表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
158/347

第百五十七話 岩壁に残る傷



翌朝。


魔皇城の解析室では、ミテイが昨日アスタリアから送られてきた記録を見直していた。


灰色の魔力が記録板の上を走り、谷の岩壁へ刻まれた術式を何度も分解していく。


その隣で、リズナは地図へ引かれた一本の線を眺めていた。


アスタリアの谷から西へ。


やがて海へ出て、その先へ伸びていく線。


正確な大陸の位置関係までは分かっていない。


それでも、ガリオールがあると考えられる方角と大きくは外れていなかった。


「まだ何か分かりそう?」


『今ある記録だけだと、昨日とほとんど同じ』


ミテイは記録板から顔を上げずに答えた。


『遠くの魔力反応を探す術式。何を探していたのかまでは分からない』


「やっぱり、もう少し詳しい記録が必要なのね」


『うん』


少し離れた場所では、ゼラスが窓際に立っていた。


いつもの少年の姿で、腕を組んでいる。


「向こうが危険を冒してまで調べる必要はない」


「分かってるわよ」


リズナが振り返る。


「セレイナにもそう言ってあるでしょう?」


「ああ」


そう答えながらも、ゼラスの目は地図から離れない。


ミテイがふと手を止めた。


『でも、一つ気になる』


「何?」


『岩壁の術式』


ミテイが昨日の記録を拡大する。


『新しすぎる』


リズナは眉を寄せた。


「岩を削った跡が?」


『うん』


ゼラスが窓際から離れる。


「それだと、昨日の話と噛み合わないな」


「どういうこと?」


「俺たちは、ヴェルグが自由に大陸を渡れるわけじゃないと考えた」


ゼラスが岩壁の記録を指す。


「なのに、こいつが最近アスタリアで直接刻まれたものなら、ヴェルグが最近向こうにいたことになる」


「あ……」


リズナも気づいた。


確かにおかしい。


短距離転移と、大陸を越える移動は別物。


ヴェルグが自由にアスタリアとガリオールを往来できないからこそ、祖先帰還路を必要としている。


昨日はそう考えたばかりだった。


『だから、近くから取った記録を待ってる』


ミテイが言う。


『本当に最近刻まれたのか、もう一度確認したい』


その時。


通信盤が淡く光った。


ミテイが顔を上げる。


『セレイナから』


「ちょうど来たわね」


『陛下にも報告する』


ミテイが魔皇へ連絡を入れる。


ほどなくして、魔皇が解析室へ姿を現した。


「新しい情報か」


『はい、陛下。アスタリア側から連絡が入っています』


「聞こう」


『承知しました、陛下』


ミテイが通信盤へ手を触れる。


像が揺れた後、中央風塔にいるセレイナの姿が映し出された。


『聞こえる?』


「ええ。聞こえてるわ」


リズナが一歩前へ出る。


「詳しく調べられたの?」


『ええ。現地の判断で、昨日より近い場所から記録を取ってもらったわ』


セレイナが続ける。


『術式そのものには触れてない。岩壁と、その周囲の魔力を詳しく調べただけよ』


「それなら十分」


『今送るわ』


通信盤から新しい記録が流れ込んでくる。


ミテイが受け取り、すぐに解析を始めた。


昨日より遥かに細かい。


岩の表面。


刻まれた溝。


風雨による摩耗。


その内部に僅かに残った魔力。


ミテイの灰色の魔力が、それらを一つずつ拾い上げていく。


やがて。


『……やっぱり違う』


「何が?」


『新しく刻まれたんじゃない』


リズナが目を瞬く。


「でも、削った跡は新しかったでしょう?」


『表面だけ』


ミテイが溝の一部を拡大する。


『こっちを見て』


リズナとゼラスが記録板を覗き込む。


術式の表面は鋭く削られている。


だが、その奥。


岩そのものには、長い年月を経た風化の跡が残っていた。


ゼラスが目を細める。


「……古いな」


『うん』


「じゃあ、どうして表面だけ新しく見えたの?」


『最近、術式に魔力が流れたから』


ミテイは一本の溝を指でなぞる。


『元からあった線に魔力が流れて、岩の表面が少し削れ直してる』


「つまり……」


リズナが岩壁を見る。


「魔法陣そのものは、ずっと前からあった?」


『そう考える方が自然』


魔皇が問う。


「どの程度前のものか分かるか?」


ミテイは少し時間をかけて岩の状態を確認する。


『正確な年代までは出せません。ただ、数年や十数年という古さではありません、陛下』


セレイナも頷く。


『現地でも同じ意見よ。最近作られたものじゃないって』


リズナは黙って記録を見つめた。


長い時間。


ヴェルグ。


そしてアスタリア。


その二つを繋ぐ数字が、一つ頭に浮かぶ。


「……八十六年前?」


ミテイはすぐには答えなかった。


記録板の上へ、これまで集めた情報を重ねていく。


『年代だけでは決められない』


「そうよね」


『でも、可能性はある』


ゼラスの目が鋭くなる。


「最近動いたのは確かなんだな?」


『うん』


ミテイは術式に残った新しい魔力だけを抜き出した。


『こっちは新しい』


「いつ頃?」


『少し待って』


灰色の線が細かく分かれていく。


魔力の残留量。


風による散逸。


岩へ染み込んだ深さ。


ミテイがそれらを一つずつ確認する。


やがて顔を上げた。


『リズナがアスタリアへ転移した頃と近い』


リズナは僅かに息を呑んだ。


「あたしが?」


『正確な日までは出せない。でも、大きくは離れてない』


「じゃあ……」


リズナは再び岩壁を見る。


「あたしがアスタリアへ飛ばされた時に、この術式も動いた?」


『可能性は高い』


魔皇が静かに口を開く。


「誰かが現地で起動したのではなく、別の何かへ反応して自動的に動いた可能性があるわけか」


『はい、陛下。今の記録からは、その方が自然です』


リズナは唇を結んだ。


八十六年前。


エルシアがアスタリアからガリオールへ送られた。


そして最近。


自分がガリオールからアスタリアへ飛ばされた。


もし、この術式がその両方に関わっていたのなら。


「ヴェルグは、かなり前からここに何か仕込んでたのね」


ゼラスが低く言う。


「そうなるな」


「でも、誰がアスタリア側に刻んだの?」


リズナが尋ねる。


「ヴェルグ本人が昔こっちへ来たってこと?」


『分からない』


ミテイが首を横へ振る。


『術式の組み方はヴェルグのものに近い。でも、誰が実際に岩を削ったかまでは分からない』


「そうね」


リズナもそれ以上は追わなかった。


分からないことを、無理に答えへ変える必要はない。


その時、セレイナが通信盤の向こうから口を開いた。


『それと、もう一つあるの』


ゼラスが顔を上げる。


「何だ?」


『術式から少し離れた岩壁に、妙な傷が残ってる』


新しい記録が送られてくる。


巨大な灰色の岩壁。


その中央に、一本だけ深い傷が走っていた。


上から下へ。


僅かに弧を描きながら、岩そのものを深く斬り裂いている。


リズナが目を細めた。


「これ……剣?」


『現地でも、そう見えるって』


セレイナが答える。


『他には同じような傷はないわ。これ一本だけ』


ゼラスが記録へ近づく。


「古さは?」


『術式と同じくらいか、それより古い可能性もあるって』


ミテイが傷の記録を受け取る。


灰色の魔力が斬痕の内側へ入り込んでいく。


暫くして。


その手が止まった。


『……魔力が残ってる』


リズナが驚く。


「そんな昔の傷に?」


『ほとんど消えてる。でも、岩の奥に少しだけ残ってる』


ミテイが慎重にその残滓を拾い上げる。


細い灰色の線の中へ、別の魔力構造が浮かび上がった。


ゼラスの表情が変わる。


「……これは」


リズナにも見覚えがあった。


完全に同じではない。


だが。


以前、魔剣レイスウィザードの構造を見た時に確認した魔力の流れに似ている。


「レイスウィザード?」


『似てる』


ミテイが答える。


そして、さらに残った魔力を追う。


『でも、ゼラスが持ってる剣とは少し違う』


ゼラスが眉を寄せる。


「どこが?」


『魔力の散り方が少ない』


リズナの胸が僅かに騒ぐ。


「……完成版?」


『まだ分からない』


ミテイはすぐに答えた。


『残ってる魔力が少なすぎる。リュミエラの研究記録と比べたい』


魔皇が頷く。


「ならば確認せよ」


『はい、陛下』


ゼラスが記録板を受け取ろうとする。


「俺が持っていく」


リズナも立ち上がった。


「あたしも行くわ」


『私も行く』


魔皇が三人を見る。


「分かり次第、報告してくれ」


「はい、陛下」


『承知しました、陛下』




リュミエラの部屋へ戻ると、本人は寝台へ横になっていた。


リズナたちが入ってくると、すぐに身体を起こす。


「何か分かったの?」


「少しな」


ゼラスが記録板を差し出す。


「これを見てほしい」


リュミエラは受け取り、表示された岩壁の傷を見る。


表情がすぐに変わった。


「……もう少し拡大できる?」


『できる』


ミテイが傷の内部へ残った魔力を大きく表示する。


リュミエラは黙って見つめた。


長い沈黙。


ゼラスも急かさない。


やがてリュミエラが口を開いた。


「昔の研究記録を取って」


ゼラスが机の方を見る。


「どれだ?」


「下の右側。黒い箱の中よ」


ゼラスが指定された箱を取り出す。


中には、古い記録板が何枚も収められていた。


「これか?」


「ええ」


リュミエラはその中から二枚を選ぶ。


一枚は試作版。


もう一枚は完成版。


二振りのレイスウィザードに組み込まれた魔力経路が表示された。


そこへ、岩壁に残った魔力を重ねる。


リズナも横から覗き込む。


「違うんですか?」


「ええ」


リュミエラが試作版の記録を指す。


「ゼラスが持っている試作版は、高出力で使うと刀身から僅かに魔力が逃げるの」


「逃げる?」


「刃へ集めきれなかった魔力が、斬った対象の周囲へ散る。だから、強く振るえば斬痕の周囲にも余計な損傷が出やすいわ」


ゼラスが岩壁の傷を見る。


「これは違うな」


「ええ」


一本の深い斬痕。


そのすぐ脇には、ほとんど破砕の跡がない。


リュミエラは完成版の記録を指した。


「完成版では、その損失をかなり減らした。魔力をより刃へ集中させるように改良したの」


ミテイが二つを比較する。


『岩に残った魔力は、完成版の方が近い』


「そうね」


リュミエラは暫く記録を見つめる。


「もちろん、これだけで断定はできないわ。残っている魔力も僅かだし、傷そのものも古すぎる」


リズナが頷く。


「でも、もしレイスウィザードでつけられた傷なら?」


リュミエラは岩壁の記録へ視線を戻す。


「ゼラスが持っている試作版ではない」


部屋の空気が僅かに変わった。


ゼラスが静かに問う。


「完成版か」


「その可能性が高いわ」


リズナはもう一度、岩壁の傷を見る。


ヴェルグ。


八十六年前。


アスタリアからガリオールへ送られたエルシア。


長い間、谷の岩壁に残されていた術式。


そして。


その近くに刻まれていた、一本の古い斬痕。


「じゃあ……」


リズナが呟く。


「完成版のレイスウィザードは、アスタリアにあったことがある?」


リュミエラはすぐには答えなかった。


慎重に、残された記録を見つめる。


そして。


「少なくとも」


静かに口を開いた。


「この傷が本当に完成版によるものなら、一度はアスタリアで振るわれたことになるわ」


ゼラスの目が細くなる。


千年前に盗まれた完成版。


その行方へ。


初めて、アスタリア側から具体的な痕跡が現れた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ