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第百六十九話 風の向こう側



飛空艇の後部甲板。


強い風の中に、ヴェルグが立っていた。


ゼラスは操縦を安定させると、レイスウィザードを手に甲板へ出る。


「ミテイ、進路を維持してくれ」


『分かった』


「リズナ」


「分かってる」


リズナも腰の剣を抜いた。


ヴェルグは二人を見渡し、僅かに笑う。


「随分と歓迎してくださるのですね」


「勝手に乗ってきた奴が言う台詞じゃないだろ」


ゼラスが踏み込んだ。


黒い刃がヴェルグへ迫る。


杖で受ける直前。


ヴェルグの姿が消えた。


「右!」


リズナが振り向く。


数歩離れた場所へ現れたヴェルグへ、風の刃を放つ。


ヴェルグは身体を傾けて避ける。


その先には、すでにゼラスがいた。


レイスウィザードが振り抜かれる。


ヴェルグは杖で受け流したが、衝撃に身体が浮いた。


甲板を滑り、手すりへぶつかる。


「さすがに、正面からでは分が悪いですね」


「だったら降りろ」


「海の上ですよ?」


「泳げ」


「ご冗談を」


ヴェルグが杖を振るう。


いくつもの魔法弾が広がった。


ゼラスへではない。


甲板へ向かっている。


「船を狙ってる!」


リズナが風を放つ。


魔法弾の軌道が逸れ、何発かが船外へ流れる。


残った一発をゼラスがレイスウィザードで弾き飛ばした。


爆発が飛空艇の脇で起きる。


『後部の魔力経路を狙ってる』


船内からミテイの声が飛ぶ。


『そこを壊されると速度が落ちる』


リズナがヴェルグを見る。


「最初から、この船を奪う気じゃないのね」


「ええ」


ヴェルグはあっさり認めた。


「あなた方とここで決着をつける必要はございませんので」


再び姿が消える。


短距離転移。


今度は船尾。


ヴェルグが杖を甲板へ向ける。


だが。


「遅い」


ゼラスが先にいた。


黒い刃が横薙ぎに走る。


ヴェルグが杖で受ける。


激しい魔力がぶつかった。


次の瞬間。


杖の表面に亀裂が走った。


ヴェルグの表情が僅かに変わる。


「以前よりも、随分と扱いが変わりましたね」


「長く使ってるからな」


「そこまで馴染ませるとは」


ヴェルグの視線がレイスウィザードへ落ちる。


「設計時の想定とは、もはや別物に近い」


ゼラスの目が細くなる。


「お前が知ってるのは、昔のこいつだろ」


力を込める。


ヴェルグの杖が弾かれた。


その隙をリズナは逃さない。


「はっ!」


風を纏った剣が走る。


ヴェルグが身を引く。


間に合わない。


肩から血が飛んだ。


「……なるほど」


ヴェルグは傷へ一度だけ目を向けた。


それでも、笑みは消えない。


「こちらも、以前とは違うようですね」


「よそ見してる場合?」


リズナが追う。


一撃。


二撃。


ヴェルグは後退しながら杖で受ける。


そこへゼラスが回り込んだ。


逃げ道がなくなる。


「終わりだ」


レイスウィザードが振り下ろされる。


ヴェルグが短距離転移を使った。


姿が消える。


だが。


現れた場所へ、ゼラスはすでに刃を向けていた。


ヴェルグの目が見開かれる。


「読んで――」


刃が外套を裂く。


胸元から血が散った。


ヴェルグが大きく後退する。


「何度も見れば分かる」


ゼラスが剣を構える。


「短距離転移なら無敵ってわけじゃない」


ヴェルグは胸元へ手を当てた。


その指に血が付く。


僅かな沈黙。


そして。


「ええ。そのようですね」


杖の先が甲板へ触れた。


灰色の術式が一瞬だけ広がる。


『ゼラス!』


ミテイが叫んだ。


『下!』


ゼラスが踏み込む。


だが、ヴェルグの魔力が先に甲板へ流れ込んだ。


船体が大きく揺れる。


「きゃっ!」


リズナが手すりを掴む。


飛空艇の後部から火花が散った。


魔力炉の音が乱れる。


『右側の推進系統、出力低下!』


「こいつ……!」


ゼラスがレイスウィザードを振るう。


ヴェルグは後方へ跳んだ。


甲板の外。


「ヴェルグ!」


その身体が空中で消える。


次の瞬間。


数十メートル先。


損傷した自分の飛空艇の甲板へ戻っていた。


ヴェルグがこちらを見る。


「では、先に行かせていただきます」


黒い飛空艇が再び加速する。


「逃がすか!」


ゼラスはレイスウィザードを収納魔法へ戻し、操縦席へ駆け戻った。


リズナも続く。


「船、大丈夫なの!?」


『飛べる。でも右側の出力が落ちてる』


ミテイが操縦盤を確認している。


『今までみたいな速度は出ない』


ゼラスが席へ座った。


すぐに複数の操作を行う。


傾いていた船体が立て直された。


「まだ追える」


「でも向こうも飛んでるわよ」


「あいつの方が壊れてる」


ゼラスは前方を見る。


ヴェルグの飛空艇は黒煙を引いていた。


距離は開いている。


だが、完全には離れていかない。


『直線なら、少しずつ縮まる』


「十分だ」


ゼラスが操縦桿を引いた。


飛空艇が高度を上げる。


「上がるの?」


「ああ」


さらに上昇。


海面が遠ざかっていく。


リズナが窓の外を見る。


「どこまで上がる気?」


「この辺でいい」


ゼラスが操縦桿を倒した。


船首が下を向く。


「……え?」


飛空艇が降下を始める。


重力に引かれるように速度が増していく。


「ちょっ――!」


「掴まってろ」


「それ先に言って!」


一気に加速。


高度を速度へ変え、飛空艇がヴェルグとの差を詰めていく。


『速い』


「壊れないでしょうね!?」


「まだ余裕がある」


「その言葉、全然安心できない!」


前方の黒い飛空艇が近づいてくる。


百メートル。


八十。


六十。


ヴェルグもこちらに気づいた。


再び速度を上げようとする。


だが。


損傷した機体が大きく揺れた。


『向こう、もう長く持たない』


ミテイが言った。


その時。


リズナが窓の向こうを見つめた。


「……待って」


遠い水平線。


海と空の境目に。


細い影が見える。


リズナは立ち上がった。


「陸……?」


ゼラスも前を見る。


『確認する』


ミテイが魔力を広げる。


少しして。


『陸地』


リズナの目が大きくなる。


「アスタリア……」


海しかなかった景色の先に、大陸が見える。


山。


森。


そして。


僅かに感じる風の魔力。


忘れるはずがない。


アスタリアの風だった。


リズナは暫く言葉を失っていた。


ほんの少し前まで。


帰る方法すら分からなかった場所。


そこへ今、自分たちの力で近づいている。


「……本当に来た」


ゼラスが僅かに振り返る。


「帰ってきたな」


「まだ着いてないわよ」


そう返しながらも、リズナの口元には小さな笑みが浮かんでいた。


だが。


『ヴェルグ、降りる』


ミテイの声で表情を切り替える。


前方。


黒い飛空艇が急激に高度を落としていた。


海岸線へ向かっている。


「着陸する気?」


『違う』


ミテイが首を振る。


『あの速度じゃ無理』


ヴェルグの飛空艇が岸を越える。


低い崖。


その先に広がる森。


機体から黒煙が激しく上がった。


そして。


ヴェルグの姿が甲板から消える。


短距離転移。


次の瞬間。


森の上空へ姿を現した。


そのまま樹冠へ落ちていく。


直後。


無人になった飛空艇が森へ突っ込んだ。


轟音。


木々が折れ。


黒い煙が上がる。


「捨てた!」


「俺たちも降りる」


ゼラスが飛空艇を旋回させた。


「この状態で!?」


「だから俺が操縦してる」


速度を落とす。


高度を下げる。


損傷しているとは思えないほど滑らかに機体を操り、森の近くに開けた場所を見つける。


飛空艇が地面へ近づく。


僅かな衝撃。


そして停止した。


「……着いた」


リズナが呟く。


乗船口が開く。


外から風が流れ込んできた。


リズナはその風を受けて、一瞬だけ目を閉じる。


間違いない。


アスタリアだ。


ゼラスが隣へ立つ。


「今度こそ帰ってきたな」


リズナは目を開いた。


少しだけ笑う。


「ええ」


森の奥から、魔力が揺れた。


表情を切り替える。


腰の剣へ手をかける。


「でも、ゆっくりしてる暇はなさそうね」


『ヴェルグ、移動してる』


ミテイが森を見る。


ゼラスが収納魔法から鋼剣を取り出した。


「行くぞ」


三人が走り出す。


海を越え。


リズナは再びアスタリアの地へ戻った。


その先を走るヴェルグを追って。

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