第十四話 収束する風
飛空艇が黒風の森へ近づくにつれ、窓の外を流れる景色は暗さを増していった。
地上を覆う黒い木々。
南西へ引き伸ばされる雲。
本来なら複雑に入り乱れるはずの風が、森の一点へ向かって集まり続けている。
リズナは目を閉じ、船外へ意識を伸ばした。
飛空艇を包む防護結界。
魔導推進器が生み出す強い風。
その外側にある、より広く大きな流れ。
大地の上を滑る風も、上空を流れる風も、同じ場所へ向かっていた。
「遺構の位置で間違いないか?」
ゼラスが尋ねる。
「うん、あの場所に集まってる。
でも、吸い込まれてるだけじゃないみたい」
「どういうこと?」
リュミエラが座席から身を起こす。
リズナは風晶石へ手を添えた。
「遺構へ近づいた風の一部が、別の流れに変わっています。
森から出ていく風じゃありません。
もっと細くなって、そのまま消えてるような……」
「外側へ流れている可能性は?」
「まだ分かりません。
近くまで行けば、もう少し詳しく調べられると思います」
リュミエラは操縦席へ視線を向けた。
「遺構から十分な距離を取って着陸して。
無理に接近する必要はないわ」
「承知しました」
操縦士が進路を僅かに修正する。
眼下に黒森監視砦が見えた。
しかし、飛空艇は砦へ向かわず、その西側を通過していく。
森の上空には監視用の小型艇が二隻浮かんでいた。
どちらも遺構へ近づかず、離れた位置から周辺を警戒している。
『第一席、こちらカレナです』
船内の通信装置から声が響く。
『着陸地点を確保しました。
遺構から東へおよそ一キロの距離です』
「周辺の状況は?」
『風の吸引が断続的に強まっています。
魔物の多くは異変を避けて移動していますが、方向感覚を失っている個体も確認されています』
「着陸地点の安全は?」
『確保済みです。
ただし、次の変動がいつ起きるかは予測できません』
「分かったわ。
到着後、すぐに封魔杭の設置を始める」
飛空艇が高度を下げる。
木々の隙間に、兵士たちが切り開いた着陸地点が見えた。
地上にはカレナと十数名の兵士が待機している。
その傍らには、黒い布で包まれた長い荷物が四本並べられていた。
飛空艇が地面へ降りる。
扉が開いた瞬間、森の冷たい空気が船内へ流れ込んできた。
リズナは外へ出ると、すぐに周囲の風を確かめた。
以前この森を歩いた時とは、流れが全く違う。
どの方角から吹いた風も、途中で向きを変え、遺構へ引かれていく。
木々の葉が一斉に同じ方向を向き、枝の擦れる音が森の奥へ続いていた。
「第一席」
カレナがリュミエラへ敬礼する。
「現場の指揮をお預けします」
「ご苦労さま。
監視部隊は今の位置を維持させて」
「承知しました」
カレナはゼラスとリズナへも視線を向けた。
「お二人とも、ご無事で何よりです」
「ありがとうございます。
遺構には誰も近づいていないんですよね?」
リズナが尋ねる。
「はい。
最初の異常を確認してから、接近は禁じています」
「それで正解です。
今は森全体の風が、あそこへ集まっています」
カレナの表情が僅かに険しくなる。
「森全体ですか?」
「少なくとも、私が探れる範囲は全部です」
リュミエラが黒い布に包まれた荷物へ近づいた。
兵士たちが布を外す。
中から現れたのは、リズナの身長を超える四本の杭だった。
黒銀色の表面に、細かな術式が刻まれている。
先端は鋭く、上部には大きな紫色の魔石が埋め込まれていた。
「これが封魔杭?」
ゼラスが一本を見下ろす。
「ええ、四方へ打ち込み、内部の魔力を隔離するためのものよ」
リュミエラは遺構の方向を見る。
「ただし、設置位置を誤れば効果は落ちる。
今の魔力の流れに合わせて配置する必要があるわ」
「リズナに探らせるのか」
「ええ。」
リュミエラはリズナへ向き直った。
「お願いできる?」
「やってみます」
リズナは風晶石へ魔力を流した。
淡い光が結晶の中へ広がる。
周囲の風が緩やかに渦を巻き、赤い髪を持ち上げた。
意識を森の奥へ伸ばす。
流れを一つずつ拾う必要はない。
全体がどちらへ向かい、どこで曲がり、どこへ消えているのか。
大きな形として捉える。
幾つもの風が遺構へ集まっている。
だが、真っ直ぐ中心へ吸い込まれているわけではなかった。
風は遺構の周囲を一度巡り、渦を描いてから中央へ落ちていく。
同じ流れに、周囲の魔力も巻き込まれていた。
「四本だけじゃ足りないかもしれません」
リズナが目を閉じたまま言った。
「理由は?」
リュミエラの声が返ってくる。
「流れが円になっています。
四方から押さえるだけだと、杭の間を抜けて回り続けるかもしれません」
「中心を直接封じる必要がある?」
「今は近づかない方がいいです。
代わりに、渦が強く曲がっている場所へ置けば、流れを崩せると思います」
リズナは目を開き、地面へ指先を向けた。
風が枯れ葉を巻き上げ、四つの方向へ細い線を描く。
「北東、南東、南西、それから北西。
でも、遺構からの距離は同じじゃありません」
リュミエラは浮かび上がった風の線を見つめた。
「方角ではなく、魔力の節を押さえるのね」
「はい。
そこなら、風と魔力の両方が大きく曲がっています」
「設置位置を記録して」
リュミエラの指示を受け、兵士たちが魔導板へ位置を書き込んでいく。
カレナが部隊を四つに分けた。
「各班、封魔杭を一本ずつ運搬。
リズナ殿の示した位置まで移動する」
兵士たちが杭を担ぐ。
リュミエラはそのうち二班へ護衛を付け、自らも一本目の設置地点へ向かおうとした。
「俺は反対側へ行く」
ゼラスが言う。
「単独行動は避けて」
「杭を運ぶ奴らと一緒だ」
「必要があっても、レイスウィザードは抜かないでちょうだい」
「ああ。」
リュミエラは次にリズナを見る。
「リズナちゃんは私と来て。
設置する直前に、位置をもう一度確認してもらうわ」
「分かりました」
四つの班が、森の中へ散開した。
リズナたちは、遺構の北東側へ向かった。
進むほど風は強くなる。
足元の枯れ葉が遺構へ向かって流れ、木々の枝が絶え間なく揺れていた。
リズナが風を広げ、兵士たちの身体を支える。
「足元に気をつけてください。
次の風が来ます」
その直後、遺構の方向へ強い吸引が発生した。
兵士たちの軍装が大きくはためく。
担いでいた封魔杭が引かれ、二人の身体が僅かに傾いた。
リズナは風の壁を作り、流れを左右へ逃がす。
「今です、進んでください!」
兵士たちが杭を支え直し、前へ進んだ。
リュミエラは周囲へ紫色の術式を広げている。
風に混じる魔力だけを選び取り、流れの変化を観察していた。
「リズナちゃん、設置地点はまだ先?」
「もう少しです。
あの太い木の手前で、流れが二つに分かれています」
一行が木の傍へ到着する。
リズナは地面へ膝をつき、手のひらを当てた。
地中にも魔力が流れていた。
空を進む風と同じように、土の下を遺構へ向かっている。
「ここです。
でも、真っ直ぐ打ち込まないでください」
「角度が必要なの?」
「遺構の反対側へ少し傾けてください。
地中の流れを受け止めるように」
リュミエラが術式で角度を示す。
兵士たちは杭の先端を地面へ当てた。
上部の魔石へ魔力を流し込む。
黒銀色の杭が低い音を立て、地中へ沈み始めた。
半分ほど埋まったところで、周囲の風が激しく乱れた。
「流れが変わります!」
リズナの声と同時に、遺構から強い風が押し返してきた。
先ほどとは逆方向。
杭を設置させまいとするような突風だった。
リュミエラが前へ手を出す。
紫色の障壁が展開され、吹きつける風を受け止めた。
「そのまま続けて!」
兵士たちが杭へさらに魔力を送る。
杭が地面の奥へ沈み、上部の魔石だけを残して停止した。
紫色の光が地面へ広がる。
周囲を流れていた魔力が揺らぎ、遺構へ向かう風の一部が弱まった。
「設置完了!」
兵士が報告する。
ほぼ同時に、通信装置からカレナの声が届いた。
『南東地点、設置完了しました』
続いて、別の班からも報告が入る。
『北西地点、設置完了』
残るのは、ゼラスが向かった南西地点だけだった。
リュミエラが通信装置へ触れる。
「ゼラス、状況は?」
雑音が混じった後、ゼラスの声が返ってくる。
『位置には着いた。
だが、少し問題がある』
「何があったの?」
『杭を打つ場所に、何か埋まってる』
リズナとリュミエラは顔を見合わせた。
「遺構の一部?」
『分からない。
石でも金属でもない』
通信の向こうで、地面を削る音がした。
やがてゼラスが、僅かに声を低くする。
『白い骨みたいなものだ』
その瞬間、リズナが腰に下げた風晶石が強く震えた。
遺構へ集まっていた風が、一斉に南西へ向きを変える。
「ゼラス、そこから離れて!」
リズナが通信へ叫ぶ。
返事より先に、森の奥から白い光が立ち上った。
地面が大きく揺れ、木々の根元に幾つもの亀裂が走る。
そして、まだ設置されていない最後の封魔杭の下で、何かがゆっくりと目を覚ました。




