表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
122/353

第百二十一話 嘘ごと折る



赤い光が、ネフィラの生命維持装置へ伸びていく。


「リズナ。院長に伝えろ」


「何て?」


「今から俺が、そいつの守ってきた嘘を全部壊すとな」


リズナは一瞬だけ、ゼラスの横顔を見つめた。


そこに迷いはない。


彼女は地上へ続く赤い光へ向き直り、アスタリア語で告げる。


「ゼラスが言ってるわ。

あんたが守ってきた嘘を、今から全部壊すって」


短い沈黙。


やがて、地上から院長の声が返ってきた。


「異大陸の者に、何が分かる。

この大陸は、一つの風によって守られてきた。

真実を知らぬ民が穏やかに暮らせるのなら、それもまた守るべき秩序だ」


リズナがその言葉をガリオール語へ訳す。


ゼラスは赤い命令線から目を離さなかった。


「嘘をつかなきゃ守れない秩序なら、最初から壊れてる」


リズナがそのまま伝える。


院長の声が僅かに低くなった。


「器の犠牲なくして、アスタリアの風は維持できない。

それを理解できない者に、口を出す資格はない」


「なら、あんたは知ってたのね」


リズナがアスタリア語で問い返した。


「母さんが騙されて、百年以上もここへ閉じ込められていたことを」


沈黙が落ちる。


それだけで十分だった。


セレイナの顔が強張る。


「院長……あなたは、地下の実態を知っていたのですか」


彼女の声は震えていた。


「歴代院長だけが継承する記録がある。

知らなければ、必要な決断を下せない」


「では、先代の器が自ら望んだという記録は?」


「民と院の秩序を守るために必要な表現だ」


セレイナの唇が僅かに開く。


だが、すぐには言葉が出なかった。


リズナは二人の会話を、ゼラスとミテイたちへ伝えた。


「……全部知ってたみたい」


「ああ」


ゼラスの声は変わらない。


「なら、遠慮はいらんな」




赤い命令線が三つに分かれた。


一本は、ネフィラの生命維持装置へ。


一本は、黒い操作台の記録層へ。


残る一本は、地図に一つだけ残った西部地方風塔へ伸びる。


『生命維持停止』


『地下記録消去』


『最終地方端末封鎖』


機械音声が順に告げる。


「三つ同時に……!」


リズナが息を呑む。


『ゼラス一人では、すべてへ同時に触れられない』


ミテイが赤い線の流れを読む。


「三つ同時ならどうした」


ゼラスの魔力が、制御室全体へ広がった。


赤い命令線が押し返され、空中で激しく震える。


「全部止めればいい」


黒紫色の魔力が、三本の赤い線へ食い込んだ。


命令はなおも進もうとする。


それをゼラスが、力だけでその場へ縫い止める。


床と壁が軋んだ。


「長くは保たん。手を動かせ」


『私はネフィラの維持経路を守る』


ミテイが即座に、生命維持装置へ続く線を追う。


「エルシア。記録を消されない方法を探せ」


「承知しました」


エルシアが黒い操作台へ向かう。


「セレイナ。西の塔を止めさせるな」


リズナが訳す。


セレイナは、ひび割れた銀の証を握り締めた。


「しかし、院長権限が優先されます」


その返答を聞き、リズナがゼラスへ伝える。


「正面から命令しても勝てないって」


「なら、院長権限を正面に立たせるな」


「どういうこと?」


「さっき見つけただろ。古い仕組みを使え」


リズナがエルシアを見る。


エルシアは既に、幾重にも重なった変更履歴を開いていた。


「あります」


古いガリオール語の文字列を素早く追う。


「中央権限による不正な改変が疑われる場合、すべての命令順位を一時的に停止する――緊急査閲状態です」


「それを使え」


「起動には三つの承認が必要です。


現地管理官。

局地適合核。

そして、独立管理核」


リズナがセレイナとミテイを見る。


「三人ともいるわね」


『いる』


ミテイは、ネフィラへ続く緑の流れを支えながら答えた。


セレイナも頷く。


「何をすればいいの?」


「リズナさんとミテイさんは、こちらの二つの紋様へ。

セレイナさんは、銀の証を中央へ置いてください」


リズナが手順をアスタリア語へ訳した。


セレイナは操作台へ駆け寄り、ひび割れた証を押し当てる。


リズナも、風紋の刻まれた場所へ手を置いた。


ミテイは片手で生命維持の流れを押さえたまま、もう一方の手を灰色の紋様へ触れさせる。


『現地管理官を確認』


『局地適合核を確認』


『独立管理核を確認』


『三者の意思を照合します』


リズナの胸元で、中核風紋が光った。


「同意するわ」


『私も同意する』


セレイナもアスタリア語で告げる。


「緊急査閲を申請します」


一瞬。


制御室から、すべての音が消えた。




『緊急査閲状態へ移行』


赤い命令線の動きが止まる。


地上から流れ込んでいた院長の魔力が、制御室の中央へ剥き出しになった。


『権限順位を一時停止』


『変更履歴を全地方端末へ複製します』


「複製……?」


リズナが地図を見上げる。


消えていた十一の光点が、弱々しく再点灯した。


中央風塔に残された記録が、十二の地方風塔へ一斉に送られていく。


初代院長による改修。


器となった者たちの拒絶。


人格抑制。


歴代院長による記録の隠蔽。


そのすべてが、地方へ流れ始めた。


地上から院長の声が響く。


「止めろ!

その記録を外へ出してはならない!」


初めて、そこに明確な焦りが混じった。


「なぜですか」


セレイナが問い返す。


「大陸を守るために必要なことだったのでしょう?

ならば、すべてを明らかにしたうえで、民に説明すればいい」


「セレイナ。

あなたの権限をもって、査閲を停止しなさい」


セレイナは銀の証へ目を落とした。


長く信じてきた風導院。


仕えてきた院長。


守るべきだと教えられた秩序。


そのすべてを、彼女は静かに振り返る。


やがて顔を上げた。


「拒否します」


短く、はっきりとしたアスタリア語だった。


リズナは訳さなかった。


その表情だけで、ゼラスにも答えは分かった。




『地下記録の複製率、四十二』


『五十三』


『六十八』


院長の赤い魔力が激しく膨れ上がる。


止められていた三本の命令線が、ゼラスの魔力を押し返そうと暴れた。


「ゼラス!」


「問題ない」


足元の床に亀裂が走る。


それでも、ゼラスは片手を操作台へ置いたまま動かない。


三本の命令を押さえながら、剥き出しになった院長の権限線を見つめていた。


「リズナ」


「何?」


「査閲中は、権限の順位がないんだな」


リズナがエルシアへ確認する。


「はい。現在は、院長権限も一つの接続として扱われています」


「だそうよ」


「ああ」


ゼラスの口元が、僅かに上がった。


「なら、十分だ」


黒紫色の魔力が形を変える。


三本の赤い線を押し返すのではない。


それらを一本に束ね、地上へ続く根元を掴んだ。


『院長権限への直接干渉を検出』


『接続保護が無効です』


「今は偉くないらしいぞ」


ゼラスが腕を引く。


赤い命令線全体が、大きく軋んだ。


地上の向こうから、何かが砕ける音が伝わってくる。


院長が息を呑む。


それでも、ゼラスは止めない。


「人を騙して閉じ込めた」


一つ目の赤い線が砕ける。


ネフィラの生命維持装置へ向かっていた命令が消えた。


「その記録を消そうとした」


二つ目の線が引き裂かれる。


黒い操作台を覆っていた赤い光が消滅した。


「まだ同じことを続けるつもりなら――」


最後の一本。


西部地方風塔を封じようとしていた命令を、ゼラスが握り潰す。


「お前ごと外す」


轟音。


赤い魔力が根元から砕け散った。




『院長権限との接続を喪失』


『最終地方端末の封鎖を中止』


『地下記録の複製率、百』


十二の光点すべてが、地図の上で輝いた。


院長が守ろうとした記録は、もう中央風塔だけには存在しない。


一つを消しても。


一つを閉じても。


真実は、十二の地方へ残る。


ゼラスが操作台から手を離した。


「これで、嘘ごと消すのは無理だ」


リズナは、地上へ続いていた光の残骸を見つめる。


「聞こえた?」


返事はない。


院長との通信は切れていた。


リズナは小さく息を吐く。


「逃げたのかしら」


『違う』


ミテイが天井へ顔を向けた。


『上から、何かが下りてくる』


直後。


制御室の奥で、低い振動が始まった。


壁の一部に縦の亀裂が走り、隠されていた昇降路が姿を現す。


セレイナの表情が変わる。


「何だ?」


ゼラスが尋ねる。


リズナが問いを伝えた。


返ってきた答えに、彼女も昇降路を見上げる。


「院長だけが使える、中央直通路だって」


重い駆動音が近づいてくる。


地上から。


真っ直ぐ、地下中枢へ。


「逃げたんじゃないみたいね」


リズナの手が剣の柄へ触れる。


ゼラスは静かに、昇降路の扉を見据えた。


やがて、向こう側から男の声が響く。


「風の器も、先代の器も、渡すわけにはいかない」


閉じられた扉の隙間から、圧縮された風が漏れ出す。


「アスタリアの風は、私が守る」


リズナが低く、ゼラスたちへ訳した。


「風の器も、先代の器も渡さない。

アスタリアの風は、自分が守るって」


ゼラスは一歩前へ出る。


その背後で、リズナが剣を抜いた。


昇降路が、地下中枢へ到着した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ