新しい名前と、不穏な捜索の手
「ねえ、王子様」
施療院の居間で、セラフィーナは温かいお茶をすすりながら、目の前に畏まっているボロボロの美女を見上げた。
「今まではプライベートな依頼ってこともあって、あえて名前を聞かなかったけどさ。これから一緒に働くとなると、さすがに『名無し』ってわけにはいかないよね。一応、名前を教えておくれよ」
「はい、レオンと言います」
彼女は少し照れくさそうに微笑み、自身の豊かな胸に手を当てた。
「……ですが、今は女の身となりましたので、これからは『レオナ』とお呼びください」
「レオンにレオナねぇ。ふん、腐っても王族だね。いかにも王様っぽい、大層な名前じゃないかい」
セラフィーナはふっと鼻を鳴らすと、品定めをするようにレオナをじろじろと見つめた。
「で、レオナ。あんた、一体何ができるんだい? うちで下働きをするってことは、それ相応の労働をしてもらわなくちゃならない」
「えっ、それは……」
レオナは美しい眉を八の字に曲げ、人差し指同士を突っつき合わせた。
「身の回りのことは、今まではほとんど城のメイドたちがやってくれましたので……。その、詩を朗読することとか、宮廷ダンスをすることくらいなら自信があるのですが……」
「はぁ? 詩の朗読にダンスだって?」
セラフィーナは盛大にため息をついた。
「まあ、そんなことだろうとは思ったけどね。お城のダンスじゃ床の雑巾がけの役にも立ちやしないよ。……アルノー! このお姫様に仕事を一から仕込んでやっておくれ」
「レオナはアルノーを手伝いながら、少しずつ仕事を覚えていくんだね」
「はい! 頑張ります!」
レオナは拳を握って健気に返事をする。その様子を見ながら、セラフィーナは内心で不敵な笑みを浮かべていた。
(ま、家事の戦力としては今のところゼロだけど……あの見事な見栄えだ。泥を落としてちゃんとした服を着せて整えれば、間違いなく極上の看板娘になるね。客寄せとしては上等さ)
セラフィーナがそんな狸の皮算用的な算段を立てていると、カランカランと施療院の呼び鈴が鳴り、入り口のドアが開いた。
「こんにちは、セラフィーナさん」
入ってきたのは、昨日もやってきた貧民街の警察官だった。
「あら、お巡りさん。今日は一体何の用だい?」
セラフィーナはわざとらしく歓迎の笑みを浮かべ、意地悪そうに目を細めた。
「どう? 今日は夜目が効くように、目の構造でもいじってあげようか? 暗闇でもバッチリ犯人が見えるようになるよ。……その代わり、副作用で無性にネズミが食べたくなるかもしれないけどね」
「いや、結構です! 遠慮しときます!」
警官は顔を引き攣らせてぶんぶんと手を振った。そして、すぐに声を潜めて真面目な顔になる。
「冗談はさておき、今日はちょっとマジな国際問題の件でしてね。……実は、隣国アレストリア王国の『レオン王子』が我が国をお忍びで訪問中に、突然失踪してしまったそうなんですよ。おかげで今、両国の外交関係がかなり微妙な空気になってピリピリしてまして」
「へえ、王子様が失踪ねぇ」
セラフィーナは平然とお茶をすする。背後の物陰で、レオナがびくっと身体を震わせたのが分かった。
「それでね、レオン王子の足取りを追っていくと、どうもこの辺りの路地でぷっつりと途切れているらしいんです。……そこで、お忍びでいろいろなところを『直し』に来る王族や貴族の顧客が多い先生なら、何かしら心当たりがあるんじゃないかと思って聞きに来たんですが。どうでしょう?」
警官の探るような視線に対し、セラフィーナは眉一つ動かさずに、けろりと言ってのけた。
「レオン王子ね。確かにうちに来ていてもおかしくはない話だね。でも、残念ながら私はそんなレオン王子なんて“男”は知らないねぇ」
「そうですか……。まあ、先生がそう言うなら。もし何か新しい噂でも耳にしたら、すぐに署までお知らせください。じゃあ、失礼します」
警官は少し名残惜しそうにしながらも、そのまま施療院を去っていった。
バタン、とドアが閉まると同時に、物陰からレオナが「ひえぇ……」と情けない声を上げて飛び出してきた。
「レオナ、あんたさぁ……」
セラフィーナはこめかみを指で押さえながら、ジト目でレオナを睨みつけた。
「お城を出てくるとき、一体なんて言って出てきたんだい?」
「い、いや……『新しい自分を見つけるための旅に出る』とだけ書き置きを残して……」
「はぁ。要するに、この近所の旅籠あたりで密かに着いてきた警護の部下たちを上手くまいて、そのまま私のところへ転がり込んできたってわけだね?」
セラフィーナの冷ややかな指摘に、レオナは小さくなってコクコクと頷く。
「まったく……。ただの世間知らずの家出娘かと思ったら、とんでもない国際指名手配犯級の厄介者を抱え込んじゃったかもしれないねぇ」
セラフィーナの深い溜息が、施療院の静かな部屋に木霊した。




