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第百三十四話 選んで行く



屋敷へ戻ると、ネフィラはエルシアに支えられ、寝台の上で身体を起こしていた。


「おかえりなさい。広場はどうだった?」


「話すべきことは話せたわ。全員が納得したわけじゃないけど、風の器を残せって声は出なかった」


リズナが寝台のそばへ腰を下ろす。


ネフィラは娘の顔を見て、すぐに気づいた。


「それだけではなさそうね」


「ええ。地方風塔から、古い記録が見つかったの」


ミテイが複製した記録板を机へ置いた。


エルシアが表面に浮かぶ古いガリオール語を読み進める。


「第七移住群への帰還命令です。対象は、現在も残るすべての系統と記されています」


リズナは両親へ、中央風塔で分かったことを説明した。


祖先の帰還路を封じている権限が、四十六日後に尽きること。


外側の管理者が今も稼働し、帰還命令を送り続けていること。


命令が実行されれば、第七移住群から分かれた者たち全員が対象になること。


従わなければ、外側から回収機能が送り込まれる可能性があること。


父は険しい顔で記録板を見下ろした。


「止める方法はあるのか?」


『皇核権限で封鎖を更新する。または、境界経路を完全に切断する』


ミテイがアスタリア語で答える。


「切断はできないのか?」


『経路の一部が、現在の風脈網の基礎構造と重なっている。影響は予測できない』


「下手に壊せば、ようやく戻した風塔まで止まるかもしれないの」


リズナの言葉に、父は黙り込んだ。


ネフィラが少年姿のゼラスへ目を向ける。


「皇核権限について、ゼラスさんに心当たりがあるのね?」


ミテイがガリオール語へ訳した。


「陛下が古い地下施設を動かしたところは見た。同じ権限かどうかは、本人に聞くのが早い」


ミテイの通訳を聞き、父がリズナを見る。


「ガリオールへ行くのか?」


「ええ」


「お前も行くのだな」


リズナは母の手を取った。


「あたしも行くわ。

前に送られた時は、何も選べなかった。行き先も目的も知らされないまま、気づいたらガリオールにいたの。

でも、今度は違う。あたしが確かめたいから、自分で行くわ」


ネフィラは娘の手を握り返した。


「それなら、行きなさい」


「ネフィラ」


父が妻を見る。


「私は、自分で選ぶ機会を奪われたわ。だから、自分で選んだ娘を引き止めたくないの」


父はしばらく黙っていた。


やがて、諦めたように息を吐く。


「止めても行くのだろう?」


「ええ」


「少しくらい迷ってもいいんだぞ」


「今から迷った方がいい?」


「わざとらしいからやめなさい」


ネフィラが小さく笑った。


「出発はいつなの?」


「五日後よ」


リズナの答えに、ネフィラが瞬く。


「もっと急ぐのかと思ったわ」


「あたしは三日でいいって言ったんだけど、ゼラスが五日でいいって」


ミテイが会話を伝える。


ゼラスは父へ顔を向けた。


「二日の差で間に合わなくなるなら、五日でいいとは言わない」


「本当に間に合うのか?」


「ああ、余裕だ」


迷いのない返事だった。


「家族と過ごす時間まで削る必要はない。出発した後は、俺が急げばいい」


ミテイの通訳を聞き、ネフィラが穏やかに微笑んだ。


「ありがとう、ゼラスさん」


言葉は分からなくても、礼を言われたことは伝わったらしい。


ゼラスはネフィラへ軽く頷いた。


エルシアは記録板を机へ戻した。


「私は、こちらに残ります。

ネフィラさんの身体は、まだ継続して診る必要があります。それに、地下には私に読める記録も多く残されていますから」


「一緒にガリオールへ行かなくていいの?」


「はい。今は、アスタリアに残ることを選びます」


ネフィラがエルシアの手へ、自分の手を重ねる。


「心強いわ」


「私も、ここでできることをしたいのです」


『私は二人と行く。記録を持ち帰り、皇核保持者へ直接見せる』


ミテイが告げる。


「ええ。一緒に行きましょう」


リズナが頷くと、ゼラスもミテイを見る。


「頼りにしてる」


『任せて』


ミテイは静かに頷いた。


ネフィラは改めてゼラスへ向き直る。


「ゼラスさん。娘をお願いします」


ミテイが訳した。


ゼラスは一度、リズナを見る。


「心配しなくていい。こいつがどこへ行こうと、俺も一緒にいる」


リズナが僅かに目を見開いた。


ミテイの通訳を聞いたネフィラは、安心したように微笑む。


「それなら、大丈夫ね」


「母さん、簡単に信用しすぎじゃない?」


「大陸を越えて、あなたに会いに来た方でしょう?」


「……そうだけど」


リズナが照れたように目を逸らす。


ゼラスがその横顔を見上げた。


「俺の話か?」


「ええ。でも、今は知らなくていいわ」


「分かった」


素直に引き下がられ、リズナの方が意外そうな顔をした。


「何だ?」


「聞かないのね」


「話したくなったら、お前から話すだろ」


リズナは少し黙り、それから柔らかく笑った。


「うん。そうするわ」


父は二人の様子を見届けてから、ゼラスへ顔を向けた。


「出発までは、あなたもこの屋敷に滞在してほしい」


ミテイが訳すと、ゼラスは素直に頷いた。


「ありがたい。世話になる」


「もっと遠慮するかと思った」


リズナが言う。


「親父さんが招いてくれたんだ。断る理由はないだろ」


ミテイから返事を聞いた父も、静かに頷き返した。


ネフィラが嬉しそうに笑う。


「では、五日間ゆっくりお話しできますね」


通訳を聞いたゼラスは、少し考えてからミテイを見る。


「五日あれば、アスタリア語は覚えられるか?」


『日常会話なら可能。読み書きも、基本的な範囲までは習得できる』


「なら覚える」


リズナが目を瞬いた。


「本気なの?」


「ああ。いつまでも通訳に頼るわけにもいかないからな」


ゼラスはネフィラと父へ目を向ける。


「お前の家族とは、直接話したい」


リズナはしばらく彼を見つめた。


やがて、嬉しそうに笑う。


「……素直になったね」


「心に余裕ができたんだろうな」


「自分でも分かってるんだ」


「ああ。今は隠す理由もない」


「そっか」


リズナは小さく頷いた。


「じゃあ、あたしも教えるわ」


「頼む」


ミテイはすぐに新しい記録板を机へ置いた。


『今から開始できる』


「今から?」


『五日は有限』


ゼラスが椅子へ腰を下ろす。


「まずは挨拶から頼む」


リズナは彼の隣へ椅子を運んだ。


「分かったわ。ちゃんと聞いてよね」


アスタリア語の短い挨拶を、ゆっくりと発音する。


ゼラスが同じ音を繰り返した。


僅かな違いをリズナが直すと、二度目にはほとんど同じ発音になった。


「……思ったより早そうね」


「五日もあれば十分だろ」


「まだ一言目よ」


「なら、次を教えてくれ」


リズナは小さく笑い、二つ目の言葉を口にした。


その日から五日間。


ルフェリア家では、二つの言葉が絶えず行き交うことになった。

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