第4章
祭りの喧騒が流れる中、ミコトは一人、街中を歩いていく。
あれからミコトは、診療所を訪れる患者を診察したり、書類を片付けるなどした後、休憩も兼ねて買い出しに出ていた。
ミコトはまだイライラしていた。彼の中で、診療所でのディアとの会話が繰り返されていた。
一人で夜に出歩いて、襲われて怪我をしたこと。それを笑顔で語るディアがとにかく腹立たしかった。
本当はまだ言い足りないくらいで、言いたいことが喉の奥で燻っていた。
それに、ミコトは彼女のことで一つ、不思議に思ったことがある。
病室で彼女に会った時、彼女はミコトに気付くや否や、賊に襲われた彼の怪我の心配をしていた。
自分も襲われたのに、真っ先にミコトの心配をするその姿が、普通とは違うように感じた。
不思議な女性。それが彼女に抱いた印象だった。
「あ、先生」
ふとミコトを呼び止める声。振り返ると、昨夜彼らを助けてくれた警官が近寄ってくるのが見えた。
「こんにちは先生。怪我はもう大丈夫なのですか?」
「ああ、巡査。昨日はどうも。怪我も深くなかったし、大丈夫ですよ。あの女性の治療も無事に済んで、今は診療所で安静にしてもらってます」
「それはよかった。みなさんが無事ならそれが一番です」
ホッとため息を吐く警官。その時、通りの方で大きな歓声が上がる。祭りの催し物に、観客が楽しそうに笑う姿が見えた。
「そちらは巡回ですか? 今日も忙しそうですね」
「ええ、まったく。お祭りになると人が集まるので、どうしても騒ぎが起きて大変ですよ。今日もスリや喧嘩が起きていて、大忙しですよ」
「そうですか……これだから祭りは……」
隠せない苛立ちがミコトから漏れ出す。
お祭りが人を集める以上、衝突が起きるのは仕方のないこと。理解はできても、それで怪我人が増えるのでは、ミコトも苦い顔になってしまう。
それにお祭りが集めるのは人やモノに限らない。悪意だって集めてしまうのだ。
「お祭りに乗じて犯罪者も流れ込んでくることもありますし、何かあればすぐ警察にご連絡ください」
巡査はそう伝えると、そのまま喧騒の中へ歩いていった。
今日も楽し気な音楽と、人々の笑い声が共鳴している。まるで街そのものが楽器になったような、そんな空想を思わせた。
だけどその裏で、暴力沙汰や犯罪が起きて、傷付く誰かがいるのも事実なのだ。
ミコトは憂鬱にため息を吐いて、その場を後にした。
「ただいま。今戻ったぞ」
ミコトが診療所に戻ると、マリクがコーヒー片手に新聞を広げていた。
買ってきた荷物を運び入れる。ふと、ミコトはディアのことが気になった。
「ディアさんはどうしてる? 何も起きなかったか?」
「ああ、大丈夫だ。今も部屋で過ごしてもらっているよ。セレンも出かけているから一人でいると思う。気になるなら見に行ったらどうだ?」
その提案に少し考える素振りを見せるミコト。何か用があるわけではないが、気になるのも事実だった。
「そうだな。ちょっと見て来る」
ミコトはそれだけ言って、ディアのいる病室へと向かった。
「……ん?」
部屋に向かう途中、ミコトは向こうから何かが聞こえてくるのに気付いた。
耳を澄ますと、それはディアのいる病室から聞こえてきた。
首を傾げるミコト。セレンは外に出ていて、部屋にはディア一人だけのはず。母親のリーズと話をしているのかと思った。
しかし、耳を澄ましてみると、それはディアの歌声だとわかった。
一体何をしているのか。怪訝に思いながらドアをノックするが、ディアからの返事はない。
仕方ないと、ミコトは返事を待たず、そのドアを開いて中に入った。
「入るぞ、ディアさん」
そう言ってミコトが中に入ると、彼はその光景を前に立ち尽くした。
そこにはベッドから離れて椅子に座っているディアが、窓の外に向かって歌う姿があった。
彼女は遠くを眺め、何かと声を合わせるようにその歌を歌っていた。
それはミコトもよく知っている歌。収穫祭で誰もが歌う、この街の歌。
ミコトが入ってきたことに気付かないのか、ディアはそのまま歌い続ける。その顔は楽しげで、怪我人とは思えないほどに晴れやかだった。
部屋の空気に感化されたのか、ミコトはじっとその歌に聞き入っていた。
「……あれ? ミコトさん?」
ミコトがいることに気付いたディアが、キョトンとした顔を向けてくる。
「すまない。ノックしたんだが返事がないんで、そのまま入ってしまった」
「あ、そうなのね。ごめんなさい。歌に夢中で気付かなかったわ」
そう言って、ディアは恥ずかしそうな笑みを向けてくる。
「それで、何か用かしら?」
「いや、別に……。どうしてるか気になって顔を見に来た。体調は悪くないか?」
「ええ。このとおり大丈夫よ」
ディアが自慢するように、胸を張って誇らしげに笑う。
「それならいい。そういえばさっきは何か歌っていたが、収穫祭の歌か?」
ミコトが問いかけると、それを待っていたかのようにディアの目が輝きを放った。
「そうなの! 街の方からこの音楽が聞こえてきて、何の歌かセレンさんに聞いたの! この街に昔からある歌で、お祭りの時はこれをみんなで歌うって教えてくれたわ!」
ディアの楽しそうな声が響く。お酒でも飲んでいるのかと思うほどに、彼女は興奮気味に話し続ける。
「セレンさんに教えてもらってから、ずっとここで歌っていたわ」
ディアはまだ話し足りないのか、その興奮は収まることがなかった。
自分が楽しかったことを誰かに話したい。知ってもらいたい。そんな子供のような反応に、ミコトも気圧されそうになる。
「あ! ミコトさんミコトさん! あれ何かしら!?」
ディアが突然外を指差しながら叫び出す。その様子に呆れながら、ミコトも彼女が指差す方向に視線を向ける。そこにはワイン樽を満載した荷馬車と、それに手を振る住民たちの姿が見えた。
「ああ、あれは出来上がったワインを収穫祭の会場に運んでいるんだ。今年もいいワインができたって、みんなで祝ってるんだ」
荷台に積み上がったワイン樽が、二階に届くくらいの高さまで積み上がっていた。荷馬車もこの日のために準備されていたのか、荷台はお祭り色に装飾されており、それを運ぶ馬も踊り子のように飾りつけされていた。
その荷馬車を住民たちが手を振って迎える。まるで英雄の凱旋を迎えるような光景だった。
「うわ~……すっごいわ~…………」
ディアの口から、言葉にならない感動が溢れ出る。宝石のようなその目が、窓から見える光景に釘付けになっていた。
窓から身を乗り出すディア。放っておけば、そのまま飛び出してしまいそうな雰囲気だった。
「いたっ!!」
その時、いきなりディアが小さな悲鳴を上げた。ミコトが何事かと彼女を見ると、彼女が胸を押さえて苦しそうに悶えていた。
慌ててミコトが駆け寄る。ミコトは声をかけ続けるが、ディアは苦しそうにするだけで、ミコトに返事することもできなかった。
「誰か!! 誰か来てくれ!!」
痛ましさすら感じさせるミコトの叫び。それを聞いたマリクとセレンが部屋に入ってくると、そのままミコトたちに駆け寄ってきた。
「どうした!? 何があった!?」
「ディアさんが急に苦しみ出した! 一緒に診てくれ!」
叫ぶミコトの横で、ディアが胸を押さえて苦しそうにしている。目の前の光景に、マリクたちは迷うことなく彼女に駆け寄った。
ベッドに寝かせると、ディアの額から流れる汗が、ガラス玉のように転がっていく。横についたセレンが、ハンカチでその汗を拭きとり続ける。
しばらくして、落ち着きを取り戻したディアが苦笑いを浮かべながら、彼らに謝罪した。
「ごめんなさい。また迷惑をかけてしまったわね」
「なあに、謝る必要はないよ。何事もなくてよかった」
マリクが彼女の手首を握り、その手に感じる振動を測っていた。それから、彼女の額にも手で触れて、その体温を測る。
「少し脈が速いな。それに体温も少し高くなっている。ディアさん、一体何があったんだ?」
質問を受けたディアは、人差し指を額に押し当てて考えるが、すぐに首を横に振った。
「ごめんなさい。私にもわからないわ。ただ、急に胸のあたりが痛くなって、心臓がドキドキするのを感じたわ。まるでウサギのように走った時みたいに」
彼女の話にミコトはじっと聞き入る。急に心臓が痛くなったという現象に、彼の中で警鐘が叩かれていた。
その時、ディアが恥ずかしそうに笑いながら、その小さな頭を下げてきた。
「ちょっとはしゃぎちゃったみたい。安静にしてなきゃいけないのに、ごめんなさい」
さきほどまで歌を歌ったり、馬車を見て興奮したのが原因だと、彼女は思っているようだった。実際にそうとは限らないが、興奮という反応も身体に影響を与えてしまうものだ。ディアの見解も、あながち間違いではないかもしれない。
「ふむ。まあ気にしなくても大丈夫だよ。ただ、また同じことが起きるかもしれないし、安静にした方がいいだろう。セレン。念のため今日は一緒にいてあげなさい。何かあったらすぐに私たちを呼んでくれ」
セレンが力強く頷く。彼女が一緒なら、何かあっても大丈夫だろう。そう思ってのマリクの判断だったが、それを聞いていたディアが嬉しそうに破顔した。
「あら。今日はカリンさんが一緒にいてくれるの? だったら、今日はたくさんおしゃべりしましょう! 私、同じ年頃の友達がいなかったから、いろんな話を聞きたいわ! よろしく、セレンさん」
「ふふ、こちらこそ。ディアさん」
そんな風に語り合いながら、二人は手を握り合いながらキャッキャッと笑い合った。
安静にするよう言われてすぐの光景に、ミコトはため息だけ残した。
「それじゃ、私たちは失礼するよ。何かあったらすぐに呼んでくれ」
そう言って立ち去ろうとするマリクと、それに続こうとミコトも踵を返す。
「あ、ミコトさん」
そんな彼の後ろ髪を、ディアの声が引き留める。何事かと振り向くと、彼女が微笑みながら、その手を振っていた。
「今日は来てくれて楽しかったわ。明日もお話しましょうね」
明日も会おう。子供みたいな約束を言葉にするディア。さっきまで苦しそうにしていたとは思えないその微笑みに、ミコトは毒気を抜かれてしまう。
「……わかった。何かあったらすぐに呼んでくれ。いいな」
「ええ! それじゃ、また明日!」
そんな言葉を交わした後、ミコトが退室するまで彼女は手を振り続けるのだった。
廊下を歩く間、マリクが後ろにいたミコトに語り掛けてきた。
「とりあえず何事もなくてよかったが……本当に何があったんだ?」
さきほどのディアの容態について聞いているのだろう。当事者であるミコトに訊くのが一番だったが、そのミコトでさえも困惑しきりだった。
「正直私にもわからない……馬車を見てはしゃいでいたと思ったら、急に胸を押さえて苦しみ出したんだ。それまで何もなかったんだが」
その話を聞いて、マリクはしばし黙り込んだ。
「そうか……まあ診たところ問題ないとは思う。ただ……」
マリクが口を閉ざす。何かあるのかとミコトが目で問いかけると、マリクはその続きを話し出す。
「ディアさんは他の人間と違って、特殊な身体をしている。だからわしらが常識に思っていることが通じないこともあるかもしれん」
死から蘇った少女。他者の身体を受け継いだ肉体。彼女だけの特殊なその身体には、まだ謎が多い。マリクが持つ豊富な知識も、謎という分厚い幕を取り除くのは難しかった。
「まあ、他の人にはないことが、あの子の身体に悪影響を与えてる可能性もある。注意しておくべきだろう」
「そうか……だが、生き返ったというだけで、それ以外は俺たちと同じ人間だ。俺たちと違うところなんて」
あるのか? そう言いかけたところでミコトの動きが止まった。その顔は明らかに動揺していて、その目は振り子のように揺れていた。
まさか。そんなはずはない。でも、もしかして? そんな言葉がミコトの中で右往左往す、彼の思考が自問と否定を繰り返す。
「どうした? 何かあったのか?」
マリクが声をかける。だが思考の沼から浮かび上がったミコトは、首を横に振った。
「いや……何でもない。ちょっと考え事しただけだ」
明らかに誤魔化しているとわかる態度。だが、それ以上彼が話すことはないこともマリクにはわかっていて、それ以上問い質すことはしなかった。
「そうか。それならいいが……お前も疲れただろう? 部屋で休んでろ。後は私に任せておけ」
「ああ、頼む」
それ以上の言葉は語らず、ミコトは背を向けてその場から立ち去っていく。
ガチャンと、自室のドアを閉めて、彼はさきほど繰り返した自問をまた呼び起こす。
彼の中に生まれた推測。それはやがて確かな形となって、彼に結論という形で叩きつけられた。
「体調が悪いのは、昨日の電気ショックのせいなのか……?」
死んだ状態から蘇生したこと、他者の腕を受け継いだこと以外は、普通の人間と変わらないディアの身体。ミコトやマリクと身体の作りは基本的に同じ。
ただ一つ。ディアは他の人間とは明らかに違うところがあった。彼女はその身体に、電気エネルギーを貯めこんでいるということ。
昨夜、暴漢に襲われていたディアは、その肉体に貯められている電気エネルギーを使って、暴漢を撃退していた。
もしかしたら、その時に体内電気を放出したことで、身体に負担がかかっているのではないか。
カブロ博士は彼女を蘇生させる時、心臓に電気ショックを与えた。その電気は今も彼女の心臓を動かす、生命力そのものだと言ってよい。それを使ったとなれば、身体に影響が出てもおかしくはなかった。
その思考に辿り着いたミコトは動揺した。気付いてしまったその真実に、心臓が痛いくらいに早鐘を打っていた。




