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第百三十七話 行ってきます



出発の朝。


必要な荷物と記録板は、すべてゼラスの収納へ収められていた。


玄関広間では、ネフィラが椅子に腰掛けている。


まだ一人で歩くことはできないが、娘を寝台から見送るつもりはなかった。


「無理して起きなくてもよかったのに」


リズナが母の前へ膝をつく。


「娘が旅立つのよ。きちんと見送らせて」


「すぐに帰ってくるわ」


「ええ。今度は、そう信じて待っていられるわ」


ネフィラが娘の頬へ触れた。


「自分で選んだ旅なのね」


「うん。自分で行って、自分で帰ってくる」


リズナは母の手を包み、父にも抱きついた。


五日間では、百年以上失われた時間を埋められない。


だが、もう二度と会えない別れではなかった。


「気をつけて行きなさい」


「父さんも、母さんのことをお願いね」


「ああ。こちらは任せなさい」


リズナが離れると、ゼラスが二人の前へ進んだ。


「五日間、世話になった」


自然なアスタリア語を聞き、父が感心したように目を細める。


「本当に覚えてしまったな」


「日常会話なら困らない。分からない言葉は、まだあるけどな」


ネフィラが嬉しそうに笑った。


「次に来た時は、もっとお話しできますね」


「ああ。今度は、何も急がずに来る」


「それなら、リズナの子供の頃のお話をしてあげます」


「母さん?」


ゼラスが僅かに笑う。


「それは楽しみだな」


「聞かなくていいわよ」


「もう聞くと決めた」


「勝手に決めないで」


両親の前で交わされる二人の言葉に、もう通訳は要らなかった。


父がゼラスを見つめる。


「娘を頼む」


「ああ。ちゃんと二人で帰ってくる」


ゼラスは前日に教わった言葉を口にした。


「行ってきます」


父とネフィラが、揃って答える。


「行ってらっしゃい」


リズナも笑顔で続いた。


「行ってきます」


ミテイが二人の隣へ並ぶ。


『私も行ってくる』


「ええ。ミテイさんも気をつけて」


『分かった』




中央風塔の地下では、セレイナが転移室の前で待っていた。


かつてリズナを対象としていた術式は、すでに制御系統を改められている。


今は、転移する本人の承認がなければ起動しない。


「残り四十一日よ」


セレイナが一通の封書を差し出した。


「確認できた第七移住群の家系は九つ。残りも調査を続けるわ」


「新しい命令は?」


「外部回線を遮断してからは届いていない。でも、向こうが止まったとは思えない」


「ええ。ガリオールで、封鎖を維持する方法を探してくる」


セレイナはリズナの手を握った。


「必ず戻ってきて」


「もちろん。セレイナにも、まだ聞きたいことがあるもの」


「今度は、私も全部話すわ」


二人は短く抱き合った。


ミテイが転移陣を確認する。


『接続先に異常はない。三人の位置も分離しない』


「なら問題ないな」


ゼラスが陣の中央へ進む。


リズナは、その縁で一度だけ足を止めた。


以前は、アスタリアのダンジョンで罠にかかり、何も分からないままガリオールへ送られた。


行き先も、目的も、自分の意思さえ関係なかった。


だが、今回は違う。


ゼラスが彼女へ手を差し出す。


「行くぞ」


「ええ。今度は、あたしが決めて行くわ」


「ああ」


「帰る時も一緒よ」


「分かってる」


リズナはその手を取り、自分の足で転移陣へ入った。


『起動する』


光が床を走り、風が三人を包む。


「行ってらっしゃい!」


セレイナの声に、リズナが手を振る。


「行ってきます!」


視界が白く染まった。




足元の感触が変わる。


古い石床。


乾いた空気。


アスタリアよりも濃い魔力。


光が消えると、三人は崩れかけた転移施設の中に立っていた。


壁の隙間から、ガリオールの赤い空が見える。


「戻ってきたわね」


「ああ」


ゼラスが施設の外へ目を向けた。


複数の気配が近づいている。


ほどなく、黒い鎧をまとった一団が入口へ姿を現した。


胸元には、魔皇軍の紋章が刻まれている。


先頭の女騎士が三人の前で片膝をついた。


「ゼラス=ヴェルゼイア殿。リズナ殿。そしてミテイ殿。陛下の命により、お迎えに上がりました」


ゼラスが僅かに目を細める。


「俺たちが来ると、どうして分かった?」


「陛下が境界路の起動を感知されました」


女騎士は立ち上がり、帝都の方角へ身体を向ける。


「お急ぎください。陛下もまた、皇核についてお話ししたいことがあるそうです」

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