第15章
グランツはこの日も快晴。遠くからは今も楽しそうな歌が聞こえていた。
そんな声を遠くに聞きながら、ミコトが診療所にある病室に入ると、すっかり聞き慣れてしまった声が響いてきた。
「あ! ミコトさん、お疲れ様!」
ベッドの上でディアが元気そうに笑う。ミコトは苛立ちを隠すことなく、睨みつけた。
「あー……まだ怒ってる?」
「当たり前だ。大丈夫とか言っておきながら人の目の前で倒れておいて、許されると思うなよ」
そんな風に悪態をつくミコト。それに対し、ディアは胸を張って声を上げた。
「ごめんなさい。でも大丈夫よ、ほら。もうこんなに元気になったから」
「目の前で倒れた奴の言葉なんか信じられるか。ほら、脈を計るから腕を出してくれ」
そう言ってミコトは彼女の腕を掴む。その腕に怒りが込められているようで、ディアも思わず苦笑いを浮かべていた。
事件の夜。心臓が止まっていた男の蘇生を試みたディア。彼女が電気ショックを与えたことで、男の心臓は再び動き出し、消えかかっていた命を救うことに成功した。
だがその直後、電力を使いすぎたせいか、彼女は気を失い、その場に倒れてしまった。
気を失った彼女をミコトはすぐ診療所に運び、必死の治療を施した。
治療を続ける間も彼女は眠り続け、結局彼女が目を覚ましたのは、翌日の夕方だった。
目を覚ました彼女を待っていたのは、ミコトの怒鳴り声だった。男を助けるためとはいえ、そのために自分に負担をかけてしまい、挙句倒れてしまった彼女を、ミコトはまた怒鳴りつけた。
自分を犠牲にするな。無茶をするなと、延々と説教が続いた。しかしその説教の最後に彼は一言、ありがとうと伝えた。
君のおかげで、誰も死なずに済んだと。
その言葉にディアは、ただ微笑み返していた。
ディアを襲った男たちは警察に逮捕され、今は傷を治しながらの牢屋暮らし。
セレンも無事に戻ってきたことで、彼らの日常は守られたのである。
脈を測りながらノートに何かを書き込むミコト。そんな彼を見ながらディアが呟く。
「あの人を助けることができてよかったわ。本当に」
満足そうに笑うディア。それが彼女を襲った男の話だとわかると、ミコトが呆れながら呟き返す。
「自分を襲った相手を助けて喜ぶのは、あなたぐらいだろうな。お人好しは身を滅ぼすぞ」
「あら? そんなお人好しな私も、可愛いと思わない?」
悪戯っぽく笑うディア。ミコトはそれには何も答えず、静かにノートに記録を取り続けた。
そんな彼にディアが静かに問いかける。
「あの話、鉱山の事故じゃなくて、戦場でのことだったのね」
ぴくりと、ミコトが動きを止める。そんな彼を見て、ディアは困り顔で笑っていた。
数年前、ミコトたちの国・マールと、隣国との間で戦争が起きた。その戦争では何度も戦いが起きたが、その中で特に激しい戦いになったのが『ソルファーレンの戦い』だった。
大軍がぶつかり合った戦闘は多くの死傷者を出し、数え切れない命が失われた。負傷した兵士は戦場に取り残され、助けが来るか死神が来るか、いずれかの運命だった。
その戦場で、とある噂が流れ始めた。
戦場に取り残された負傷者たちを救い続ける、一人の男の存在。
その男は何度も戦場に姿を現し、何人もの負傷者を連れ帰り、彼らを救った。
男は火薬と血の匂いが漂う戦場を走り回り、敵と味方の区別なく、多くの命を救い続けた。
助けられた将兵たちは感謝と畏敬の念を込めて、その男を『ソルファーレンの守護聖人』と呼んだという。
「あの人が呼んでたわね。ミコトさんを守護聖人だって」
ディアを襲った男は、ミコトの傷だらけの身体を見て、彼を『ソルファーレンの守護聖人』と呼んだ。ミコトの身体にある無数の傷がその証拠だった。
ディアに見つめられながら、ミコトは特に感慨もなく答えた。
「嘘をついて悪かった。あまり話したくないんだ」
話したくない記憶。その言葉にディアの胸がちくりとした。
「そう……でも、どうしてあなたが戦場に? 軍人じゃないでしょ?」
「当時の俺はマールの大学で医者になる勉強をしていて、その最中に戦争が起きたんだ、戦場では多くの負傷者が出てると聞いて、彼らを助けるために自分の意志で戦場に向かったんだ」
そうして戦場に向かった彼は、その地獄を見てしまった。兵士たちの治療のために開放された教会。そこでは負傷兵たちの苦しむ声と、助けを求める悲痛な叫びが、いつまでもどこまでも続いていた。
「俺はそこで彼らの治療を始めたが、戦場にまだ多くの負傷者が取り残されていると聞いて、彼らを助けるために戦場に向かったんだ」
戦場はさらに地獄を超える惨状だった。砲弾でできた大穴がいくつもできていて、巨大な黒煙がいくつも天に向かって伸びていた。
そこに助けを求める無数の負傷兵がいるのを見て、彼らを助けるためにミコトは戦場に飛び込んでいった。
そうして生まれたのが、ソルファーレンの守護聖人だった。
「身体についた傷も、その時にできたの?」
「敵も味方も入り乱れていたからな。銃で撃たれたり、ナイフで切られたりもしたよ」
すでに戦闘は終わっていたが、まだお互いの軍隊が睨み合う状態だった。狙撃兵は銃口を向け続けたし、助けようとした敵兵から襲われることもあった。
それでもミコトは助け続けた。彼らに傷つけられ、殺されそうになっても、ミコトは彼らを助けようと走り続けたのだ。
「それでも、助けられたのはほんの一握りだし、救えなかった命の方が多かったよ」
その言葉をミコトは、どんな気持ちで吐き出したのか。諦めなのか、失望なのか。
彼にどんな言葉をかけるべきかわからず、ディアは口を閉ざすしかなかった。
そんな彼女の態度をどう思ったのか、ミコトが声をかける。
「ただの昔話だ。もう変えることはできないし、あなたが思い悩む必要はない」
「うん、でも……」
明らかに自分を気遣ってくれているのだとわかるミコトの言葉。しかしディアはそれをそのまま飲み込むことができなかった。
その昔話に、ミコト自身が苦しんでいると感じていたから。
何か言葉をかけたい。でも何を言えばいいかわからず、ディアは迷子になってしまう。
それを知ってか知らずか、ミコトは彼女の気持ちを遮って顔を上げる。
「そんなことよりディアさん。大事な話がある」
彼の真剣な顔を見て、ディアが姿勢を正し、彼の言葉を待った。
「いろいろ考えたが、やはり電気を使うのは、あなたの身体に負担がかかるようだ。実際昨日も蘇生のために電気を使った後、気を失ったからな」
ディアが気を失ったのは昨日で二度目。そのどちらも彼女が電気を使った直後のことだ。
「一度あなたの身体を検査した方がいいと思う。ディアさん、あなたにはマール大学に行ってもらおうと思う」
ミコトの話に彼女は首を傾げる。何故大学に行かねばならないのか、理解できなかった。
「えっと、どうして大学なのかしら?」
「マール大学。私の母校なんだが、そこの教授に診察してもらった方がいいと思う。その人は私の恩師で、医者としての腕も確かだし、あなたの身体の状態も正確に判断できると思う」
マール大学の医学部は、この国で最高の医療機関でもあった。そこで検査を受ければ、ディアの身体についても判断が仰げるかもしれない。それがミコトの考えだった。
「大学には連絡するし、紹介状も書く。それを持ってあなたは検査をしてもらうといい。それから……」
「ちょっと待って」
まだ話し続けようとするミコトだが、それをディアが制した。
「ミコトさん。それなら私からもお願いがあるわ」
今度はミコトが首を傾げる番。彼女が自分にお願いするようなことなど、あるだろうか。
「ミコトさん。もしよかったら、私の旅についてきてほしいの」
「……はあ?」
一体何を言い出すのかと、今度はミコトが不思議そうに声を上げる。
しかし、彼女の顔は真剣だった。とても嘘や冗談を言ってるようには見えない。
だからこそミコトは不思議だった。何故彼女の旅についてきてほしいと言うのか。
「どうしてあなたの旅に私を連れて行こうとするんだ?」
この街で出会ったばかりのミコトとディア。彼女がミコトを連れて行く理由など、あるはずがなかった。
そんな疑問を抱くミコトに対し、彼女は人差し指を立てて見せた。
「まず第一に、あなたには私を守ってほしいの」
「……守る? 何から?」
「あの男の人たちが言っていたわ。私に懸賞金がかけられているって。そしてその話は、裏社会で広く知られているって」
一度死んで生き返ったディア。そんな彼女の噂は裏社会に広まっており、その噂を聞きつけた者たちは、彼女に懸賞金をかけているという。彼女を襲った男たちも、その懸賞金が目的で彼女を襲っていた。
「私の噂が知られている以上、この先も私を狙って襲い掛かる人たちがやって来ると思うの。それは私の旅にとって、とても危険なことだわ」
彼女の話にミコトも頷かざるを得ない。彼女に懸賞金がかけられている以上、、彼女を狙う者たちがまた出てくるだろう。
「今後も同じようなことがあれば、怪我することもあるし、また気を失うこともあるかもしれない。そうなった時に、ミコトさんには私を治療してほしいの」
元々は死ぬはずだった身体を、他人の身体を移植させるなどして蘇生させた身体だ。電気を使えば心臓に負担がかかり、気を失ったりもする。いつ同じことが起きるか、わかったものではない。
「ミコトさん。あなたには医者として、護衛として私を守ってほしいの。この旅を続けるために」
ディアの瞳が、静かにミコトを見通す。
確かにディアのこれからの旅は、危険が付きまとうと予想できる。懸賞金目当てに多くの悪意が彼女を襲うだろう。
それに、ミコトの前で二度も気を失った彼女が、無事に旅を終えられる保障もなかった。
それならば、ミコト以上に旅の同行者に相応しい者はいないだろう。
戦場を生き抜いた護衛としても、彼女の身体を知る医者としても。
「なるほど……あなたを守るために、か」
ミコトは考え込む。彼女の旅に同行し、その旅が安全に終えられるように彼女を守り抜く。
彼女からすれば、いつでも自分の身体を診断できる者が一緒にいるのは心強いだろうし、また彼女を狙って悪人が襲ってきても、それを撃退できる者も必要だった。
とはいえ、戦場を走り抜いた身と言えど、彼自身はただの医者だ。そんな自分に彼女の旅を守り抜けるか、正直疑問ではあった。
その時、彼は以前から気になっていることを問いかけた。
「ディアさん。そういえばあなたの旅の目的は何だ? ローグ王国を目指していると言っていたが、何をしに行くんだ?」
観光目的の旅だろうか。彼女の普段の様子からそれもあり得たが、しかし彼女の真剣な顔を見れば、ただの観光旅行でないことはわかる。
その問いかけを受けて、彼女はその旅の目的を告げた。
「もう一人の私に会いに……それが旅の目的よ」
もう一人の私。その言葉の意味を汲み取れず、ミコトはつい眉をひそめる。そんな彼にディアがその真意を語った。
「カブロ博士が亡くなった後、私は博士の遺品整理をしていたわ。学術書や論文、実験記録などの膨大な書類が残されていたの。その中で、博士の手記に気になるものがあったの。それはローグ王国の北の町に、死者の蘇生に関する研究をする人がいるというものだったわ」
「……なんだって?」
カブロ博士と同じように、死者の蘇生を研究する者。その話にミコトは信じられないという表情を浮かべた。そんな彼にディアがさらに続ける。
「確証のない話だったわ。だけど、その話に関する手記はいくつも見つかっていて、博士もその話が本当であると感じていたみたいだった。たぶん、自分と同じ研究をしている相手のことが、博士は気になっていたんだわ」
ミコトは考え込む。信じがたい話ではあるが、決して否定できない話でもあった。
この世界に博士と同じ研究を考える者。それを実践する者が、他にいてもおかしくはない。
そして、博士と同じように、それを可能とする天才がいることも。
「その手記にはこうも書かれていたの。ローグ王国の研究者が、死者の蘇生に成功したって」
「えっと……それはつまり……」
彼女はコクンと頷いてみせた。
「私と同じように、死んで生き返った人間がそこにいるということ。私の旅の目的は、その人に会いに行くことなの」
「…………」
二人の間に沈黙が漂う。ディアは無言でその想いを伝え、ミコトは何も答えず、その想いを受け止めていた。
彼女は言っていた。もう一人の自分に会いに行くと。
彼女の気持ちもわからなくはなかった。死んだはずなのに生き返ることができた彼女が、自分と同じように生き返った人間がいると知ったらどう思うのか。
彼女のように、その相手に会いたいと願っても、おかしいことはないだろう。
もう一人の生き返った人間と、その人間に会うための旅。こんな話、誰に言っても信じてもらえないだろう。
「それと、これが一番大事なことなんだけど」
考え込むミコトにディアが語り掛ける。彼女は少し言葉を切ってから、それから大事な話をするように口を開いた。
「私はミコトさんと旅がしたいわ」
彼が顔を上げると、ニッコリと笑みを浮かべたディアが彼を見つめる。彼が怪訝そうにしていると、ディアははにかみながら彼に伝えた。
「私、誰かと一緒に旅をしたことがなくて、この旅もずっと一人だったの」
「あ、ああ……そうなのか?」
「ええ。だけどこの前ミコトさんとこの街を巡って、一緒にごはんを食べて、同じ景色を見て。その時気付いたの。誰かと同じ景色、同じ道を歩くのはもっと楽しいって!」
そう言って、彼女はその大きな瞳をミコトに向けてきた。
「私、ミコトさんと一緒に旅がしたいの! 同じ道を歩いて、一緒にごはんを食べて、同じ景色を見てみたい! たくさんの楽しいことを、あなたと一緒に感じたいの!」
うっとりしたように彼女は頬を紅潮させていた。その様子に、ミコトは呆気に取られていた。
ミコトと一緒にこの街を巡ったディア。今まで一人で旅してきた彼女にとって、誰かと一緒に歩くのは新鮮で、誰かと共に歩くことは、初めての体験だった。
そして、その『楽しい』を、これからも感じたいと彼女は願っているのだ。
「あなたと旅をすれば、この旅はもっと楽しくなるわ! だからお願い。一緒に旅についてきて!」
まるでサーカスに連れて行ってほしいと願う子供ように見えた。まさかそんなことを言われるとは思っておらず、ミコトは呆れてため息を吐いた。
「まさかそんな理由で旅についてきてほしいと言われるとは、思ってもみなかったよ」
そんな彼の言葉に、ディアは不満げに口を尖らせた。
「あなたが教えたのよ。一人より二人の方が、旅は楽しくなるって」
自分のせいなのだろうかと疑問に思いつつ、ミコトはもう一度考え込む。
女性の一人旅について行くのもどうかと思う。しかし、彼女に大学に行くように言っておきながら、まだ体調が不安定な彼女を一人で行かせるのも、無責任だと思えた。
それに、彼女が無事に旅を終えるためには、彼女を支える人間が必要なのも確かだった。
医者として、彼女を守らなければならない。そう思った瞬間、ミコトの答えは決まった。
「……わかった。あなたの旅に同行しよう。医者として、あなたの旅が安全に終わるよう、あなたを守るよ」
もし彼が小説家だったなら、もっと気の利いた言葉を言えたかもしれない。我ながらつまらない返事だと思った。
だが、そのつまらない返事を聞いた途端、ディアはみるみるうちに満面の笑顔になっていった。
「本当!? 本当についてきてくれるの!?」
「ああ。あなただけだと不安だからな。医者として最後まで責任を持つよ」
すると、ディアは彼女の手を握り、ブンブンと繰り返し上下させた。
「ありがとう! 本当に嬉しいわ! きっと楽しい旅になるわ!」
すでにこれからの旅を思っているのか、楽しい想像が彼女の中で駆け巡っているようだった。
きっとこの旅は一筋縄ではいかないだろう。困難なことや辛いことが何度も訪れるだろう。
だが、そんな憂いも彼女は全く感じることなく、これからの旅路を楽しみにしている。
彼女はミコトの手を強く握って、楽しそうに笑いながら言ってきた。
「これからもよろしくね。私のお医者様」
ミコトは呆れ笑いを浮かべながら、その手を握り返した。




