第百四十四話 再封鎖
魔皇の体内で、皇核が脈動した。
掌を置いた皇核接続盤から白い光が広がり、床に刻まれた線を伝って縦穴の周囲へ集まっていく。
地下施設が低く震えた。
リズナは剣を収めず、消えかけた黒い線を見つめる。
「封鎖は始まったの?」
『まだ準備段階。古い封鎖を外して、新しい封鎖へ置き換える』
ミテイは接続盤から伸びる光を追っていた。
「すぐには終わらないのね」
『古い封鎖を外した直後だけ、帰還路が開いた状態になる』
ゼラスが魔剣を肩へ担ぐ。
「どれくらいだ?」
『三秒』
「それなら守ればいい」
リズナも剣を構え直した。
「今度こそ、余計なものは出てこないでしょうね」
「出てきても斬ればいい」
「簡単に言うわね」
「やることは同じだろ」
「まあ、そうだけど」
魔皇の額には、すでに薄く汗が浮かんでいた。
体内の皇核から引き出された魔力が、接続盤を通して地下深くへ流れている。
リュミエラがすぐそばへ立つ。
「陛下、ご無理はなさらないでください」
「以前ほどの負担ではない。今回は切るべき線も、すでに分かっている」
「以前が酷すぎたのです」
「心配をかけたことは認めよう」
素直な返答に、リュミエラは僅かに目を瞬いた。
「でしたら、終わった後はきちんとお休みください」
「ああ」
リュミエラはそれ以上言わず、魔皇の周囲へ障壁を広げた。
縦穴の上に、一本の淡い光が現れる。
細く、遠くへ続く光。
アスタリアへ繋がっていた祖先帰還路だった。
その周囲には、外側から伸びていた黒い線の残骸が僅かに漂っている。
ミテイが魔皇へ向き直る。
『陛下、準備が整いました。古い封鎖を解除します』
「始めてくれ」
『はい』
灰色の魔力が、帰還路を囲む古い術式へ触れた。
『三、二、一』
古い術式が消える。
直後、縦穴の底から黒い光が噴き上がった。
新たな敵ではない。
切断された命令の残りが、開いた帰還路へ流れ込もうとしていた。
黒い光の中に、崩れた文字が浮かぶ。
『第七移住群。
帰還命令を実行』
「まだ残ってたのね!」
リズナが踏み込む。
黒い流れが左右へ分かれ、彼女を避けて帰還路へ向かった。
ゼラスが中央へ飛び込む。
魔剣レイスウィザードを振り抜き、黒い流れをまとめて斬り裂いた。
刃から走った炎が、命令を形作る文字を焼く。
「リズナ、右だ」
「分かってる!」
リズナが剣を振るう。
細く研ぎ澄まされた風が、右へ逃れた黒い光を断ち切った。
左へ回った欠片は、リュミエラの冷気に触れて凍りつく。
「陛下の邪魔はさせないわ」
凍った欠片が砕ける。
それでも、幾つかの黒い粒が帰還路へ迫った。
ミテイが片手を上げる。
『通さない』
床から伸びた石の壁が黒い粒を受け止め、そのまま内側へ閉じた。
灰色の魔力が流れ込み、残った命令を消し去る。
『残存命令、消失』
「陛下、今です!」
リュミエラの声が響く。
魔皇は目を閉じ、体内の皇核へ意識を集中させた。
重い魔力が胸の奥から溢れ、接続盤を通して帰還路へ流れ込む。
「今代の皇核保持者として命じる」
白い光が、開かれた道を包んだ。
「第七移住群と、その子孫が選んだ地を認める。本人の意思なき移動を禁ずる」
光が幾重にも重なり、帰還路の周囲へ新たな封鎖を刻んでいく。
「外側からの命令、接続、回収を拒絶する。祖先帰還路を、ここに再封鎖する」
最後の光が道を横切った。
アスタリアへ伸びていた帰還路が、ゆっくりと閉じていく。
外側から黒い光が一度だけ押し返してきた。
だが、新しい封鎖へ触れた瞬間、何も残さず消滅した。
地下施設の震えが止まった。
縦穴の上から光が消え、静かな地脈の流れだけが残る。
魔皇が接続盤から手を離した。
その身体が僅かに傾く。
リュミエラがすぐに腕を支えた。
「陛下」
「問題ない。少し魔力を使っただけだ」
「それを問題と言うのです」
「以前よりはましだ」
「以前と比べないでください」
魔皇は苦笑し、リュミエラに支えられたまま呼吸を整えた。
ミテイは帰還路があった場所を丹念に調べる。
やがて灰色の光を収め、魔皇へ向き直った。
『陛下、封鎖は安定しています。外側からの接続も残っていません』
「強制帰還の命令は?」
リズナが尋ねる。
『消えた。アスタリアにいる一族へ、同じ命令が届くことはない』
リズナは剣を鞘へ戻した。
胸元へ手を添え、静かに息を吐く。
「終わったのね」
「ああ」
ゼラスが隣へ立つ。
「今度こそ終わった」
「また何か見つかる、とは言わないの?」
「今日は言わない」
リズナは小さく笑った。
「それでいいわ」
魔皇が二人を見る。
「アスタリアへ結果を伝えよう。通信だけなら、封鎖を崩さずに通せる」
「母たちにも伝えられますか?」
「ああ。一度だけ経路を繋ぐ」
ミテイが一歩前へ出た。
『陛下、私が封鎖完了の記録を送ります』
「頼む」
『はい』
ミテイはすぐに記録の整理を始めた。
リュミエラは魔皇を支えたまま、ゼラスへ視線を向ける。
「戻ってきて早々、大仕事だったわね」
「五人いたから楽だったぞ」
「どこがよ」
リズナが呆れたように言う。
ゼラスは倒れた守護体と、戦いの跡が残る広間を見回した。
「誰も欠けてない。それなら余裕だ」
リズナは一瞬だけ黙り、やがて柔らかく笑った。
「そういう意味なら、あたしも同じね」
地下深くを流れる地脈の光は、もう乱れていなかった。
外側へ続いていた道は閉じられた。
残るのは、その結果を待つ者たちへ伝えることだけだった。




