第百五十八話 剣が渡った時
リュミエラは、岩壁に残された斬痕と完成版レイスウィザードの記録を見比べていた。
「問題は、ここからね」
リズナが首を傾げる。
「何ですか?」
「この傷が本当に完成版によるものなら、あの剣は一度アスタリアへ渡っていることになる」
リズナの表情が変わった。
「……でも、どうやって?」
ゼラスが腕を組む。
「そこだな」
『今のヴェルグが自由に大陸を渡れるとは考えにくい』
ミテイも記録板を見つめる。
『それができるなら、祖先帰還路を調べる必要がない』
「じゃあ、千年前は今と何かが違ったのかしら」
「それは分からないわ」
リュミエラは首を横へ振った。
「完成版が盗まれた後、行方は追えなかった。あの頃の私は、アスタリアという大陸が存在することさえ知らなかったもの」
「俺も知らなかった」
ゼラスも答える。
リズナは斬痕の記録へ目を落とした。
少し前まで、アスタリアとガリオールは互いの存在すらほとんど知られていなかった。
それなのに、千年前に盗まれた剣の痕跡がアスタリアに残っているかもしれない。
「転移のことが分かってきたと思ったら、また分からなくなってきたわね」
『でも、一つは切り分けられる』
ミテイが言った。
『この傷は最近のものじゃない。だから、ヴェルグが今も自由に二つの大陸を行き来している証拠にはならない』
「完成版が今もアスタリアにあるとも限らないってことね」
『うん』
リュミエラも頷く。
「重要な痕跡ではあるけれど、現在地まで示しているわけではないわ」
ゼラスは斬痕を見つめた。
「なら、まずはこの傷がいつ頃ついたものなのか、もう少し絞りたいな」
『できる範囲で調べる』
「頼む」
ミテイが記録板を閉じた。
その後。
四人は魔皇へ調査結果を報告した。
魔皇は岩壁の斬痕を暫く見つめる。
「完成版がアスタリアへ渡っていた可能性が出たか」
『はい、陛下。ただし、現在もアスタリアに存在するとは判断できません』
「それでよい。推測と事実を混同するな」
『はい、陛下』
リズナが口を開く。
「セレイナたちには、谷の周辺に同じような傷や術式が残っていないか、無理のない範囲で調べてもらおうと思っています」
「頼めるのであれば、そうしてもらうといい」
「はい、陛下」
魔皇は次にゼラスを見る。
「お前はどう見る?」
「ヴェルグは、あの谷を八十六年前の件だけのために使ったのではない気がします」
「理由は?」
「剣の傷の方が古い可能性があります」
ゼラスは記録板を指した。
「もし本当に完成版なら、ヴェルグはエルシアの件よりずっと前からアスタリアに関わっていたことになります」
魔皇の表情が僅かに険しくなる。
「千年前から、か」
「まだ可能性に過ぎません。ですが、調べる価値はあると思います」
「ああ」
魔皇は頷いた。
「アスタリア側にも情報を共有しておけ」
『承知しました、陛下』
執務室を出た後。
リズナは隣を歩くゼラスを見た。
「ねえ」
「何だ?」
「完成版、見つけたい?」
ゼラスは少し考える。
「そりゃ、見つけられるなら見つけたい」
「もっと欲しがるかと思った」
ゼラスは収納魔法に収めている魔剣を思うように、僅かに視線を落とした。
「今はこいつがあるからな」
その言葉に、リズナは少しだけ笑う。
試作版とはいえ、ゼラスにとっては長く使い続けてきた魔剣だ。
完成版が存在すると知ったからといって、途端に価値がなくなるわけではない。
ゼラスも少し笑った。
「まあ、完成版を目の前に出されたら話は別だ」
『絶対に触る』
後ろを歩いていたミテイが言う。
「触るなと言われても触る」
「即答するのね」
『やっぱり欲しいんじゃない?』
「興味があるだけだ」
「その二つ、かなり近いと思うけど」
リズナは小さく笑った。
だが、千年前の剣が残した傷は笑い話ではない。
完成版レイスウィザードが本当にアスタリアで振るわれていたのなら。
誰かが、二つの大陸を越える方法を知っていたことになる。
そして今。
ヴェルグは再び、その方法を探しているのかもしれなかった。




