第3章
食卓で一人椅子に座るミコト。彼はその目に焼き付いた光景について、ひたすら思考を繰り返していた。
賊を撃退した閃光。光を身に纏う姿。そしてツギハギだらけの少女の身体。
目の前で起きた現実。これまで彼が見てきたもの、学んだもの全てを否定する非現実性。
頭に痛みを感じる。今日見たものを理解するのを拒絶するように、頭が悲鳴を上げる。
その時、マリクが食卓にやってきた。
「ああ、父さん……あの人は?」
「大丈夫だ。手当ては終わったし、破傷風の危険もないはずだ。念のためセレンには横にいてもらっている」
父の言葉にホッとするミコトだが、それとは裏腹にマリクの顔は強張っていた。
「セレンと一緒にあの子の身体を調べたが、同じような縫合跡がいくつもあった。足にも胴体にも。それに背中にも。あんなの、私も初めて見たぞ」
その手術跡の多さから見ても、かなり大掛かりな手術が行われたことがわかる。
「それと、あの子の胸元も調べたんだが、そこにも大きな手術跡があった」
「胸元……開胸手術か?」
「おそらくな。あの位置なら、心臓のところを切ったに違いない」
そこまで言い終えて、マリクが一息吐く。彼はその手に残っている感触を思い出していた。
「あの子の脈や体温を測った時、確かに人の命を感じた。だがそれをあの身体から感じ取ったというのは、今でも信じられんよ。なあミコト、あの子のことで他に知ってることはないか?」
「……実は」
それからミコトは、これまで目にしたことを説明した。彼女が賊に襲われていたこと。その賊を彼女は青白い光を使って撃退したこと。まるで雷を身に纏っていた様子のことも。
全て彼が目にした現実だ。たとえミコト自身が信じられなくても、彼がその目で見た真実なのだ。
その話をじっと聞いていたマリクも、信じることができない様子だった。
「賢者の石が発明されたと言われた方が、まだ信じられそうだ」
もはやお伽話でしか語られないような夢。ミコトも同意したい気持ちだった。
「まあ、あとはあの子から話を聞くことにしよう。今日はもう寝て、明日あの子が起きてからだ」
「……わかった」
ミコトの頷きを見届けると、マリクはふらつく足取りで寝室に向かう。
ミコトも自分の部屋に戻ろうと立ち上がると、振り子のようにバランスを崩した。考えている以上に自分が疲れていることをミコトは思い知った。
重い体を引きずって部屋に戻ると、ミコトはそのままベッドに潜り込む。まるで恐ろしい現実から逃れようとするために。
「ミコト、起きてるか?」
夢の向こうから声が聞こえる。目を覚ますと、ドアの向こうからマリクの声が聞こえてくる。
懐中時計を取り出すと、朝になっていることを時計は教えてくれた。
まだ覚醒していない頭を振りながら立ち上がり、ドアの方に向かう。
「ああ、起きてる。どうした?」
「あの女の人が目を覚ました。お前を呼んでるみたいだが……」
その言葉で一気に頭の靄が晴れる。彼はもう一度頭を振って、自らを叩き起こした。
「わかった。準備するから、ちょっと待っててくれ」
そう言ってすぐに身支度を整えたミコトは、マリクと共に寝室に向かった。
二人は病室の前で立ち止まる。すると、部屋の中から、二人分の声が聞こえてくる。一人は妹のセレンで、もう一つの聞き慣れない声が少女の声のようだった。声の様子からして、容体は悪くないと思わせてくれた。
ミコトはドアノブに触れようとして、一瞬その手を引っ込める。光を身に纏った少女の姿。その記憶が彼の手を引っ込めさせた。
それでも会わないわけにはいかない。彼はもう一度力を込めて、握りしめたドアノブを回した。
部屋に入ると、ベッドで上半身を起こした少女と、彼女に話しかけるセレンの姿があった。
二人分の視線がミコトに注がれる。
「失礼、驚かせてしまった。身体の調子は大丈夫か? 昨日のことは覚えて……」
ミコトが静かに語り掛ける。ゆっくりとした歩調で近寄りながら、落ち着き払った声で少女に問いかける。
だが、そんな重く響かせた声は一気に掻き消された。少女はベッドの上から身を乗り出すようにしながら、悲鳴にも似た声を張り上げた。
「あなた! 昨日ナイフで切りつけられた人よね! 大丈夫!? 怪我してない!?」
ミコトはただ唖然とした。ベッドで寝ているのは彼女で、自分は医者。それなのに、彼女は血相を変えてミコトの身を案じていた。
自分が襲われていたことを忘れているのではないか。そんな疑問が浮かぶほどに、少女の反応に唖然とした。
「……あ、ああ。私は大丈夫だ。問題ない」
かろうじてミコトが答えると、少女は心底ホッとして、嬉しそうに微笑んだ。
「そう……よかったわ。本当に」
「…………」
その時、嬉しそうに微笑む少女を見て、ミコトは何故か嫌な気がした。
人知れず、ミコトはその胸の異物感に困惑した。
「あー……その様子だと昨日のことは覚えていると思うが、私の名はミコト・アンブロワ。ここで医者をやっている。昨日、君が男たちに襲われていたところに出くわしたのが私だ」
「ミコト……アンブロワ」
彼女は恩人の名を小さく繰り返す。その名を覚えると、少女はもう一度彼に向き直る。
「ミコト先生ね。私はディア。ディア・フローベルよ。昨夜は助けてくれてありがとう」
そう言って、ディアは鈴が鳴るように笑いかけてきた。
ミコトが彼女を観察するように見つめる。小柄な体格に、色素の薄い肌。その髪は珍しい銀髪で、幼い顔立ちは少女そのもの。
不思議な少女だった。その顔には幼さが残っていて、その笑顔は無邪気という言葉が似合っていた。腰の辺りまで伸びている銀髪に光が当たると、プラチナのような輝きが部屋に拡散していく。
何より目を引いたのが、彼女のその目だった。少女の目は大きく輝いていて、まるで星がその目に宿っているといった、そんな印象。
まるで疑うことを知らない、希望を信じる子供ような目だった。
感情豊かな、可愛らしい少女。それがミコトの抱いたディアの印象だった。
そんな風に思う中でも、ミコトの視線は彼女の右手に向けられていた。彼女を異質たらしめる、その右腕に。
その時、それまで黙っていたマリクが一歩前に出た。
「初めまして、フローベルさん。私はミコトの父のマリクだ。昨日ミコトたちと一緒にあなたを治療させてもらったよ」
「あ、あなたがお父様なんですね。助けていただいて、ありがとうございます」
マリクにも楽しそうに笑みを向ける。天真爛漫を身に纏った少女を見つめながら、マリクは言いにくそうに口を開いた。
「フローベルさん。男たちに切られた傷の治療は済ませている。脈が速いのと少し発熱しているのは気になるが、大したことはなさそうだ。ただ……」
マリクも彼女の右腕に視線を向けた。彼女のものではない、別の誰かの右腕に。
「失礼だとは思ったが、あなたの身体を見させてもらった。その右腕も、身体も」
その一言にディアはその口を閉ざす。罪を暴かれた罪人のように、明らかに狼狽えていた。
「あなたの身体にたくさんの手術跡があるのを見た。腕にも足にも。胸元にもだ。一番驚いたのはその右腕だ。それは明らかに、他の誰かの腕と付け替えたものだ」
身体を小さくさせるディアの姿は、まるで叱られる子供のようだった。指摘を繰り返すマリクの言葉を、叱責されていると感じたのかもしれない。
「ディアさん。あなたは何者なんだ? あなたのその身体は、一体何があったんだ?」
他人の腕と付け替えるという手術など、もはや医神の領域だ。何故、彼女の身体にそんなことが起きているのか。
ミコトたちの視線が少女一人に注がれ、その答えを待つ。しばらくそうしていたかと思うと、ディアは笑みを浮かべて口を開いた。
「私に手術をしてくれたのは私の父、カブロ・フローベル。私の恩人であり、父であり……私の大切な人よ」
そう言って彼女は、その右腕を掴みながら、その言葉を告げた。
「この傷は、カブロ博士が『死んでいた私』を生き返らせてくれた時にできたものなの」
沈黙は全員のもの。彼女が言葉にした答えに誰も反応できない。理解できないというよりも、理解するための時間が必要だったから。
「……待て」
しばしの沈黙の後、ミコトが口を開く。
「待て待て待て待て。ちょっと待ってくれ。あなたは何を言ってるんだ」
彼女の答えがあまりに突飛で、思わずミコトも乱暴な口調になる。
その様子を見ていたディアが、困ったような笑みを浮かべる。
「そうよね。信じられないと思うわ。だけど、これは本当のことなの」
困ったように笑いながら少女は語り続ける。文字通り、その体に刻まれた彼女の『これまで』を。
「始まりは五年前。私が十五歳の時よ。。それまで私は、東にある小さな村で暮らしていたわ。村は誰もが貧しくて、食べ物にも困るくらい。私も兄と両親の4人で、お腹が鳴る毎日を送っていたわ」
ディアの語る村は冬の寒さ厳しく、食べるのにも苦労するところだったという。笑顔で話すこともなかったと彼女は語った。
「そんな私の日常が変わったのは、十五歳になった日。あの日、私の家に身なりのいい男の人がやって来て、自分と一緒について来るように言われたの。何のことかわからず、親に話を聞いてみたのだけど、二人とも泣いてごめんとしか言わなかったの。それで私もわかったわ。私、売られたんだなって」
ディアが言うには、彼女以外にも売られた子供が何人かいたという。男はその村で、貧しさに苦しむ家から子供を買い取っていたようだ。
明らかに人身売買であり、当然違法行為だ。だが、貧しさに苦しむ人々にとって、それしか自分たちを救う手段がなかったのだ。
「それからその男の人に連れて行かれたのは、ソナントという街にある紡績工場だった。そこでは私以外にもたくさんの子供が働いていて、大変な毎日を過ごしていたわ」
ディアの語る工場での生活は、過酷という言葉すら足りなかった。どれだけ働いても食事は限界まで切り詰められ、危険な機械で怪我をすることも珍しくない。
大人からは容赦なく鞭で叩かれる毎日で、数少ないパンを子供同士で奪い合うこともあったという。
人はこの世に地獄を作ることができる。これはそんな数あるうちの一つ。この世界にいくつもある、地獄の話だった。
それを語るディアの話に、横で聞いていたセレンが両手で口を覆った。声にならない嗚咽を抑え込むように。
「そんな生活を続けていた私はある日、機械で大きな怪我をしたの」
ディアはそう言いながら、その右腕をぎゅっと掴んだ。
「大きな機械に右腕を食べられて、肘から下はボロボロ。誰が見ても、もう使い物にならなかったわ」
そんな吐き気のするような話を、なんでもないことのように笑いながら、彼女は語り続ける。
「そんな大怪我を負った私は、病院に連れて行くと言われて馬車に乗せられたわ。だけどそれは嘘で、使い物にならなくなった子供はどこかに捨てられていたの。私以外にも病気や怪我をした子供が詰め込まれて、どこかの森に捨てられるって、みんな思っていたわ。みんな目を閉じて、死んでいるのか寝ているのか、私にはわからなかった」
その時一緒にいた子供は、どんな気持ちで寝ていたのだろうか。病院で治してもらえるという嘘を信じていたのか。それとも、地獄から解放されることに安心していたのか。
「そんな子供たちを乗せた馬車だけど、それが目的地に着くことはなかったわ。途中にあった橋を渡る途中、橋が壊れて馬車もろとも、私たちは川に落ちてしまったの。真冬の、冷たい冷たい川の中に……」
冬が溶け込んだ川の冷たさは、落ちれば馬でも死に至る。衰弱状態の子供が落ちれば、助かることはない。そんな冷酷な寒さだった。
「そうして私は川に落ちたのだけど、私は助かることができたわ。次に目を開いた時、私はそこでカブロ博士に出会ったの。博士が言うには、川岸に流れ着いていた私を見つけて、そのまま助けてくれたらしいわ。そこは博士の家で、そこで彼に生き返らせてもらったの。その時にはすでに、私の右腕は付け替えられていたわ」
その時、一瞬だけディアの身体が震えた。川の冷たさを思い出したのか、死の淵にいた瞬間を思い出したのか。
病室に沈黙が流れる。その冷たい沈黙に誰もが口を閉ざし、息苦しさを感じていた。
最初に沈黙を破ったのはミコトだった。
「その、ディアさん。あなたを助けたというカブロ博士はどこに? どうもあなたは一人旅みたいだが……」
「博士はもう亡くなったわ。一年前に」
「……そうか」
少しだけ、ディアは寂しそうに笑った。自分を救ってくれた、父と慕った恩人との別れ。その寂しさを思い出し、彼女は顔を俯かせた。
そんな彼女の様子に、ミコトも慰めや弔いの気持ちもないではなかった。だが、今はそれ以上に、カブロが彼女に行った手術について知る必要があった。彼はさらに問いかけた。
「それで……話の途中ですまないがフローベルさん。カブロ博士はあなたを助けたというが、博士は具体的に何をしたんだ? あなたの身体に何をしたんだ?」
彼女を生き返らせたという博士の手術。医神でなければ成し得ない奇跡を、博士はどのように成し遂げたと言うのか。
その疑問に答えるべきか、彼女は迷っている素振りを見せた。
だが、その迷いも一瞬だけだった。彼女はその身に起きた出来事を語った。
「……博士が私を見つけた時、他にも流れ着いた子供たちがいたらしいわ。みんな冷たくなっていて、誰も息をしていなかったって」
「…………なんだって?」
不穏な空気にミコトが声を上げる。それでもディアは話を止めない。
「それぞれの遺体を見た後、生き返らせることができるのは私だけだったみたいなの。博士は私と他の子供たちの遺体を、自分の家に運んだわ」
何を言ってるんだと、その場の誰もが無言で訴えた。それでも構わずディアは話し続ける。
「博士は子供たちの遺体を観察し、そして『使えそうな場所』を選んだの」
『使えそうな場所』という言葉に、ミコトたちはそのおぞましさに気付き始める。セレンは口元を押さえ、マリクは口を開いて唖然とする。
「そうして選別を終えた博士は、私たちを手術台に並べたわ」
「おい。やめろ。もういい」
彼女の話を遮るように、ミコトが拒絶する。
そこまで話したところで、何が起きたかを、誰もが想像した。想像してしまった。
そんなこと、あってはならない。ミコトたちは自分の想像に吐き気を催し、必死でそれを否定する。
だが、ディアは構わずその答えを言い放つ。誰一人として、その真実から逃がさないように。
「博士は子供たちの遺体から『綺麗な部分』を私の身体に移植して、私を生き返らせたの」
小さな悲鳴はカリンのもの。その顔が恐怖の色に染まる。
ミコトは睨みつけるようにディアを見つめる。それを見て、ディアも話を続けた。
「鞭で傷だらけの背中には綺麗な皮膚を。骨折していた骨には傷一つない骨を。そんな風に博士は他の子供たちから綺麗な場所をもらって、私に移植したわ。この右腕も他の子供から譲り受けたものよ。博士が言ってたわ。私と年齢の近い子がいて、なんとか成功したって」
そんなことを淡々と語る彼女に、ミコトは寒気を感じた。そんな恐ろしい話をどうしてそんな顔で語れるのか、理解できなかった。
地獄を生き抜いた彼女だから話せることなのか。誰も答えてくれない疑問だけが存在感を増していた。
「そうして私は博士によって生き返ることができたわ。この身体の傷は、その時にできた傷なの」
「そんな……ことが……」
掠れた声はマリクのもの。遺体の身体を移植させて死者を蘇生させる。あってはならないことだと理性が叫ぶ。
受け入れられないのはミコトも同じ。しかし、それが真実であることを、彼女の右腕が証明している。
彼の中にある常識と、目の前の真実がガンガンとぶつかり合い、頭の中で激しい音を響かせた。
「一体……そのカブロ博士は何者なんだ? どうしてそんなことを……」
「私もよくわからないけど、博士は昔、首都で医学を研究していて、多くの手術を成功させた人だったらしいわ。多くの研究をしてきた博士が最後に研究したのが『死者を蘇生させる方法』だったの」
死者を蘇生させるという異質な内容に、ミコトたちは怪訝な顔を見せる。
「死者の蘇生?」
「ええ。たくさんの患者を治してきた博士は、死者を生き返らせる方法がないかを探していたの。首都を離れて、一人で研究を続けていたって」
その時、マリクが小さく声を上げる。
「聞いたことがある。私が首都にいた頃、天才と呼ばれた医者がいたと。だが、そいつは死者を治す方法を研究していて、そのせいで大学に居場所がなくなり、首都から離れたと聞いている。噂でしか聞いていないが……」
「博士のことで間違いないと思うわ。周りから止めるように言われて、それがうるさくて首都から離れたって、博士も言ってたわ」
死者を蘇生させる方法。そんな研究をすれば周りからどう思われるか、容易に想像できた。それでも首都を離れてまで研究を続けたのは、彼の探求心のためか、ただ狂っていたのか。
わかることは、おそらく博士は人の身で、最も医神に近づいたのだということだ。
「それから博士は亡くなるまで、私を大事に育ててくれたわ。私がこうして生きているのは、博士のおかげよ」
彼女は言っていた。彼は命の恩人だと。まさに言葉通り、彼女を救った恩人だ。
ミコトたちの視線がディアの右腕に注がれる。その右腕が、彼女の話が真実であることをに伝えていた。
その時、ミコトは気になっていたことを彼女に質問した。
「ディアさん。あなたの話を聞いて気になっていたんだが、あなたは5年前、15歳の時に工場に売られたというが、それならあなたは今、20歳ということになる。ただ、あなたの身体を見ると、とてもそうには見えないんだが……」
ディアの体格は明らかに20歳と思えないほどに小柄だった。背丈も小さく、その顔も幼く見える。とても20歳とは思えなかった。
訝し気に見つめるミコトに、ディアが得心したように頷く。
「無理もないわ。博士が言っていたのだけど、私の身体は15歳の時から成長が止まっているみたいなの。工場でのひどい生活が原因で、身体が大きくならなかったみたいだって」
今度はミコトが納得して頷く。ディアが語る工場の生活環境では、人間がまともに成長できるとは思えなかった。今でも体格は小さい彼女だが、工場にいた頃はもっとひどかったに違いない。
「この髪の色もそうらしいわ。子供の頃は栗色の髪だったけど、工場で生活していたら、この色になっていったわ。工場での生活で心が病気になって、それが原因でこうなったみたいだって」
人の身体は多くの要素で形作られる。生活の場、食べ物、その体に流れる血も、身体を成長させる要因となる。
彼女が言うように、心の機微も成長に大きく関わっている。今もプラチナのように輝くその銀髪が、心の病気が生み出したものかと思うと、ミコトの眉間にしわが寄せられる。
まるで、子供の頃から時間が止まったように見える彼女の身体。それは文字通り、彼女の身体は15歳の時から、時を刻むことを止めてしまったのだ。
地獄のような工場での生活の果てに死に至った彼女は、博士と出会い、彼に救われた。
一度死んで生き返ったという彼女の話に、正直ミコトは今も半信半疑だった。
だが、信じざるを得なかった。彼女のその右腕が、それを真実であると訴えてくるのだから。
その時、ディアが大きく息を吐いた。一生分の物語を語ったように深いため息を吐くと、すっきりした顔をミコトに向けた。
「ミコトさん。昨晩は助けていただいてありがとう。それで、治療代はいくらかしら?」
「治療代?」
「ええ。傷の手当てをしてもらったし、お代を払わないと。支払いが終わったら、すぐに出て行くわ」
そんなことを語り出すディア。すぐに出て行こうとする彼女の申し出に、ミコトたちは驚き、目を丸くした。
あまりに唐突な話に、マリクが慌てて割って入る。
「ちょ、ちょっと待ちなさい。フローベルさん。まだ怪我も治っていないのに。何か急ぐ理由でもあるのかね?」
「そうじゃないわ。だけど、これ以上長居してもいけないし、迷惑もかけられないわ」
すでに出て行くことは決定事項なのか、マリクが引き留めようとしてもディアに迷いは見られない。
もう傷の心配もないという風に、力こぶを作って見せた。
「傷はもう痛くないし、心配しなくていいわ」
「いや、しかしだね……」
「おい。勝手に何を言ってるんだ、あなたは」
その時、冷たくも激しい言葉が響いた。ディアが声の方を見ると、そこにはっきりと怒っているミコトが、彼女を睨んでいた。
「医者の許可なく出て行くとか、許されると思ってるのか。傷も大丈夫だとか、嘘をつくな」
「え、えっと?」
最初、ディアは自分が怒られているとはわからず、ただ戸惑うしかなかった。
怒れるミコトをマリクが抑えようとするが、それに構うことなく、そのまま彼女に詰め寄った。
「あなたが退院できるかどうかを判断するのはあなたじゃない。私たちだ。間違っても出て行こうなどと思うな」
ミコトの言葉は冷たいのに、伝わってくる怒りはとても熱い。火傷しそうなその熱さに、ディアは戸惑いつつも彼を見る。
「で、でも……」
ディアが言葉を詰まらせる。言いにくそうな素振りを見せてから、おずおずと口を開く。
「こんな傷だらけの身体、気味が悪くないかしら……?」
その一言で、彼女が今までにどんな苦労があったのか、容易に想像できた。その傷だらけの身体のために、周りとどのように関わり、どのような痛みがあったのか。
その痛みを覚えているから、彼女はすぐに出て行こうとしているのだ。自分がどのよう見られるのかを知っているから。
「気味が悪いとか、そんなことはどうでもいい」
そんなディアの心情をわかった上で、ミコトははっきりと言い放った。
「え?」
間抜けな声はディアのもの。そんなことを言われると思っていなかったようで、困惑と戸惑いで顔ヘニャリをとさせていた。
「傷だらけだろうと死んで生き返った人間だろうと、そんなのは関係ない。あなたは患者で、私はそれを治す医者だ」
ミコトがその人差し指を彼女の額に向けて指す。驚く彼女に、ミコトの言葉が突き刺さる。
「患者は黙って医者の言うことを聞くものだ。言っておくが、怪我が治るまで絶対にここから出さないからな」
冷たい言葉に込められる、火傷するような怒り。
だというのに、ディアに嫌な気持ちはなかった。ホッとするような、温かいものが胸に生まれていた。その温かさに戸惑いながら、彼女はミコトを見つめ返す。
二人の様子を見守っていたマリクとセレンは、やれやれといった感じに笑っていた。マリクが戸惑うディアに語り掛ける。
「まあ、そういうことだからフローベルさん。思うところはあるだろうが、あなたは患者だ。怪我が治るまではここにいなさい。出て行くのはそれからでもいいだろう」
「えっと……いいのかしら?」
「確かにあなたの身体に驚きはしたが、あなたが患者であることに変わりない。医者は患者を見離さない。絶対にだ」
マリクのにやけ顔がミコトに向けられる。それに対して何も言わず、ミコトは無言で睨み返す。
「ホテルのようなふかふかのベッドはないが、ゆっくりしていきなさい」
突き放しも無理強いもしない。マリクの優しさに、ディアの顔が綻ぶ。
「ありがとう……嬉しいわ」
嬉しさで微笑むディア。それをマリクは笑って受け取り、セレンも微笑みを返した。
その時、ふとミコトが思い出す。それはミコトたちが賊に襲われた時の、あの閃光のことだった。
「フローベルさん、ちょっと聞きたいことがあるんだが」
「あ、ミコトさん」
ミコトの質問を遮り、彼女が声を張り上げる。
「よかったら、ディアって呼んで。フローベルは長いし、ディアの方がいいわ」
「……わかった。それじゃあディアさん。昨日のことで聞きたいことがあるんだが」
ミコトは昨晩の記憶を掘り起こす。自分の前で青白い光を放ち、賊を撃退した彼女の姿。今思い出しても不思議な光景に、ミコトは答えを求めた。
「昨日賊に襲われていたあなたが、青白い光を放って奴らを追い払ったのを見たんだが、あの光は一体何なんだ?」
「ああ、あれね。博士も言っていたけど、あれも手術の影響らしいわ」
「手術の影響? 一体何をしたらあんなことができるんだ?」
あの時、光を身に纏うディアの姿に神々しさすら感じた。それが手術の影響と言われても、ミコトには信じられなかった。
その疑問にディアが話し続ける。
「博士が言うには、私を蘇生させる時、心臓に電気ショック? を与えたらしいの。たぶんその時の電気が身体に残っていて、雷みたいに出せるようになったって、博士は教えてくれたわ」
マリクの話だと、彼女の胸元にも手術の跡があったという。おそらく、彼女に電気ショックを与えるためにできた跡なのだろう。
「それに、私がその後倒れたのも、その電気ショックが原因だと思うわ」
「どういう意味だ?」
「私が電気を発生させるというのは、体内の電気を使うことになるから、それが身体に負担をかけてしまうって博士は説明してくれたの。気を失ったのはそれが理由だと思うわ」
ミコトの脳裏に昨夜の光景が甦る。眩い閃光を放ち、雷光を身に纏うディア。あれが電気によるものだとすれば、身体に負担がかかるのは当然だ。
身体に残された体内電気。ミコトの言葉で言えば、それは手術の後遺症というべきものだった。
「……わかった。不思議な話ばかりだが、あなたが患者であることに変わりはない。傷が癒えるまではここにいてもらうからな」
無愛想で不器用なミコトの言葉。だけど、不思議と信頼させてしまう力が、その言葉にはあった。
ディアはその言葉に微笑み、そしてミコトにもその笑みを向けた。
「ええ、お願いするわ。ミコトさん」
「そういえばディアさんは、どうしてこの街に来たの?」
それまで黙って聞いていたセレンが、気になっていたことを問いかけてきた。
「一人旅って言ってたけど、どこかに行く途中だったの?」
それはミコトも考えていた。一人旅だと言っていたが、女性の一人旅というのも珍しいことだ。何か目的でもあるのだろうか。
その質問をされたのが嬉しかったのか、ディアが目を輝かせて身を乗り出した。
「そうなの! 実はローグ王国に向かう途中だったんだけど、そうしたらこの街で収穫祭が開かれるって聞いて。それが見たくて寄ってみたの!」
楽しそうな声を弾ませながら、ディアははしゃぎながら語り出した。
「ここに来る間にも、いろんな街を巡ったわ! この街の収穫祭も楽しみだったの!」
楽しそうに語るディアの姿は、無邪気な子供そのもの。学校で起きたことを自慢する子供みたいに、これまでの旅を楽しそうに語る。その姿にミコトたちは呆気に取られた。
その時、ミコトにもう一つ疑問が浮かぶ。
「ディアさん。この街には観光に来たってのはわかった。それならどうして昨夜はあんな所にいたんだ?」
昨夜、ディアが賊に襲われたのは、この街でも外れにある廃れた地区で、特に何もない場所だ。
「観光というが、あんなとこに用でもあったのか?」
「じ・つ・は!」
秘密の宝物を取り出そうとするように、ディアは昨夜のことを話した。
「あそこにちょっとした高台があって、そこから街を見下ろそうと思ったの! あそこから街を見下ろしたんだけど、予想通りとても綺麗で、まるで宝石を敷き詰めたような光景だったわ!」
その時の光景を思い出しているのか、隠せない興奮が彼女から溢れ出していた。
その話を、ミコトは眉をひそめながら聞いていた。
「……ちょっと待ってくれ。その高台から街を見下ろすために、あそこに行ったのか? 夜中にたった一人で?」
「ええ! ずっと一人旅だったから、一人でがんばって行ったわ!」
「ホテルや宿は?」
「それが収穫祭のことを知ったのがここに来る途中で、ホテルは予約できなかったの。泊る部屋がないって言われて。仕方ないからどこかで一晩過ごそうかと考えていたのだけど、そうしたらあの人たちに襲われたの。もう大変だったわ」
小さな失敗を見られたみたいに、恥ずかしそうな顔をするディア。てへへ、という音が聞こえてきそうな空気。
そんな彼女の様子に、マリクもセレンも口を開いて唖然とする。
夜中に女性一人で、誰も知らない街を歩く。そんなことを楽しそうに語る彼女の姿に、呆気に取られていた。
「…………」
その時、ミコトが無言で腕を振り上げる。
あ、とセレンが小さな声を上げる。彼女は兄の顔を見て、もう手遅れだと悟った。
ミコトはその手に作った握り拳を、一切手加減せずに彼女の頭に振り下ろした。
「いったーーーー!!!」
銀髪の小さな頭にミコトのげんこつがぶつかる。その衝撃にディアは頭を押さえて悶絶した。
痛みに悶える彼女を見下ろしていたミコトは、彼女を睨みながら怒鳴りつけた。
「……何を考えてるんだ貴様は!!!」
金槌を振り下ろすようなミコトの怒声。痛みに耐えながら、涙目で彼を見つめ返すディア。そんな彼女にミコトの怒声が続いた。
「夜中に女性が一人で出歩くとか、危ないと思わないのか! しかもそれで賊に襲われて、怪我までして! しかもその理由が街を見てみたいからとか、馬鹿か貴様は!」
夜中に女性が一人で出歩く。怒られても仕方のないことではある。
その怒りに対してディアは、不思議そうに首を傾げるばかりだった。
「でも、あそこから見下ろすと綺麗だと思って、それで行ってみたくなったのよ?」
「『でも』ではないわ! それで街の外れまで行くとか、蜜の匂いに誘われた虫か貴様は! そもそも宿も取らずにどこかで一晩過ごそうと思ってたとか。挙句にそれで襲われて……!」
最後にミコトは、彼女に向かって思い切り怒鳴りつけた。
「また変なことをしたら、今度はげんこつじゃすまないからな!! わかったか!!」
怒鳴り散らすミコト。それに対し、ディアは悪いことをしたと思ってないのか、子供みたいな言い訳を繰り返していた。
夜更かしした子供を叱りつける親。
そんなことを思い浮かべながら、マリクたちは苦笑いを浮かべていた。




