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第百十三話 風都の門



王都の中央にそびえる白い塔が、二度目の光を放った。


その直後。


風車の帆が、一斉に向きを変えた。


「何だ?」


ゼラスが窓の外を見る。


御者は操作盤へ両手を置き、何かを叫んでいた。


だが、車体は御者の操作を無視し、街道の中央へ刻まれた緑色の線へ吸い寄せられていく。


風導院の使者たちも席を立ち、互いにアスタリア語を交わしていた。


「何が起きてる」


ゼラスが尋ねる。


リズナは使者たちの会話へ耳を傾けた。


「中央風塔から、優先航路を指定されたみたい」


「普通のことか?」


「違うわ。王族の移動か、大規模な災害が起きた時くらいしか使われないはずよ」


風車の速度が上がる。


左右を走っていた別の車両が、強制的に道を譲らされていく。


帆を押す風は、車体に備えられた魔道具が生み出したものではない。


王都の塔から伸びる巨大な風脈そのものが、風車を引き寄せていた。


『リズナにつながっている線が太くなった』


ミテイが告げる。


リズナの喉元には、先ほど浮かび上がった緑色の文字がまだ残っている。


『風の器の帰還を確認』


文字が消える。


代わりに、リズナの頭の中へ声が響いた。


『中央風塔への帰還経路を確保』


リズナが眉を寄せる。


「また聞こえた」


「何と?」


「中央風塔への帰還経路を確保したって」


「帰還、か」


ゼラスは遠くの白い塔を見据えた。


リズナはすでに故郷へ帰っている。


それにもかかわらず、塔は王都へ向かうことを帰還と呼んだ。


『風の器リズナ』


再び声が響く。


『中核風紋の照合を開始します』


「勝手に始めないで!」


リズナは反射的にアスタリア語で叫んだ。


使者たちが驚いて振り返る。


ゼラスには言葉の意味は分からないが、誰へ向けて言ったものかは理解できた。


「塔に聞こえるのか?」


「分からない。でも、聞こえてくるだけなのは腹が立つのよ」


『応答を確認』


リズナの表情が固まる。


「聞こえてるみたい」


「なら、余計なことは言うな」


「もう遅いわよ」


喉元から伸びる細い魔力の線が、王都へ向けて強く引かれる。


ミテイが手を伸ばした。


灰色の魔力が、リズナの周囲へ薄く広がる。


『身体の中を見ようとしている』


「どこまでだ」


『喉と額。その下にも進もうとしている』


ゼラスがリズナの隣へ座る。


「触れるぞ」


「ええ」


彼はリズナの首筋へ指を添えた。


黒紫色の魔力を細く流し、侵入してきた術式へ重ねる。


流れを切ることはしない。


相手が何を探しているのかだけを読み取る。


「言語術式を入口にしてるな」


「何を調べてるの?」


「お前の魔力回路だ」


ゼラスの目が細くなる。


「風の器として使える部分が残っているか、確認してる」


「使えるって……」


リズナの声から温度が消えた。


『第一段階照合、完了』


塔の声が響く。


『中核風紋の残存率、八十七パーセント』


『外部干渉による命令層の欠損を確認』


『修復処置が必要です』


「修復ですって」


リズナが吐き捨てる。


「外した命令回路を、元に戻す気みたい」


「させん」


ゼラスは即答した。


『外来干渉体を検出』


次の声は、明らかにゼラスへ向けられていた。


『風の器への接触を停止してください』


「俺の言葉は分からないんじゃなかったのか?」


『声は聞いていない』


ミテイが塔へ続く線を見る。


『ゼラスの魔力を読んでいる』


「なるほどな」


ゼラスはリズナの首筋から手を離さなかった。


「なら、これも読めるだろ」


黒紫色の魔力が、侵入してきた術式を押し返す。


破壊はしない。


ただ、リズナの身体より先へ進めないよう、入口を塞いだ。


塔から送られていた魔力が止まる。


『照合を妨害されています』


『外来干渉体を危険対象へ指定』


「勝手にしろ」


『今のは通じていない』


ミテイが言う。


「分かってる」


『でも、少し楽しそう』


「気のせいだ」


リズナが横目でゼラスを見る。


「絶対、気のせいじゃないわね」




風車はさらに速度を上げた。


草原が終わり、街道の左右へ集落が増えていく。


巨大な風車塔。


空中へ張り渡された細い橋。


風を受けて浮かぶ、帆船に似た運搬艇。


王都へ近づくほど、地上だけでなく空にも無数の道が作られていた。


やがて前方に、巨大な城壁が現れる。


白い石で築かれた円形の壁。


その内側には、大小の塔が幾重にも並んでいる。


すべての建物が、中央の白い塔を囲むように建てられていた。


「風都アスティラ」


リズナが窓の外を見ながら告げる。


「あれが王都よ」


『大きい』


ミテイが顔を窓へ近づける。


『風が全部、中央へ集まっている』


「ああ」


ゼラスにも分かった。


大陸を巡る風脈の大半が、王都の地下へ流れ込んでいる。


そして中央風塔で形を整えられ、再び各地へ送り返されていた。


この街は、単なる王都ではない。


アスタリアの風を制御する、巨大な魔法装置そのものだった。


エルシアは窓越しに街を見つめている。


「私が暮らしていた頃より、ずっと大きくなっています」


「王都へ来たことがあるのか?」


「一度だけです。ですが、あの中央の塔はありませんでした」


「塔が建てられた時期は?」


リズナがアスタリア語で尋ねる。


エルシアも同じ言葉で答えた後、ガリオール語へ戻した。


「私が連れ去られた後でしょう。少なくとも、当時の記憶にはありません」


ゼラスは白い塔を見上げる。


エルシアが施設へ送られた後に造られた塔。


その塔が今、帰還した二人を待っている。


偶然とは思えなかった。




王都の外門が近づく。


通常の入口には、街へ入ろうとする風車が長い列を作っていた。


だが、ゼラスたちの車両は列へ並ばない。


緑色に光る専用の道を走り、そのまま中央の門へ向かっていく。


門の前には、すでに大勢の者が待っていた。


白と緑の長衣をまとった術師たち。


銀色の鎧を身につけた兵士。


その中央には、風導院の紋章を胸につけた一人の女性が立っている。


年齢はリュミエラと近く見えた。


長い淡緑色の髪を後ろでまとめ、杖も武器も持っていない。


だが、周囲の風は彼女を避けるように流れていた。


「知ってる奴か?」


「ええ」


リズナの顔から笑みが消える。


「風導院の副院長、セレイナよ」


「院長ではないのか」


「院長は、滅多に塔から出ないわ」


風車が停止する。


扉が開くより先に、外から固定用の術式が車体へ掛けられた。


使者の一人が立ち上がり、リズナへアスタリア語で命じる。


「何と?」


「先にあたしとエルシアさんだけ降りろって」


「断れ」


「言うと思ったわ」


リズナはアスタリア語で返した。


使者が険しい顔で何かを言い返す。


「同行者は別の入口から検査施設へ送る、だそうよ」


『別々にする』


ミテイが扉を見る。


『嫌だ』


「俺もだ」


ゼラスは立ち上がった。


「全員で降りる」


リズナが訳す。


使者たちは道を塞ごうとしたが、外に立つセレイナが片手を上げた。


短い命令が飛ぶ。


使者たちは不満そうにしながらも、道を開けた。


「何と言った」


「好きにさせなさい、ですって」


「話が分かる奴なら助かるがな」


「期待しない方がいいわよ」


リズナが先に降りる。


続いてエルシアとミテイ。


ゼラスが最後に地面へ足をつけた。


周囲にいた兵士たちの視線が、一斉に彼へ集まる。


大陸を越えてきた術師と聞いていたのに、現れたのが黒髪の少年だったためだろう。


セレイナも一瞬だけ目を細めた。


彼女はリズナへ向け、穏やかな声でアスタリア語を話す。


「何て言ってる」


「風の器の帰還を、心から歓迎するって」


ゼラスは並んだ兵士と、風車へ掛けられた固定術式を見る。


「歓迎という言葉の使い方を間違えてるな」


「そのまま訳していいの?」


「ああ」


リズナは少しだけ口元を上げ、正確に訳した。


周囲の術師たちがざわめく。


セレイナの笑みは崩れなかった。


彼女は今度はゼラスを見ながら、リズナへ問いかける。


「大陸外の術師は、随分と礼儀を知らないのですね、ですって」


「お前を拘束しようとした奴らに、礼儀を教わる気はない」


リズナが訳す。


セレイナの目から、僅かに笑みが消えた。


彼女はリズナの喉元を見つめる。


そこへ手を伸ばそうとした瞬間。


ゼラスが二人の間へ腕を入れた。


「触るな」


セレイナには言葉が通じない。


だが、意味は伝わった。


彼女は伸ばしていた手を止め、リズナへ何かを告げる。


「言語術式が破損している。すぐに修復が必要だって」


「破損じゃないわ」


リズナはゼラスを通さず、自分の言葉で返した。


「あたしの身体を操るための命令を外しただけよ」


二人の間で、アスタリア語の応酬が続く。


セレイナの声は最後まで穏やかだった。


だが、リズナの表情は次第に険しくなっていく。


「何と言われた」


ゼラスが尋ねる。


「命令層は、風の器が使命を拒まないために必要な安全装置だって」


「使命とは?」


リズナはセレイナへ問い返す。


返ってきた答えを聞いた瞬間、息を止めた。


「どうした」


「あたしは、中央風塔へ戻らないといけないって」


「戻る?」


「風の器は、人として生きるために作られたものじゃない」


リズナは唇を噛み、最後まで訳した。


「大陸の風脈を安定させるため、中央風塔の中核へ接続される存在だって」


エルシアが息を呑む。


ミテイは中央の白い塔を見上げた。


『接続されたら、リズナは出られる?』


リズナがその問いをセレイナへ伝える。


セレイナは僅かに目を伏せた。


それだけで、答えは十分だった。


「出られないのね」


リズナの声が震える。


セレイナは何かを付け加える。


「でも、意識は風脈の中へ残る。大陸全体の風と一つになれるから、死ではない……ですって」


ゼラスの魔力が、静かに膨らんだ。


地面へ亀裂が走るほどではない。


風を吹き飛ばすほどでもない。


それでも周囲の兵士たちは、無意識に一歩退いた。


「リズナ」


「何?」


「お前は、塔へ入りたいか」


リズナはゼラスを見た。


答えは決まっていた。


「入りたくない」


「ああ」


ゼラスは中央風塔を見上げる。


「なら、入らなくていい」


セレイナが鋭い口調で何かを告げた。


リズナが訳す。


「風の器が戻らなければ、大陸の風脈はいずれ崩れる。多くの街が水と風を失うって」


ゼラスはセレイナへ視線を戻した。


「それを解決するのが、お前たちの仕事だろ」


リズナが訳す。


セレイナは初めて、明確な怒りを顔へ浮かべた。


彼女が片手を上げる。


王都の門に刻まれた術式が、一斉に光った。


ゼラスたちの背後で、巨大な扉が閉じ始める。


空中を巡っていた風の道も形を変え、四人の周囲へ幾重もの壁を作った。


『閉じ込める気』


ミテイが告げる。


兵士たちが一斉に武器へ手をかけた。


セレイナはリズナへ最後の通告をする。


「風の器リズナを中央風塔へ移送する。抵抗する者は、王都への敵対者として拘束する」


リズナは訳し終えると、剣の柄へ手を添えた。


「どうする、ゼラス」


「決まってる」


ゼラスは閉じていく門を一度だけ見た。


武器を取り出す必要すら感じていない。


「まずは、こいつらに教える」


「何を?」


黒紫色の瞳が、中央風塔を映す。


「お前が誰のものでもないってことをだ」

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