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第百二十八話 母の見立て


地下蔵から戻ると、ネフィラは寝台の上で目を覚ましていた。


傍らにいた使用人が席を譲り、リズナの父がすぐに妻の手を取る。


「おかえりなさい」


「ただいま。具合はどう?」


リズナが寝台のそばへ腰を下ろした。


エルシアは持ち帰った金属板を机へ置き、そのままネフィラの顔色と脈を確かめる。


「先ほどより安定しています。

指を少し動かしてみてください」


ネフィラが右手を持ち上げた。


まだ僅かに震えている。


それでも、昨日より確かに自分の意思で動いていた。


「少しずつ、自分の身体に戻っている気がするわ」


「無理はなさらないでください」


「ええ。あなたの言うことは聞くわ」


エルシアが穏やかに頷いた。


「地下蔵の記録は読めたのか?」


父に尋ねられ、リズナは表情を改める。


「ええ。


ルフェリアの祖先は、ガリオールからアスタリアへ来たの。

さらにその前は、この世界の外側にいたみたい」


ネフィラが驚いたように瞬いた。


リズナは、金属板に残されていた内容を順に伝える。


祖先が帰還命令を拒んだこと。


自分たちの意思で、アスタリアを永住の地として選んだこと。


その選択を、古い皇核保持者が認めたこと。


「そう……」


ネフィラは窓の外を見た。


穏やかな風が、薄いカーテンを揺らしている。


「だから中央風塔は、ルフェリアを外から来た系統として扱っていたのね」


「ええ。でも、中核風紋はアスタリアへ来てから生まれたものよ」


リズナは自分の胸元へ手を置く。


「風導院が作った力でも、外側から与えられた機能でもないわ。


ルフェリアの一族が、ここの風と一緒に生きてきた結果なの」


「では、あなたの風は――」


「最初から、あたしのものよ」


ネフィラが安堵したように笑った。


「よかった」


「剣も風も、あたしが自分で身につけたものだからね」


「ええ。


あなたが積み重ねたものまで、誰にも奪わせてはいけないわ」


母の言葉に、リズナは少し照れたように頬を緩めた。




少し離れた机では、ミテイが金属板の表面を調べていた。


『まだ、消えた文字が残っているかもしれない』


アスタリア語で告げると、リズナの父が頷く。


「傷つけないように頼む」


『分かった』


ネフィラが驚いたようにミテイを見る。


「ミテイさん、アスタリア語を話せるの?」


『昨日、覚えた』


「まあ……すごいのね」


『必要だったから』


ミテイはそれだけ答え、再び金属板へ視線を戻した。


ネフィラは感心したように彼女を眺めた後、部屋の入口へ顔を向ける。


壁際には、少年姿のゼラスが立っていた。


「ねえ、リズナ」


「何?」


「あの方が、ゼラスさんなのよね?」


「そうよ」


「あなたに会うため、大陸を越えてきた方」


「……ええ」


ネフィラはゼラスと娘の顔を交互に見た。


そして、何かに納得したように頷く。


「あなた、子供が好きなのね」


「違うわよ!」


リズナの声が部屋へ響いた。


父が眉を上げる。


エルシアは僅かに視線を逸らした。


言葉を理解できないゼラスも、自分を見た直後にリズナが赤くなったことには気づいている。


「どうせ俺の話だろ?」


「どうしてそうなるのよ」


「全員が俺を見た」


「母さんが変な勘違いをしただけよ」


「どんな?」


「知らなくていいわ」


ミテイがゼラスへ顔を向けた。


『ネフィラは、リズナが子供の姿をした男性を好むのかと聞いた』


「ミテイ!」


『ゼラスが尋ねたから』


「答えなくていいこともあるでしょう!」


ゼラスは自分の身体を見下ろした。


「ああ、姿の話か」


「そうよ。


母さんは、あんたがこの姿しかないと思ってるの」


「説明すれば済むだろ」


「言葉だけじゃ分かりにくいじゃない」


リズナは少し間を置き、ゼラスを見上げる。


「見せてあげたら?」


「成人姿を?」


「ええ」


ゼラスはネフィラと父を見た。


二人とも会話の内容が分からず、不思議そうにこちらを見ている。


「まあ、いいか」


魔力が僅かに揺れた。


少年だった身体が、ゆっくりと成長していく。


手足が伸び、肩幅が広がる。


幼さの残っていた顔立ちも、落ち着いた成人のものへ変わった。


服も身体に合わせて形を変える。


次の瞬間。


そこには、成人姿のゼラスが立っていた。


ネフィラの目が大きく見開かれる。


父も、驚きを隠せないままゼラスを見上げた。


「あら……」


ネフィラは成人姿のゼラスを上から下まで眺める。


そして、素直な感想を口にした。


「あら、いい男ね」


「でしょ?」


リズナは反射的に答えた。


部屋が静かになる。


ネフィラの口元が楽しげに緩んだ。


父は無言で娘を見る。


リズナは自分が何を言ったのか気づき、頬を赤くした。


「今のは、その……客観的な話よ」


「そうなの?」


「そうよ」


「私は何も言っていないわ」


「その顔で全部言ってるでしょう」


ゼラスがリズナを見る。


「今度は何だ?」


「成人姿なら、いい男だって」


「そうか。見る目は悪くないな」


「自分で言う?」


「お前も同意してたんだろ」


「どうして分かるのよ」


「顔を見れば分かる」


「……最近、少し楽しんでない?」


「少しな」


以前なら、否定して話を終わらせていた。


だが今は、追ってくる敵もいない。


リズナは目の前にいて、その母親も家族のもとへ戻った。


いつ奪われるかを警戒し続ける必要もない。


その程度の軽口を返す余裕くらいは、あってもいいとゼラスは思っていた。


何より、頬を赤くして言葉を探すリズナを見ているのは、悪くなかった。


あっさり認められ、リズナは僅かに目を見開く。


「本当に楽しんでるのね……」


「ばれたか」


「今、自分で言ったでしょう」


ネフィラには二人の言葉が分からない。


ミテイが簡潔にアスタリア語へ訳すと、その笑みがさらに深くなった。


「リズナも、今の姿をいい男だと思っているの?」


「母さん」


「確認しているだけよ」


「……嫌いなら、頼んでまで見せてもらわないわ」


小さな声だった。


ミテイがゼラスへ顔を向ける。


「それは訳さなくていいから!」


『まだ何も言っていない』


「訳す顔をしてたでしょう!」


『分かった』


だが、リズナの反応を見れば、ゼラスにもおおよその意味は伝わっていた。


「成人姿が好きなのは、前から知ってる」


「分かってても、今は黙っててよ」


「なぜだ?」


「両親の前だからよ!」


「それは失礼した」


声には、まるで反省した様子がない。


「絶対、悪いと思ってないでしょう」


「まあな」


リズナは抗議するように彼を睨んだが、ゼラスの口元に残る笑みを見て、それ以上は何も言わなかった。




父は成人姿のゼラスを静かに見つめていた。


先ほどまでの少年姿とは違う。


娘よりも大きく、落ち着いた雰囲気を持つ男。


何度か視線を動かした後、リズナへ尋ねる。


「その姿が本来の姿なのか?」


「どっちも本人よ。身体の年齢を自由に変えられるの」


「魔術でか?」


「ええ。魔術みたいなものだと思ってもらえばいいわ」


父は考え込むようにゼラスを見た。


「彼はいくつだ?」


「……それも聞くのね」


リズナはガリオール語へ切り替える。


「父さんが、あんたの年齢を聞いてるわ」


「八百は越えてる。途中から数えてない」


「適当ね」


「毎年数えて、どうするんだ?」


「誕生日を祝えるでしょう?」


「八百回も祝えば十分だろ」


「途中で面倒になっただけじゃない」


ゼラスは否定せず、僅かに笑った。


リズナが答えをアスタリア語へ訳す。


父の顔が固まった。


ネフィラも目を瞬く。


「八百年以上……?」


「見た目で考えない方がいいわよ。


あたしより、ずっと年上だから」


ネフィラは成人姿のゼラスを改めて眺めた。


「あら。


では、子供が好きなのはリズナではなさそうね」


「最初からそう言ってるでしょう?」


「ええ。その点は安心したわ」


「その点は、って何よ」


ネフィラは答えず、楽しげに微笑んだ。


直後。


父が真剣な表情で娘へ告げる。


「では、次に確認することがある」


リズナは嫌な予感を覚えた。


「……何?」


父は成人姿のゼラスを示す。


「彼と、お前はどういう関係なんだ?」


リズナの頬から耳まで、一気に赤くなった。


ゼラスには父の言葉が分からない。


だが、父の視線と固まったリズナを見れば、察するには十分だった。


「俺との関係を聞かれたか?」


「分かってるなら黙っててよ」


「難しい注文だな」


「今だけ!」


「それで、何と答えるんだ?」


「だから、今は黙っててって言ってるでしょう!」


ネフィラが寝台の上で、声を抑えながら楽しそうに笑った。

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