第百六十八話 西の空へ
完成版レイスウィザードと思われる魔剣が、アスタリア西岸の洞穴で発見された翌朝。
ゼラスたちは魔皇の執務室へ呼び出されていた。
「先ほど、アスタリアから追加の記録が届いた」
魔皇が記録板を机へ置く。
「リュミエラとミテイの見立てでは、あの剣は完成版でほぼ間違いないそうだ」
『はい、陛下。刀身の形状、魔石、残っている魔力構造まで記録と一致しています』
「セレイナたちは?」
リズナが尋ねる。
「現地側の判断で回収を始めるそうだ。洞穴から出した後は、人目につかない場所へ移すと連絡があった」
それを聞いて、リズナは僅かに安心した。
だが。
魔皇は別の記録板を取り出した。
「問題はこちらだ」
机の上に、西方地域の地図が広げられる。
「今朝、ガリオール西岸から一隻の小型飛空艇が出た。軍にも民間にも登録されていない」
ゼラスの目が細くなる。
「進路は?」
「真西だ」
リズナの表情が変わった。
海の向こう。
アスタリアがあると推測されている方向だった。
「まさか……」
「出航地点に魔力が残っていた」
魔皇が記録板をミテイへ渡す。
『確認します、陛下』
灰色の魔力が記録板を包む。
数秒後。
『ヴェルグです、陛下』
「やっぱり動いたのね」
リズナが地図を見る。
ゼラスは腕を組んだ。
「転移じゃなく飛空艇か」
『うん。今まで残してた術式は、アスタリアの位置を絞るためだったんだと思う』
谷に残されていた痕跡。
ガリオール側に刻まれていた対になる術式。
ヴェルグは自由に大陸間転移できるわけではない。
だから海の向こうにある大陸の位置を測っていた。
位置さえ分かれば。
あとは、そこへ向かえばいい。
ゼラスが顔を上げる。
「陛下。追わせてください」
「あたしも行きます」
リズナも続く。
魔皇はミテイを見る。
「追跡できるか?」
『ヴェルグの飛空艇が魔力を使い続けるなら、距離が縮まれば拾えます、陛下』
「分かった」
魔皇が頷く。
「長距離航行用の飛空艇を一隻使え」
「ありがとうございます、陛下」
「それとゼラス」
「はい」
「リュミエラは置いていけ」
「もちろんです」
返事が早かった。
リズナも頷く。
「あたしも、その方がいいと思います」
『私もです、陛下』
魔皇は小さく息を吐いた。
「本人にも伝えた。非常に不満そうだったがな」
「でしょうね」
「笑うな。無事に戻れ」
ゼラスは表情を改める。
「はい、陛下」
長距離航行用の飛空艇は、魔皇城の発着場ですでに準備を終えていた。
これまで使っていたものより一回り大きい。
リズナが船体を見上げる。
「操縦する人は?」
ゼラスが無言で乗船口へ向かった。
「ゼラス?」
後を追って船内へ入る。
そして。
ゼラスは、そのまま操縦席へ腰を下ろした。
リズナが足を止める。
「……何してるの?」
「出発準備」
「そこ操縦席よ?」
「知ってる」
「まさかゼラスが操縦するの?」
「ああ」
「できるの?」
ゼラスが振り返る。
一瞬だけ、妙な間があった。
そして収納魔法へ手を入れる。
シュピッ
薄い黒銀色の証票が飛んできた。
「わっ!」
リズナが反射的に受け取る。
翼を広げた飛空艇の紋章。
その下に刻まれているのは――
天翼級飛空艇操縦証。
「……天翼級?」
「最上位よ」
後ろからリュミエラの声がした。
見送りに来ていた彼女が、乗船口の外に立っている。
リズナが振り返る。
「最上位なんですか?」
「ええ。大型艇、軍用艇、長距離航行艇。ほとんど全部扱える資格ね」
リズナは証票を見る。
ゼラスを見る。
もう一度、証票を見る。
「ゼラスが?」
「何で二回確認するんだ」
「だって知らなかったもの!」
リュミエラが笑う。
「操縦なら心配しなくていいわ、リズナちゃん」
「そんなに上手いんですか?」
「専門の操縦士より上よ」
「そこまで?」
「昔からそうだったわ。難しい機体ほど、ゼラスに任せた方が速くて正確だったもの」
リズナは操縦席を見つめた。
「……本当に何でもできるわね」
ゼラスが片手を差し出す。
「返せ」
「はいはい」
証票を渡すと、そのまま収納魔法へ消える。
ミテイが操縦盤を覗き込んだ。
『全部一人で?』
「ああ」
『じゃあ任せる』
「お前は素直だな」
「資格証を投げつけられてないからでしょ」
準備が整う。
リズナは乗船口からリュミエラを見る。
「行ってきます」
「ええ。気をつけてね、リズナちゃん」
「リュミエラさんもちゃんと休んでくださいね」
「分かってるわ」
操縦席からゼラスの声が飛ぶ。
「本当に大人しくしてろよ」
「あなたはそっちに集中しなさい」
「まだ飛んでないぞ」
「これから飛ぶんでしょう?」
乗船口が閉じる。
リュミエラを地上へ残し、ゼラスが操縦盤へ向き直った。
複数の術式が次々と点灯する。
魔力炉が低く唸った。
船体が浮く。
驚くほど揺れない。
「……滑らか」
リズナが呟く。
「まだこれからだ」
「え?」
ゼラスが操縦桿を倒した。
飛空艇が西へ船首を向ける。
直後。
一気に加速した。
「速っ!」
景色が後方へ流れていく。
それでも船体は安定していた。
『上手い』
ミテイが言う。
「だろ?」
「そこで得意そうにしないでよ」
「事実だ」
飛空艇は王都を離れ、西の海へ向かった。
数時間後。
陸地は完全に見えなくなっていた。
どこを見ても海。
ゼラスは一定の速度を維持したまま飛空艇を走らせる。
ミテイは隣で魔力反応を探っていた。
『少し南』
「了解」
僅かに操縦桿が動く。
ほとんど速度を落とさず、飛空艇が滑らかに進路を変えた。
リズナは後ろからそれを見ていた。
「リュミエラさんの言ってたこと、分かってきたわ」
「何が?」
「操縦」
「まだ普通に飛んでるだけだぞ」
「これが普通なら、他の操縦士が可哀想ね」
その時。
ミテイが顔を上げた。
『前方に反応』
ゼラスの表情が変わる。
「ヴェルグか?」
『確認する』
数秒。
『同じ魔力』
「距離は?」
『縮まってる』
ゼラスが魔力炉の出力を上げる。
飛空艇がさらに加速した。
やがて。
水平線の上に、小さな黒い影が見え始める。
リズナが前へ身を乗り出した。
「いた……!」
小型飛空艇。
西へ向かっている。
間違いなく、ヴェルグの船だった。
『向こうも気づいた』
前方の飛空艇が加速する。
ゼラスが口元を僅かに上げた。
「遅い」
こちらも加速。
距離が少しずつ縮まっていく。
百メートル。
さらに近づく。
突然。
ヴェルグの飛空艇が大きく右へ旋回した。
「曲がった!」
リズナが身構える。
だが。
ゼラスはすぐには追わない。
一度だけ左へ機体を振った。
「ちょっと、逆!」
次の瞬間。
飛空艇が鋭く切り返した。
ヴェルグの船が旋回を終える、その内側へ滑り込む。
一気に距離が詰まった。
リズナが目を見開く。
「今、何したの!?」
「向こうが曲がり終わる場所へ先に入った」
「簡単そうに言わないで!」
『前方、魔力上昇』
ミテイの声が鋭くなる。
ヴェルグの飛空艇の船尾付近が光った。
次の瞬間。
魔法弾が放たれる。
一直線にこちらへ飛んできた。
「撃ってきた!」
「見えてる」
ゼラスの右手が操縦盤の端へ滑る。
今まで消えていた術式が一つ点灯した。
リズナが気づく。
「それ何?」
「船首魔導砲」
「そんなの付いてるの!?」
「長距離用だぞ。自衛装備くらいある」
照準術式が前方へ重なる。
迫る魔法弾。
ゼラスは回避しない。
「そこだ」
操縦盤を叩く。
船首から白い魔法弾が放たれた。
二つの魔力が空中で衝突する。
轟音。
爆発した光が左右へ散った。
その中央を。
ゼラスは減速せず突っ切った。
「うそでしょ!?」
リズナが座席を掴む。
『問題ない。もう爆発してる』
「ミテイまで平然としないで!」
再びヴェルグの船が動く。
今度は急降下。
海面へ向かって一気に高度を落とした。
ゼラスも追う。
「待って待って待って!」
青い海が急激に近づく。
ヴェルグの飛空艇が海面すれすれで機首を起こした。
波を巻き上げながら水平飛行へ戻る。
ゼラスはさらに低い位置まで降りた。
「ゼラス!」
「分かってる」
海面まで数メートル。
飛空艇の影が水面を走る。
そして船首を上げた。
ヴェルグの船の真後ろへつく。
『射線通った』
「撃つ」
船首魔導砲が光る。
一発。
ヴェルグの船が横へ滑る。
外れた魔法弾が海へ落ち、水柱を上げた。
二発目。
今度は船尾を掠める。
黒い破片が宙へ飛んだ。
「当たった!」
『右側の出力が落ちた』
ヴェルグの飛空艇が大きく傾く。
だが、墜ちない。
そのまま左へ旋回。
ゼラスも追う。
右。
左。
急上昇。
再び降下。
二隻の飛空艇が海上を縫うように飛び続ける。
ヴェルグが射撃。
ゼラスが回避。
避けきれないものだけ魔導砲で迎撃する。
リズナは座席へ身体を固定したまま叫ぶ。
「これ、本当に飛空艇の動きなの!?」
「壊してないから問題ない」
「そういう話じゃない!」
『また撃つ』
「見えてる」
ゼラスが船体を横へ滑らせる。
魔法弾がすぐ脇を抜けた。
そのまま相手の旋回内側へ入り込む。
再び魔導砲。
今度は直撃した。
ヴェルグの飛空艇の後部が弾ける。
黒煙が上がった。
『推進力、大きく低下』
「終わりだな」
ゼラスが速度を落としながら横へ並ぶ。
数十メートル先。
損傷した飛空艇の甲板に、一人の男が立っていた。
短い金髪。
青白い肌。
長い外套。
ヴェルグ。
強風の中。
彼はゆっくりとこちらを見た。
「追跡だけでなく、操船までこれほどとは。相変わらず器用なお方ですね」
ゼラスの表情が消える。
「船を降りろ、ヴェルグ」
「それは困ります」
ヴェルグが微笑む。
「まだ目的地へ着いておりませんので」
「その船じゃもう逃げられないわよ!」
リズナが声を上げる。
ヴェルグの視線がこちらへ移った。
「ええ。そのようですね」
妙に素直な返事だった。
リズナが眉を寄せる。
「……何?」
『ゼラス』
ミテイが声を上げる。
『空間魔力』
ゼラスの目が鋭くなる。
「全員、伏せろ!」
ヴェルグの姿が消えた。
短距離転移。
ほんの数十メートル。
次の瞬間。
こちらの飛空艇の後部甲板に魔力が弾けた。
リズナが振り返る。
そこに。
ヴェルグが立っていた。
外套が風に大きくなびく。
彼は損傷した自分の飛空艇を一度だけ見た後、静かにこちらへ向き直った。
「これ以上あちらを壊されては、アスタリアまで持ちそうにありませんので」
ゼラスが操縦桿を固定する。
そして立ち上がった。
収納魔法が開く。
黒く湾曲した魔剣。
試作版レイスウィザードが、その手に現れた。
リズナも腰の剣を抜く。
ヴェルグが薄く笑った。
「では、こちらを頂くことにいたしましょう」
海の上を走る飛空艇。
追跡戦は終わった。
今度は、その船そのものが戦場になった。




