第百二十話 最初の嘘
『中央集約化改修』
『生体判断核の恒久固定を承認』
『改修責任者――初代風導院長』
黒い操作台に浮かぶ文字を前に、セレイナは動かなかった。
リズナが記録の内容をアスタリア語で伝えても、返事はない。
ただ、何度も文字を確かめるように視線を動かしている。
やがて、乾いた声が漏れた。
「……あり得ません」
リズナはその言葉をゼラスたちへ訳した。
「初代院長は、中央風塔を築いてアスタリアを救った人だと伝えられてるそうよ」
「築いた?」
ゼラスが黒い操作台へ目を向ける。
「この施設は、そいつが生まれるより前からあっただろ」
リズナが伝えると、セレイナは強く首を横へ振った。
返ってきた言葉を、再びガリオール語へ訳す。
「風導院の記録では、初代院長が荒れていた風脈をまとめ、中央風塔を完成させたことになってるって」
『完成ではない』
ミテイが古い記録へ灰色の魔力を伸ばす。
『既に動いていたものを、変更している』
エルシアも操作台の表示を切り替えた。
「建造記録ではなく、改修履歴しかありません」
「初代院長が行ったのは、この施設を作ることではなく、元の仕組みを書き換えることです」
リズナが二人の説明をセレイナへ伝える。
セレイナの顔から、さらに血の気が引いた。
エルシアが改修前の記録を開いた。
アスタリア大陸の地図。
十二の地方風塔が互いにつながり、それぞれの周辺にある風脈を調整している。
中央風塔は、それらの情報を集めるだけだった。
『局地調整権限――各地方端末に保持』
『判断核との接続――必要時のみ』
『接続個体の意思確認を必須とする』
リズナが最後の一文を見つめる。
「必要な時だけ、本人が同意してつながる仕組みだったのね」
『いつでも外せる』
ミテイが続けた。
『一人へ、すべてを任せる構造ではない』
「なら、なぜ変えた」
ゼラスが尋ねる。
エルシアは改修履歴をさらに進めた。
表示されたのは、古い災害記録だった。
複数の地方で風脈が同時に乱れ、十二の風塔が別々の判断を下した。
一部の風は衝突し、大規模な被害が出ている。
その直後。
初代風導院長の名で、中央集約化が申請されていた。
「地方ごとの判断に時間がかかり、被害が拡大したようです」
エルシアが記録を読み上げる。
「初代院長は、それを理由にすべての調整権限を中央へ移しています」
「一度の失敗を理由に、全部を自分の下へ集めたのか」
ゼラスの言葉を、リズナがセレイナへ伝える。
セレイナは記録から目を逸らさずに答えた。
「当時は、本当に必要だったのかもしれないと」
リズナが訳す。
「同じ災害を繰り返さないためなら、中央でまとめる判断そのものは間違いとは言えない、って」
「ああ」
ゼラスは否定しなかった。
「まとめたことだけならな」
黒い操作台には、その先の履歴も残っている。
地方風塔の自律機能停止。
判断権限の中央移行。
生体判断核の常時接続。
接続解除機能の封鎖。
そして、接続個体の意思確認を不要とする変更。
「必要だったのは、そこまでか?」
リズナがその問いを伝える。
セレイナは答えられなかった。
『外部提案記録がある』
ミテイが改修申請の奥に隠された層を見つけた。
黒い操作台へ、白い文字が浮かび上がる。
『境界門網へ最適化案を照会』
『回答を受信』
『生体判断核の恒久固定を推奨』
『人格抑制による判断効率の向上を推奨』
制御室の空気が冷えた。
「外側から、改修方法を教えられたのね」
リズナが呟く。
『初代風導院長が、自分で問い合わせている』
ミテイは記録を見つめた。
『強制された形跡はない』
「提案を受けて、自分で選んだわけか」
ゼラスの目が細くなる。
エルシアが、申請に添えられていた音声記録を見つけた。
「アスタリア語です」
「再生して」
リズナが言う。
エルシアが操作すると、制御室に男の声が響いた。
「十二の意思は、十二の迷いを生む」
「風は一つでなければならない」
「大陸を守る判断は、選ばれた一人に集めるべきだ」
「地方の者たちへ任せれば、同じ過ちが繰り返される」
記録された声には、迷いがなかった。
「一つの塔」
「一つの器」
「一つの意思によって、アスタリアの風は守られる」
音声が途切れた。
リズナはその内容を、ゼラスとミテイへ訳した。
ゼラスは短く息を吐く。
「大陸を守りたかったのは本当なんだろう」
「でも、他の人を信じなかった」
「ああ」
ゼラスは十二の地方風塔が描かれた地図を見る。
「自分の手から判断が離れることを、危険と呼んだだけだ」
リズナがその言葉をセレイナへ伝える。
セレイナは俯いたまま、長く黙り込んだ。
風導院が教えてきた、一つの風。
一つの使命。
器となる者の尊い犠牲。
その始まりにあったのは、神聖な啓示ではない。
一人の人間が下した選択だった。
エルシアが別の履歴を開いた。
「最初に恒久接続された方の記録があります」
リズナの表情が硬くなる。
表示された名前は、ルフェリア一族の女性だった。
ネフィラより、遥か以前の人物。
『接続個体――エレナ=ルフェリア』
『同意状態――撤回』
『接続解除要求――拒否』
『人格活動が管理を阻害』
『人格抑制処理を実行』
「……最初から、望んで残ったわけじゃない」
リズナの声が低くなる。
『本人は外すよう求めている』
ミテイが記録を読む。
『初代風導院長が拒否した』
セレイナにも記録を見せるため、リズナが内容を伝えた。
セレイナは両手を強く握った。
やがて、アスタリア語で何かを呟く。
「何て言った」
ゼラスが尋ねる。
「風導院の最初の教えには、器は自らの意思で風と一つになったと記されてる、って」
リズナはセレイナを見た。
「でも、その人は何度も外してほしいと頼んでた」
セレイナがゆっくりと頷く。
「……最初から、嘘だったそうよ」
その声には、もう風導院を庇う響きは残っていなかった。
『元の接続手順を発見』
ミテイが古い管理層から、消されかけた術式を引き出した。
地図上の十二の地方風塔が再び光る。
『局地適合核と、独立管理核』
『二つが同意した時だけ、一時接続が可能』
『接続中も、どちらかが拒否すれば終了できる』
「後から追加された固定化がないのね」
『ない』
ミテイが答える。
『人格を消す処理もない』
ゼラスが記録を確認する。
「これを使えば、十二の風塔を再起動できるのか」
『可能性が高い』
『リズナが風脈をつなぐ』
『私が十二の端末へ判断機能を戻す』
リズナがミテイを見る。
「一時的につながるだけ?」
『そう』
「嫌になったら、すぐ外せる?」
『そう記録されている』
「記録をそのまま信じるのは危険だな」
ゼラスが割って入る。
「俺も構造を見る。妙な命令が混ざっていれば、始める前に切る」
『分かった』
ミテイは素直に頷いた。
「ネフィラを外すのは、その後か」
『十二の風塔が動けば、中央の負担は大きく減る』
『ネフィラを切り離しても、風脈は維持できる』
リズナは母親がいる空洞へ顔を向けた。
ようやく見つかった。
誰かを代わりに閉じ込めるのではない方法が。
リズナは一連の説明をセレイナへ伝えた。
セレイナは十二の地方風塔を示す地図へ歩み寄る。
そのうちのいくつかを指し、アスタリア語で説明を始めた。
リズナが内容を訳す。
「地方風塔は今も風導院が管理してる。内部の構造までは知られてないけど、点検用の入り口は残ってるそうよ」
「同時に起動できるか?」
問いを伝えると、セレイナは少し考えてから答えた。
「中央風塔から点検命令を送れば、十二基すべての外部封鎖を解除できるって」
「お前の権限は止められただろ」
「副院長としての権限は失った。でも、緊急点検の命令は銀の証そのものに記録されてるそうよ」
セレイナは、ひび割れた銀色の証を掲げた。
「一度だけなら、まだ使えるかもしれないって」
ゼラスは証へ意識を向ける。
内部に残る魔力は僅かだった。
だが、完全には消えていない。
「なら、使うのは再起動の直前だ」
リズナが訳す。
セレイナは頷いた。
続けて、迷いながら何かを口にする。
「何だ?」
「全部が終わったら、ここの記録を公表するって」
リズナはセレイナを見つめた。
「風導院が何を隠し、何をしてきたのか。初代院長から続く記録を、アスタリア中へ公開するそうよ」
「風導院が潰れるかもしれんぞ」
その言葉を聞いたセレイナは、すぐに答えた。
リズナが僅かに目を細め、訳す。
「嘘を守るための風導院なら、残す必要はないって」
ゼラスはセレイナを一度だけ見た。
それ以上は何も言わなかった。
突然。
黒い操作台に赤い光が走った。
『地上管理権限からの接続を確認』
全員が表示へ目を向ける。
『緊急点検路の不正開放を検出』
『管理補助官セレイナの権限逸脱を確認』
セレイナの顔が強張った。
「地上から誰かが接続したの?」
リズナの問いに、セレイナが短く答える。
「院長権限だそうよ」
赤い光が、十二の地方風塔を示す地図へ伸びた。
一つ。
二つ。
光点が順番に暗くなっていく。
『地方端末の完全封鎖を開始』
「再起動できないようにするつもりね!」
リズナが叫ぶ。
セレイナは銀色の証を操作台へ押し当てた。
だが、反応しない。
『下位権限からの命令を拒否』
地図の光が、さらに消えていく。
十二基のうち、残りは五基。
四基。
三基。
『全部閉じられる前に止める』
ミテイが灰色の魔力を操作台へ流し込んだ。
『でも、地上の権限が強い』
「院長は、ここの実態を知ってるの?」
リズナがセレイナへ問い詰める。
セレイナは青ざめた顔で首を横へ振った。
「分からない、と」
リズナが訳した直後。
地図上の光が、最後の一基だけになった。
アスタリア西部。
ルフェリア一族が暮らしてきた土地に最も近い風塔。
『最終地方端末の封鎖を開始』
「止めろ」
ゼラスが黒い操作台へ手を置いた。
黒紫色の魔力が、地上から流れ込む赤い命令へ食い込む。
二つの魔力が激しくぶつかり、制御室全体が揺れた。
赤い命令の向こうから、アスタリア語の男の声が響く。
「セレイナ副院長」
「あなたは、知る必要のないものを見ました」
セレイナの瞳が見開かれる。
リズナが、その内容をゼラスたちへ伝えた。
続けて響いた言葉に、彼女の表情が変わる。
「風の器を確保しなさい」
「先代の器と地下記録は、すべて処分します」
リズナの風が、怒りに応じて吹き上がった。
「……母さんを、処分する?」
赤い光が、ネフィラの生命維持装置へ伸び始める。
ゼラスはそれを見据え、低く告げた。
「リズナ。院長に伝えろ」
「何て?」
「今から俺が、そいつの守ってきた嘘を全部壊すとな」




