第8章
翌朝、外から感じる朝の気配に、ミコトが目を覚ます。すでに明るくなった窓の外を見つめ、そのまま身体を起こそうとした。
途端、頭がふらつく。不快な浮遊感と頭痛に襲われながら、身体を支える。
飲みすぎたのだろうかと、思わず舌打ちしてしまう。
その時、彼はディアとの会話を思い起こした。自分の過去を話したこと。それからディアが青い花火を見せてくれたこと。それから、自分が笑うところを見て、彼女がはしゃいでいたこと。
「……」
その場で黙り込んでしまう。一人気まずさと、居心地の悪さに襲われる。
自分の弱さを見られたと言うのか、情けないところを見せたと言うのか。そんな感覚を覚えていた。
とはいえ、そんなことで医者が休むわけにはいかない。
「行くか……」
彼はそう呟いてから身支度を整えてから、ディアの病室に向かった。
ミコトはドアの前に立ったところで息を整える。落ち着きを取り戻してから、その右手をノックしようとドアに向けた。
「ミコトさん?」
その時、病室からディアの声が聞こえてきた。呼ばれると思っていなかったミコトは、右手を上げた状態で固まってしまった。そこにディアの声がまた流れてきた。
「ミコトさん、そこにいるの?」
「ああ……入っても大丈夫か?」
「もちろんよ。どうぞ」
昨日と変わらない元気な声。その声に招かれて、ミコトは病室に入る。
すると、やはり想像通りの笑顔を浮かべながら、嬉しそうに出迎えるディアがいた。
「おはよう、ミコトさん! 今日もいい天気ね!」
「……ああ、おはよう」
対してミコトは、淡々と挨拶だけ交わす。それは無愛想だからではなく、彼女の反応が意外で驚いていたから。
全く変わることなく自分を迎えるその姿。もしかして昨日のことは夢だったのでは? そう思えるほどに意外な姿だった。
変に身構えていた自分に、ミコトは呆れてしまう。
「ミコトさん?」
ミコトの様子にディアが不思議そうな顔を見せる。
「どうかした?」
「いや、何でもない。それより、さっきはどうして私が来たってわかったんだ? ノックもしていないだろう?」
「ミコトさんの足音が聞こえたからよ。すぐにわかったわ」
そんな風に語りながら彼女がはにかむ。それほど大きな足音ではないはず。彼女の耳の良さにミコトは変に感心した。
「なんだミコト。もう来ていたのか?」
その時、マリクが声を上げて部屋に入ってきた。その横にはセレンもいた。
「あ、先生。セレンさんも。おはようございます!」
「やあディアさん、おはよう。今日も元気だね」
お互いに楽しそうな声を絡ませるディアたち。マリクも会話好きということもあり、彼女と話が弾みやすいのかもしれない。
すると、マリクがそのままディアに近寄ると、労うように語り掛けた。
「昨日は子供を助けてくれてありがとう。病院に送った人たちも大丈夫だよ。みんな無事に治療できてよかったよ」
その話にディアがホッとしたように優しく笑った。
「そう……みんな助かって、本当によかったわ」
ディアが胸を撫で下ろす。誰もが無事であることを、彼女は心底から喜んでいるようだった。優しく微笑むその姿から、彼女の喜びが滲み出ていた。
ただ一人、ミコトだけが不機嫌そうに彼女を見つめていた。何かに怒りを覚えるように。
「ディアさん。今日の体調はどうだい?」
そんな中、マリクからそんな問いかけが放たれた。いきなりのことにディアがキョトンとした顔を見せる。
「え? いえ、特に問題ないわ。昨日も気持ちよく眠れたし、どこも悪くないと思うけど」
「そうか。具合が悪かったり、吐き気や頭痛とか、そういうのも全く?」
「ええ。気持ち悪いとかは何もないけど……」
重ねられる質問にディアは戸惑い、不思議に思いながらも答え続ける。ミコトも何を聞いているのかと、眉をひそめていた。
すると、ディアの答えに納得したように頷いてから、マリクが朗らかに彼女に言った。
「それならディアさん。今日はせっかくだから外出してくるといい」
「「え?」」
返事は二人同時。唐突な言葉にミコトもディアも気が抜けたような声を上げた。
「体調に問題がないなら、外に出ても問題ないだろう。それに病室で寝てばかりだと、身体も鈍ってしまうからね。せっかくだから祭りを楽しんできなさい」
「おい、父さん」
話を進めるマリクにミコトが詰め寄る。だが、そんなミコトの鋭い視線を、マリクは飄々と受け止める。
「ディアさんの体調に異常はないんだろう? ディアさんも調子はいいと言っているし」
「いや、だからって」
ミコトは後ろにいるセレンにも目を向けるが、彼女も何もわからないという風に首を横に振る。彼女の差し金というわけではなく、完全にマリクの独断のようだ。
それでも、彼女の治療に責任を持つ身として、ミコトも引き下がらなかった。
「今は大丈夫かもしれないが、外出して体調を崩すかもしれないだろう」
「体調が悪くなった時はすぐに戻ってくればいい。少しは外に出ないと、新鮮な空気も吸えやしない。傷を治すだけじゃなく、中身も治していかないと」
「しかし……」
なおミコトは言い詰める。その様子をディアたちもおろおろしながら見つめる。
そんな中、マリクの手がミコトの肩に置かれた。
「そんなにディアさんが心配ならミコト、お前も一緒について行けばいいじゃないか」
「え」
その提案に絶句するミコト。その隙を突くようにマリクがさらに言葉を重ねた。
「もし何かあっても、お前がそばにいればすぐに対処できるだろう? それにディアさんの容体が危険だと判断すれば、すぐに帰ればいい。それなら問題あるまい?」
そう言って、ニンマリとマリクは笑みを深めた。
確かにマリクの言う通り、ミコトが一緒に行けば問題ない。何かあってもすぐに対応できるし、危険だと判断すれば連れ帰ることもできる。
それでも、ミコトはなお反論を繰り返す。
「診療所はどうする? 休むわけにもいかないだろう?」
「なあに。一日くらいは私に任せろ。これでもたくさん経験を積んでるんだぞ? 少しはお前の父親を信頼しろ」
その言葉に何も言い返せなかった。マリクを信用していないわけではない。むしろ自分よりも腕は確かなのだ。そのマリクに任せても問題はなかった。
ミコトは無愛想に口を閉ざした。その沈黙が、マリクの提案に対する答えだった。
そんな彼らの会話を見ていたディアが、おずおずと手を上げた。
「あの……いいのかしら? 本当に出かけても?」
そんな彼女にマリクが心配するなとばかりに笑いかけた。
「ああ、行ってきなさい。これは私の持論だが、怪我や病気を治すのに、必要なのは薬や包帯だけじゃない。楽しいこと、嬉しいことも必要だと私は思うよ」
そう言いながら、彼は優しく微笑みかけた。
「せっかくのお祭りなんだ。部屋から眺めるだけじゃなく、心で楽しんできなさい。それが一番の薬になってくれるさ」
慰めるようなマリクの言葉。それが彼女の中に溶け込んでいったのか、ディアは胸の奥がじんわりとする感覚を覚え、それからマリクに頭を下げた。
「ありがとう、マリクさん」
笑みを交わすディアとマリク。それをミコトは呆れたように見つめ、そんな兄の様子をセレンはおかしそうに笑って見ていた。
診療所の前で、先に出ていたミコトとマリクが立っていた。ディアは外出のための準備中で、彼女が来るのを待っていた。
その間も不機嫌そうにするミコト。まだディアが外出することに納得できておらず、眉間にしわが寄っていた。
そんな彼にマリクが笑いながら話しかける。
「こらこらミコト。女性を待つ男がそんな顔をしたらいかんぞ。もっと余裕を持たんと」
返されたのは言葉ではなく、小さなため息。まだ外出することに納得できていないのか、ミコトは言葉を返さず、ただ睨み返した。
そんな息子の顔を、マリクはやれやれと笑い返した。
「そんな顔をするな。ディアさんも久しぶりの外出なんだ。一緒に行くお前がそんな顔をしていると、彼女も不安になるぞ。少しはあの子を楽しませてやれ」
諭すようなマリクの言葉。それを聞いたミコトはまたため息を吐いた。今度のそれは、諦めのため息だった。
「わかった。まだ言いたいことはあるけど、父さんの言う通りだ。ディアさんの体調については十分気を付けるよ」
その時、診療所のドアが開くと、ディアとセレンが出てきた。
その時のディアの姿に、マリクはおお、と声を上げ、ミコトはただじっと見つめた。
踝まで届く藍色のロングスカートに、真っ白なブラウスに身を包むディア。
小さな頭に帽子を乗せたその姿は、清純という言葉が似合っていた。
空から降り注ぐ日光が彼女を照らす。ディアが眩しそうに空を見上げると、後ろからセレンが話しかけた。
「ディアさん、よく似合ってますよ。とっても可愛いです」
ニッコリ笑いながらセレンが伝えると、ディアもニッコリと笑いながら、その場でターンして見せた。
「ふふ、ありがとう。久しぶりに着てみたけど、そう言われると照れるわね」
踊るようにターンを繰り返す。そんな彼女をミコトが見つめていると、その視線に気づいたディアが彼に近寄った。
「ごめんなさい。待たせたかしら?」
「……いや。大丈夫だ。気にするな」
ミコトはそれだけ返す。淡々と答えるその様子に、セレンは苦笑いを浮かべた。
「それじゃあ先生、行ってくるわね!」
「ああ、気を付けておいで。ミコト、ディアさんをしっかりエスコートしてくるんだぞ」
「父さんも診療所、よろしく頼む」
手を振るマリクたちに対して、ディアも元気よく手を振り返す。楽しみにしていたピクニックに出かける子供のように、彼女がその笑顔を弾けさせた。
「それじゃあミコトさん、よろしくね」
そう言って笑顔を向けてくるディアに、ミコトは「ああ」とだけ頷くのだった。




