第百四十七話 研究の終わり
記録板に映し出された黒い魔剣は、ゼラスが使う試作品レイスウィザードによく似ていた。
緩やかに反った黒い刀身。
刃側は滑らかに伸びているが、峰側は波打つように大きくえぐれ、禍々しい輪郭を形作っている。
刀身の中央付近には赤い宝玉が埋め込まれ、その周囲から幾つもの術式が広がっていた。
一見すれば同じ魔剣に見える。
だが、細部には明確な違いがあった。
完成品は試作品よりも輪郭が洗練されている。
峰側のうねりは鋭く整えられ、刀身内部を走る魔力経路も、表面からはほとんど見えない。
試作品にある荒々しさが、完成品では静かな完成度へ変わっていた。
ゼラスは記録板を覗き込む。
「これが完成品か」
「ええ」
リュミエラが別の研究記録を開いた。
「試作品で見つかった問題を修正してあるわ。魔力の損失も少ないし、高出力を流しても内部へ負荷が残りにくい」
ゼラスの手が、腰に刻まれた収納術式へ触れる。
「俺が使っている方には、負荷が残るのか?」
「普通に扱う分には問題ないわよ」
リュミエラの視線も、試作品が収められている術式へ向いた。
「でも、ゼラスの使い方は普通じゃないでしょう?」
「今まで壊れたことはない」
「試作品の時点で、並の魔剣より遥かに頑丈だからよ。それでも、強い魔力を流し続ければ、内部には少しずつ負担が残るわ」
リズナはゼラスの腰へ目を向けた。
グランラビリスで手に入れてから、ゼラスは幾度もレイスウィザードを使ってきた。
炎を纏わせ、膨大な魔力を流し込み、巨大な敵を斬り裂いている。
「今すぐ壊れるような状態ではないんですよね?」
リズナが尋ねる。
「ええ。少なくとも、今の状態なら問題ないわ」
「今の状態なら、か」
ゼラスが呟く。
「少しは加減を覚えなさい」
「倒せなければ意味がないだろ」
「相手と一緒に剣まで壊さないでよ」
「善処する」
リュミエラは僅かに目を細めた。
「ゼラスがそう言う時は、だいたいしないのよね」
『しないと思う』
ミテイが淡々と加える。
「信用がないな」
「今までの行いの結果よ」
ゼラスは肩をすくめ、再び完成品の記録へ視線を戻した。
ミテイが二本のレイスウィザードの内部構造を並べる。
『試作品は、魔力を通す経路が少ない』
柄から刀身へ伸びる太い魔力経路。
試作品では、それが刀身の中央を通り、赤い宝玉を経由して刃全体へ広がっている。
完成品では、宝玉から伸びた経路が細かく分かれ、刀身の内側全体へ網のように張り巡らされていた。
『完成品は、流れを分散させてる。一か所へ負荷が集中しにくい』
「だから強い魔力にも耐えられるのね」
リズナが言う。
『うん。魔力を流す時の損失も少ない』
「それだけの物を作ったのに、どうして剣の研究を終えたんですか?」
リズナがリュミエラへ尋ねる。
「本当に作りたかったのは、剣ではなかったからよ」
リュミエラは左腕の袖を捲った。
白い肌の上に、細い銀色の腕輪が嵌められている。
目立った装飾はない。
だが、リュミエラが僅かに魔力を流すと、腕輪から淡い青色の線が伸び、衣服の内側へ広がった。
「私が必要としていたのは、自分の魔力を安定させる装具だったの」
彼女の指先へ冷気が集まる。
次の瞬間、それは薄い障壁へ変わり、さらに身体を覆う魔力へと姿を変えた。
「攻撃、障壁、身体強化。その時に必要な場所へ、魔力を素早く振り分けるための装具よ」
ゼラスが腕輪を見る。
「その技術を確かめるために、剣を作ったのか」
「ええ。剣なら魔力の流れが単純で、どこに負荷がかかっているか調べやすかったから」
最初に作られたのが試作品レイスウィザード。
試作品から得られた結果を基に、魔力の伝導と分散を改善したものが完成品。
二振りの研究から集めた経験と記録を使い、リュミエラは自分のための制御装具を完成させた。
「装具が完成した時点で、私にとってレイスウィザードの研究は終わったの」
リュミエラは袖を戻す。
「でも、完成品は武器としても強力だった。使わないからといって、処分できるような物ではなかったわ」
「それで研究区画に保管していた」
ゼラスが言う。
「ええ。そして、盗まれた」
リュミエラが盗難記録を開く。
完成品が保管されていた区画。
侵入によって壊された場所はない。
扉の封印にも異常はなく、正規の手順で保管庫が開かれていた。
ゼラスが記録へ目を細める。
「権限を持つ者が開けたのか」
「当時、保管庫を開けられたのは私と、開発に関わった三人だけだったわ」
「ヴェルグもその一人だったんですよね?」
リズナが尋ねる。
「ええ。でも、その時にはもう死んだと判断されていた」
リュミエラは当時の行動記録を表示した。
盗難が起きた夜。
リュミエラは魔皇と共に別の都市へ出向いていた。
一人目の研究者は、宮殿内の会議へ出席している。
もう一人は研究区画にいたが、複数の助手と別の実験を行っていた。
全員に証人がいた。
「だから権限が複製されたと考えたのね」
リズナが言う。
「ええ。認証術式を盗み取る方法ばかり調べていたわ」
『変装していたなら、複製する必要はない』
ミテイが言った。
『権限を持つ者に化けて、本人の認証具を使えばいい』
「本人の魔力まで誤魔化せるの?」
リズナが尋ねる。
『触れた相手の表層魔力なら、一時的に写せる。ヴェルグの変装魔法なら、できた可能性が高い』
リュミエラが一人の研究者の記録を開いた。
「この者は盗難の翌日、高熱を出して倒れているわ」
「何かされたのか?」
ゼラスが尋ねる。
「当時は疲労だと思われていた。でも、盗難が起きる前後の記憶が曖昧だったらしいの」
「意識を奪って認証具を借り、その姿で保管庫へ入った」
「あくまで推測だけど、辻褄は合うわ」
リズナは、記録に映るヴェルグの姿へ視線を移した。
長い黒髪。
鋭い目。
痩せた長身。
だが、その姿さえ本物とは限らない。
「ヴェルグって姿も、変装だった可能性があるのよね」
『ある』
ミテイが答える。
『ヴェルグとして残っている身体記録も、表面しか調べられていない』
「顔は手掛かりにならないか」
ゼラスが腕を組む。
『今の姿は分からない。でも、術式の癖は残る』
「近くにいれば見つけられるか?」
『魔力を直接見られれば、たぶん』
「なら十分だ」
リズナが横目でゼラスを見る。
「近くまで行く方法が分からないでしょう?」
「先に、盗んだ剣の行方を追えばいい」
ゼラスは盗難記録を指した。
「千年も持ち歩いているとは考えにくい。どこかへ隠したなら、移動の痕跡が残ってるかもしれない」
リュミエラが記録を次へ進める。
「当時も追跡はしたわ。研究区画から短距離転移が使われたことまでは分かっている」
保管庫の床に残されていた術式が映し出される。
魔皇が静かに尋ねる。
「転移先は?」
「魔皇城の外です。そこから先は追えませんでした」
『今なら、もう少し調べられるかもしれません』
ミテイが古い術式へ灰色の魔力を重ねる。
『当時の調査は、転移した方向と距離だけを見てます』
「他に何が残るの?」
リズナが尋ねる。
『転移先の魔力』
ミテイは術式の中央から、消えかけた細い光を引き出した。
『転移する瞬間だけ、移動先と空間が繋がる。その時、向こうの空気と魔力が少し流れ込む』
「それで場所が分かるのか?」
ゼラスが尋ねる。
『正確な場所は無理。でも、環境は分かる』
灰色の光が複数の線へ分かれる。
空気中の魔力濃度。
地脈の性質。
含まれている属性。
ミテイは、その一つを見つめたまま動きを止めた。
「どうしたの?」
『風の魔力が多い』
「アスタリアみたいに?」
リズナが記録へ近づく。
『似てる。でも、これだけではアスタリアだと断定できない』
リュミエラが眉を寄せる。
「千年前なら、ガリオールとアスタリアを結ぶ経路は残っていたのかしら」
魔皇が答える。
「祖先帰還路は存在していた。ただし、自由に使えるものではなかったはずだ」
「ヴェルグが経路を知っていた可能性は?」
「否定はできない。移住関係の記録へ触れる権限はなかったが、調べる方法は他にもある」
ミテイが転移術式の奥へ、さらに魔力を伸ばす。
『この転移、一度で終わってない』
「どういうことだ?」
ゼラスが尋ねる。
『短距離転移の中に、次の移動術式へ繋ぐ処理がある』
研究区画から直接遠い場所へ移動したわけではない。
まず魔皇城の外へ転移し、そこから別の術式を使って移動している。
追跡を避けるため、複数の転移を重ねた可能性が高い。
「最後の移動先まで追える?」
リズナが尋ねる。
『この記録だけでは無理』
ミテイは灰色の光を収めた。
『でも、最初の転移先なら分かる』
「千年前の痕跡が、まだ残ってるのか?」
『記録された場所は残ってる。術式そのものが残ってるかは、行かないと分からない』
魔皇がリュミエラへ顔を向けた。
「転移した方向と距離は?」
「魔皇城から南西です」
リュミエラがガリオールの地図を広げる。
魔皇城から南西へ、一本の線が伸びた。
その先には古い都市と荒野が並び、さらに遠くには海が広がっている。
リュミエラは、その途中にある一点を指した。
「当時の記録が正しければ、この辺りね」
そこには、現在では使われていない古い観測所が記されていた。
「いつ閉鎖された?」
ゼラスが尋ねる。
「七百年ほど前よ。地脈が弱くなって、観測に向かなくなったと記録されているわ」
「最初の転移先としては都合がいいな」
「人がいない場所ですものね」
リズナが地図を覗き込む。
「今も建物は残ってるんですか?」
「廃墟にはなっているでしょうけど、取り壊された記録はないわ」
リュミエラが魔皇へ向き直る。
「陛下。私も観測所へ向かいます」
「ヴェルグに関する調査だからか」
「はい。それに、千年前の術式なら、私にも分かることがあるはずです」
魔皇は少し考えた後、頷いた。
「許可しよう。ただし、目的は調査だ。無理はするな」
「承知しました」
ゼラスが椅子から立ち上がる。
「出発は?」
「今日は資料を整理するわ。明日の朝でどうかしら」
「ああ」
ゼラスがリズナを見る。
「リズナは?」
「聞くまでもないでしょう?」
「あえて聞いた」
「あたしも行くわ。アスタリアへ繋がっている可能性があるなら、確かめたいもの」
『私も行く』
ミテイが言う。
『現地の術式を調べるには、直接見る必要がある』
魔皇は一同を見渡した。
「ヴェルグが観測所にいるとは限らない。発見した場合も、単独で動くな」
「はい、陛下」
リュミエラが答える。
話がまとまり、ミテイが記録板を集め始めた。
リズナも椅子から立ち上がる。
リュミエラは古い記録箱へ封印を施し、それを抱えて奥の保管棚へ戻した。
「必要な資料は私が整理しておくわ。明日の朝までには――」
記録箱を戻し、扉へ向かって歩き出した時だった。
リュミエラの足が止まる。
身体が僅かに揺れ、片手が壁へ伸びた。
「リュミエラさん?」
リズナが声を上げる。
その隣では、ゼラスがすでにリュミエラの腕を支えていた。
「どうした?」
「……少し目眩がしただけよ」
リュミエラは一度目を閉じ、ゆっくりと息を吐いた。
やがて顔を上げる。
いつもより僅かに顔色が薄い。
『顔色も悪い』
ミテイがリュミエラを見つめる。
「大丈夫よ。もう治まったわ」
リュミエラは壁から手を離した。
足元もしっかりしている。
だが、ゼラスはすぐには腕を離さなかった。
「今日はもう休め」
「陛下にも同じことを言ったばかりなのに、今度は私が言われる側なのね」
「倒れてからでは遅い」
「分かったわ。今日は素直に休む」
リズナはリュミエラの表情を窺った。
今はもう、普段と変わらないように見える。
「明日の朝も具合が悪かったら、無理しないでくださいね」
「ええ。ありがとう、リズナちゃん」
リュミエラは穏やかに笑った。
ゼラスに支えられたまま数歩進み、もう問題ないと告げて腕を離してもらう。
一同は記録室を後にした。
机の上には、完成品レイスウィザードの姿が映る記録板だけが残されていた。
千年前に盗まれた魔剣。
その行方へ繋がる最初の場所が、ようやく見つかった。




