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第百二話 残された側



『帰還者二名の転移を確認』


管理体の声だけが、静まり返った制御室に響いた。


巨大な環は回転を止め、アスタリアの景色も消えている。


ゼラスは成人姿のまま、しばらく宙へ手を伸ばしていた。


ほんの少し前まで、その指先にはリズナの外套を掴む手があった。


唇には、まだ触れた温もりが残っている。


「……最後まで一方的な奴だな」


小さく呟き、ようやく腕を下ろした。


『ゼラスは、追いかけようとした』


ミテイが言う。


「身体が勝手に動いただけだ」


『追いかけたかったから?』


ゼラスは答えなかった。


リュミエラも、今は助け舟を出さない。


ただ巨大な環を見上げ、静かに告げた。


「二人とも、無事に到着したわ」


「ああ。見えてた」


「では、こちらも戻りましょう」


ゼラスは一度だけ、光の消えた円を見下ろした。


そこには何も残っていない。


高く結ばれた赤い髪も。


自分をおちょくる声も。


続きは、また会えた時。


その言葉だけが、妙にはっきりと耳に残っていた。




三人が制御室を出ようとすると、管理体が後ろから声をかけた。


『西方天測所は、帰還経路の閉鎖に伴い主要機能を停止します』


ゼラスが振り返る。


「お前も止まるのか?」


『実行すべき管理命令は終了しました』


『以後の行動は、定義されていません』


ミテイは管理体を見つめた。


『命令がなくても、選べる』


『選択に必要な記録が不足しています』


『なら、ここで集めればいい』


管理体の青い光が、小さく明滅した。


『この施設には、帰還者が存在しません』


『でも、記録は残っている』


ミテイは自分の帳面を開く。


少し考えてから、一枚の紙へ短い言葉を書いた。


> 見ているだけでは、隣にいることにならない。


以前、管理体へ伝えた言葉だった。


ミテイはその下へ、もう一行加える。


> でも、忘れないために見ることもできる。


管理体は差し出された紙を、慎重に受け取った。


『これは、あなたが選んだ記録ですか』


『そう』


『保存します』


「ここに残るなら、好きにしろ」


ゼラスが言った。


「ただし、今度誰かが来ても勝手に閉じ込めるな」


『拒否すると、すでに決めています』


「なら十分だ」


管理体の青い光は、三人が通路へ入るまで消えなかった。




長い階段を上り、地上へ出る。


朝日はすでに海を照らしていた。


復元されていた二基の観測塔は、輪郭から少しずつ光へ変わっている。


風に溶けるように、塔の上部から消えていった。


ゼラスは海の向こうを見つめた。


「座標は取れたの?」


リュミエラが尋ねる。


「ああ。経路の構造と、両側から流れた魔力も記録してある」


「では、追跡できそう?」


「今すぐは無理だ」


ゼラスは淡々と答える。


「一度きりの経路を、そのまま再現できるほど単純じゃない。下手に開けば、アスタリア以外へ飛ばされる」


『でも、無理とは言っていない』


ミテイが言った。


ゼラスは彼女を見る。


「言ってないな」


『リズナは待っている』


「ああ」


今度は、誤魔化さなかった。


三人は魔導艇の着陸地点へ向かって歩き出す。


途中、ゼラスが何かを言おうと隣へ顔を向けた。


そこにいたのは、リュミエラでもミテイでもない。


誰もいない空間だった。


ゼラスは口を閉じ、そのまま前へ向き直る。


リュミエラは気づいていたが、何も言わなかった。




魔導艇へ乗り込んだところで、リュミエラがゼラスを見上げた。


「ところで、いつまでその姿でいるの?」


ゼラスが自分の身体を見る。


成人姿のままだった。


「……忘れてた」


「あなたが自分の姿を忘れるなんて、珍しいわね」


「うるさい」


淡い魔力が身体を包み、ゼラスはいつもの少年姿へ戻った。


ミテイが彼の顔を見る。


『小さくなっても、唇は同じ?』


「何の確認だ」


『リズナが触れた場所』


「記録するなよ」


ミテイは胸元の帳面を抱え直した。


『私の記録だから、私が決める』


ゼラスは反論せず、窓際の席へ腰を下ろした。


魔導艇が地上を離れる。


西方天測所が小さくなり、やがて海岸線の向こうへ消えていく。


ゼラスは窓の外を見たまま、ほとんど口を開かなかった。


しばらくして、リュミエラが彼の魔力の揺らぎに気づく。


他人へ秘術を施したことで生じた、僅かな熱。


まだ症状と呼ぶほどではない。


けれど、始まりはすでに身体の奥へ現れていた。


「ゼラス」


「分かってる」


「予定より早まるかもしれないわ」


「まだ数日はある」


ゼラスは西の空から目を離さなかった。


「それまでに、できるだけ記録を整理する」


リュミエラは静かに彼を見つめる。


身体へ迫る反動よりも。


今のゼラスを深く沈ませているのは、別のものだった。

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