆に走る。
折れた枝。
倒れた魔獣。
先ほど自分たちが通った痕跡がそのまま残っている。
「ヴェルグ、あたしたちの飛空艇を奪う気!?」
「他に海を越える手段がないなら、それしかない」
「でも、あれ壊れてるでしょう?」
『飛べないほどじゃない』
ミテイが答える。
『右側の推進系統は落ちてる。でもゼラスが着陸させた時点では、まだ動いてた』
「最悪……!」
リズナが速度を上げる。
その時。
森の向こうから低い音が響いた。
魔力炉。
三人の表情が変わった。
「もう触ってやがる」
ゼラスが吐き捨てた。
木々を抜ける。
そして。
飛空艇が見えた。
船体の下から、淡い魔力光が漏れている。
すでに起動していた。
「嘘でしょ!」
リズナが走る。
だが飛空艇はまだ浮かない。
操縦系統だけが何度も点滅している。
『起動はしてる。でも発進できてない』
ゼラスの口元が僅かに上がった。
「当然だ」
「何かしたの?」
「長距離艇を誰でも飛ばせると思うか?」
操縦系統には、登録された操縦者の認証が必要になる。
特に軍用に近い長距離艇なら、なおさらだった。
「じゃあ大丈夫?」
「いや」
ゼラスの顔から笑みが消える。
「ヴェルグなら、時間をかければ破るかもしれん」
直後。
船内から強い魔力が膨れ上がった。
『違う』
ミテイが足を止める。
『起動を破ろうとしてない』
「じゃあ何を――」
爆発。
飛空艇の後部から炎が上がった。
「なっ……!」
リズナが目を見開く。
ゼラスの表情が変わる。
「野郎!」
三人が一気に距離を詰める。
船体横の乗船口が開いた。
そこからヴェルグが姿を見せる。
「思ったより早く戻られましたね」
「何した!」
ゼラスの声が低くなる。
「残念ながら、この船は私には少々扱いづらいようでございました」
ヴェルグは静かに船から降りる。
後部では火花が散り続けている。
「ですので」
僅かに笑った。
「残しておく理由もございません」
「ふざけるな!」
リズナが剣を抜く。
ヴェルグは杖を向けた。
だが、狙いは三人ではない。
飛空艇。
『まだ何か仕込んでる!』
ミテイが叫ぶ。
ゼラスが地面を蹴った。
「させるか!」
ヴェルグの魔法が放たれる。
同時に。
ゼラスが収納魔法からレイスウィザードを取り出した。
魔力を叩きつける。
二つの魔法が船体の手前で衝突した。
轟音。
衝撃で木々が大きく揺れる。
リズナが風で爆風を逸らした。
「ゼラス!」
「ああ!」
ゼラスがそのまま踏み込む。
ヴェルグへ一気に距離を詰める。
レイスウィザードが振り下ろされた。
ヴェルグが杖で受ける。
激突。
傷の残る身体が大きく後退した。
「っ……!」
「もう転移も読まれてる。船もない」
ゼラスが追う。
「いい加減、諦めろ」
「お断りいたします」
ヴェルグが杖を横へ振る。
地面から土砂が吹き上がった。
ゼラスの視界が遮られる。
その間にヴェルグが後退する。
リズナが横から回り込んだ。
「逃がさない!」
風を纏った剣を振るう。
ヴェルグは身体を捻る。
刃が外套を裂いた。
「くっ……」
さらにミテイの魔力が足元へ伸びる。
『止める』
灰色の魔力が絡みつく。
ヴェルグの動きが一瞬止まった。
ゼラスがレイスウィザードを振り上げる。
だが。
ヴェルグは足元へ杖を叩きつけた。
爆発。
地面が吹き飛ぶ。
三人が距離を取る。
その一瞬で。
ヴェルグは木々の間へ飛び込んだ。
「待ちなさい!」
リズナが追おうとする。
しかし。
『ゼラス、船』
ミテイの声に、ゼラスが振り返った。
飛空艇の後部から煙が上がっている。
火は広がっていない。
だが。
明らかに正常な状態ではなかった。
「……くそ」
ゼラスがヴェルグではなく船へ走る。
リズナも足を止めた。
森の奥。
船。
一瞬迷ってから、リズナもゼラスを追った。
数分後。
ゼラスは飛空艇の後部を開き、内部を確認していた。
ミテイも横から覗き込んでいる。
リズナは少し離れた場所で待っていた。
「どう?」
ゼラスが無言で身体を起こす。
その顔を見ただけで、良くないことは分かった。
「すぐには飛ばせん」
「……どのくらい?」
「右の推進系統だけじゃない。補助経路まで焼かれてる」
『応急処置じゃ海を越えられない』
ミテイが続ける。
リズナは暫く黙った。
「つまり」
「ああ」
ゼラスが森を見る。
「俺たちも帰れなくなった」
風が木々を揺らした。
リズナは思わず空を見上げる。
つい昨日まで。
海を越える方法ができたと思っていた。
そして今。
また帰る手段を失った。
「……なんか、この感じ久しぶりね」
ゼラスが見る。
「何が?」
「行きたい場所があるのに、帰り方がない感じ」
リズナは苦笑した。
「前はアスタリアに帰れなかったのに。今度はガリオールに帰れないなんて」
『逆になった』
「そうね」
妙な話だった。
以前なら笑えなかった。
今は。
少なくとも一人ではない。
ゼラスが壊れた推進部を見る。
「直せないわけじゃない」
「本当?」
「ああ。ただ、部品がいる」
『アスタリアで作れるか調べる』
「頼む」
リズナは森へ目を向けた。
「ヴェルグも、これで完全に帰れなくなったのよね」
「あいつが別の手段を見つけなければな」
『たぶん探す』
ミテイが言う。
ゼラスが頷く。
「だから先に見つける」
完成版はゼラスの収納魔法の中。
ヴェルグは森のどこか。
そして。
ガリオールへ戻るための飛空艇は、動かなくなった。
リズナは小さく息を吐いた。
「本当に、自分が帰れないからってこっちまで巻き込むんだから」
ゼラスが僅かに笑う。
「性格悪いだろ」
「今さらね」
三人は壊れた飛空艇を見上げた。
追う側も。
追われる側も。
今は同じ大陸から出られない。
ヴェルグとの争いは。
もう少しだけ、アスタリアで続くことになった。




