第十一話 標定
禁書庫を出た後、三人は城内の研究区画へ移動した。
案内された部屋は、先ほどの会議室よりも広い。
中央には黒い金属製の作業台が置かれ、壁際には大小様々な魔導具が並んでいる。
窓はなく、天井と床には魔力を遮断する術式が幾重にも刻まれていた。
リュミエラが扉を閉めると、室内を囲む術式が順番に起動する。
「ここなら、外部へ魔力が漏れる心配はないわ」
ゼラスは作業台の前へ立ち、収納魔法からレイスウィザードを取り出した。
鞘に収めたまま、台の上へ横たえる。
「このままでいいのか?」
「ええ、まずは鞘を含めた全体の状態を確認するわ」
リュミエラが作業台の端へ触れる。
淡い紫色の光が広がり、レイスウィザードの周囲に複数の術式が浮かび上がった。
円形の光が、剣の上をゆっくりと移動していく。
柄。
鍔。
鞘。
その内側に収められた刀身。
それぞれの魔力を読み取るように、光が何度も往復する。
リズナは少し離れた場所から、その様子を見守っていた。
「変化は?」
ゼラスが尋ねる。
「急かさないで。
この剣を見るのも二百年以上ぶりなのだから、まずは状態を確かめさせて」
「壊れてない」
「あなたの言う壊れていないは、信用できないわ」
「普通に使えるぞ」
「使えることと、正常であることは別でしょう?」
リュミエラは呆れたように答えながらも、剣から視線を外さなかった。
幾つもの数値と術式図が、彼女の周囲に浮かび上がっていく。
リズナには、その大半を読み取ることができない。
ただ、刀身の内部に複雑な魔力回路が組み込まれていることだけは分かった。
「リュミエラさんが、この剣を作ったんですよね?」
「ええ、試作を形にするための検証段階で作った、いわば試作の試作よ」
「ゼラスのために作ったんですか?」
「いいえ、この人とはまだ出会っていなかったわ」
リズナは目を瞬いた。
リュミエラとゼラスは、剣が作られた後に知り合ったらしい。
「では、どうしてゼラスが持っているんですか?」
「私が昔、とある大迷宮の百階層にある隠し部屋へ保管したものを、この人が後になって見つけたのよ」
「百階層……?」
リズナが聞き返すと、ゼラスは作業台を眺めたまま答えた。
「たまたま見つけた」
「大迷宮の百階層にある隠し部屋を、たまたまで見つけるものなの?」
「見つけたものは仕方ないだろ」
リュミエラが小さく笑う。
「レイスウィザードが持ち出されたことを感知して、私もその大迷宮へ向かったの。
迷宮を脱出した直後のゼラスと会ったのは、その時が初めてよ」
リズナは二人を交互に見た。
自分が想像していたよりも、二人の出会いは奇妙なものだったらしい。
「勝手に持ち出して、怒られなかったの?」
「怒られた」
「正確には、事情を聞いただけよ」
「剣を向けながらか?」
「盗人かもしれない相手へ、何の警戒もせず近づくほど無用心ではないわ」
「やっぱり怒ってたんじゃないですか」
リズナが言うと、リュミエラは上品に微笑んだ。
「少しだけね」
その言葉とは裏腹に、当時のゼラスが無事で済んだことの方が不思議に思えた。
「それで、この剣にはどんな力があるんですか?」
リュミエラは検査用の術式を切り替えた。
レイスウィザードの刀身を示す立体図が、作業台の上へ浮かび上がる。
「周囲に存在する死霊を感知し、集め、その力を圧縮して放つ。
それが、レイスウィザードの基本となる能力よ」
リズナは思わず室内を見回した。
「死霊を……?」
「今、この部屋にいるという話ではないわ」
リュミエラは僅かに笑った。
「死者の中には、強い思念や魔力によって現世へ留まるものがいる。
姿を保てず、僅かな残滓だけになっている場合もあるわ」
「黒風の森みたいな場所には多いんですか?」
「ええ、あの森なら、利用できる死霊は少なくないでしょうね」
リュミエラが作業台へ魔力を流す。
レイスウィザードの周囲に浮かんだ術式が、鞘の表面から内部の刀身へ移っていった。
「もっとも、ただ無差別に取り込むわけではないわ。
剣へ魔力を通し、必要な分だけ集めるの」
「集めた死霊を、そのまま撃ち出すんですか?」
「そういう使い方もできるわ。
圧縮した力を刃へまとわせることも、塊として放つこともできる」
リュミエラは空中へ、刀身内部の術式を拡大して映し出した。
「ゼラスの炎と組み合わせれば、通常の炎とは性質の異なる霊炎にも変えられるわね」
リズナはレイスウィザードを見つめた。
黒風の森でゼラスが使っていた剣とは、存在感からして違う。
「闇属性を強くする力もあるんですか?」
「ええ、死霊の力を介して、闇属性魔法の精度と出力を引き上げる補助効果があるわ」
リュミエラは複雑に入り組んだ魔力回路の一部を指し示した。
「ただし、ゼラスはレイスウィザードがなくても、闇属性を上級域まで扱える」
「レイスウィザードがなくても、上級なんですか?」
「ええ、この人の実力を一般的な基準で考えてはいけないわ」
リズナはゼラスを見る。
「それで上級なら、得意な属性はどれだけ強いのよ」
「比較する必要はないだろ」
「余計に気になるんだけど」
ゼラスは答えず、作業台の上の剣へ視線を戻した。
リュミエラが小さく笑う。
「レイスウィザードの補助を受ければ、闇属性は超上級域まで引き上げられるわ」
「集められる死霊の量や質にも左右されるんだろ?」
ゼラスが確認するように尋ねた。
「ええ、それに、剣へ流す魔力量も関係するわね」
リズナは改めてレイスウィザードへ目を向けた。
「それだけ強いなら、どうして黒風の森では使わなかったの?」
「あの程度の相手に必要なかった」
ゼラスは平然と答えた。
「必要もないのに抜くような剣ではないわ」
リュミエラが続ける。
「死霊の多い場所ほど大きな力を引き出せるけれど、それだけ周囲へ与える影響も強くなる。
使う場面は選ぶべきでしょうね」
リズナは頷いた。
ゼラスが黒風の森で使っていた普通の剣は、レイスウィザードの代用品ではない。
あの場では、それで十分だと判断していただけなのだ。
リュミエラが術式を切り替える。
レイスウィザードの周囲を巡っていた紫色の光に、白い粒が混じった。
三人の表情が同時に変わる。
「これか?」
ゼラスが声を落とす。
「ええ、石板から付着した魔力ね」
白い粒は鞘の表面ではなく、その内側にある刀身の周囲へ集まっていた。
特に反応が強いのは、鍔に近い部分だった。
「剣の中へ入り込んでいるんですか?」
「いいえ、今のところは表面にまとわりついているだけよ」
リュミエラは慎重に術式を操作した。
白い粒の一部が剣から離れ、透明な球体の中へ封じ込められる。
閉じ込められた粒は細かく揺れながら、一方向へ集まり始めた。
その先にいるのは、リズナだった。
「私に反応してる……」
リズナが一歩下がる。
球体の中の白い粒も、それに合わせて移動した。
「風晶石を確認させて」
「はい」
リズナは腰に下げた風晶石へ手を添えた。
リュミエラが近づき、結晶へ直接触れないように手をかざす。
淡い紫色の輪が、リズナと風晶石の周囲をゆっくりと回り始めた。
「痛みや違和感は?」
「今はありません。
さっきより、震えも弱くなっています」
「魔力を少しだけ流してみて。
普段どおりで構わないわ」
リズナは頷き、風晶石へ魔力を送り込んだ。
結晶の中に淡い光が生まれる。
室内の空気が僅かに動き、赤い髪の先を揺らした。
同時に、球体の中に封じられた白い粒が激しく震える。
粒は一か所へ集まり、細長い線を作った。
その線が折れ曲がり、見覚えのない文字のような形を描いていく。
リュミエラの目が細くなる。
「止めて」
リズナはすぐに魔力を切った。
風が消える。
だが、球体の中に浮かんだ白い記号は残ったままだった。
「読めるのか?」
ゼラスが尋ねる。
「古代文字に似ているけれど、そのままでは読めないわ」
リュミエラは空中へ別の術式を展開した。
禁書庫で確認した石板の文字が、幾つも映し出される。
白い記号と重ね、形と魔力の流れを比較していく。
「文字というより、術式上の記号ね」
「どういう意味ですか?」
「特定の処理が完了したことを示す印よ。
古い転移術式や、遠距離観測術式で使われていたものに近いわ」
リュミエラは幾つかの記録を切り替えた。
やがて、一つの記号が白い線と重なる。
完全に同じ形ではない。
だが、線の位置と魔力の巡り方はよく似ていた。
「見つけたわ」
リュミエラの声から、柔らかさが消えた。
「何を示す印だ?」
ゼラスが尋ねる。
リュミエラは白い記号を見つめ、慎重に術式の流れを読み取った。
「遠距離転移を行う前に、移動先の位置を固定するための処理よ」
リズナの胸が小さく鳴った。
「移動先を……?」
「目標となる位置を探し出し、門がずれないように印を付けるの」
リュミエラはリズナを見る。
「古い術式では、それを『標定』と呼んでいたわ」
室内が静まり返る。
リズナは禁書庫で聞いた声を思い出した。
――見つけた。
あれは、自分たちを見つけたというだけの意味ではなかったのかもしれない。
「何を標定したんだ?」
ゼラスが低く尋ねる。
リュミエラの視線が、リズナの風晶石からレイスウィザードへ移る。
「一つとは限らないわ」
「私と、ゼラス……?」
「正確には、あなたたちの魔力を目印にした可能性が高い」
リズナは風晶石を握る手へ力を込めた。
自分たちが門を探していたのではない。
門の向こうにいる何かが、こちら側の自分たちを探していた。
そして、すでに見つけられている。
リュミエラが白い粒を封じた球体へ、新たな封印を重ねた。
「ゼラス、しばらくレイスウィザードは抜かないで」
「必要になれば抜く」
「その時は、必ず私へ知らせて。
石板との反応が続いている以上、無関係とは言い切れないわ」
「ああ。」
ゼラスはレイスウィザードを収納魔法へ戻した。
続いて、リュミエラがリズナへ向き直る。
「リズナちゃんも、今夜は用意した部屋で休んで。
風晶石に変化があっても、自分だけで調べようとしないでちょうだい」
「分かりました」
「念のため、部屋の近くに護衛を置くわ。
監視するためではないから、そこは安心して」
「はい」
リュミエラは研究記録をまとめ、封印した球体を専用の保管箱へ収めた。
その時、扉の外から短い呼び鈴が響いた。
リュミエラが壁の術式へ触れる。
「何かあったの?」
扉の向こうから、兵士の緊張した声が返ってきた。
「禁書庫より緊急報告です。
第三区画の監視記録に、異常が確認されました」
三人の視線が扉へ向く。
「どんな異常?」
「封印そのものに問題はありません。
ですが、先ほどまで存在しなかった術式が、石板の表面に浮かび上がっています」
リュミエラの表情が引き締まる。
「形状は?」
扉の向こうで、兵士が一瞬言葉に詰まった。
「門です」
「……門?」
「はい、内側から開こうとしているように見えます」




