第11章
家に帰る頃には、茜色と藍色が混在する時間になっていた。
ミコトたちが診療所までやって来ると、何人かの警官が診療所の前で待機する姿があった。彼ら警官を横目に、ミコトたちはそのまま診療所に入っていった。
そこには心配そうに項垂れるリーズと、それを慰めるマリクがいた。
「ああ! ミコト! あんたセレンは見てないかい?」
「いや、自分は何も……一体何があったんだ?」
その問いかけに、マリクは辛そうにしながら、これまでのことを話し始めた。
ミコトたちが出かけた後、マリクたちはいつも通りに診療所を開き、やって来る患者たちの相手を続けていた。
特に大きな問題もなく、昼頃になったところでセレンに買い出しに行ってもらうよう頼み、セレンもすぐに荷物を持って買い出しに出かけた。
それからしばらく経って、いつもなら帰ってくるはずの時間になっても彼女は帰ってこなかった。寄り道をしているのだろうと最初は気に留めていなかったのだが、その後もどれだけ経っても、彼女は戻って来なかった。
心配になったリーズが探しに出るが、お店ではセレンはとっくに買い物を済ませて帰っていったという。
異変を感じたマリクは警察に連絡。すぐに街中を捜索するが、それでも彼女は見つからなかったという。
マリクの話にディアは蒼白となり、ミコトは顔を歪ませる。
「心当たりのある場所は全部行ったのか? 友達の家とか」
ミコトが問いかける。その声には苛立ちが混じり、刺々しさがあった。
しかし、その問いかけにマリクは無言で首を振るだけだった。
嫌な想像しかできなかった。何か事件に巻き込まれたのではないだろうかと。
特に今はお祭りが開かれている。外から犯罪者がやって来ても不思議ではない。誘拐や強盗。可能性なんて、いくらでも考えられた。
「警部。何か手掛かりとかはないんですか?」
ミコトは警官を睨みつけるが、その警官も首を振った。
「残念ながら……」
そうして、その場にいる誰もが沈黙した。
遠くからはお祭りの歌が聞こえてくる。その陽気な雰囲気に苛立ちを覚えるほどに、この場には相応しくなかった。
それはあまりに痛々しく、心に突き刺さる悲痛な沈黙だった。
すでに太陽は沈み、怪しい夜だけが街を覆っていた。
ミコト、マリク、リーズは食卓に集まって話し合っていた。その間、ディアは病室にいてもらうことにした。
聞き込みでは、セレンの目撃情報はいくつか得たものの、その途中でぶっつりと足取りは消えていた。
警察も街の至るところで捜索したが、それ以上の手がかりは何もなかったという。
窒息しそうなほどに空気が重くなる。彼らの沈黙はまるで、声にならない悲鳴に感じられた。
ミコトが外を見る。すっかり外は暗くなっており、お祭りが開かれているということを忘れてしまいそうだった。
ミコトはふと、ディアのことを思い出す。
「ちょっとディアさんの様子を見てくる」
マリクにそう伝えてから病室に向かう。ディアもだいぶ落ち込んでいたので、具合を悪くしているか心配だった。
病室の前まで来ると、不気味なほどに静かだった。その空間だけ外と切り離されているかのようだった。
「ディアさん、入ってもいいか?」
「ミコトさん? どうぞ」
ミコトが部屋に入ると、彼女は窓際に立っていた。外を見ていたのか、その窓も開け放たれていた。
「ミコトさん。ディアさんは……?」
微かな希望を持った問いかけ。夜空の星を掴むよりも薄い望み。
そんな彼女の希望に、ミコトはゆっくり首を横に振ると、ディアはますます不安そうに眉をひそめた。
「すまない。あなたにも迷惑をかけてしまった」
「そんなことないわ。私の方こそ迷惑をかけてしまって……ごめんなさい」
「別にあなたが謝る必要はない。気にするな」
ミコトはそう言うが、それでもディアの顔は晴れなかった。
「それに、何か起きたわけじゃないんだ。その内帰ってくるかもしれないし、気長に待つよ」
それがただの誤魔化しであることは明らかだった。自分すらも騙せない嘘に、ミコトは内心呆れていた。
「……そうね。きっとセレンさんは無事に帰ってくるわ」
ミコトが顔を上げると、彼女は優しく微笑み、ミコトを慰めるような眼差しで見つめていた。
「私が保障するわ。セレンさんは無事に帰ってくる。そんな予感がするの、私」
元気付けようとして語り掛けるディア。その様子にミコトは怪訝そうに眉をひそめた。
「どうして、そんな予感が?」
「私の勘がそう言っているのよ。大丈夫、こういう時の私の勘は当たるのよ」
一体何の根拠があるというのか。彼女は胸を張って、自信満々に言い放った。
信じる根拠もない。何の裏付けもない。だが、そんな彼女の言葉にミコトは小さく頷いた
「そうか。だったら、大丈夫だな」
ミコトの言葉に、彼女も楽しそうに笑った。とても笑える状況ではないのに、不思議と笑いが込み上げてくる。
彼女の言葉には不思議と元気付けられた。特別なことを言ってるわけでもないのに、彼女の言葉を聞くと、不安や悩みといったものが消えていく気がした。
ミコトは言葉にはせず、心の中でだけ感謝した。
「すまない。今日はそのまま休んでいてくれ。私たちはもう少しセレンを待ってみる」
「ええ、わかったわ」
ディアも心配だろうに、逆に気を使わせてしまったように思った。だが、彼女の慰めを受けて、少しは元気になれたのも事実だった。
きっと帰ってくる。その言葉を信じることにした。
ミコトが部屋から出ると、ディアは小さく溜息を吐いた。
やるせない気持ちが胸に溢れる。どうにかしたい気持ちと、どうにもならない焦りが彼女の中でせめぎ合う。
何故? どうして? どうしてこんなことに? 憤りにも似た疑問が彼女の中で繰り返される。
何度目になるかわからぬ溜息を彼女が吐いた時、カランと、小さな音が聞こえた。
「……?」
何かとディアが振り向くと、窓の近くに何かが落ちているのが見えた。
ミコト、マリク、リーズの三人は食卓に集まっていた。
三人は無言のまま、その場に留まる。重力を感じる静寂に、呼吸すらも苦しく感じられた。
今もセレンが帰ってくるのを待っているが、ただ時間が過ぎるばかり。徒労にも似た時間が続いた。
「……ちょっと、喉が渇いたし、お茶でも淹れましょうか?」
さすがに居たたまれないのか、気を紛らわそうとリーズが提案してきた。
「……そうだな。何か適当に持ってきてくれ。警部も何か飲みますか?」
「失礼します」
その時、一人の警官が食卓に入ってきた。
ミコトたちの誰もがその警官に集中した。もしかしたらセレンが見つかったのではないかと。
「どうした? 見つかったのか?」
「いえ、そうではないのですが。ディアさん……でしたか? 何か用事でもあったのですか?」
「ディアさん? ディアさんが何ですか?」
「それが、さきほどあの人が一人で出て行くのを見まして。何かあったのだろうかと……」
一瞬、何を言われたかわからなかった。警官の言葉を受けて、ミコトが呆けたように言葉を返す。
「ディアさんが出かけた……? 彼女は部屋にいるはずですが……」
「自分も直接顔を見たわけではないのですが、あれはディアさんで間違いないかと。何か急いでいるようでしたが……」
その瞬間、引き金を弾いたようにミコトが走り出す。彼は二階にあるディアの病室に突っ込んでいった。
すでに彼女の姿はそこにはなかった。代わりに窓が開け放たれ、そこから夜風が流れ込んでいた。
「ディアさん……?」
反応が来るはずもなかった。部屋にディアはおらず、ただ旅行鞄だけが置いてあった。
遅れてマリクたちが入ってくる。その光景に唖然とし、ミコトを問い質す。
「ミコト! ディアさんは!?」
「いない。俺が入った時にはもう……」
窓が開けっぱなしだったことから、そこから外に出たのは明白だった。
「もしかして、セレンを探しに一人で……」
マリクがそんなことを呟く。それを聞いていたミコトは、その場で黙り込んだ。
彼女のこれまでのことを思い起こす。自分よりも他者を優先し、自分のことは後回しにする彼女。
馬車の事故が起きた時も、馬に轢かれそうになった子供を守るため、自分の命が危なかろうとも、その身を投げ出す。
そんな彼女は何を考え、どう行動するか。ミコトは思い知らされていた。
そして今この時、彼女は何をするか。
ミコトの思考が、一つの結論に至る。
「おい、ミコト。何か知っているのか?」
マリクが横から後ろから声をかける。だが、ミコトは身じろぎせず、ただ立ち尽くしていた。
「おいミコト……」
マリクがまた声をかけようとして、思わず動きを止めてしまった。
ミコトが明らかに、怒っていたから。




