第13章
「ミコトさん……どうして……?」
信じられない様子でディアが呆然とする。何故ミコトがここにいるのか。何故この場所がわかったのか。尽きない疑問がぐるぐると湧き起る。
よく見るとミコトは息も絶え絶えで、汗だくになっていた。
ディアにもわかる。きっと街中を走り回って、捜し回って、ここに辿り着いたのだ。
今も息を切らしているミコトが、睨みつけるように視線を投げつけてくる。
その視線に、ディアがびくりと身体を震わせる。
その時のミコトは、明らかに怒っているとわかったから。
すると、ミコトは彼女に向かって歩き出す。ズカズカと無遠慮に歩く様子に、男が声を上げる。
「おい! 止まれ!」
だが、そんな男の声が聞こえないのか、ミコトの歩みが止まることはない。なおまっすぐに歩き続ける。
その時、暗闇の中で何かが蠢くのをディアが見た。そして次の瞬間、その暗闇が膨らんだかと思うと、影がミコトに向かって襲い掛かって来た。
猫のように俊敏なその影が、ミコトの前を横切ったかと思うと、ミコトの胸元から鮮血が飛び散っていった。
「ミコトさん!」
ディアの悲鳴が上がる。ミコトはその場で立ち止まり、胸元をまさぐる。服が切り裂かれ、そこから血が流れてくるのがでわかった。
「動くな。次は命がなくなるぞ」
ミコトの横で、彼を切りつけた影から声が聞こえてきた。
よく見ると、覆面をした男がナイフを掲げて、それを威圧するようにミコトに向けていた。
「あなたは……!」
ディアが思わず声を上げる。その男はあの日、ディアを襲ったもう一人の男だった。
先ほどの会話で電撃を受けた男は動くこともできず、ここにはいないと勝手に思い込んでいた。
今まで闇に潜んでいたのも、こういう事態に備えていたのだろう。ディアが自分の迂闊さを呪う。
「命が惜しかったら、それ以上邪魔をするな」
男の手に握られているナイフが光る。その怪しい光が、男の言葉が本気であることを伝えていた。
ミコトの胸元から血が流れ出る。着ている服もナイフで切られてしまい、もう衣服としての用途を成していない。
ミコトはそのことに舌打ちをして、それから……。
何事もなかったように、また歩き出した。
ディアも男たちも、また歩き出したミコトに驚きを隠さなかった。切りつけられたことなど、最初からなかったかのように。
「おい! 聞こえなかったのか! 動くな!」
ナイフを持った男が声を荒げる。それでも、ミコトは何もなかったかのように歩みを止めない。
それで限界だった。男は我慢できず、ミコトに襲い掛かる。今度はその心臓に、ナイフを突き立てようとして。
「死ねえ!」
「うるっっっさい!!!」
その一言と共に、襲い掛かった男は壁際まで吹っ飛んでいった。
「……え?」
声はディアのもの。あまりのことに彼女は目の前で起きたことに、呆気に取られていた。
それは本当に一瞬だった。男が襲い掛かったと思った時には、ミコトは男のナイフを奪い取りながら、その拳で男の顔面を殴っていた。その一撃で男は壁まで吹っ飛ばされてしまった。
「さっきからうるさいぞ貴様!! これ以上邪魔するなら、もう一回殴るからな!! いいな!!」
殴られた男はとっくに気絶している。それに気付いていないのか、ミコトは男に向かって怒鳴り散らした。
その様子を、セレンの横にいた男が信じられない顔で見ていた。
襲い掛かった相棒はそれなりの手練れだ。ミコトを襲った時の動きも、普通なら避けられないほどの速さだった。
それをミコトはナイフを奪い取るだけでなく、拳一発で殴り飛ばした。
そんなの、普通の医者ができる芸当ではなかった。
「くそっ。気持ち悪い」
ミコトはそう言って、血で汚れた服をうざったく脱ぎ捨てた。
「え……」
そんな声がディアから漏れ出ていた。彼女は口元を両手で押さえ、男は声もなく驚愕した。
何故彼らが驚愕したのか。それは彼が服を脱いだからじゃない。
露わになったミコトの身体。その体には、無数の傷跡が残っていたからだ。
それらはただの傷ではない。刀傷、火傷。それに、明らかに銃創と思われる傷がいくつもあり、それは生々しく、見るだけで痛ましいものだった。
「なんだ……何なんだお前! 一体何者だ!!」
思わず男が叫ぶ。ミコトの傷だらけの身体を見て、男は恐怖にも似た感情を押さえきれずにいた。
その時、男はミコトの右腕にある十字傷を見つけた。
「右腕の十字傷……まさか」
その傷に覚えがあるのか、男は震える手でミコトを指差し、恐怖の眼差しでミコトを見つめた。
「『ソルファーレンの守護聖人』……?」
まるで亡霊を見るような目つきだった。男は明らかにミコトを恐れていた。
ただ一人、何のことかわからないディアだけが置いてけぼりだった。彼女はただ、痛々しいミコトの傷を見つめるしかなかった。
その時、ミコトがまた歩き出す。苛立ちをまき散らし、ズンズンと大股で歩き続ける。
ズンズン、ズンズンと歩き、そうして、彼は男を一瞥すらせず、ディアの前で立ち止まった。
「ミ……ミコトさん……?」
目の前で立ち止まったミコトに、ディアは困惑する。すると彼はゆっくりと右手を上げると、その人差し指で彼女を指差しながら。
「何を考えているんだ貴様は!!」
思い切り怒鳴りつけた。
ミコトの怒鳴り声が廃工場に鳴り響く。建物が揺れたのではないかと思うほどに、彼の激しい怒りが肺腑にも響いた。
そんな彼に怒鳴られながら、ディアは困惑顔のまま、戸惑いを見せていた。
何故怒鳴られているのか理解できないディアは、ただキョトンとするしかなく、呆然とするだけ。
「え、えっと……」
「勝手に部屋から出て行って、一人でこんなところに来て、危ないとは思わなかったのか!!」
ただ戸惑うしかないディアを、ミコトはただ怒鳴り続ける。まるで、悪いことをした子供を叱りつける親のような有様。
「で、でも……セレンさんを助けたいなら一人で来いって言われて……私、どうしてもセレンさんを助けたくて、それで私が行けば助けられると思って……」
言い訳する子供のようにディアが反論する。自分が悪いことをしたと思っていないような仕草。
「自分が行けば……?」
ただその一言は、ミコトの怒りに油を注いでしまった。彼はもう、我慢できないとばかりに大きく怒鳴った。
「いいか!? 私が怒っているのはな! 誰かを助けるばかりで、自分が助かることを考えていない、あなたのその態度が許せんのだ!!」
ミコトはさらに一歩、ディアに詰め寄る。彼女はただ、ミコトの迫力に圧倒されていた。
「あの時もそうだ! 馬に轢かれそうになった子供を助けようとした時も、あんたは自分を犠牲にしようとした! あんたは最初から、自分が犠牲になることしか考えていない! なんで自分も助かることを考えないんだ!!」
そこまで言って、ミコトはついにディアの胸倉を掴んだ。
「私が何より腹立つのは、自分が死ぬかもしれなかったのに、子供が助かったことを喜ぶその顔が許せんのだ! 自分の命を最初から勘定に入れていないその顔が、私は許せんのだ!!」
ミコトは気付いていた。ディアは自分の命を勘定に入れていないことを。天秤に乗せたりもせず、盤上にも乗せていないことを。
そしてそれを、笑顔で受け入れていることも。
それに気付いた時から、ミコトはそれが許せなかったのだ。
「私の前で誰かが傷つくことも、犠牲になることも、絶対に許さない!! 私は誰一人として死なせないって決めたんだ!!」
それは覚悟を決めた者の言葉。傷付き、絶望しても、そこから立ち上がった者の言葉。ミコトは胸倉を掴んだまま、ディアに言い放った。
「あんたの考えとか、自己犠牲の精神とか、そんなの知ったことか!! たとえあんたの命が明日までの運命でも、そんな運命壊してでもあなたを治すからな!! わかったか!!」
再びの静寂が流れた。さきほどまで怒鳴っていたのが嘘のように静まり返る。
今も胸倉を掴まれたままのディアは、呆然としたまま彼を見つめると、小さく口を開いた。
「えっと……その、ありがとう…………」
「……何でお礼なんだ?」
「ごめんなさい。わからないけど、でも、言わなきゃいけないと思って」
何故お礼を告げたのか、彼女自身にも理由はわからなかった。わけもわからず、自分の言葉に戸惑っていた。
少なくともディアにわかっているのは、ミコトに言われたことが何故か嬉しいと感じたことだ。
そんなディアの心の内がわかるはずもなく、ミコトはしかめ面をディアに向けるのだった。
「そこまでだ」
その鋭い声に二人が振り向く。そこにはセレンを抱きかかえながら逃げようとする男の姿。セレンは今も起きる気配がなかった。
「交渉は決裂だ。ここは一旦退かせてもらうぞ」
「セレンさん!」
ディアが駆け寄ろうとするが、男が銃を向けると、その場に立ち止まった。
「追いかけて来るなよ。もし追いかけたら、この娘も無事では済まないぞ」
それは脅しではない。男はセレンを人質にしたまま、この場から逃れるつもりだ。
ミコトも逃がすつもりはないが、妹を人質に取られては、下手に動くこともできない。
それを見て安心したのか、男がゆっくりと後ずさりし、その場から逃れようとする。
ミコトが舌打ちする。どうにかしてこの状況を打破できないか、蒸気機関のように思考を回転させるが、脳は燃えるばかりで、答えを出してはくれなかった。
「ミコトさん」
その時、ディアが男に聞こえないよう、小さく声をかけてきた。
「私が合図をしたら伏せて。私がどうにかするから」
「ディアさん?」
何を言うのかと目で問いかける。だが彼女は多くを語らず、ミコトを見つめ返す。
信じてと、その瞳が語り掛けていた。
ディアが何をしようとしているのか、ミコトにはわからない。信じる根拠なんて、何もない。
だけど、彼女の瞳が信じてほしいと語っている。
彼女を信じるには、それで十分だった。ミコトは小さく頷きを返した。
男が今も後ずさりを続ける。ミコトたちを牽制しながら、その場から逃げようとする。
その銃でミコトたちを牽制しながら、出口へと向かっていく。
そうして出口付近まで来たところで、ディアがその両手を胸の高さに掲げて、掌を向かい合わせた。
「ミコトさん!」
その合図でミコトがその場に伏せた。そして、ディアはその両手に力を籠めると。
夜を吹き飛ばす閃光と、世界を破壊するほどの轟音が放たれた。




