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第百一話 続きは、また会えた時



「大人の姿になってみてよ」


ゼラスは眉を寄せた。


「なぜ今なんだ」


「いいから。最後のお願いよ」


帰還経路の再照合は終わり、巨大な環は安定した光を放っている。


残された時間は、もう長くなかった。


ゼラスは小さく息を吐く。


「分かった」


淡い魔力が少年の身体を包んだ。


背が伸びる。


細かった手足が長くなり、幼さを残していた顔立ちが、精悍な大人のものへ変わっていく。


黒い外套の下で肩幅も広がり、声も低く落ち着いたものへ変わった。


光が消える。


そこには、リズナよりも背の高い成人姿のゼラスが立っていた。


「これでいいか?」


リズナは返事をしなかった。


ただ、目を見開いて彼を見上げている。


「おい」


「……ちょっと待って」


「何を待つんだ」


「心の準備」


「お前が頼んだんだろ」


「そうだけど、想像してたより……」


リズナは言葉を止め、ゼラスの顔を改めて見た。


普段の面影は残っている。


けれど、その姿には長い年月を生きてきた男の落ち着きが、そのまま表れていた。


「どうした」


「ずるいわね」


「何がだ」


「その姿を今まで隠してたことよ」


「隠してない。普段使わないだけだ」


「もったいない」


「俺の勝手だろ」


言い方はいつもと同じだった。


それが妙におかしくて、リズナは小さく笑った。


「中身は変わらないのね」


「姿を変えただけだからな」


『帰還経路の開放まで、残り一分』


管理体の声が響いた。


リズナの笑みが、僅かに揺れる。


彼女は青白い円へ戻り、エルシアの隣へ立った。


巨大な環の向こうには、アスタリア側の制御室が映っている。


待ち続けていた父の姿も、今ははっきりと見えていた。


エルシアが鞄を握り締め、ゼラスたちへ深く頭を下げる。


「皆さん、本当にありがとうございました」


「向こうへ着いたら、すぐに身体を休めろ」


ゼラスが告げる。


「若返っていても、感覚が馴染むまでは無理をするな」


「はい」


エルシアは胸元へ手を添えた。


「いただいた時間を、大切に生きます」


「ああ」


ミテイは帳面を抱き、リズナを見つめていた。


『リズナ』


「なあに?」


『寂しい』


「うん。あたしもよ」


リズナは円の縁まで近づいた。


「でも、これで終わりじゃないわ」


『また会える?』


「会えるようにする」


『約束?』


「約束よ」


ミテイは強く頷いた。


『次に会う時、私はもっと私になっている』


「楽しみにしてるわ」


リズナは手を伸ばしかけ、円の外へ出られないことに気づいて止める。


代わりに、ミテイへ笑いかけた。


「元気でね」


『リズナも』


リズナは次に、リュミエラへ顔を向ける。


「リュミエラさん」


「ええ」


「ミテイをお願いします」


「もちろんよ」


リュミエラは穏やかに微笑んだ。


「でも、この子はもう、私がすべてを決めてあげるような相手ではないわ」


『自分で選ぶ』


「そうね」


リズナも笑う。


「ゼラスのことも、お願いします」


「それは少し難しい注文ね」


「おい」


ゼラスが口を挟む。


リュミエラは気にせず続けた。


「けれど、できる限りは見ておくわ」


「ありがとうございます」


『帰還経路の開放まで、残り三十秒』


光が強くなり、リズナの高く結んだ赤い髪が温かな風に揺れた。


彼女は最後に、ゼラスへ向き直る。


「ゼラス」


「何だ」


「あたし、帰るわ」


「ああ」


「父さんに会って、故郷がどうなったのか確かめる。エルシアさんのことも、ちゃんと向こうへ伝える」


「そうしろ」


「でも、ここで終わりにするつもりはないから」


ゼラスは、まっすぐに彼女を見返した。


「俺もだ」


リズナが目を瞬く。


「今日は本当に、分かりやすく喋るのね」


「今は曖昧にする場面じゃないだろ」


「そうね」


その声は、少しだけ震えていた。


「アスタリアへ来られそう?」


「この転移で得た座標と記録を調べる」


「来られそうなら、来て」


「方法を見つけたら、必ず行く」


リズナの表情が明るくなる。


「待ってるわ」


『帰還経路の開放まで、残り十秒』


ゼラスは円の外から、彼女を見つめていた。


言うべきことは、もう言った。


それでも、何かが足りないような感覚だけが残る。


『九』


リズナが円の縁へ近づいた。


「動くな。経路が乱れる」


「少しくらい平気よ」


『八』


「最後まで面倒を増やすな」


「最後じゃないって言ったでしょう?」


『七』


リズナは成人姿のゼラスを見上げる。


頬が赤い。


けれど、目は逸らさなかった。


『六』


「ねえ、ゼラス」


「何だ」


『五』


「餞別のお返し、まだしてなかったわ」


ゼラスが僅かに眉を寄せる。


「何の――」


『四』


リズナは円の外へ身を乗り出し、ゼラスの外套を掴んだ。


『三』


「続きは、また会えた時ね」


彼が意味を理解するより早く。


リズナはゼラスを引き寄せ、その唇へ自分の唇を重ねた。


『二』


ゼラスの目が見開かれる。


触れた唇は温かく、ほんの僅かに震えていた。


『一』


ゼラスが動くより先に、青白い光がリズナとエルシアを呑み込んだ。


リズナの指が外套から離れる。


唇の温もりも、揺れる赤い髪も。


次の瞬間には、光の向こうへ消えていた。


ゼラスの手だけが、彼女を追うように宙へ伸びる。


だが、そこにはもう誰もいない。


『帰還者二名の転移を確認』


巨大な環の向こうで、リズナが父の腕へ飛び込む姿が一瞬だけ映った。


そして接続は閉じた。


温かな風が消える。


静まり返った制御室で、ゼラスは伸ばした手を下ろせずにいた。


唇には、まだリズナの温もりが残っていた。

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