第百十八話 外側からの命令
中枢通路の奥で、淡い紋様が脈打っていた。
幾重にも重なる円。
その間を走る、複雑な線。
グランラビリスの最深部で見た門と、まったく同じではない。
それでも、無関係とは思えない形だった。
『似ている』
ミテイが壁へ手を伸ばす。
灰色の魔力が紋様の周囲へ広がり、内部に刻まれた流れを読み取っていく。
『門そのものではない。でも、門と情報をやり取りする部分に近い』
「向こう側と通信するための端末か」
ゼラスが通路の奥を見据えた。
『可能性が高い』
リズナが二人の会話をアスタリア語へ訳し、セレイナへ伝える。
セレイナは紋様を見つめたまま、戸惑うように首を横へ振った。
「風導院の記録には、こんな術式は残っていないそうよ」
「風導院へ教える必要がなかったんだろ」
ゼラスの答えを、リズナが再び伝える。
セレイナが短く問い返した。
「塔にとって風導院は、管理者ではなかったのかって」
「そういうことだ」
ゼラスは歩き出す。
「連中も、塔に使われていただけだ」
通路の先には、円形の制御室があった。
中央には、巨大な輪が浮かんでいる。
輪の内側は空洞だったが、縁には数え切れないほどの文字と紋様が刻まれていた。
壁際には複数の操作台が並び、そのほとんどが風脈を示す緑色の光を放っている。
一つだけ。
最も奥に置かれた黒い操作台には、白い文字が浮かんでいた。
ゼラスが目を細める。
「ガリオール語だな」
現在使われている文字よりも形が古い。
さらに、一部には施設内だけで使われていたらしい略記が混じっていた。
エルシアが操作台へ近づく。
「私がいた施設の記録形式と似ています。細かな表記は、私が読んだ方が早いかもしれません」
「ああ、任せる」
エルシアは白い文字を順に追った。
「『局地風脈管理端末』」
「『第七移住群・定着領域』」
「『境界門網との通信を維持』」
彼女がガリオール語で読み上げた内容を、リズナがセレイナへ訳す。
「中央風塔が……局地端末?」
セレイナの問いを聞き、リズナがゼラスたちへ伝えた。
「ここが中央じゃなかったってことか、だって」
「少なくとも、作られた当初はな」
ゼラスは巨大な輪を見上げる。
『もっと大きな仕組みの一部』
ミテイが告げた。
『風導院は、その一部だけを中央と呼んでいた』
リズナは、母の言葉を思い出す。
中央管理層は、命令を受け取っているだけ。
ならば、この場所を作った者たちにとって、アスタリアの中央風塔は数ある端末の一つにすぎなかったのだ。
エルシアが黒い操作台へ手を近づける。
「記録を開けそうです」
『開けば、通信が再開する可能性がある』
ミテイが注意を促した。
ゼラスは巨大な輪と、部屋の外へ続く風脈を見比べる。
「開けろ」
「よろしいのですか?」
「相手が何者か分からんまま、ネフィラだけ外す方が危険だ」
エルシアが静かに頷き、操作台へ触れた。
白い文字が崩れ、空中へ複数の記録が展開される。
最初に現れたのは、古い地図だった。
中央に描かれているのはガリオール。
その外縁に、見覚えのない印がある。
印から伸びた線はガリオールへ入り、長い時を経て大陸内の別地点へ移動していた。
さらに、その一部が海を越え、アスタリアへ続いている。
エルシアが表示を読む。
「『第七移住群』」
「『境界外領域よりガリオールへ定着』」
「『後代集団の一部をアスタリアへ移送』」
「『現地風脈への適応を確認』」
リズナは地図から目を離せなかった。
「ルフェリアの祖先……?」
エルシアが次の記録を開く。
「『適応系統名――ルフェリア』」
「『中核風紋の形成を確認』」
制御室が静まり返った。
リズナはゆっくりと、自分の胸元へ手を当てる。
「あたしたちの祖先は、本当に外側から来たのね」
「記録を信じるならな」
ゼラスは地図を見据えた。
「外側からガリオールへ渡り、その子孫の一部がアスタリアへ来た」
『中核風紋は、アスタリアへ来た後に生まれている』
ミテイが表示の一部を指す。
『塔が作ったものではない。風脈へ適応した結果』
「あたしたちが、アスタリアで生き続けたから……」
「そのようです」
エルシアが頷く。
「外側から与えられた機能でも、風導院に作られた力でもありません」
「ルフェリアの一族が、アスタリアの風へ適応して得たものです」
リズナはその説明を、セレイナにも伝えた。
返ってきた言葉を聞き、僅かに目を伏せる。
「風導院は、その性質を風の器と呼んで利用しただけだった、って」
「自分たちで作ってもいないものを、所有物扱いしてたわけだ」
ゼラスの言葉を訳されても、セレイナは反論しなかった。
突然、黒い操作台の光が強くなった。
『局地管理端末の記録閲覧を確認』
アスタリア語の機械音声が、制御室全体へ響く。
『境界通信路を再接続します』
「通信を再開するって!」
リズナが叫んだ。
巨大な輪の内側へ、白い光が集まり始める。
空間が僅かに歪んだ。
門を開くほどの力はない。
だが、細い穴を作り、情報だけを向こう側へ通そうとしている。
『切った方がいい』
ミテイが言う。
「どこを切れば、風脈へ影響しない?」
『探す』
灰色の魔力が床下へ広がった。
直後、制御室全体が大きく揺れる。
『後継個体との接続を喪失』
『先代個体を通信補助核として使用』
リズナの表情が変わる。
「母さんを使うつもりよ!」
部屋の外から、風が悲鳴のように流れ込んだ。
ネフィラを包む結晶から、無数の光がこの制御室へ引き寄せられている。
「止めろ」
ゼラスの声が低くなる。
『通信路と風脈制御が、途中まで重なっている』
ミテイが床へ両手を触れた。
『無理に切れば、ネフィラの維持機能まで止まる』
「分けられる場所は?」
『輪の裏側』
巨大な輪の奥。
白い光が集まる中心部で、二本の術式が重なっていた。
一方は緑。
アスタリア各地の風脈へ続く線。
もう一方は白。
境界の向こうへ伸びようとする線。
「近づけばいいのね」
リズナが一歩踏み出す。
直後、輪から強烈な風が吹きつけた。
「くっ……!」
身体が後方へ押し戻される。
ゼラスが背中を支えた。
「俺が行く」
「駄目」
「なぜだ」
「あの白い線、あたしの風紋にも反応してる」
リズナは巨大な輪を睨んだ。
「二つを分けるには、あたしの風が必要よ」
「接続されるぞ」
「させなければいいでしょう?」
リズナはゼラスを振り返った。
恐怖がないわけではない。
それでも、その目は逸らさなかった。
「あたしを放さなくていいわ。
でも、あそこまで連れていって」
ゼラスは一瞬だけ彼女を見つめる。
「ああ、余裕だ」
ゼラスがリズナの腰を抱き、吹き荒れる風の中へ踏み込んだ。
黒紫色の魔力が二人の前へ広がる。
押し寄せる風を正面から割りながら、一歩ずつ巨大な輪へ近づいていく。
『異物による接近を確認』
『後継個体の確保を優先』
白い光が蛇のように伸び、リズナへ絡みつこうとした。
ゼラスが空いた手で光を掴む。
魔力同士が激しく弾けた。
「触れさせるか」
「もう少し!」
リズナは自分の風を伸ばす。
緑色の流れが、輪の表面へ触れた。
その瞬間。
彼女の意識へ、無数の風景が流れ込んだ。
砂に埋もれた門。
崩れた都市。
見たことのない空。
ガリオールへ渡った者たち。
そして、アスタリアの風へ初めて触れた、赤い髪の女性。
「……見える」
「何がだ」
「あたしたちの祖先が通った道」
白い術式が、リズナの風を通信路へ引き込もうとする。
胸元へ中核風紋が浮かび上がった。
『適合系統を確認』
『境界帰還経路を再構築』
「帰還……?」
リズナが眉を寄せる。
『第七移住群の帰還を開始します』
「勝手に決めないで!」
リズナの風が爆発するように広がった。
白い線と緑色の線の間へ、彼女自身の風が割り込む。
『接続命令を拒否』
『適合個体の意思に異常を確認』
「異常じゃないわ」
リズナは輪へ手を押し当てる。
「あたしたちは、もう帰るための荷物じゃない」
脳裏に浮かぶ、ガリオールからアスタリアへ渡った者たち。
その地で生まれ、風と共に生きた数え切れないほどの子孫。
「あたしたちの故郷は、ここよ!」
ゼラスの魔力が、リズナの風を外側から支える。
「切る場所は分かるか」
「ええ」
リズナは重なった術式の一点を睨んだ。
「ここよ!」
ゼラスが白い線だけを掴む。
同時に、ミテイの灰色の魔力が輪の基部を固定した。
『緑の流れは維持する』
『白い流れだけ、止める』
「なら十分だ」
ゼラスが腕を引く。
白い術式が軋んだ。
制御室全体へ、耳を刺すような音が響く。
『境界通信路の切断を禁止』
『先代個体の生命維持を停止します』
「嘘よ!」
リズナが即座に叫んだ。
ネフィラへ続く風を通して、生命維持の流れを感じ取っている。
緑色の線は、今も正常に動いていた。
「母さんにつながってるのは、そっちじゃない!」
「ああ」
ゼラスも二つの術式を見抜いていた。
「脅せば止まると思ったか」
黒紫色の魔力が一気に膨れ上がる。
白い線が引き裂かれた。
巨大な輪の光が消えた。
制御室を満たしていた風が、急速に静まっていく。
緑色の風脈だけは止まらない。
アスタリア各地へ向かい、変わらず流れ続けている。
『境界通信路、切断』
『局地風脈管理機能、継続』
ミテイが立ち上がった。
『成功』
リズナは輪から手を離し、深く息を吐いた。
「母さんは?」
『生命反応に変化はない』
「よかった……」
力の抜けかけた身体を、ゼラスが支える。
「放さないでって言ったでしょう?」
「放してない」
「あたしが頼んだから?」
「頼まれなくてもな」
リズナは僅かに頬を赤くし、それ以上は何も言わなかった。
静かになったはずの黒い操作台から、再び光が漏れた。
今度は白ではない。
深い紫色。
これまでの機械音声とは異なる、低い声がガリオール語で響く。
『局地端末による命令拒否を確認』
ゼラスの表情が変わった。
エルシアも、操作台を見つめたまま息を呑む。
「私がいた施設の管理音声と、よく似ています」
『現地管理権限を照合』
紫色の光が、制御室を巡った。
セレイナ。
リズナ。
エルシア。
ミテイ。
最後に、ゼラスの前で止まる。
『該当権限なし』
『上位管理権限を要求』
一拍の静寂。
続けて告げられた言葉に、ゼラスの目が細くなった。
『魔皇権限を接続してください』
言葉を理解できなかったセレイナが、リズナを見る。
リズナは紫色の光を見つめたまま、低く訳した。
「……魔皇権限を接続しろ、だって」
なぜ、これほど古い装置が魔皇を知っているのか。
答えを持つ者は、誰もいなかった。




