第百四十八話 南西の観測所
翌朝。
魔皇城の発着場には、南西方面へ向かう小型飛行船が用意されていた。
ゼラスとリズナが到着した時には、ミテイが調査道具を船内へ運び終えている。
リュミエラも乗船口の前に立っていた。
昨日より顔色は戻っている。
足取りにも、目立った異変はなかった。
それでもゼラスは、彼女の前で足を止めた。
「本当に行けるのか?」
「ええ。昨夜は早めに休んだから、もう大丈夫よ」
「目眩は?」
「今朝は一度もないわ」
ゼラスは黙ってリュミエラの顔を見つめる。
「そんなに見ても、体調は変わらないわよ」
「悪くなったら、すぐに言え」
「分かってるわ」
リズナも隣から声をかける。
「少しでも変だと思ったら、無理しないでくださいね」
「ええ。ありがとう、リズナちゃん」
リュミエラは穏やかに笑った。
ミテイが乗船口から顔を出す。
『出発できる』
「なら行くか」
ゼラスが先に乗り込む。
リズナはリュミエラの様子をもう一度確かめてから、その後に続いた。
飛行船は魔都を離れ、南西へ進んだ。
窓の外を流れていた黒い建物が次第に減り、やがて荒れた大地が広がる。
赤茶けた岩山。
深く裂けた谷。
その間を縫うように、細い地脈の光が伸びていた。
リズナは窓際の席から外を眺める。
「考えてみれば、あたしがガリオールへ来た時から、二つの大陸はもう繋がってたのよね」
向かいに座るゼラスが顔を上げる。
「そうだな」
「あの時は、何が起きたのかも分からなかった。罠にかかったと思ったら、知らない場所に飛ばされて、目の前には見たこともない風景が広がってた。アスタリアへ帰る方法なんて、見当もつかなかったわ」
リズナは遠くに連なる岩山へ視線を向けた。
「ガリオールでは、別の大陸があることさえ、ほとんど知られてなかったもの」
「俺も、お前がどこから来たのか分からなかった」
「ええ。それなのに今は、あたしがアスタリアへ帰って、ゼラスたちも一緒に渡って、またこうしてガリオールへ戻ってきた」
窓に映る自分の顔を見ながら、リズナは小さく笑う。
「生まれた場所と、今いたい場所が、もう二度と繋がらないわけじゃない。不思議な感じがするのよ」
ゼラスは少しだけ目を細めた。
「戻りたい時に、すぐ戻れるわけじゃないけどな」
「分かってるわ。それでも、道があると知ってるのと、何も分からないのとでは全然違うでしょう?」
『道は前からあった』
ミテイが古い地図から顔を上げる。
『リズナたちが知らなかっただけ』
「そうね。あたしたちが新しく作ったわけじゃないのよね」
リュミエラも窓の外へ目を向けた。
「千年前には、その道を知っていた者がいたのかもしれないわ」
「ヴェルグも?」
リズナが尋ねる。
「その可能性はあるわね。移住に関する正式な記録へ触れられる立場ではなかったけれど、あの男は自分に必要な情報を集めるのが得意だったから」
ゼラスが椅子の背へ身体を預ける。
「随分と便利な男だったんだな」
「ええ。優秀だったわ」
リュミエラは僅かに目を伏せた。
「だからこそ、長く信じてしまった」
船内が静かになる。
ミテイは地図へ視線を戻し、古い観測所の位置を指した。
『到着まで、あと少し』
飛行船は、岩山の上に築かれた古い観測所へ近づいた。
円形の建物は半ば崩れ、外壁には幾つもの亀裂が走っている。
かつて空へ向けられていた巨大な観測器具も、折れたまま地面へ横たわっていた。
飛行船が平らな岩場へ着陸する。
乗船口が開くと、乾いた風が船内へ吹き込んだ。
リズナは赤い髪を押さえながら外へ出る。
「風が強いわね」
『周囲の風が、観測所へ集まってる』
ミテイは建物の上部を見上げた。
「昔の観測術式が残っているの?」
『止まってる。でも、形は残ってる』
ゼラスは周囲へ視線を巡らせる。
人の気配はない。
だが、崩れた窓や外壁の亀裂の奥には、小さな魔力反応が幾つもあった。
「中に何かいるな」
「ヴェルグ?」
リズナが腰の剣へ手をかける。
「違う。獣だ」
その直後、観測所の上部から甲高い鳴き声が響いた。
崩れた壁の隙間から、灰色の翼を持つ魔獣が次々と飛び出してくる。
鳥に似た姿だが、口には鋭い牙が並び、長い尾の先には黒い棘が生えていた。
『十二』
ミテイが数える。
リュミエラが片手を上げる。
その指先へ冷気が集まり始めた。
「待て」
ゼラスが前へ出る。
「昨日、具合が悪くなったばかりだろ。ここは俺たちがやる」
「これくらいなら問題ないわよ」
「問題があると分かってからじゃ遅い」
リュミエラは一瞬だけゼラスを見つめた。
やがて、集めていた冷気を収める。
「分かったわ。任せる」
「今日は素直ですね」
リズナが言う。
「昨日、休むって約束したでしょう?」
魔獣の一体が急降下する。
リズナは剣を抜き、迫った爪を受け流した。
「なら、あたしたちで片づけましょう」
刃へ風が纏う。
リズナが剣を振り抜くと、細い風の刃が魔獣の翼を切り裂いた。
体勢を崩した魔獣が地面へ落ちる。
別の二体が、左右からリズナへ迫った。
ゼラスも収納魔法から、市販の鋼剣を取り出す。
片手で振り上げ、一体目の翼を斬り裂いた。
返す刃で、もう一体の牙を受け止める。
鋼の刃と牙がぶつかり、甲高い音が響いた。
「これで足りるな」
ゼラスが剣を押し返す。
魔獣の身体が宙へ浮いた。
そこへリズナの風が直撃し、崩れた外壁へ叩きつける。
「今の、あたしがいなくても倒せたでしょう?」
「ああ」
「なら譲りなさいよ」
「次からそうする」
「絶対しない顔ね」
残った魔獣が、上空から一斉に棘を放つ。
ミテイが片手を上げた。
『止まって』
灰色の壁が空中へ広がる。
黒い棘が次々と突き刺さったが、一つも貫通しない。
『リズナ、上』
「分かった!」
リズナは地面を蹴った。
足元に集まった風が、身体を高く押し上げる。
上空で剣を横へ振る。
広がった風の刃が、魔獣たちの翼をまとめて切り裂いた。
次々と地面へ落ちた魔獣を、ゼラスが剣の腹で打ち伏せる。
最後の一体が逃げようとした。
ミテイの灰色の魔力が翼へ絡みつき、その動きを止める。
ゼラスは足元から小石を拾った。
軽く投げる。
小石は魔獣の頭へ正確に当たり、そのまま地面へ落ちた。
リズナが着地しながらゼラスを見る。
「最後まで剣を使いなさいよ」
「石で足りた」
「そういう問題じゃないでしょう?」
リュミエラが小さく笑った。
「相変わらずね」
「無駄がないと言ってくれ」
「雑なのよ」
ゼラスは鋼剣を収納魔法へ戻した。
リズナも剣を鞘へ収める。
戦いが終わると、周囲へ静けさが戻った。
観測所の正面扉は、片側が崩れて開かなくなっていた。
ゼラスが手をかける。
「待って」
リズナが止めるより早く、重い扉が外側へ引き倒された。
石と金属が擦れる音が響き、積もっていた埃が舞い上がる。
リズナが風を起こし、埃を建物の外へ押し流した。
「少しくらい調べてから開けなさいよ」
「開かなかったからな」
『扉の術式は死んでた。問題ない』
ミテイが崩れた扉を確認する。
「ほら」
「ミテイが言うならいいけど」
観測所の内部は薄暗く、床には砂と瓦礫が積もっていた。
円形の壁に沿って、幾つもの観測器具が並んでいる。
どれも魔力を失い、動く気配はない。
リュミエラが古い器具の一つへ触れた。
「ここへ来るのは久しぶりだわ」
「以前にも来たことがあるんですか?」
リズナが尋ねる。
「千年近く前に一度だけ。私の装具に使う素材を調べるためにね」
「ヴェルグも一緒だったのか?」
ゼラスの問いに、リュミエラは記憶を辿るように周囲を見回した。
「いいえ。あの時は別の研究者と来たわ。ヴェルグがここを利用していたことは知らなかった」
ミテイが床へ手を触れる。
灰色の魔力が建物全体へ広がっていく。
『地下がある』
「地下?」
リュミエラが眉を寄せる。
「当時の図面には載っていなかったわ」
『後から作ったか、最初から隠してあった』
ミテイは部屋の中央へ歩いた。
そこには、壊れた円形の観測台が残されている。
灰色の魔力が床を覆うと、観測台の下に細い隙間が浮かび上がった。
「隠し扉ね」
リズナが言う。
ゼラスが観測台へ手をかける。
「だから待って」
リュミエラがその手を止めた。
観測台の側面へ指を伸ばし、積もった埃を払う。
その下から、古い認証術式が現れた。
「千年前の皇国式よ。無理に動かすと、地下へ続く階段ごと封鎖される」
ゼラスが手を離す。
「先に言ってくれて助かった」
「触る前に調べれば、言われなくても分かるのよ」
リズナが呆れたように言う。
「今回は触っただけだ」
『少し動いてた』
「開いてないなら問題ない」
リュミエラは認証術式へ魔力を流した。
淡い青色の線が観測台を一周する。
内部で、重い石が動く音が響いた。
円形の台がゆっくりと横へずれ、地下へ続く階段が現れる。
暗闇の奥から、冷たい空気が吹き上がった。
その風に混じる魔力を感じた瞬間、リズナは目を細める。
「この感じ……」
『アスタリアに近い』
ミテイが階段の奥を見下ろした。
千年前に閉ざされた観測所の地下には、別の大陸へ繋がった痕跡が残されていた。




