エピローグ
グランツの駅は、この日も多くの人で賑わっていた。
収穫祭が終わり、祭りを楽しんだ人々が、それぞれの家に帰ろうと集まっていた。
その中で、旅立つディアと別れを惜しむセレンたちが歓談を繰り返していた。
「それじゃあ気をつけてね、ディアさん。兄さんのこと、よろしくね」
「ええ、私に任せて。ミコトさんは私が守るわ」
「旅が終わったらまた来てちょうだいね。御馳走してあげるわ」
そんな風に挨拶を交わす彼らを見守るミコト。これから危険な旅に出ようとしているのに、まるで旅行に出るかのような会話に、呆れた様子を見せていた。
「観光に行くわけじゃないんだがな……」
「まあそう言うな。旅立ちは楽しい方がいいもんさ」
彼の横でマリクが面白そうに笑う。ミコトは彼に振り返り、一言二言交わした。
「それじゃあ行ってくる。診療所のことは、よろしく頼む」
「ああ、任せておけ。たまには父親らしいところを見せてやるさ」
旅立ちの前、ミコトがディアの旅の目的や、彼女の旅に同行することを伝えると、マリクたちは特に反対することはなく、むしろ彼女を守ってやれと言ってくれていた。
彼女を一人で行かせることに不安もあったのだろう。彼女の旅にミコトが同行することで、彼女を守ってほしいという気持ちが彼の背中を押したようだった。
「まあ、久しぶりの母校だし、先生や友人にも会ってみるよ」
かつて自分が学んでいた母校。久しぶりに会う人間もいるだろう。それを思い、ミコトもこの旅立ちが少しは楽しく感じられた。
「ミコト」
その時、マリクが声をかけてきた。彼の真剣な顔がミコトに向けられていた。
「大変な旅になると思う。何が起きるかわからんが、彼女を守ってやれよ」
父親もこの旅路に危険な気配を感じ取っているのだろう。二人の旅が無事に終わることを、父親としても医者としても願っていた。
それを受け取ったミコトは、力強くその言葉に応えた。
「ああ。わかっている。ちゃんと無事に帰って来るよ」
旅は無事に帰ってくることが、本当の目的地。それがわかっているミコトは、それを果たすことを約束した。
汽笛が駅に鳴り響く。ミコトたちの乗る汽車が、早く乗れと急かしてくる。
「それじゃあ行ってくる。帰りまで待っていてくれ」
そう言って乗り込もうとするミコト。すると、彼に続こうとしたディアが、振り返ってセレンたちに手を振った。
「それじゃあ行ってきます! お土産、待っていてね!」
必ず帰ってくる。そんな約束を叫ぶディア。そのお返しにセレンが旅の無事を祈った。
「行ってらっしゃい! 良い旅路を!」
大切な人たちの祈りを背に受けて、二人は汽車に乗り込む。それを合図に汽車が出発の汽笛を鳴らした。
ゆっくり、ゆっくり踏みしめるように車輪が回り始め、一気に加速していく。
空に一条の白煙を残し、遠く遠くまで駆けていく汽車。それをセレンたちは見えなくなるまで、手を振り続けるのだった。
ゴトンゴトンと揺れる汽車の中、ミコトたちは個室で腰を下ろしていた。
「とりあえずマールに着いたらそのまま大学に行こう。そこで私の先生が待っているから、あなたの身体を診察してもらう予定だ」
ミコトがこれからの予定をツラツラと話し続ける。だが、彼の前でディアは話を聞いていないのか、鼻歌を流しながら窓の外を眺めていた。
「おい。聞いているのか?」
大事な話を無視され、苛立つミコト。それに気付いてディアが慌てて顔を向けてくる。
「あ、ごめんなさい。聞いてなかったわ」
「まったく……鼻歌なんか歌って、何がそんなに楽しいんだ?」
「え? だって楽しくない? ほら」
そう言ってディアが外を指差した。窓の外には、グランツの街とその周りに広がる牧歌的な光景が流れていた。
「こんな景色を見せられたら、楽しくて仕方がないわ。あなたはそうじゃないの?」
そう言って楽しそうに笑うディア。これからの旅がどうなるかわからないというのに、ディアの反応についため息を吐いてしまう。
「あ! そうだわ!」
ディアが両手をポンと叩くと、唐突に鞄をまさぐり始めた。すると彼女は鞄から、一本のワインとソムリエナイフを取り出した。それは二人で収穫祭を回った時に買った、大切なソムリエナイフ。
「せっかくだから、出発を祝って乾杯しましょう! このナイフ、使ってみたかったの!」
彼女はそう言うと、ミコトの返事を待たずにワインを開け始めた。
「…………」
ミコトはただ、無言で呆れた。
本当に不思議な少女だと思った。どこまでも無邪気で、いつも笑ってばかりいて、だけど誰かのためにその身を差し出そうとする危うさを持っている。
本当に見ていて、イライラさせられる。
だけど、ミコトは不思議と悪い気はしていなかった。
大変な旅になるだろう。だけど、この少女となら退屈はしなさそうだと。
ディアが二つのグラスのワインを注ぎ終えると、一つをミコトに差し出した。
「ほら。乾杯しましょう」
これからの旅路に何一つ憂いを感じていないその微笑みを見て、ミコトは呆れ笑いを浮かべながら、そのグラスを手に取った。
隠して彼らは旅に出た。
一人は傷だらけの身体を持つ少女。もう一人は傷だらけの身体を持つ青年医師。
本来なら交差するはずのない二人旅。不思議な夜から始まった、二人の旅路。
二人を載せて汽車は走る。その線路の先ははるか遠く、果てしなく。
未だ見たことのない場所に向かって、傷だらけ同士の旅は始まった。




