第百三十八話 皇核の主
魔皇軍の飛空艇は、赤い空を帝都へ向けて進んでいた。
窓の下には、乾いた荒野が広がっている。
「本当に戻ってきたのね」
リズナが窓辺で呟いた。
「まだ実感がないのか?」
「前はアスタリアへ帰りたいと思ってたのに、今はこっちにも帰ってきた感じがするの。不思議ね」
「帰る場所が増えたんだろ」
ゼラスは自然に答えた。
リズナは少しだけ目を見開き、柔らかく笑う。
「そうかもね」
向かいに座るミテイは、飛空艇の床下へ意識を向けていた。
『地中の魔力が帝都へ集まっている』
「地脈か?」
『それだけではない。転移施設から帝都の地下へ、古い経路が続いている』
ゼラスの目が僅かに細くなる。
「アスタリアの境界経路と似てるのか?」
『構造の一部が近い。中心は帝都の地下』
リズナがゼラスを見る。
「前に陛下がひどく消耗した場所?」
「ああ。地脈を動かしたようには見えたが、何をしていたのかまでは聞いてない」
「今回は聞けそうね」
「陛下も皇核について話があると仰っていたからな。着けば分かる」
飛空艇は速度を上げ、帝都の城壁を越えた。
宮殿の発着場へ降りると、リュミエラが待っていた。
三人を見つけた瞬間、その表情が明るくなる。
「おかえり、ゼラス」
「ああ。ただいま、リュミエラ」
リュミエラはまっすぐゼラスの前まで歩み寄り、その身体を短く抱きしめた。
「無事でよかった」
「心配をかけたな」
「本当にね」
ゼラスも、彼女の背へ軽く手を添えた。
その様子を見たリズナは、僅かに唇を尖らせる。
二人の付き合いが長いことは知っている。
かつてリュミエラの側近だったゼラスにとって、この程度の触れ合いが自然なことも理解していた。
それでも、面白くないものは面白くなかった。
リュミエラが身体を離し、リズナへ笑顔を向ける。
「リズナちゃんも、おかえり。無事でよかった」
「ありがとうございます、リュミエラさん。ただいま戻りました」
「ミテイも、おかえり」
『ただいま』
リュミエラは三人の顔を順に見て、安堵したように息を吐いた。
ゼラスがリズナへ目を向ける。
「どうした?」
「別に」
「そうは見えないな」
リズナは少し迷った後、ゼラスを見返した。
「……少しくらい、妬いてもいいでしょう?」
ゼラスの口元が僅かに上がる。
「いいんじゃないか」
「嬉しそうにしないでよ」
「嫌われてないと分かるからな」
リュミエラが二人を見比べ、楽しそうに笑った。
「随分仲良くなったみたいね」
「ええ。前より素直になりましたから」
「それはよかった」
リュミエラの言葉に、ゼラスが眉を上げる。
「俺が素直じゃなかったみたいに言うな」
「違ったの?」
「……今よりは、少し面倒だったかもしれないな」
あっさり認めたゼラスを見て、リュミエラが僅かに目を見開く。
「本当に変わったね」
「心に余裕ができたんだろ」
リズナは隣で、小さく笑った。
「自分で分かってるならいいわ」
リュミエラはもう一度二人を見比べてから、宮殿へ身体を向けた。
「話はゆっくり聞きたいけど、今は陛下が待ってる。先に行きましょう」
案内されたのは、謁見の間ではなく宮殿の奥にある小さな会議室だった。
近衛兵の姿もない。
長机の向こうで、魔皇が一人で待っていた。
ゼラスは足を止め、深く頭を下げる。
「陛下。ただいま戻りました」
「よく戻った。三人とも無事なようだな」
「はい」
魔皇の視線がリズナとミテイへ移る。
「境界路が動いたことは分かった。だが、アスタリアで何が起きたのかまでは把握していない。まずは報告を聞かせてくれ」
リズナたちは、アスタリアで起きた出来事を順に説明した。
中央風塔による強制転移。
リズナの身体に残されていた言語適応層と指令層。
風の器として百年以上、風脈へ接続されていた母親。
本来は十二の地方風塔で支える仕組みだったこと。
そして、母親を中央風塔から切り離し、家族のもとへ連れ帰ったこと。
魔皇は口を挟まず、最後まで話を聞いた。
「母親を救い出せたのだな」
「はい。まだ身体は弱っていますが、少しずつ回復しています」
「そうか。それなら何よりだ」
魔皇はミテイへ目を向ける。
「記録も持ち帰ったのだろう?」
ミテイは僅かに姿勢を正した。
『はい、陛下。アスタリアで確認した記録を、すべてお持ちしました』
隣に立つリュミエラが目を瞬く。
「ミテイ、敬語も使えるの?」
『使える』
「私には使わないのね」
『リュミエラには必要ない』
リュミエラは一瞬黙り、それから楽しそうに笑った。
「そう。なら、今まで通りでいいわ」
ミテイが机へ手を伸ばす。
灰色の光が広がり、複製された記録が空中へ展開された。
第七移住群。
祖先帰還路。
皇核権限による封鎖。
外側から繰り返し送られていた帰還命令。
そして、封鎖が失われるまでの期限。
魔皇は古いガリオール語を、止まることなく読み進めた。
その視線が、記録に表示された名前で止まる。
「リズナ=ルフェリア。それがお前の名か」
「はい。リズナ=ルフェリアが、あたしの名です」
「覚えておこう」
リズナが頭を下げる。
魔皇は再び記録へ目を戻した。
「これは、皇核へ残される管理記録と同じ形式だ」
ゼラスが魔皇を見る。
「陛下。記録にある皇核保持者とは、陛下のことでしょうか」
魔皇は空中の記録へ指を触れた。
その瞬間、室内の魔力が低く沈む。
床の下から何かが応じるように、石壁が僅かに震えた。
ミテイの瞳に灰色の光が宿る。
『帝都の地脈が反応しています』
魔皇が記録から手を離した。
「そうだ。今代の皇核保持者は私だ」
室内が静まり返る。
リズナは魔皇と記録を交互に見た。
「では、陛下が魔皇だから皇核を持っているのですか?」
「順序が逆だ」
魔皇は椅子へ座り直した。
「皇核は、皇の証として作られたものではない。異なる適応系統と地脈、境界路を調整するための権限だ」
『複数適応系統統合管理核』
ミテイが古い名称を口にする。
「かつては、そう呼ばれていた」
「その役割を担う者が、後から皇になったのですね」
「ああ。異なる系統の争いを抑え、地脈を管理し、外部との境界を守る。その責任と権限が一人へ集まり、やがて皇と呼ばれるようになった」
皇だから皇核を得たのではない。
皇核を担った者が、後に皇となった。
ゼラスは、以前魔皇が地下から戻った時の姿を思い出した。
リュミエラの側近として宮殿に出入りしていた頃、魔皇が一人で地下へ降り、立つことさえ難しいほど消耗して戻ったことがある。
あれも、皇核の役割に関わるものだったのだろう。
ミテイが一歩前へ出る。
『現在の皇核で、アスタリアの封鎖を更新できますか?』
「可能だ」
リズナの表情が明るくなる。
「では、期限が来る前に――」
「ただし、先に処理すべきものがある」
魔皇は記録の一部を指で示した。
「古い保持者の権限へ、外側から細い接続が絡みついている。今のまま私が封鎖を上書きすれば、その接続を通して現在の皇核を認識される」
ミテイが記録へ新たな線を重ねる。
『皇核の発信地点を追跡される可能性があります』
「そうだ。アスタリアだけではない。ガリオールの座標まで知られる可能性がある」
リズナの表情が強張る。
アスタリアを守るために、ガリオールを危険へさらすわけにはいかない。
ゼラスが魔皇へ視線を戻した。
「すでに接触があったのでしょうか」
「三日前、境界の外から皇核を探る動きがあった」
「三日前……」
それは、外側の管理者が新しい帰還命令を送った日と重なる。
「陛下が俺たちの転移を感知されたのも、そのためでしょうか」
「ああ。境界路への反応を監視していた」
『探査は今も続いているのでしょうか?』
「一度は退けた。だが、接続の痕跡までは消えていない」
ミテイが床の下へ意識を伸ばす。
『飛空艇で感じた古い経路だと思います』
「私もそう見ている」
ゼラスの表情が引き締まった。
「封鎖を更新する前に、外側から伸びた線を切る必要があるのですね」
「その通りだ」
魔皇は席を立ち、部屋の奥にある壁へ向かった。
掌を触れると、石の内部で重い音が響く。
継ぎ目すら見えなかった壁が左右へ開き、地下へ続く階段が現れた。
冷たい魔力が、暗闇の奥から流れ込んでくる。
ゼラスには、その気配に覚えがあった。
「以前、陛下が使われた施設ですね」
「ああ。あの時は、私がガリオールの地脈を繋ぎ直した」
「あの時は、陛下が話されなかったことを、こちらから無理に尋ねる理由もありませんでした」
「今はあると?」
「はい。アスタリアとガリオール、両方に関わる問題ですので」
魔皇は一度だけ頷いた。
「ならば、今回はすべて見せよう」
階段の奥で、古い術式の光が一つずつ灯る。
「皇核保持者が、まだ皇と呼ばれていなかった時代から使ってきた場所だ」
魔皇が最初の段へ足を下ろす。
「行くぞ。外側から伸びた接続は、この下にある」




