第百十九話 王座より古いもの
『魔皇権限を接続してください』
低いガリオール語が、制御室に響いた。
紫色の光は、ゼラスの前で静止している。
まるで、彼の奥に目的のものが隠れていないか、探っているようだった。
『上位管理権限を確認できません』
『局地端末の変更を禁止します』
「魔皇権限……」
リズナが呟く。
言葉の分からないセレイナが、彼女へ問いかけた。
リズナは先ほどの要求をアスタリア語で説明する。
セレイナの表情が変わった。
返ってきた言葉を、リズナがゼラスたちへ訳す。
「ガリオールの魔皇が、どうしてアスタリアの風塔を動かす権限を持ってるのかって」
「俺も今、それを考えてる」
ゼラスは紫色の光を見上げた。
「魔皇権限とは何だ」
問いに対し、黒い操作台へ古い文字が浮かぶ。
『複数適応系統統合管理核』
『ガリオール地脈及び境界門網の上位調整権限』
『局地端末に対する変更、停止、再編を許可』
エルシアが表示へ近づいた。
「魔皇という語の後ろに、古い注釈があります」
「読めるか?」
「はい。ただ、現在の意味とは少し違うようです」
エルシアは文字を指で追う。
「魔族を治める王、という意味ではありません」
「複数の適応系統と、地脈の流れを一つに束ねる者……そのように書かれています」
「適応系統?」
リズナが尋ねる。
『ルフェリアも、その一つ』
ミテイが答えた。
灰色の魔力が操作台へ触れ、内部の分類記録を拾い上げる。
『異なる場所から来た者。異なる魔力へ適応した者。元からガリオールにいた者』
『全部を同じ種類として扱っていない』
「魔族は、一つの祖先から生まれたわけじゃないということか」
ゼラスが言う。
『そう見える』
ミテイは紫色の光へ顔を向けた。
『魔皇は、それらをまとめて調整するための存在』
リズナは内容をセレイナへ伝えた。
セレイナはしばらく言葉を失っていた。
アスタリアで伝えられてきた魔皇とは、ガリオールを支配する強大な王だ。
だが、目の前の装置が求めているのは、政治的な地位ではない。
もっと古い役割だった。
「認証してるのは、名前や身分じゃない」
ゼラスが紫色の光へ手をかざす。
光は彼の指先を調べた後、すぐに離れた。
「魔力の中にある、特定の構造を探してる」
『中核風紋と似ている』
ミテイが告げる。
『同じ形ではない。でも、身体の中に作られた認証』
「それが、魔皇の中にあるのか?」
『記録上の名前は、皇核』
エルシアが操作台に浮かんだ文字を読む。
「『皇核保持者にのみ、統合管理権限を付与する』とあります」
リズナが自分の胸元へ触れた。
「あたしの中核風紋みたいに、魔皇にも特別な魔力構造があるってこと?」
「ああ」
ゼラスは僅かに目を伏せた。
思い返しているのは、二百年以上前のことだった。
魔皇軍にいた頃。
魔皇が、宮殿の地下へ一人で下りることがあった。
護衛は許されず、ゼラスも扉の前で待たされた。
戻ってきた魔皇は、戦いの後でも見せないほど消耗していた。
何をしていたのか尋ねても、地脈の調整だとしか答えなかった。
「あの時のことか……」
「何か知ってるの?」
「知ってるとは言えん」
ゼラスは首を横へ振った。
「陛下が、地下にある古い施設を動かしていたことはある。俺は封印の維持だと思っていた」
「実際は、ガリオールの地脈そのものを調整してたかもしれない?」
「可能性はある」
ゼラスは操作台に表示された皇核の文字を見つめる。
「魔皇という役割は、今の国ができるより古い」
「後から王の意味まで加わったってことね」
「ああ。王座に就いたから権限を得るんじゃない」
ゼラスの声が僅かに低くなる。
「権限を持つ者が、王座へ座るようになったんだろう」
リズナはその説明をセレイナへ訳した。
セレイナが何かを尋ねる。
「魔皇も、母さんと同じ器なのかって」
リズナが伝えると、ゼラスはすぐには答えなかった。
「似た部分はある」
やがて、慎重に言葉を選ぶ。
「だが、同じとは言えん」
「どう違うの?」
「陛下は自分の意思で動ける。少なくとも、俺が仕えていた頃はな」
ゼラスはネフィラのいる空洞へ目を向けた。
「役割を持つことと、逃げられないようにつながれることは別だ」
リズナは静かに頷いた。
「選べるかどうか、ね」
『役割を受け入れることも、拒否することも、本人が決める』
ミテイが言う。
『決められないなら、道具と同じ』
リズナがその言葉も伝えると、セレイナは俯いた。
それは、彼女がリズナへさせようとしていたことでもあった。
遠くで、風が大きく揺れた。
制御室の外。
ネフィラを包む結晶から伸びる光が、一瞬だけ弱くなる。
「母さん?」
リズナが振り返る。
『生命維持出力が低下している』
ミテイが告げた。
『境界通信に使われた分が、戻っていない』
「あとどれくらい保つ」
『分からない。時間の流れが特殊』
「長くは待てないってことね」
リズナは巨大な輪へ向き直った。
「魔皇陛下を呼ぶことはできないの?」
「大陸が違う」
ゼラスが答える。
「境界通信も切ったばかりだ。それに、あれをもう一度つなげれば、またネフィラを使われる」
リズナがセレイナへ状況を伝える。
返ってきた問いを、ガリオール語へ訳した。
「魔皇権限を使わずに、各地の風塔を戻す方法はないのかって」
「探してる」
ゼラスは黒い操作台へ手を置いた。
「正規の入口が一つしかないなら、作った奴が無能すぎる」
『緊急時の経路があるはず』
ミテイも灰色の魔力を流す。
『上位管理者がいない時に、全部止まる構造にはしない』
「記録を遡ります」
エルシアが操作台の表示を切り替えた。
現在の命令。
その前の命令。
さらに古い命令。
幾重にも積み重なった記録が、空中へ浮かび上がっていく。
「変更履歴があります」
「読んでくれ」
「はい」
エルシアが一つずつ確認する。
「各地の風塔にあった自律調整機能は、途中で停止されています」
「停止理由は?」
「中央での一括管理へ移行するため、とあります」
『その前の構造が残っている』
ミテイの魔力が、表示の奥に隠された層へ入り込む。
アスタリアの地図が浮かび上がる。
十二の地方風塔。
中央風塔。
そして、それぞれを結ぶ細い線。
以前見た地図とは違い、古い記録では十二の風塔が互いにつながっていた。
中央だけを経由していない。
『元は、各地で判断を分けていた』
「中央がなくても動けたのか?」
『完全には止まらない』
ミテイは十二の光点を順に指した。
『それぞれが近くの風を調整する。大きな変化だけ、中央へ集める』
ゼラスの目が細くなる。
「俺たちがやろうとしてた形と同じだな」
『そう』
「なら、新しく作る必要もない」
リズナが地図を見上げる。
「止められた機能を元に戻せばいい」
『でも、変更には魔皇権限が必要』
「今の命令ではな」
ゼラスが言った。
「古い経路を探せ」
エルシアがさらに履歴を遡る。
表示される文字は次第に崩れ、欠損が増えていった。
それでも、一つの項目が残っていた。
「緊急分散管理……」
「続けてくれ」
「上位管理権限が失われた場合、局地適合核と独立管理核の合意により、一時的な再編を許可する」
リズナが眉を寄せる。
「局地適合核って?」
『リズナ』
ミテイが即答した。
『アスタリアの風脈へ適応した、中核風紋の保持者』
「あたし一人じゃ足りないのね」
「もう一つの独立管理核は?」
ゼラスが尋ねる。
ミテイは答えなかった。
灰色の魔力が、古い記録の認証条件へ触れる。
直後。
黒い操作台から細い紫色の光が伸びた。
光はリズナを調べた後、ミテイへ向きを変える。
『局地適合核を確認』
『独立管理核候補を確認』
紫色の光が、ミテイの胸元へ集まった。
『旧記録管理機能』
『自律判断能力を保持』
『独立個体化による人格偏差を検出』
ミテイが光を見下ろす。
『偏差ではない』
機械音声は反応しない。
『管理核としての再接続が可能です』
『固定化処理後、緊急分散管理を開始します』
「固定化?」
リズナが呟く。
『ここから動けなくするという意味』
ミテイは静かに答えた。
『私を中央へつないで、ネフィラの代わりに使う』
制御室の空気が凍りついた。
リズナが操作台を睨む。
「結局、誰かを閉じ込めるの?」
『独立管理核の人格は、管理効率を低下させます』
『不要な人格情報を停止します』
紫色の光が強くなる。
ゼラスがミテイと操作台の間へ立った。
「断る」
『候補個体の意思は、承認条件に含まれません』
「なら、その条件が間違ってる」
黒紫色の魔力が紫の光を押し返した。
リズナもミテイの隣へ立つ。
「あたしの母さんを助けるために、ミテイを代わりに置いていくつもりはないわ」
『緊急分散管理を拒否しますか』
『先代個体の維持限界が接近しています』
ミテイは、ネフィラのいる方角を見た。
それから、自分の胸元へ触れる。
『私がつながれば、ネフィラは助かる?』
「ミテイ」
ゼラスが彼女を見る。
『確認しただけ』
ミテイは操作台へ顔を向けた。
『私は、つながるかどうかを自分で決める』
『でも、人格を消すことは選ばない』
紫色の光が明滅する。
『条件不成立』
『緊急分散管理を停止します』
「待ってください」
エルシアが表示の一部へ手を伸ばした。
「この条件は、最初から存在したものではありません」
「何?」
古い記録と現在の記録。
エルシアは二つを並べ、変更された箇所を示す。
「独立管理核の固定化と、人格停止」
「どちらも後から追加されています」
ミテイの灰色の魔力が、変更履歴のさらに奥へ潜り込んだ。
長い沈黙。
やがて、彼女が顔を上げる。
『風の器を一人だけ中核へ固定する命令も、後から足されている』
リズナの目が見開かれた。
「じゃあ、最初は……」
『人を閉じ込める必要はなかった』
十二の地方風塔が、古い地図の上で淡く輝く。
『魔皇権限も、風の器も、誰かを犠牲にするためのものではない』
『この塔は、途中で変えられた』
黒い操作台に、新たな記録が浮かび上がった。
『中央集約化改修』
『生体判断核の恒久固定を承認』
その下に、改修を命じた者の識別名が表示される。
リズナが、その文字を読み上げた。
「……初代風導院長」
セレイナの顔から、血の気が引いた。




